第一章 -3-
そのような生活は、堅魚を内向的で考え深く、容易に自分の心を表さない人間にしたようだった。
守役が心を砕いてくれたおかげで人間嫌いにはならなかったものの、感情を露わにしたり賑やかに騒いだりすることは苦手だ。
若者らしい友との交わりや遊興の楽しみも知らず、ましてや女に仄かな恋心を抱いたこともない。
心を打ち明けられる人間も、守役を除いては二人しかいなかった。
一人は弟の諸魚だ。諸魚もまた学問好きで、同じように書物を好む堅魚とは互いに話が合った。
だが、月足らずの難産で生まれたせいか、諸魚は生来病弱で、ほとんど寝たり起きたりの生活を送っていた。机を並べて共に勉強することはあっても、普通の男兄弟のように庭で駆け回ったり、棒切れを剣に見立てて遊んだりしたことはない。
そんな寂しさを埋めてくれたのが、もう一人の兄弟である豊庭だった。
豊庭は父の嫡子で、堅魚より十二歳も年上だし、母も違うから一緒に育ったわけではない。
だが、母の生前から時々父の名代として石上の館を訪れ、必要なものを揃えてくれたり何かと相談に乗ってくれたりしていたのである。
石上へ来る度に、珍しい玩具や菓子などのお土産を持ってきてくれる豊庭が、堅魚はすぐに大好きになった。
豊庭の方も、こんな人里離れた森の中で、ただ一人の友もなく過ごしている幼い弟が不憫だったのだろう。豊庭はいつもにこやかに堅魚に話し掛け、時間がある限り堅魚と遊んでくれたのだった。
だが、豊庭は父と共に都に住んでいたから、その訪れはそう度々ではなかった。
そして、父の後に続いて宮中に出仕し始めると、豊庭はすぐに要職について多忙になり、石上への訪れもだんだん間遠になってしまったのである。
寂しい堅魚の生活の中で、父の存在は希薄であった。
いや、希薄というより、滅多に会いに来ない父はあまりにも遠い存在で、堅魚を可愛がってくれる豊庭のような現実感がなかったという感じかもしれない。
記憶の中の父は、いつも館の縁側に座って、一人で酒を飲んでいた。
深い皺の刻まれた、気難しげな顔立ち。半ば俯いて杯の中の液体を睨みながら、美味しくもなさそうな顔で杯をあおる。
滅多にしゃべらず、こちらから話し掛けてもはかばかしい返事はもらえない。
堅魚が居心地悪くもじもじしているうちに、父は急に席を立って帰ってしまう。
一度たりとも、豊庭のように一緒に遊んでくれたことはない。
それどころか、いつも遠巻きに眺めていただけで、堅魚は父の身体に触れたことすらなかった気がする。
だが、そうだからといって、その頃の堅魚は父を疎ましく思っていたわけではない。
むしろ、石上の森を抜け出してでも父に会いに行きたいと願っていた。もっとも近い肉親は、やはり実の父だと思っていたからだ。
どうして、父はもっと頻繁に会いに来てくれないのだろう。せめて、自分たちを都へ呼んでくれたなら。そうすれば、みんなで一緒に暮らせるし、豊庭にももっと会える。
きっと、都の高官である父は、日々の政務が忙しくて都から離れられないのだ。だから、豊庭に時々様子を見に行かせ、自分は都で堅魚たちを呼び寄せるための準備をすすめてくれているに違いない。必ず近いうちに迎えに来てくれる。
堅魚はその日を夢見て、指折り数えながら父からの迎えの行列が来るのを待っていた。
だが、堅魚が間もなく知ったのは、あまりにも寂しい現実だった。
堅魚が十二歳になった時、守役がそっと教えてくれたのである。堅魚にもう一人弟が生まれたと。
石上神宮の神事を司っているのは、布留宿禰を名乗る一族だった。
彼らは古代からこの地の神々を祭ってきた土着の一族だったのだが、石上神宮が創建されて物部連氏がその神職に任じられてからは、物部首氏を称してその氏族に加わった。
そして、物部連麻呂と名乗っていた堅魚の父が石上姓を賜って都での要職に就くにあたり、同時に布留と改姓して疎かになった石上神宮の神事を任されるようになっていたのである。
堅魚の守役はこの布留宿禰氏の出で、石上の森のすぐ近くにある一族の屋敷には時々顔を出していた。それで、その報せを堅魚にもたらしたのである。
おそらく守役も、堅魚の心中を慮って躊躇したに違いない。だが、元服して一人前の男になる準備を、堅魚もそろそろ始めなればならない年頃だ。
それで、守役は細心の注意を払いながらも、堅魚に今置かれている状況を話しておいた方が良いと思ったのかもしれない。
守役が言うには、父は母の生前から布留宿禰家の娘の元へも通い始め、事もあろうに母の死の前年には国盛という女の子をもうけていたのだそうだ。
そればかりか、母の死んだ年に諸魚と同い年の乙麻呂という男の子が、さらに今また東人という男の子が生まれたのだという。
つまり、母や堅魚らに知らせぬまま、父は今まで頻繁に石上へ来ていたのである。
布留宿禰の屋敷には行っても、その目と鼻の先にある堅魚らの館には顔すら出さない。
それは、母と堅魚ら兄弟への、父の重大な裏切りであった。