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ストイック  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第1章ー第16章

ストイック


セオドア・ドライサー




  第一章



シカゴで負けたとき、つまり身を削る思いの長い奮闘の末に、五十年の運営権更新をかけた闘いで負けたとき、二つのとても悩ましい問題がフランク・クーパーウッドの前に立ちはだかっていた。


まずは年齢があった。六十歳を間近に控えて、相変わらず元気そうに見えたが、若くて同じくらい頭の切れる資本家と一緒に舞台に立って、もし運営権が延長されていたら確実に自分のものになっていたであろう、巨万の富を築くのは簡単な問題ではないと感じた。その財産は総額五千万ドルに及んだであろう。


二つ目は、彼の現実的な判断では、もっとずっと重要なのだが、未だに何か価値がある社会的な関係、言い換えると、社会的な名声を築いていなかった。当然のことながら、若い頃フィラデルフィアの刑務所に収監されていたことは問題の助けにはならなかった。それから、社交ではまったく役に立たなかったアイリーンとの不幸な結婚に加えて、生まれつきの気の多さと、意志の固いほとんど野蛮なまでの利己主義も、それさえなかったら彼と親しくなれたかもしれない大勢の人たちを遠ざけてしまった。


クーパーウッドは、自分よりも、実力や知恵がなく要領が悪い者を友人にするような人物ではなかった。それは意味もなく自分の価値をさげるだけで、彼に言わせると、せいぜい時間の無駄だった。その一方で、強くて狡猾な人物や、本当に重要な人物を友人にするのも毎回簡単にはいかないことがわかった。とりわけ、このシカゴでは地位と権力を巡ってそういう大勢の人たちと戦ってきたが、彼らが彼と対立するために団結することを選んだのは、彼らが実践していたり他人に容認していたものとは違う道徳や方法を彼が代表していたからではなく、彼が完全なよそ者で、彼らが自分たちのものだと思っていた金融の分野に乗り込んでいって、彼らよりも短期間でずっと大きな富と権力を手に入れたからだった。おまけに、金のことで最も彼を妬んでいた男たちの妻や娘を誘惑してしまった。だから相手は彼を社会的に追放しようとして、ほぼ成功したのである。


セックスに関する限り、彼は常に個人の自由を望み、それをやり遂げるために情け容赦なく進んだ。同時に、どこかでとても優れた女性に出会って知らないうちに自分の方が支えられるかもしれない、という考えを常に抱いていた。しかも絶対的な誠心誠意ではなくて……彼は自分に関してはそれを絶対に期待する気はなかった……理解と愛情の真の結合だった。もう八年もの間、ベレニス・フレミングという娘に本当に理想の人物像を見つけたと感じていた。明らかに、彼女はクーパーウッドの人柄や名声に気圧されなかったし、彼のいつものあざやかなお手並みにも全然反応を示さなかった。そのことと、彼女が彼にかけたとても美しく色っぽい呪文が効いたのか、もちろん彼がやがて自由に彼女と結婚できると仮定した上で、若さと美貌、精神的覚醒、自分の個人的価値への自信を持つこの彼女ならば、彼の力と富にふさわしい自然な社会的背景を作って維持できるという確信が、クーパーウッドの中に生まれた。


不幸にして、アイリーンとの関係については自分で決めたことがあるので、クーパーウッドには彼女を見捨てられなかった。第一、アイリーンが彼をあきらめないと決めていた。それに、シカゴの熾烈な鉄道の戦いに制限解除を求める争いを加えたことは、負担を大きくしすぎたのだろう。それに、ベレニスの態度には、必要な承諾の兆しが見られなかった。ベレニスの目は、彼より若いだけでなく、彼個人の経歴をもってしても彼女に与えられない伝統的な上流階級の特権を備えた男性たちに向けられているように思えた。これが初めての本格的な失恋の経験をクーパーウッドにもたらした。そして、一時は自分の部屋に何時間もひとりで座ったまま、巨万の富とベレニスの愛情と求めた戦いで完膚なきまでに打ちのめされたと信じていた。


