第二章 -19-
「何か描けそうか」
ふいに、麻奈古が堅魚に話し掛ける。
ここへ絵を描きに来るという話は、史と堅魚とで考えた単なる言い訳だ。本当のことを言えば、堅魚は大して絵は上手くない。
だが、堅魚は麻奈古の問いが嬉しくて、穏やかに微笑みを返しながら答える。
「ええ。あの岸壁の上の松の枝振りが、実に素晴らしい。仙人のような人影でも付け加えたら、蓬莱山のような趣が出るでしょうね。まあ、お誂え向きな人影なんて、残念ながらまるで見えないけれど」
「この辺りの磯は波が荒くて、あまり里人は近づかない。でも、あの岸壁の上の松林には、松露を取りに時々行くこともある」
「よくご存知ですね」
「ずっと昔、母や祖母と一緒に、あそこへ松露狩に行ったことがあるから」
麻奈古は小さな声で呟いた。
俯いてしまったせいで、額髪がさらりとその横顔を覆う。だが、その寂しげな声音だけで、麻奈古の表情を推し量ることができるようだった。
幸せだった昔のことを思い出させてしまったのだろうか。
何とか麻奈古を励ましたいと、堅魚は口を開きかけた。
だが、麻奈古はその気配りをわざと退けるかのように、急にはっきりとした口調になって言った。
「本当に、ここで野宿するつもりか」
「ええ」
麻奈古はしばらく戸惑ったように黙っていたが、やがて少し顔を背けながら呟いた。
「こんな寂しい場所では、何が起こるかわからない。わたくしと一緒に来ぬか。わたくしの母の里は、この先の丘を幾つか越えた向こうにある。少し遠いが、今夜はそこに泊まって、明日また出直してきては」
思いがけない麻奈古の申し出に、堅魚の心は正直少し動きかけた。
だが、これから先のことには、麻奈古には関わってもらいたくなかった。
秘密を知られたくないというだけではない。
これから何が起こるか、堅魚にも全く見当がつかないのだ。麻奈古を謂れのない危険に晒すわけにはいかない。
堅魚は麻奈古に微笑みかけながら答えた。
「ご親切、痛み入ります。でも、私のことなら構いませんよ。できるだけ早く絵を仕上げたいから、少しでも長くここにいたいんです。それに、誰もいない方が仕事がはかどるから」
「そうか」
気のせいか、麻奈古は少し残念そうだった。
堅魚も何だか急に寂しいような気分に襲われて、気がついた時にはこう言っていた。
「でも、今日はもうすぐ日が暮れます。これから絵を描くのは無理だから、そこまで送っていきましょう」
「わたくしのことなら心配ない。この辺りには慣れているから」
麻奈古は首を横に振ったが、堅魚に何度も諭されるとようやく頷いた。
それで、二人はまた連れ立って馬を返し、背後の丘に向かって進み始めたのであった。




