第1話 目覚めると、そこは現実世界だった
「はっ!?」
目覚めた俺の眼前に広がるのは、蛍光灯の明かりと、白い天井。
助かったのか。
俺は……車に轢かれて死んだはずだ。
生暖かい血の感触と、事切れる瞬間のろくでもない走馬灯がまだ、脳裏にこびりついていた。
本当に、ろくでもない走馬灯だった。
幸せなのは両親が生きていた時までで、あとはずっと……仕事、仕事、仕事の毎日。
ただひたすら働くばかりの日々。
付き合った女も皆、働きづめの俺を捨てて去っていった。
そんな、何にもない俺の最期の善行。俺は車の前に飛び出した少年を庇って、車道に飛び出し、車に轢かれたのだ。
俺は助かった様だが、あの子は無事だったのだろうか。
こんな俺が生きて、何になるのだろう。どうせなら善行のご褒美に天国に連れて行ってもらうか、それとも……最近漫画で流行っている、異世界に転生! みたいなことが起きたら良かったのに。
しかし、残念ながら異世界への転生などあるわけもなく、目が覚めても、ここには現実があるだけだ。こんな目にあっても、どうせまたすぐ、無理やり退院して仕事の日々だ。
そんな絶望を抱いて横になったまま唸っていると、看護師が俺の目覚めに気づいて、大げさな動きでガバッと顔を近づけてきた。
「良かったぁ! えーと……まず、あなたのお名前は?」
おお。ドラマでよく見たシーンだ。まさか自分の身に起きるとは。俺は少しにやけながら、口を開く。
「へぁい。東雲、忍でふ」
……声が裏返った。
「……はい! 記憶もしっかりしてますね! よしよし! じゃ、先生呼んできますねー!」
騒がしい人だ。看護師はドタバタと病室から飛び出していった。
目覚めたばかりで頭がぼーっとする。何も考えられない。俺は呆けたまま、医者を待った。
「元気そうだネ!」
恰幅の良い医者が、のしのしと病室に入ってきた。
「ふぁい、ありがとうござまふ」
体を起こしても声は裏返ったままだった。まともな発声が出来ない。喉も打ってしまったのだろうか。
「……フム。呂律が回ってないナ。ああ、喜多嶋クン、お母さんもお呼びしテ」
医者は眉間にシワを寄せて、俺をジロジロ見ながら唸っている。もしかして、脳に損傷でもあったか?
看護師は小走りに病室を出て行った……って、待て。お母さん? 俺の母は、もう死んでるんだが。どういうこと?
「いやぁ、良かったヨ。さすがのワタシも、今回ばかりは頑張っちゃったからネ! 呂律が回ってないのがチト心配だけどネェ」
ふざけた口調とは裏腹に、医者の目は真剣そのものだ。なにがさすがなのかは分からないが、難しい手術だったのかもしれない。俺の薄給で治療費を払えるだろうか……
と、考えを巡らせていると、勢いよく病室の扉が開いた。
「しのぶちゃん!」
見知らぬ中年女性が入って来て、俺の名を呼んだ。年相応だが、相当な美女だ。俺の亡くなった母とは大違いだが……誰?
「どうしたの……しのぶちゃん?」
俺の表情を見て、女性は心配そうに俺を見つめる。
「えーと……どなた……でしたっけ?」
俺は裏返った声のまま答えた。
「おぅふっ……」
俺の返事を聞いて、女性は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「ああっ! お母さん! 喜多嶋クン! 東雲さんのお母さんをそこに寝かせテ!」
「はっ、はい!」
看護師は女性を抱きかかえて隣のベッドに寝かせた。
……なんだこれは?
「東雲しのぶさん、あなた、お母さんの記憶が無いみたいだネェ……」
医者は俺を渋い顔で睨みつけた。
訳がわからない。
「えっと……」
「大事な一人娘に忘れられたショックで、あなたのお母さん、気絶してしまったヨ……まあ、これで本日3回目の気絶だけどネ」
ひとり……むすめ!?
俺は慌てて自分の胸元を見た。
しばらくの間拝めていなかった、お椀型のものがふたつ……見えた。
続けて、股間をまさぐった。
俺の股間には、しばらく活躍していなかった、だが毎日見慣れていたはずの相“棒”が無くなっていた。
「え? え?」
「何をやっとるんだネ……? 東雲さん」
「え? だって、俺、おと……いや、女……?」
「……フム。性別認識にも混乱が生じているネ。これは検査が必要ダ」
「えっ? えっ?」
「東雲しのぶさん……あなたは、女性ですよ?」
看護師が俺の胸を指差す。
「どうなってんのぉ!?」