それが突然、ベレニスが自分のところへやって来て、驚いたことに、予想に反して、身を任せると言い出した。すると、クーパーウッドは若返りを実感して、たちまち、かつての建設的な態度をはっきりと取り戻した。ついに、権力、名声、威信を求める自分を本当に支えられる女性の愛情を手に入れたと感じた。


その一方で、彼女がここに来た理由の説明はこれまでと同じくらいに単刀直入だった……


「あなたは今本当に私を必要としているかもしれないと思ったんです……私は決心をしました」……それでもベレニス側には人生と社会に対するある種の被害者意識があって、それが若い身空で負わされたと感じたひどい仕打ちに、何らかの形の償いを求めさせた。ベレニスが本当に考えていたこと、そして、ベレニスが突然身を委ねた喜びに湧くクーパーウッドがわかっていなかったことは、これだった。あなたは社会ののけものです。私もです。そして世間はあなたを挫折させようとしてきました。私自身の場合それは、気質やその他のあらゆる面で、私が属していると感じる領域から私を締め出そうとしました。あなたは憤慨していますね、私もです。だから手を組みましょう。私たちはどちらも美しさと力と知性と勇気を備えていますが、どちらも支配はいたしません。だって、私たちの間が対等でなかったら、こんな世間じゃ認めらない関係なんて長続きするはずがないですもの。これがこの時クーパーウッドのところへ来たベレニスの動機の正体だった。


それでも、クーパーウッドはベレニスの力強さと繊細さに気づいてはいたが、こういう方向に考えがつながっていることまでは、十分に気がつかなかった。たとえクーパーウッドでも、ベレニスがやってきたこの冬の夜に(冷たい風の中から現れた満開の花のような)その姿を見て、彼女がいつものように慎重で、しっかりと気持ちの整理をつけていたとは言わなかっただろう。若さ、微笑ましさ、明るさ、ありとあらゆる女性的意味でのすばらしさのすべてを一人に期待するのは少し欲張り過ぎだが、彼女はそうだった。ベレニスは大胆に、それでも何となく緊張を隠すようにクーパーウッドの前に立った。彼に対する悪意はこれっぽっちもなかった。むしろ、愛していた。こういう状況で彼の残りの日々を彼と一緒にいたい、彼のものでありたいという願いを愛と呼んでいいのであればだが。ベレニスはクーパーウッドを通して、そしてクーパーウッドとともに可能な限り勝利に向かって歩むつもりだった。二人は心の底から気持ちをひとつにして協力していた。


そして、その初めての夜、クーパーウッドはベレニスに向かって言った。「でもね、ベヴィ、あなたのこの突然の決断は本当に気になります。私が二度目の本格的な大敗を期したとたんに、まさかあなたが来ようとはね」


ベレニスの静かな青い目が、暖かい外套やとろけるエーテルのように彼を包んだ。


「私は何年も、あなたのことを考え、記事を読んできました。つい先日の日曜日も、ニューヨークで〈サン〉のあなたについての記事を二ページ全部読みました。新聞のおかげであなたのことが少し理解できたと思います」


「新聞が! あんなものが、本当ですか?」


「そうだとも、ちがうとも言えます。あなたについての批判記事ではなくて、事実関係ですよ、まああれが事実ならばですが、つぎはぎなんでしょうけど。あなたは最初の奥さんを全然大切にしなかったんですね?」


「まあ、最初は大切だと思いました。なにぶん、彼女と結婚したときはとても若かったものですから」


「じゃ、今のクーパーウッド夫人は?」


「ああ、アイリーンですか、はい、一時期はとても大切にしました」クーパーウッドは打ち明けた。「かつて私に大変尽くしてくれましてね。私は恩知らずではないのです、ベヴィ。それに、当時の私にとって彼女はとても魅力的だったんです、とってもね。でも、私はまだ若輩で、今ほど精神面がしっかりしていませんでした。悪いのはアイリーンではありません。経験不足ゆえの過ちだったのです」


「そうやって話をすると好感度が上がりますね」ベレニスは言った。「あなたは言われているほど冷酷ではありません。同じことでしょうが、私はアイリーンより何歳も若いんです。私の外見を抜きにした私の心は、あなたにとってあまり重要ではないのかもしれないと感じています」


