第三章 -34-
堅魚は思わず、意富加牟豆美の顔をじっとと見つめる。
だが、意富加牟豆美はまた首を横に振りながら、哀しげに歌い続けた。
「しかし、やがて素朴な人間たちにも、欲望と驕りが芽生え始めた。人間たちは物を所有するということを覚え、それらを奪い合って戦うようになる。つまり、自然や動物たちを自分たちの分身ではなく所有物ととらえ、今までそれらに抱いていた尊敬や恐れの念を失ってしまったのだ。それによって、人間たちは神々の姿を見失ってしまった」
人間が自分たちの力を過信して自然への畏敬の念を失った時、それと共に神々の姿を見る能力まで失ってしまったということか。
堅魚には何となくそれがわかるような気がした。
堅魚は意富加牟豆美の瞳を見る。
それは深い静かな湖のように澄み渡っていた。
そのように澄んだ眼差しをした人間が、一体今のこの現世にいるだろうか。
人間たちの目はみな、欲望や驕りによって濁りきってしまったのだ。
その目では、到底清らかな神々の姿を見ることはできまい。
「我ら神々は、自然そのものなのだ。木を切り倒して森を丸裸にするということは、森の神から衣を剥ぎ取るに等しい。川に物を捨てるのは、川の神に汚物を投げつけるようなものだ。そんな辱めを受けた神々は、人間たちのことがすっかり嫌になってしまう。それ以上葦原中国に留まって、愚かな人間たちを助けてやるのが、哀しくも馬鹿馬鹿しくも思えてくるようになるのだよ。それで、皆この葦原中国を去って、一人また一人と常世の国へ行ってしまう」
「常世の国?」
堅魚が問うと、意富加牟豆美は徐々に歌うような調子をやめ、低い囁くような小声になって答えた。
「この世には、たくさんの次元が存在する。人間の住む葦原中国も、この先の地下にある黄泉国も、それぞれ一つの次元に過ぎない。常世の国も同じだ。それは、神々の憩う常春の国、海の彼方の理想の地……」
意富加牟豆美は目を閉じ、夢見るような表情で呟く。
「空には明るい日の光、森にも草原にも色鮮やかな花が咲き乱れ、いつも暖かい春の風が吹いている。苦しみも、哀しみも、痛みも、悩みも……全ての憂いがそこにはない。ただ、永遠に喜びだけがある国。それが常世の国だ。我ら神々は皆、いつでもそこへ行く権利を持っている。ただし、一度常世の国へ行ってしまえば、葦原中国へ戻るのは難しい」
「では、人間の元から去った神々は、もう戻っては来られないのですか」
「そうだ。だから、そなたの国にはもう、神々はあまり残っておられない。たとえ、人間がまだ神々を見る目を持っていたとしても、その姿を見ることは至難の業だろう」
「神々を我が国へ呼び戻すことはできないのでしょうか」
「人間が心を改め、失われた自然を元通りにし、心を込めてお招きすれば、戻ってくる神々もおられるやもしれぬ。だが、果たして人間が己の欲望や驕りを捨てるかね。もし、そうできたとしても、一度失われた自然は早々簡単には元へ戻らない。それを実現するだけでも、気の遠くなるような時間がかかるだろう。人間にそれだけの忍耐力があるかな」




