表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ストイック  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
8/79

第8章

 

 ベレニスが彼のことを話しているまさにその頃、ハンサムなろくでなしのブルース・トリファーは、東五十三番街のセルマ・ホール夫人の下宿屋の小さい寝室の一室で、変わりやすい多彩な思考だけでなく、かなり酷使された肉体を休めていた。そこはかつてそこそこおしゃれだったが、今ではかなり没落したニューヨークの「正面がブラウンストーン張り」の高級住宅街だった。口の中には後味の悪さが残っていた。前日の深夜の名残だった。手もとの年季の入った丸い腰掛けには、ウィスキーの瓶と、炭酸水のサイフォンと、タバコがのっていた。そして、折りたたみの壁収納式ベッドで彼の横にいたのは、明らかに魅力的な若い女優で、トリファーは女の給料と、部屋と、他の所持品を共有していた。

 あと少しで午前十一時になるというのに、二人ともまだ半分眠っていた。しかし、すぐにロザリー・ハリガンは目をあけた。かつてはクリーム色だったが今は色褪せた茶色の壁紙と、低い三面鏡の化粧台と、整理ダンスのあるそのあまりに魅力のない部屋を眺めながら、起きて部屋中にとっ散らかっているみっともない衣類を片付けようと決めた。間に合わせの台所も浴室もあった。腰掛けのすぐ右側には書き物机があり、ロザリーはそこにアパートで食べられるような食事を並べた。

 だらしない格好をしていても、ロザリーは魅力的な人だった。カールしたくしゃくしゃの黒髪、小さな白い顔、小さくて探るような黒い目、赤い唇、かすかに上を向いた鼻、優雅で色っぽい丸みを帯びた体、このすべてが合わさって、とにかく一時的に、道楽者で、落ち着きのない、ハンサムなトリファーをつなぎとめていた。ロザリーはトリファーのために飲み物を混ぜてタバコを渡そうとも考えていた。それから、もし興味を示したら、コーヒーを入れたり、卵をいくつか茹でたりするつもりだった。しかし、もし彼がちょっかい出したり、気のある素振りを見せなかったら、身支度して十二時からのリハーサルへ出かけ、それから彼の傍らに戻ってきて最終的に目を覚ますのを待つつもりだった。ロザリーは恋をしていた。

 基本的に女について回るトリファーは、こういう親切のすべてに、気のない態度以外は返さなかった。どうしてこの自分がそんなことをしなきゃならないんだ? ヴァージニアとサウスカロライナのトリファー家のトリファーなんだからな! この自分は、最高の人たちと一緒にどこにでも行く権利があるんだ! ひとつ問題なのが、ロザリーやその手の娘がいないと、いつも無一文で、もっと悪いときは酔っ払って借金を抱えていた。それにもかかわらず、女性からすると彼は魅力的な存在だった。しかし、無為に二十数年を過ごしても、誰とも重要な社会的関係を構築できず、おかげで今では好意を示すことにした誰にでも、そっけない、皮肉っぽい、横柄な態度を取りがちだった。

 トリファーは南部の名門出身で、かつては裕福な社会で名の通った一族だった。その当時、チャールストンにはまだ古い魅力的な屋敷が建っていて、そこには南北戦争以前からずっと続いている一族の分家の末裔が住んでいた。彼らの財産は、あの戦争の結果、価値がなくなった数千ドル相当の南部連合の債券だった。この頃、兄のウェクスフォード・トリファー大尉は軍隊にいて、ブルースを浪費家とか社会のごろつきだと考えた。

 そして、テキサスのサンアントニオには成功した牧場経営者の別の兄がいた。西部に行って、結婚して子供たちに恵まれ、落ちついてしまい、今ではニューヨーク社交界にかけるブルースの野心を愚かの極みと見ていた。もし何かをするつもりでいたのだとしたら……たとえば、女相続人をものにするとか……どうして何年も前にやっておかなかったのだろう? 確かに、彼の名前は時折新聞に載り、一度はお金持ちのニューヨークの社交界にデビューした娘と結婚するのではないかと噂されたこともあった。しかし、それは十年も前、彼が二十八歳のときのことであり、結局、何も起こらなかった。今はもう兄弟も他の親戚も誰も彼をこれっぽっちも信じていなかった。彼は終わっていた。ニューヨーク社交界の彼のかつての友人のほとんどは、同じ考えだった。彼は自分の欲望の犠牲者だった。彼は自分の社会的価値や立場を軽視しすぎていた。彼らはとっくの昔に、彼にはもう何も貸さないというところにまで到達していた。