クーパーウッドは微笑んだ。「確かにそうですね。そう言われると返す言葉がありません」彼は言った。「賢明であろうがなかろうが、私は自分の利益の道を行くまでです。何しろ、さしあたって他に指針がありませんから。もしかしたら私は間違っているかもしれませんが、ほとんどの人はそれを実行していると思います。個人の利益に優先する他人の利益もあるかもしれませんが、原則として、人は自分の利益をはかった上で、他人のために動くようです」


「一応、あなたの考え方に賛成します」ベレニスは言った。


「これだけは、あなたにはっきりさせておくつもりですが」クーパーウッドは優しく微笑みかけながら話を続けた。「私は自分が負わせたかもしれない傷を軽視したり過小評価するつもりはありません。苦労は人生や変化につきもののようですからね。あなたに理解してもらえるように、自分のことをありのままに述べたいのです」


「ありがとう」ベレニスは静かに笑った。「でも、証人台に立つ心境になる必要ないわ」


「まあ、ほとんど同じですよ。でも、アイリーンについて少し説明させてください。アイリーンの性格は愛と感情でできています。でも私の要求に必要なだけの知性がありません。あった試しがありません。私はアイリーンのことなら完全に理解していますし、フィラデルフィアで私のために尽くしてくれたことの全てに感謝しています。自分が世間から後ろ指をさされるのに、私を支えてくれました。だから、かつて愛したようには愛せないかもしれませんが、私はアイリーンを支えてきました。アイリーンには私の名前と私との暮らしがあります。自分には両方ともあって当然だと思っているのです」ベレニスが何を言うか、少し気にしながらクーパーウッドは話すのをやめた。「もちろん、わかりますよね?」と尋ねた。


「ええ、はい」ベレニスは声高に言った。「もちろん、わかります。それに私はどういう形であれ彼女を悩ませたくありません。そんなつもりであなたのところに来たわけじゃありませんから」


「ずいぶん物分りがいいですね。ベヴィ、自分が割を食うんですよ」クーパーウッドは言った。「でも、あなたが私の将来全体にとってどれほど大切なのか、あなたには知ってほしい。あなたは理解できないかもしれないが、私は今ここでそれがわかりました。無駄に八年、あなたを追い求めてきたわけじゃありません。大事に、大事にしてきたつもりです」


「わかっています」この発表に少なからず感動して、ベレニスは優しく言った。


「八年間ずっと」クーパーウッドはつづけた。「私は一つの理想を持ち続けました。その理想があなたです」


クーパーウッドは彼女を抱きしめたいと思って話をやめたが、今はそうすべきではないと感じた。それからベストのポケットに手を入れて、一ドル銀貨ほどの薄い金のロケットを取り出して、開いて相手に渡した。その内側のひとつの面に、十二歳の少女だったベレニスの写真があった。今と同じように、やせていて、繊細で、不遜で、自分を抑えていて、よそよそしかった。


ベレニスはそれを見て、自分と母親がまだルイビルにいて、母親が社会的地位も資産もある女性だった頃に撮られた写真だとわかった。今やどれだけ状況が変わって、自分はその変化のせいでどれだけ苦しんだだろう! ベレニスはそれを見つめながら、楽しい思い出を思い返した。


「こんなもの、どこで手に入れたんですか?」ようやく、ベレニスは尋ねた。


「初めてそれを見たときに、ルイビルのあなたのお母さんの書き物机から頂戴しました。しかし、このケースには入っていませんでした。それは私が加えたものです」


クーパーウッドは大事に閉じてポケットに戻した。「それからというもの肌身離さずもっています」クーパーウッドは言った。


ベレニスは微笑んだ。「見えないようにしてほしいわ。でも、そこにいる私は子供でしょ」


「同じですよ、私の理想ですから。そして、今やこれまで以上に理想的になっています。もちろん、私はたくさんの女性を知っています。その時の見方や衝動に従って女性と折り合いをつけてましたから。しかし、それとは別に、私は自分が本当に望むものについて、一定の考え方をいつも持っていました。私はいつだってあなたのような強くて繊細な詩的な少女を夢見てきました。あなたは私のことをどう思いますか。でも今度は、私が何を言うかではなく、何をするかで私を判断願います。あなたは、私があなたを必要としていると思ったから来た、と言いましたね。そのとおりです」


