第三章 -25-
「まさか」
「本当の私は、どうしようもなく弱くて、卑怯で女々しい臆病者だ」
豊庭の男らしい口元に、どこか気弱な感じのする皺が寄る。
その薄い笑みに、堅魚はついむきになって言い募った。
「そんなことはありません。兄上はいつだって、皆の誉れだったではありませんか。雄々しく、立派で……私にとっては日本武尊そのものの英雄だった」
「お前はそう思ってくれていたのか。だが、それは私が被っていた仮面だ」
豊庭は寂しげに笑う。そして、俯きながら堅魚に問うた。
「お前は私の母のことを知らないだろうね」
「はい。父上の側女の一人だったということは、以前私の守役が教えてくれましたけれど」
すると、豊庭はぽつりと呟いた。
「私の母は元々、父上の父である宇麻呂様の妾の一人だったのだよ」
「ええっ?」
「宇麻呂様には、父上を産んだ人以外に、大勢側女がいた。宇麻呂様が死んだ時、それらの女たちは大方里へ帰されたが……父上はその中の一人であった私の母に目をつけ、密か里から連れ出して自分のものにしてしまったのだ」
「そんな」
「自分の欲望を果たすためなら、父上は手段を選ばなかった。主の媛どころか、自分自身の父の妻であった人まで」
堅魚の方へ目を向けながら、豊庭は苦虫を噛み潰すような口調で囁く。
そんな豊庭の顔を見ながら、堅魚は心密かに考えていた。
生涯正式な妻を娶らなかったほど、堅魚の母を慕っていたという豊庭。
そんな兄が結局最後まで義理の息子という立場を貫いたのは、父への反抗と軽蔑の気持ちからではなかったのか。
父のようにはなりたくない……それが、若き日の豊庭の想いを断ち切ったのでは。
そんな風に自分を見ている弟には気づかないようで、豊庭は淡々と話を続けていた。
だが、それは堅魚には意外なものだった。
「女のことばかりではない。何に対しても、父上は強引に事を推し進め、周囲の人間のことなど何の忖度もしなかった。それなのに、事が収まって冷静になると、ふいに自分のしてきたことを省み、一人密かにそれを羞じて後悔する。その繰り返しだったのかもしれないな、父上の人生は」
あの父もまた、ただの弱い一個の人間だったというのだろうか。
己の欲望を押さえきれず、かといって罪の意識からも逃れられず、ただそれらの迷いを全て胸の奥深くに押し込んで、超然とした振りをしている。
堅魚には初めて、石上麻呂という人物の実像が見えてきたような気がした。
しかし、たとえそうであったとしても、これまでの父の堅魚への仕打ちは、到底すぐには許せるものではなかったけれど。




