第三章 -1-
目の前に、銀の瀧が揺れていた。
さらさらと流れ落ちるそれは、堅魚の頬を優しくなぶりながらたゆたっている。
どこからか、ほんのりと芳しい花の薫りがした。
その香に誘われるように、堅魚はぼんやりとした薄目をひらいて瞼をあける。
目の前にいるのは、一人の女だった。
堅魚の上にかがみこみ、堅魚の瞳をじっと見つめている。
純白の頬、桜花の花弁のような淡い唇。
銀の瀧だと思っていたものは、その女の長い髪だった。
額髪はふんわりと古代風の髷に結い上げ、珊瑚の色をした牡丹花の髪飾りをつけている。
それ以外は乙女のように梳き下ろし、艶やかなその一房が堅魚の頬を掠めながら豊かに流れ落ちているのだった。
その色は、まさに銀髪……老女によくいるような黄ばんだ白銀ではなく、たった今丹念に磨き上げられたばかりの銀器のような輝きを放っている。
堅魚は今までそのような色の髪を見たことがなかった。
だが、それよりももっと不思議だったのは、堅魚を見つめている女の瞳だった。
かつて都で聖武帝に拝謁した時のことを、堅魚は思い出していた。
その時、帝は腰に濃紺の宝石がついた石帯を締めておられた。
その石は瑠璃(注①)というもので、唐の国よりも遥か西にある梵衍那国(注②)からもたらされた、大変貴重な宝石なのだと聞いたことがある。
目の前にいる女の瞳は、その瑠璃の色よりも遥かに蒼く濃く、そして美しかった。
自分を見上げている堅魚の視線に気づいた女は、そっとその指先を堅魚の額に触れる。
えもいわれぬ爽やかな心地良さが、堅魚の全身を隈なく巡り渡った。
堅魚が知らず知らずのうちに恍惚の溜め息をつくと、女は後ろを振り返りながら言った。
「気がついたようですわ」
「そうか」
背後からの返事は、男の声だった。
「こちらはもう少し掛かりそうだ」
それを聞いた堅魚は、自分が背に追うていた麻奈古のことを思い出した。
堅魚は思わず、目の前の女を押し退けるようにして起き上がる。
自分を取り巻いている光景に気づいて、堅魚は驚愕のあまり言葉も出なくなった。
そこは、暗い洞窟の奥ではなく、一面薄紅色に染まった桃の森だったのである。
*注①「瑠璃」…ラピスラズリのこと。
*注②「梵衍那国」…アフガニスタンのバーミヤン付近にあった国。