ベレニスは自分の手をクーパーウッドの腕にのせた。「決めたんです」ベレニスは静かに言った。「私が人生をかけてできる一番いいことは、あなたを手伝うことです。でも、私たちは……。私は……私たちはどちらも自分たちの好きなようにすることはできません。わかりますよね」


「はい。あなたには私と一緒に幸せになってほしいし、私もあなたと一緒に幸せになりたい。そして、もちろん、あなたが何かを心配することにでもなれば、私もそれどころではありません。このシカゴで、特にこの時期ですから、私はせいぜい用心しないとなりません。それはあなたも同じです。そういうわけですから、すぐに自分のホテルにお戻りなさい。明日に日を改めましょう。十一時頃、電話がほしいですね。そのときにでも、この件を話し合えばいいでしょう。ああ、ちょっと待ってください」クーパーウッドはベレニスの腕をとって、寝室へ連れ込んだ。ドアを閉めて、部屋の隅にあったかなり大きな立派な錬鉄製の金庫のところまで颯爽と歩いた。鍵を開けて、金庫から古代のギリシャとフェニキアの指輪のコレクションが入った三つのトレイを取り出した。ベレニスの前にきちんと並べてから、クーパーウッドは言った。


「この内のどれで、あなたに誓いを立てたらいいですか?」


自分らしい、甘やかすような、少しそっけない態度で……いつだって頼む側ではなく頼まれる側の……ベレニスはその指輪を観察していじくり回し、気になったものに向かって時々大きな声をあげた。ようやく言った。


「キルケなら、このねじれた銀の蛇を選んだかもしれませんね。そして、ヘレンなら、多分、この緑色のブロンズの花の指輪でしょう。アフロディーテなら、石を包んでいるこの曲がった腕と手を気に入ったかもしれませんね。でも、私は美しさだけでは選びません。私なら、この輝きを失った銀の指輪にするわ。美しさだけでなく強さも兼ね備えてますもの」


「いつだって予想外、独創的ですね!」クーパーウッドは叫んだ。「ベヴィ、あなたはかけがえのない人だ!」クーパーウッドはベレニスの指に指輪をはめながら優しくキスをした。




  第二章



ベレニスが敗北の真っただ中にいるクーパーウッドのところに来て、なし遂げた重大なことは、予想外のことで、うまい具合にクーパーウッド自身の運への信頼を復活させた。ベレニスは個性的な人で、クーパーウッドが見たところ、利己的で、落ち着きがあって、皮肉屋だが、彼ほど残忍ではなく詩人のようだった。クーパーウッドがお金を、その本質的な内容、つまり力を解放して、好きなように自分で使うために欲しがったのに対して、ベレニスは、美を作り上げて自分の本質的に美しい理想を実現する程度に、自分の多彩な気質をはっきりと表現する特権を求めているようだった。ベレニスは、芸術の定められた形で自分を表現するよりも、自分の人生や人格そのものが芸術の形となるように生きたかった。もしも自分に巨万の富と絶大な権力があったら、それをどう創造的に使うだろう、と一度ならず考えた。彼女なら豪邸や土地や見せびらかすために浪費するのではなく、優雅な、もちろん心を揺さぶるような雰囲気で自分自身を包むのだろう。


でも、それを口にしたことはなかった。どちらかというとそれは彼女の気質に潜んでいて、クーパーウッドも決してはっきりと理解してはいなかった。彼はベレニスを、繊細で、敏感で、かわすのがうまくて、とらえどころがなく、神秘的だと認識していた。だから、彼女のことを考えても全然飽きなかった。自然について考えるのと同じだった。新しい日は来るし、変な風は吹くし、景色は変わるのだ。明日はどうなっているだろう? 次に会ったとき、ベレニスはどんな様子だろう? クーパーウッドにはわからなかった。そして、ベレニスは自分のこの変わったところを自覚していたが、彼にも他の誰にも伝えられなかった。自分は自分である。クーパーウッドであれ、誰であれ、そう思わせておけばいい。


