第3章
翌朝の十時を少しまわった頃、ベレニスはクーパーウッドに電話をかけた。二人は彼のクラブで会って話をすることになった。
ベレニスが彼の部屋に通じる専用階段から入ると、クーパーウッドが自分を迎えるために待っているのを見つけた。リビングと寝室には花が飾ってあった。しかし、クーパーウッドはまだこの思いを遂げた現実を未だに信じられず、ベレニスがこっちを見て微笑みながら、ゆっくりと階段をのぼってくる間、気が変わった様子がないか心配そうに顔色をうかがった。しかし、ベレニスが入り口をまたいた拍子に、彼がつかんで抱き寄せるのを許すと、ほっとした。
「いらっしゃい!」クーパーウッドは陽気に優しく言うと、同時に立ち止まって相手を観察した。
「私が来ないとでも思ったの?」ベレニスはクーパーウッドの顔の表情を見て笑いながら尋ねた。
「まあ、何を頼りに信じればよかったのでしょう?」彼は質問した。「以前のあなただったら、私がしてほしいと思ったことは決してしませんでしたからね」
「そうね、でも理由はおわかりでしょ。これからは違うわ」ベレニスは唇を許した。
「あなたが来てくれただけでこの調子ですからね」クーパーウッドは興奮して続けた。「一晩中、一睡もしていないんです。もうずっと眠る必要がない気分です……真珠のような歯……灰色を帯びた青い目……バラ色の口……」うっとりしながら続けた。そして彼女の目にキスをした。「それにこの日差しのようにまばゆい髪」感心しながら指で触れた。
「赤ん坊が新しいおもちゃを手に入れたみたいね!」
クーパーウッドはベレニスのわかっていて心が通う笑顔にぞくぞくして、屈んで体を持ち上げた。
「フランクってば! ちょっと! 髪が……くしゃくしゃになっちゃうじゃない!」
クーパーウッドが、暖炉の炎がチラチラ光っているらしい隣りの寝室に運ぶ間、ベレニスは笑って抵抗した。相手がせがむので、ベレニスは服を脱がせるのを許しそのあせる様子を面白がった。
クーパーウッドが満足して、彼女に言わせると『正気に返って話ができる』ようになるまでに日が暮れてしまった。二人は暖炉の前のティーテーブルのそばに腰掛けた。できるだけ長く一緒にいたいからシカゴに残りたいとベレニスは言ったが、ひと目を引かないようにするにはいろいろと手配しなければならなかった。これに関してはクーパーウッドも同意した。当時、彼の悪名はそのすごいピークに達していた。特にアイリーンがニューヨークに住んでいることは知られていたので、彼女と同じくらい魅力的な人と一緒にいたら、噂があふれ出るきっかけになってしまう。二人は一緒にいるところを見られるのを避けなければならなかった。
今のところ、この運営権延長の問題は、まあ、現状のような運営権がない状態は、彼が自分の路面鉄道の権利を失うことがあっても、業務が停止するわけではなかった。会社は何年もかけて築かれてきた。その株式は何千人もの投資家に売却されていて、正式法的な手続きなしには、彼や投資家から取り上げることはできなかった。
「本当にやらなくてはならないことはね、ベヴィ」クーパーウッドはじっくり言い聞かせるように言った。「すべての人に公平な価格でこの資産を引き継いてくれる出資者、個人のグループでも法人でもいいですが、それを探すことなんです。もちろん、すぐにできることじゃありません。何年もかかるかもしれません。実際に、私が進み出て、私からもそれをお願いしますと頼まない限り、誰もここに来て何かをしようと申し出そうもないことはわかってますよ。利益を出して路面鉄道を経営することがどれほど大変なのか、みんな知ってますから。それにそうなっても裁判があるんです。たとえ私の敵や外部の会社がこの鉄道会社の経営に乗り出そうとしても、裁判所が認めなければなりません」
クーパーウッドはベレニスの隣に座って、あたかも彼女が仲間の投資家か同格の資本家のひとりであるかのように話しかけていた。ベレニスは彼の金融の世界の実務的な詳細には大して興味がなかったが、彼のこういう事に対する知的な実務的関心がどれほど強いかを感じることができた。
「まあ、一つわかっていることがあります」ベレニスはここで付け加えた。「あなたは、本当に負けるってことがないんだわ。あなたは賢すぎ、切れすぎるもの」
