Episode1:冒険家の一歩
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「師匠、この洞穴で休むのはどうでしょうか?」
「うん。ここなら寒さも防げそうだね」
雪山を歩く修哉と錬は、十分に休息を取ることが出来そうな洞穴を見つけた。早速、その洞穴に入ると、修哉と錬は背負っているリュックの中から防寒グッズを出し、暖を取り始める。
「はー、温まる」
修哉は簡易暖房に手をかざしながら、震える体を温めた。錬も冷え切った体を温めるために簡易暖房に手をかざしていた。
入口とは逆方向の場所からも少し冷たい空気が修哉の頬に触れたが、微々たるものだったので気に留めることはなかった。
「それにしても本当にこんな場所に秘境なんてあるんですかね? 現地の人も何だか良く分からないみたいなことを言っていましたし」
ふと、修哉は頭に浮かんだ疑問を口に出した。この洞穴に来るまで――、現地の人から情報を聞き出す過程まで含めれば、丸二日は立とうとしていた。
「……」
修哉は軽い気持ちで口を開いたのだが、錬は修哉とは違って堅く口を閉ざしている。
「……師匠?」
錬から反応が返ってこないことを不思議に思った修哉は、錬に呼びかける。
「……修哉、いいかい? 秘境とは簡単に見つけられるものじゃないんだ。秘境を探すということは、地球が出来て四十七億年もの間、誰も踏み入れたことのないような場所を探そうとしているんだよ」
やがて錬は口を開けると、修哉を優しく諭すように説明を始めた。
「見たことだけ、聞いたことだけをそのまま受け入れてはいけない。それだと既にあるもので完結してしまい、そこから新しいものを得ることが出来なくなってしまうんだ。私がこれまで探してきた秘境も、周りの人からは何もないし行っても無駄だと言われていたような場所だった。でも、私は時には死にそうな体験をしながらも最後まで行って、実際にこの目で見て確認して判断したから、何度も秘境を見つけることが出来たんだ」
錬は簡易暖房の明かりを見ながら、遠くを見るような目つきで話を続ける。
「言ってしまうなら、私だってこの年まで三十年以上冒険をしてきたが今でも不安なところはある」
修哉は錬の説明を聞いてハッとさせられた。
今まで秘境を探すために錬と共に冒険をしたが、さも当たり前かのように行くたびに必ず新たな秘境に出会うことが出来た。
でも、それは当たり前の事ではないのだ。
錬も現地の人から情報を聞いて、どんなに嘘に思えるような情報だとしても、また誰もその場所に近寄りたくない場所だとしても、必ず足を運び、その目で見て確認している。
東雲錬という冒険家は、情報を手にしたなら、分析し、しっかりと自分自身の目で確かめるようにしているから、秘境を探し当てることが出来ているのだ。
もし、その情報を誤って判断して、見たとおり聞いたとおりに受け入れてしまったなら、錬は誰も見た事のない新しい秘境を見つけることは出来ないだろう。
錬と一緒にいるなら秘境を探し当てることが当然だろうと、修哉はいつの間にか錯覚していた。もちろん錬だからこそ探し当てることが出来るということもあるが、それは錬が秘境を見出すために確認と分析を惜しまないからこそ成り立つことだ。
修哉は錬と共に冒険をし、錬のことを分かったような気でいたが全然分かっていなかったのだ。
錬が不安に思っていることも知らなかったし、錬が努力しているということも全然分かっていなかった。
言うなれば、修哉は努力も条件もなしに簡単に秘境を見つけようとしていた。それはある意味では、今まで尋常でない努力を積み重ねて来た錬に対して冒涜に近い。
「師匠、すみません。まだ全然分かってなかったです」
修哉は自分の発言の軽率さに気付くと、錬に謝った。
「いや、私の方こそすまない。修哉は冒険家として、まだ月日が経っていないのに説教のように話してしまって」
修哉が謝ると錬は優しく笑いかけてくれた。しかし、その錬の笑顔を見て、修哉は少し胸が痛んだ。