その上、クーパーウッドは、ベレニスを貴人と見ていた。ベレニスは持ち前の静かな自信に満ちた態度で、自分に接した全ての人から尊敬され注目された。そうせずにいられる者はいなかった。そして、クーパーウッドは、ほぼ無意識だとしても、常に自分が称賛して女性に望むものとして、彼女のこの優れた部分をわかっていて、感銘を受けるだけではなく、とても喜んだ。ベレニスは、若く、美しく、聡明で、落ち着いていた……まさに貴婦人だった。八年前にルイビルで見た十二才の少女の写真からも、それを感じていた。


しかし、ベレニスがついに自分のところへ来てくれた今でも彼を悩ましていることがひとつあった。それは彼がした、熱のこもった、その時点では実に誠実だった、彼女への絶対的で一途な献身という申し出だった。本当にそんなつもりがあったのだろうか? 彼は最初の結婚後に、特に子供と家庭生活の実に地味で単調な特徴を経験した後で、愛や結婚についての普通の考え方は自分に合わないと十分思い知った。これは若くて美しいアイリーンとの浮気で証明され、その後結婚することでその犠牲と献身に報いた。とはいえそれは愛情の行為であるのと同じくらい衡平の行為だった。そしてその後は官能的にも感情的にも完全に解放されたと考えた。


末永く続くとは感じなかったし、ましてや添い遂げたいとも思わなかった。それにもかかわらず、クーパーウッドは八年間ベレニスを追い続けてきた。そして今は彼女にどうやって自分を正直に見せるべきかを考えていた。クーパーウッドも知ってるようにベレニスはとても知的で直観が鋭かった。だますでもない、普通の女性をなだめる程度の嘘は、彼女にはあまり通用しないだろう。


さらにまずいことに、この時、ドイツのドレスデンにはアルレッテ・ウェインがいた。彼女とはほんの一年前に関係を持ったばかりだった。アルレッテは、それまでアイオワの小さな町に閉じ込もっていたが、自分の才能をつんでしまう恐れがある運命から抜け出したい一心で、自分の魅力的な写真を同封してクーパーウッドに手紙を書いた。しかし、返事を受けとってもいないのに、お金を工面してシカゴの事務所にいる彼の前に現れた。写真の効き目はなかったが、アルレッテの個性は成果をあげた。大胆で自信に満ちていただけでなく、クーパーウッドが本当に共感する気質を持っていた。それに彼女はただのお金目当てではなかった。純粋に音楽に関心があり、立派な声をしていた。クーパーウッドはそれに納得して、彼女を応援したくなった。彼女はまた、自分の生い立ちを証明できる証拠まで持参していた。自分と地元で物売りをしている未亡人の母親が暮らしている小さな家の写真と、家計を維持しながら娘の野心をかなえようと奮闘する母親の実に感動的な物語だった。


当然、彼女の願いをかなえるのに必要な数百ドルなど、クーパーウッドにとっては何でもなかった。どんな形をしていても野心は彼の心に響いた。今はその娘本人にその気にさせられて、彼女の将来の計画を立て始めた。しばらくの間、彼女はシカゴが提供できる最高の訓練をうけることになった。後は、彼女が本当に価値があることを証明すれば、海外に留学させるつもりだった。しかし、クーパーウッドはどんな形であれ自分がかかり合いや巻き込まれたりしないように、娘が暮らしていけるだけの生活費を特別に用意しておいた。そしてその生活費は今でも出ていた。母親をシカゴに連れてきて一緒に暮らすことも勧めていた。それでアルレッテは小さな家を借り、母親を呼んで落ち着いた。やがて、クーパーウッドがたびたび通うようになった。


それでも、アルレッテには知性があって野心が本物だったので、二人の関係は愛情だけでなく相互理解に基づいていた。彼女はいかなる形であれ何かをお願いして彼に迷惑をかけたことはなかった。クーパーウッドがアルレッテにドレスデンに行くよう説得したのは、ベレニスがシカゴに到着する直前だった。彼はもう自分があまりシカゴにはいないかもしれないとわかっていた。それに、もしベレニスのことがなかったら、今頃はドイツのアルレッテを訪ねていただろう。