「かもしれませんね」ベレニスにほめられてうれしくなって言った。「とにかく、すべてに時間がかかります。この鉄道会社を私の手から取り上げるまでに、何年もかかるかもしれません。同時にこんなことでぐずぐずしていたら、ある意味で私は廃人になりかねませんよ。仮に他の何かをやりたいとしても、ここでの責任のせいで不利な立場におかれると心しておくべきですからね」クーパーウッドの大きな灰色の目はしばらく宙を見つめた。
「私がやりたいことは」クーパーウッドは考え込んた。「こうしてあなたを手に入れた今、とにかく、しばらくは一緒にのんびりして旅行に出かけることですね。私は十分に一生懸命働きました。あなたは私にとってお金以上のもの、かけがえのない大切なものなんです。変な話ですが、私はずっと懸命に働きすぎてきたと急に感じるようになったんです」クーパーウッドは微笑んでベレニスを優しくなでた。
ベレニスは相手の話を聞いていて、本物の優しさだけでなく誇りと力で満たされた。
「完全にそのとおりよ、あなた。あなたは何かの大型エンジンか機械みたいだったわ。どこかで全速力で突っ走っているんだけど、その場所を正確に把握していないのよ」ベレニスは話をする間、相手の髪をもてあそび頬をなでた。「あなたの人生と、あなたが今までにやりとげたすべてのことについて考えてきたんだけど、しばらく海外に行って、ヨーロッパを見るのがいいと思います。もっとお金儲けをしたいのなら別ですが、ここであなたに他に何ができるのか私にはわかりませんし、シカゴは確かにそれほど面白いところじゃありません。ひどいところだと思います」
「まあ、必ずしもそうだと言うつもりはありませんが」クーパーウッドはシカゴの肩を持ちながら答えた。「いいところだってありますよ。私はもともと金儲けをするためにここに来ました。その点に何の不満もないのは確かなんです」
「まあ、それはわかってますけど」ここでキャリアを積むときに経験した苦労や心労にもかかわらず、彼が義理堅いのを面白がってベレニスは言った。「でもね、フランク……」とても慎重に自分の言葉を選びながら、ここで一息入れた。「あなたの方がはるかに大きな存在だと思います。私はいつもそう思っていました。あなたは仕事から離れて、休みをとって、世界を見て回るべきじゃないかしら? 何かできることが見つかるかもしれないわ。お金じゃなくて称賛とか名声になるような大きな公共事業とかね。イギリスとかフランスになら、あなたが取り組めそうなものが何かあるかもしれないわ。私はあなたと一緒にフランスで暮らしたいな。海外に行って、何か新しいことをやってみるのはどうかしら? ロンドンの交通事情って、どうなのかしらね? 似たようなものでしょ! とにかく、アメリカを離れましょうよ」
クーパーウッドは賛成のしるしに微笑みかけた。
「ねえ、ベヴィ」彼は言った。「二つの美しい青い目と日差しのようにまばゆい髪に面と向かって、こういう実務的な会話に夢中になるのは少し不思議な気がします。しかし、あなたが言うことにはすべて賢い響きがありますね。来月中旬までに、ひょっとしたらもっと早まるかもしれませんが、私たちは海外に行きます。あなたと私がですよ。そのときにあなたに喜んでもらえるものが見つけられると思います。何しろ、ロンドンの地下鉄の話を持ちかけられてから一年とたっていませんから。あの時は、こっちのことで手がいっぱいだったので、他の事に割く時間がありませんでした。でも今なら……」クーパーウッドは彼女の手をなでた。
ベレニスは満足の微笑みを浮かべた。
帰る前に薄暗くなってしまい、ベレニスは、慎み深い、控えめな、笑みを浮かべて、クーパーウッドが呼んだ乗り物に乗り込んだ。
少ししてから、いろいろな大量の持ち株を彼から取り上げる手段や方法を決めるために、市長やしかるべき市の役人との協議に臨む弁護士と、まず明日どう準備しようか考えながら前に出たのは、陽気で一段と元気なクーパーウッドだった。あんなことがあったのに……あんなことがあったのに……まあ、ベレニスがいるではないか。彼の人生の大きな夢が実現したのだ。失敗についてはどうなのか? 失敗などは全然なかった! 人生を築くのは愛だ。決して富だけではない。




