第三章 -13-
「まさか」
堅魚はふっと血の気が引くのを覚えた。
豊庭は深い溜め息をつき、堅魚の顔から頭上の桃の梢へと目を移しながら、ゆっくりと話し始めた。
「父上の生まれた家は、石上神宮の神事を司る古い名門だった。饒速日命の子孫たるれっきとした物部氏の一族だ。だが、かつて大和の大王家と結んで、我が国随一の権力を握ってきた物部本宗家の直系ではなく、古くから石上の地に根を降ろした分家に過ぎなかった」
このことは、もちろん堅魚も知っている。
遥か昔、石上神宮が皇室の武運を祈る社とされた時、その祭祀を司ることを命じられて、物部連家の一部が石上の地へ移り住んだ。その末裔が石上家なのである。
河内国渋川郷を本拠とする物部本宗家とは、同じ一族と言っても血は遠い。
「その上、物部本宗家も守屋の代に蘇我氏と争って破れ、往時の勢いも権力もすっかり失ってしまっていたのだよ」
物部氏と蘇我氏との間で起こった争乱は、百年以上経った今でも、昔話としてよく語られるものだった。
大和古来の名族である物部氏と、渡来系の新興勢力である蘇我氏。
この二つの氏族は、仏教の受容などを巡って激しく対立していた。
それが、用命帝崩御後の後継問題を契機に関係が更に悪化し、古代社会を揺るがすような大混乱が勃発したのである。
その結果、物部守屋が蘇我馬子の軍に破れ、物部本宗家は滅亡。
我が国屈指の大豪族であった物部氏は、歴史の表舞台から没落していったのであった。
「でも、石上でひっそり暮らしていたおかげで、我らの先祖はその大乱から免れたのでは」
「そう、命拾いはした。だが、その後の物部氏の者たちはみなすっかり落魄れてしまったのだ。名門の誇りだけは抱きながら、実際の生活では栄達が望めない」
「それはそうですが」
「その上、父上の父、つまり我らの祖父である宇麻呂様は、大そう内気で大人しい性質の方だったそうでね。一応朝廷の衛部に出仕して、宮廷警護の役職についていたとはいえ、かつての物部一族の栄光を取り戻そうとするような気概も才能も持ち合わせてはおられなかった。親の威光がないせいで、父上はまともな官職を得ることができず、ようようただの一舎人として、大友皇子様の元に出仕が叶ったという有様だったらしい」
「つまり、誰一人として頼れる者もなく、後ろ盾となるはずの財力も権力もなかったというわけですか」
「そればかりか、父上には強力な競争相手がいた」
「物部朴井雄君殿のことですか。たしか、宇麻呂様の妹で父上には叔母にあたる、豊媛様の夫であったとか」
「そうだ。朴井家は我らと同じ物部の分家だが、物部守屋の直接の血を受け継いでいる」
「我が石上家よりも、本宗家に近い血筋だと」
「ああ。しかも、雄君殿は勇猛果敢な武将でね。壬申の乱の際も最初から天武帝に従い、一群を率いて大そうな活躍をなされた方だ。同世代の同族中で、ただ一人抜きん出た逸材。地味な宇麻呂様など、比べるまでもない。雄君殿こそ物部の氏の長者だと、世間の人々が考えるのは当然だ」
「それを、父上は不満に思っていた」
「おそらくな。お前も知っての通り、父上は誇り高い野心家だった。だから、皇子の舎人などという己の立場に、到底満足するはずはない。雄君殿の後塵を拝するような一族内の地位にもな」