 しかし、彼がしらふで、完全に身だしなみを整えたときに時々会うと、彼が金持ちと結婚せずに、そうやって輝けるグループに復活しなかったことを後悔せずにいられない者が老若男女を問わず今でも存在した。彼の暖かみのある南部なまりは、彼が使うと、とても楽しくて、笑顔がとても魅力的になった。

 ロザリー・ハリガンとの今の関係はまだ八週間しかたっていないが、あまり長続きするとは見ていなかった。所詮、週給三十五ドルのただのコーラスガールに過ぎなかった。ロザリーは陽気で、優しく、愛情深かったが、トリファーも感じたように、どうにかなるほどの実力はなかった。さしあたって彼をつなぎとめていたのは、ロザリーの体と欲望と愛情だった。

 そして、この特別な朝、ロザリーは彼のしわくちゃの黒髪とすてきな形の口と顎をうれしそうに眺めた。彼が他人に奪われてしまうというあまりにも絶望的な恐怖に染まっていたので、その様子はまったく哀れだった。トリファーはいつものように、怒鳴って悪態をついて命令しながら目を覚ますかもしれない。ただ髪に触れることしかできなくても、何時間でも彼と一緒にいたいと願った。

 一方でトリファーの心は、半分夢の中、半分覚醒して、自分の日常生活に浸透した病魔について考えていた。今は、ロザリーからもらったお金しかなかった。トリファーは無一文だった。それにもう、ロザリーへの関心はすでに冷めていた。せめて派手にお金を使っても平気な資産家の女性でも見つけて、結婚して、今は自分を見下している大勢の地元の成り上がりどもに、トリファーとは何者か、金持ちのトリファーを、見せてやれたらいいのだが! 

 ニューヨークに来てすぐに、恋に悩む女相続人と駆け落ちしようとしたが、両親がその娘を海外に連れ去ってしまった。そして、彼は自分が公共の媒体では、財産目当て、自分の娘に幸せな結婚と生活を願う立派な資産家すべてに警戒されるべき人物、要警戒人物として、非難されていることに気がついた。酒、女、ギャンブルに加えて、この破談だかヘマは、長年ずっと入りたいと思っていた扉を閉ざしてしまった。

 今朝すっかり目が覚めて服を着る間に、トリファーは自分をそそのかして連れて行った昨夜のパーティーのことでロザリーを怒鳴り始めた。そこで彼は酔って、まわりの連中が彼を追い払ってせいせいするほど相手を見下し、嘲笑したのだ。

「あいつらめ! あの無礼者どもめが!」トリファーは叫んだ。「なぜ、あの新聞記者どもがあそこに来ることを話さなかったんだ? 俳優だってひどいもんだ、くそ、だが新聞のスパイや、お前の女優仲間と来た宣伝屋の犬どもときたら! ふん!」

「でも、私、彼らが来ているって知らなかったのよ、ブルース」ロザリーは弁解した。青白くて絵のように美しい彼女は一生懸命にガスの火でパンを一枚焼いていた。「来るのはショーの目星い出演者だけだと思ったのよ」

「目星いね! あんな連中でも星呼ばわりするのか! あいつらが星だったら、私は恒星系そのものだ!」(このたとえはロザリーには全く通じなかった。彼が何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。)「あの役立たずどもめ! お前には星と石油ランプの区別もつくまいがな!」

 それからトリファーは気を引き締めて、こんなことをやめる踏ん切りがつくまでにどのくらいかかるだろう、と思いながらあくびをした。自分はどこまで落ちていくのだろう? 自分たちがやっていける分しか稼げない女たちに分け前をもらって、それから平等に分け合えない男たちと酒やギャンブルに明け暮れている! 