しかし今、アルレッテをベレニスと比べてみても、彼女には全然官能的な魅力を感じなかった。他の全てのことと同じで、その方面でもベレニスは彼を完全に夢中にさせそうだった。しかし、アルレッテの芸術的な気質にはまだ興味があり、彼女の成功を見とどけたかったので、援助は続けるつもりだった。ただ、今も感じたように、自分の人生から完全に除外するのが一番いいかもしれなかった。そうなってもクーパーウッドには影響はないだろう。彼女には彼女の生活があった。完全に新しいところから始めるのが一番だった。もしベレニスが離れ離れでつらいときも絶対によそで恋をしないように要求してきたら、クーパーウッドは彼女の願いどおりに最善を尽くすつもりだった。確かにベレニスには彼が本当に大きな犠牲を払う価値があった。そして、そんな精神状態の中で、クーパーウッドは若い頃以来のいつよりも夢を見たり約束することが多くなった。




  第三章



翌朝の十時を少しまわった頃、ベレニスはクーパーウッドに電話をかけた。二人は彼のクラブで会って話をすることになった。


ベレニスが彼の部屋に通じる専用階段から入ると、クーパーウッドが自分を迎えるために待っているのを見つけた。リビングと寝室には花が飾ってあった。しかし、クーパーウッドはまだこの思いを遂げた現実を未だに信じられず、ベレニスがこっちを見て微笑みながら、ゆっくりと階段をのぼってくる間、気が変わった様子がないか心配そうに顔色をうかがった。しかし、ベレニスが入り口をまたいた拍子に、彼がつかんで抱き寄せるのを許すと、ほっとした。


「いらっしゃい!」クーパーウッドは陽気に優しく言うと、同時に立ち止まって相手を観察した。


「私が来ないとでも思ったの?」ベレニスはクーパーウッドの顔の表情を見て笑いながら尋ねた。


「まあ、何を頼りに信じればよかったのでしょう?」彼は質問した。「以前のあなただったら、私がしてほしいと思ったことは決してしませんでしたからね」


「そうね、でも理由はおわかりでしょ。これからは違うわ」ベレニスは唇を許した。


「あなたが来てくれただけでこの調子ですからね」クーパーウッドは興奮して続けた。「一晩中、一睡もしていないんです。もうずっと眠る必要がない気分です……真珠のような歯……灰色を帯びた青い目……バラ色の口……」うっとりしながら続けた。そして彼女の目にキスをした。「それにこの日差しのようにまばゆい髪」感心しながら指で触れた。


「赤ん坊が新しいおもちゃを手に入れたみたいね!」


クーパーウッドはベレニスのわかっていて心が通う笑顔にぞくぞくして、屈んで体を持ち上げた。


「フランクってば! ちょっと! 髪が……くしゃくしゃになっちゃうじゃない!」


クーパーウッドが、暖炉の炎がチラチラ光っているらしい隣りの寝室に運ぶ間、ベレニスは笑って抵抗した。相手がせがむので、ベレニスは服を脱がせるのを許しそのあせる様子を面白がった。


クーパーウッドが満足して、彼女に言わせると『正気に返って話ができる』ようになるまでに日が暮れてしまった。二人は暖炉の前のティーテーブルのそばに腰掛けた。できるだけ長く一緒にいたいからシカゴに残りたいとベレニスは言ったが、ひと目を引かないようにするにはいろいろと手配しなければならなかった。これに関してはクーパーウッドも同意した。当時、彼の悪名はそのすごいピークに達していた。特にアイリーンがニューヨークに住んでいることは知られていたので、彼女と同じくらい魅力的な人と一緒にいたら、噂があふれ出るきっかけになってしまう。二人は一緒にいるところを見られるのを避けなければならなかった。


今のところ、この運営権延長の問題は、まあ、現状のような運営権がない状態は、彼が自分の路面鉄道の権利を失うことがあっても、業務が停止するわけではなかった。会社は何年もかけて築かれてきた。その株式は何千人もの投資家に売却されていて、正式法的な手続きなしには、彼や投資家から取り上げることはできなかった。