(師匠が謝る必要なんて全然ないのに)
脳裏に浮かぶ思いは、錬には直接は言えなかった。もし、口に出してしまったなら更に錬を困らせてしまうと分かっていたからだ。
「……でも、私の言葉が修哉に一つでも響いてくれたなら嬉しいよ」
錬は修哉の表情を察してか、一度終わりかけた会話に言葉を繋げる。それと同時にゆっくりと立ち上がり、これ以上行く道のないはずの洞穴の奥の方へと歩いて行った。
「師匠?」
修哉は錬が何をするのか分からず、錬を呼んだ。
錬からは何の反応も返ってこない。その代わり、錬は何かを計るように辺りを見渡し、突如見極めたかのように壁を叩いた。すると、錬のいる方からガララと何かが崩れるような音が聞こえた。
修哉はその音の正体が気になり、錬がいる方へ歩いてみると、そこには先ほどまではなかったはずの穴が出来ていた。その穴の大きさは人が一人通れるくらいのものだった。
「先ほどこっち側から微々たる風が吹いていたのは気付いていたかな」
「……はい。でも、その風がここから来ていたとするなら、風はあんなにも小さく吹くものなのでしょうか」
「この先にも空間があることを、あの微々たる風が教えてくれていた。私は壁にあった小さな罅を叩いて、人が通れるくらいの穴を作ったんだ」
錬の言うことを聞いて修哉はようやく納得した。
この先にも空間があり、そこから小さな罅を通して微かな風が吹き込んでいたのだ。先ほど修哉が何でもないと決めつけたものが、まさにそれだった。
修哉が見逃した微々たる出来事に、答えへと続く道が隠されていた。
修哉はまた自分の無知さを思い知った。もし修哉が一人で冒険をしていたのなら、絶対に気付かない場所だっただろう。
「修哉」
錬は修哉の名前を呼んだ。錬の声に振り向くと、穴の近くまで寄るようにと手招きしていたので、修哉は指示に従った。
「もし良ければ、この先は修哉が先頭に立って秘境を探してほしいんだ。もちろん、私も後からついて行く」
隣に立つ錬は、修哉の左肩に手を置いた。
「え? ……何かの冗談ですか?」
修哉はその言葉を口にしたが、錬が肩を掴む強さを感じて、すぐに冗談ではないということが分かった。いや、錬の真剣そのものの顔を見れば一瞬で分かることだった。
「……お言葉ですが、俺はまだ師匠のように秘境を無事に探して当てることが出来るとは思いません。間違った道に行って、師匠を怪我させるかと思うと怖いです」
そう言葉にした修哉の体を、突然の震えが襲った。
行きたい思いがないわけではない。もし、秘境という誰も足の踏み入れた事のない場所に行きたくないのなら、最初からここにはいないだろう。
けれど、それでも足を踏み出せないのは、まだ自分に自信がないからだ。
色々な不安と憂いが、修哉の体と心を蝕んでいく。
「私のことは気にしなくていいよ。それよりも、修哉には自分の心を優先してほしい。自分で秘境を探したいのか、それともまだ私の後について行きたいのか……」
錬は真っ直ぐに修哉を見つめる。
まるで修哉の心を、すべて見透かしているかのようだった。
修哉は迷う心を引き締めて、決心を固めると、
「……分かりました。不安な部分はありますけど、頑張ります」
「修哉ならそう言ってくれると思ったよ。なに、失敗したとしても、誰も責めはしないよ」
修哉がそう宣言すると、錬は修哉の背中を優しく押してくれた。その時、修哉は別の秘境の景色が頭に浮かんだ。初めて冒険をした際に見た、修哉の原点となる景色だ。
それと同時に、今回訪れるであろう秘境も、自分の運命を変えてくれるような予感がした。
「……行きますッ!」
修哉は覚悟を込めて、言葉を行動に移す。
まだ冒険者としての経験が浅い修哉は、自分が先導するという体験は一度もなかった。いつも修哉は錬の後ろにいた。でも、今は逆で、錬が修哉の後ろにいる。
修哉は穴の中に足を入れた。足を入れると、ひどく冷たく感じた。
不安がないわけではない。
でも、恐怖する心もない。
この一歩は、修哉が初めて秘境への道を切り開く、第一歩となる。