「ああ、こんなこと、耐えられん!」トリファーは叫んだ。「終りにしなくちゃいけない。これ以上、こんなところでだらだらしてはいられない。みっともないにもほどがある!」

 トリファーは怒って両手をポケットに突っ込み、部屋の隅まで歩いて行って、また戻って来た。その間、ロザリーは無言で彼のそばに立っていた。怖くて口がきけなかった。

「おい、聞こえてるよな?」トリファーは尋ねた。「そんなところで人形みたいに突っ立っているつもりか? まったく、女ってやつは! 猫のように喧嘩をするか、ひれ伏して何も言わなくなるかだな! ああ、少しでも頭に良識ってものがある女に、一人でいいからお目にかかれたらなあ……私だって……」

 ロザリーはトリファーを見上げた。口がゆがんで苦悶の笑みになった。「それで、どうするっていうの?」ロザリーは静かに言った。

「そいつにしがみつくのさ! 愛したっていいな! だが、一体、それでどうなるんだ? 私はこんなところにいるんだぞ。この狭いところでぶらぶらしていて、何ができるっていうんだ! 私は別世界の人間なんだ。そっちに戻るつもりでいる! お前と私は、別れなければならないってことだ。それ以外はありえない。もう一日だってこんなこと続けられない!」

 そう言いながら、トリファーはクローゼットに行って帽子とコートを取り出すと、ドアに向かった。ロザリーは彼の前にじりじり進んで、両腕を投げるようにして抱きつき、顔を相手の顔に押しつけた。彼女は泣いていた。

「ねえ、ブルース、お願いよ! 私が、何をしたっていうの? もう、私のこと、愛してないの? あなたの望みどおりにするだけじゃ不足なの? 私からは、あなたに何も求めていないわよね? お願い、ブルース、私から離れないで、ブルースってば!」

 しかし、トリファーは相手を押しのけて振り切った。

「やめろ、ロザリー、やめるんだ」トリファーは続けた。「私はもう我慢しないからな! こんなことで私をとめることはできないぞ。出て行かなきゃならないから出て行くんだ!」

 トリファーはドアを開けた。しかし動くと、ロザリーが彼と階段の間に体を割り込ませた。

「ねえ、ブルース」ロザリーは叫んだ。「まさか、あなた、行くはずないわよね! ねえってば、こんな風に私を置いていくはずないわよね! 私、何でもする、何だって。約束するわ! ねえ、ブルース、もっとお金を稼ぐわ、もっといい仕事につくわ。私ならできるって。別のアパートに引っ越したっていいのよ。私が全部やるから。ブルース、お願い、座ってよ、こんなことやめてよ。あなたが私を置いていくなら、私、死ぬわ!」

 しかし、トリファーはこの時には腹が決まっていた。「なあ、やめろって、ロージー! 馬鹿なまね、しなさんな! お前に自殺する気がないのはわかってる。自分でもわかってるだろ。しっかりするんだ! 落ち着けって。今夜か明日にでも会ってやるよ、多分な。だけど新しい仕事をしなくちゃならないんだ。それだけだよ。わかったかい?」

 ロザリーは見つめられて軟化した。この避けられぬ事態は避けられるものではないことがようやくわかった。もし相手が行きたがったら、自分ではつなぎとめられないことを知った。

「ねい、ブルース」ロザリーは密着しながらもう一度訴えた。「行かせないわ! 絶対に! 絶対に! ここは通れないわよ!」

「通れないだと?」トリファーは聞き返した。「じゃ、見てるがいいさ!」トリファーは女をドアから引き離すと、急いで階段を降りて出ていった。ロザリーは息を切らして、恐れおののき、家のドアが大きな音を立てて閉まるのを見つめながら立っていた。それから疲れたように向き直って部屋に入り、ドアを閉めてドアにもたれかかった。

 そろそろリハーサルに出かける時間だった。しかしそのことを考えても体が震えた。もう、どうでもよかった。どうしようもなかった……多分、彼が戻って来ない限り……服を取りにでも戻って来ない限り……

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