「本当にやらなくてはならないことはね、ベヴィ」クーパーウッドはじっくり言い聞かせるように言った。「すべての人に公平な価格でこの資産を引き継いてくれる出資者、個人のグループでも法人でもいいですが、それを探すことなんです。もちろん、すぐにできることじゃありません。何年もかかるかもしれません。実際に、私が進み出て、私からもそれをお願いしますと頼まない限り、誰もここに来て何かをしようと申し出そうもないことはわかってますよ。利益を出して路面鉄道を経営することがどれほど大変なのか、みんな知ってますから。それにそうなっても裁判があるんです。たとえ私の敵や外部の会社がこの鉄道会社の経営に乗り出そうとしても、裁判所が認めなければなりません」


クーパーウッドはベレニスの隣に座って、あたかも彼女が仲間の投資家か同格の資本家のひとりであるかのように話しかけていた。ベレニスは彼の金融の世界の実務的な詳細には大して興味がなかったが、彼のこういう事に対する知的な実務的関心がどれほど強いかを感じることができた。


「まあ、一つわかっていることがあります」ベレニスはここで付け加えた。「あなたは、本当に負けるってことがないんだわ。あなたは賢すぎ、切れすぎるもの」


「かもしれませんね」ベレニスにほめられてうれしくなって言った。「とにかく、すべてに時間がかかります。この鉄道会社を私の手から取り上げるまでに、何年もかかるかもしれません。同時にこんなことでぐずぐずしていたら、ある意味で私は廃人になりかねませんよ。仮に他の何かをやりたいとしても、ここでの責任のせいで不利な立場におかれると心しておくべきですからね」クーパーウッドの大きな灰色の目はしばらく宙を見つめた。


「私がやりたいことは」クーパーウッドは考え込んた。「こうしてあなたを手に入れた今、とにかく、しばらくは一緒にのんびりして旅行に出かけることですね。私は十分に一生懸命働きました。あなたは私にとってお金以上のもの、かけがえのない大切なものなんです。変な話ですが、私はずっと懸命に働きすぎてきたと急に感じるようになったんです」クーパーウッドは微笑んでベレニスを優しくなでた。


ベレニスは相手の話を聞いていて、本物の優しさだけでなく誇りと力で満たされた。


「完全にそのとおりよ、あなた。あなたは何かの大型エンジンか機械みたいだったわ。どこかで全速力で突っ走っているんだけど、その場所を正確に把握していないのよ」ベレニスは話をする間、相手の髪をもてあそび頬をなでた。「あなたの人生と、あなたが今までにやりとげたすべてのことについて考えてきたんだけど、しばらく海外に行って、ヨーロッパを見るのがいいと思います。もっとお金儲けをしたいのなら別ですが、ここであなたに他に何ができるのか私にはわかりませんし、シカゴは確かにそれほど面白いところじゃありません。ひどいところだと思います」


「まあ、必ずしもそうだと言うつもりはありませんが」クーパーウッドはシカゴの肩を持ちながら答えた。「いいところだってありますよ。私はもともと金儲けをするためにここに来ました。その点に何の不満もないのは確かなんです」


「まあ、それはわかってますけど」ここでキャリアを積むときに経験した苦労や心労にもかかわらず、彼が義理堅いのを面白がってベレニスは言った。「でもね、フランク……」とても慎重に自分の言葉を選びながら、ここで一息入れた。「あなたの方がはるかに大きな存在だと思います。私はいつもそう思っていました。あなたは仕事から離れて、休みをとって、世界を見て回るべきじゃないかしら? 何かできることが見つかるかもしれないわ。お金じゃなくて称賛とか名声になるような大きな公共事業とかね。イギリスとかフランスになら、あなたが取り組めそうなものが何かあるかもしれないわ。私はあなたと一緒にフランスで暮らしたいな。海外に行って、何か新しいことをやってみるのはどうかしら? ロンドンの交通事情って、どうなのかしらね? 似たようなものでしょ! とにかく、アメリカを離れましょうよ」


