第一章 -1-
到黄泉比良坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉迯返也。爾伊邪那岐命、告其桃子、汝如助吾、於葦原中国所有、宇都志伎青人草之、落苦瀬而患惚時、可助告、賜名号意富加牟豆美命。
(古事記)
(黄泉比良坂のふもとに辿り着いた時、伊邪那岐命がその坂のふもとに生えていた桃の実を三つ取って迎え撃つと、伊邪那美命の命で黄泉の国から伊邪那岐命を追ってきた雷神たちはみんな坂を逃げ帰って行った。そこで伊邪那岐命は桃の実に「私を助けたように、葦原中国に住む全ての生ある人々が苦境に立って悩み苦しむような時には、お前が助けよ」とおっしゃって、桃の実に名を賜り意富加牟豆美命と名づけられた)
一片の白雲が、頭上近くを渡っていく。
石上堅魚は眩しげに目を細め、筑紫の夏空を振り仰いだ。
心なしか、大和の空より青く澄んでいる気がする。その下に広がる山並みは、濃い緑から薄藍へと色を変えながら、どこまでもどこまでも続いていくようだった。
「大和と違って、こちらは光も影も濃い。山々も荒々しくて、大和の円かな景色に慣れた目には、少々鬱陶しく見えるかな」
背後から穏やかな声がする。堅魚は振り返りながら答えた。
「いや、むしろ心が晴れる気がいたします」
そう言いながら、堅魚は懐から手巾を取り出し、額に流れる汗を拭った。確かに、日の光は強く、肌はじりじりと焼けるようだ。
だが、山上に吹く風は爽やかで、冠の下の鬢の髪を心地良くなぶっていく。堅魚は明るく微笑んで、すぐ側の橘の木の下に佇む老人に問いかけた。
「大伴卿は、この山城へはよくお越しになるのですか」
大伴旅人は、少し寂しげな笑顔を返しながら頷いた。
「この記夷城は、この辺りでは一番眺めの良いところでな。妻が生きていた頃には、よくせがまれて一緒にここへ来て、共にこの景色を見たり歌に詠んだりしたものだった」
堅魚ははっとして旅人の顔を見た。
つい一月ばかり前に、旅人は長い間連れ添った妻を亡くしたばかりなのだ。
堅魚はそんな傷心の旅人を慰めるべく、朝廷から遠い筑紫の地まで遣わされてきた弔問の勅使なのである。
堅魚はちょっと戸惑ったが、旅人は堅魚に気を遣わせまいとするかのように、微笑を返しながら言った。
「この山は基山といって、筑前と肥前の国境にある。ここに大宰府を護るための城が築かれたのは天智帝の御世だというから、今から六十年余りも前だろうか。あの頃と違って、今はすっかり世の中も落ち着いておるのでな。この城の役目といえば、今やただの望楼といったところか」
堅魚が生まれる三十年近く前の話だから、堅魚自身はあまりよくは知らないが、その頃我が国と朝鮮半島との関係は緊迫していた。
長年誼を通じてきた百済が、唐と新羅の連合軍に破れ、とうとう滅亡してしまったのである。
しかし、百済の残党は反乱軍を結成し、我が国へ援軍を送るよう要請してきた。それに応じて、当時まだ皇太子の立場にあった天智帝は、二万七千人もの大軍を派遣して、朝鮮半島西岸の白村江で唐の水軍と対峙する。
だが、我が国の軍はそこで完膚なきまでに大敗し、多くの将兵を失って壊走することになったのである。
この敗北に乗じて、唐や新羅が我が国へ攻め寄せてくるかもしれない。百済が完全に滅びた後も、新羅は残る高句麗と争って戦乱が絶えなかった。
そこで、万が一の侵攻や戦乱の飛び火に備えて、この筑紫の地にさまざまな防衛のための処置がなされたのである。
その一つが、この記夷城であった。大宰府はこの北部九州の政治や軍事、外国との外交を統括しており、その大事な役所を護るのは必須だったのである。
しかし、今や朝鮮半島は新羅が統一し、平和的な外交が行われるようになって久しい。
記夷城も未だに堅固な石組みや水門で物々しく守られてはいるが、それらの上には柔らかな苔がむし、植えられた木々も気持ちよく枝を伸ばしていた。
かつては敵を物見するために作られた高台のこの草地も、今は絶好の展望台となっている。
堅魚は旅人に頷きながら言った。
「なるほど、これほど雄大な眺めは、大和にいては到底目にすることはできますまい。良いところへお連れくださいました」
「それでは、どうぞこちらへ来て、筑紫の珍味などを召し上がられよ。鄙の酒もなかなかいけるものだよ」
二人の背後には、既に幾つかの円座が置かれ、様々な肴の載った素焼きの高杯が並んでいた。平瓶の酒器を奉げた従僕の傍らには、旅人に付き従ってきた大宰府の役人たちも居並び、二人が席につくのを待っている。
旅人に促されて、堅魚は上席の一つに腰を下ろした。
向かい合わせに旅人が座ると、他の役人たちもいっせいに席につき、賑やかに望遊の宴が始まる。