クーパーウッドは賛成のしるしに微笑みかけた。


「ねえ、ベヴィ」彼は言った。「二つの美しい青い目と日差しのようにまばゆい髪に面と向かって、こういう実務的な会話に夢中になるのは少し不思議な気がします。しかし、あなたが言うことにはすべて賢い響きがありますね。来月中旬までに、ひょっとしたらもっと早まるかもしれませんが、私たちは海外に行きます。あなたと私がですよ。そのときにあなたに喜んでもらえるものが見つけられると思います。何しろ、ロンドンの地下鉄の話を持ちかけられてから一年とたっていませんから。あの時は、こっちのことで手がいっぱいだったので、他の事に割く時間がありませんでした。でも今なら……」クーパーウッドは彼女の手をなでた。


ベレニスは満足の微笑みを浮かべた。


帰る前に薄暗くなってしまい、ベレニスは、慎み深い、控えめな、笑みを浮かべて、クーパーウッドが呼んだ乗り物に乗り込んだ。


少ししてから、いろいろな大量の持ち株を彼から取り上げる手段や方法を決めるために、市長やしかるべき市の役人との協議に臨む弁護士と、まず明日どう準備しようか考えながら前に出たのは、陽気で一段と元気なクーパーウッドだった。あんなことがあったのに……あんなことがあったのに……まあ、ベレニスがいるではないか。彼の人生の大きな夢が実現したのだ。失敗についてはどうなのか? 失敗などは全然なかった! 人生を築くのは愛だ。決して富だけではない。





  第四章



約十二か月前に、イギリスからあったとクーパーウッドが口にしたこの提案は、二人の冒険的なイギリス人、フィリップ・ヘンシャーとモンタギュー・グリーヴズにもたらされたものだった。二人は、ロンドンとニューヨークの著名な銀行家とブローカー数名からの紹介状を持参し、自分たちをイングランドやその他の地ですでに鉄道、路面鉄道、製造工場を建設した実績がある請負業者だと証明してみせた。


両氏は少し前に、〈交通電化会社〉(鉄道事業の推進を目的として組織されたイギリスの会社)に関連して、ロンドン中心のチャリングクロス駅から四、五マイル離れたハムステッドと発展中の住宅地域をつなぐ地下鉄を推進・建設する計画に、自ら一万ポンドを投資していた。その構想の必須条件は、計画中の鉄道が、チャリングクロス駅(イングランド南南東沿岸を経由して大陸を結ぶ主要幹線の一本である〈サウスイースタン鉄道〉の終点)と、北西部を運行してスコットランドとつながっている〈ロンドン&ノースウエスタン鉄道〉の終点ユーストン駅を結ぶ連絡手段になることだった。


両氏がクーパーウッドに説明したように、〈交通電化会社〉には三万ポンドの払込済資本金があった。この地下鉄なり鉄道なりを建設・経営・所有することを両氏に認める『議会承認』は議会両院で取得済みだった。しかし、イギリス市民が議会に抱くおおよその考えに反してこれを実現するには、かなりの金額が使われないとならなかった……どこかのグループひとつに直接渡すのではなく、グリーヴズとヘンシャーがほのめかしたように、そしてすべての人の中でもクーパーウッドがすべてお見通しだったように、特にイギリスのようにそれが永久に与えられるとなると、貴重な公共の特権を求める請求を持って外部の者が直接訪ねるよりも、委員会の考え方に影響を及ぼすもっといい立場にある者の機嫌とるという、多くの手段や方策に頼らなくてはならなかった。そのために、弁護士事務所に頼らればならなかった。ライダー・ブロック・ジョンソン&チャンスには、大帝国の首都が誇れるほど、聡明で、社会的評判が良く、専門的知識の豊富な、法律に長けた者が集まっていた。この著名な事務所は、個人株主やいろいろな企業の社長と無数のつながりを持っていた。実際、この会社は、議会の委員会にチャリングクロスとハムステッドの議会承認を与えるよう説得しただけでなく、議会承認をもらって、当初の三万ポンドがほぼなくなるや、地下鉄建設の二年ものオプションに一万ポンドを払ったグリーヴズとヘンシャーに提案を持ちかけた影響力を持つ人物たちを見つけていた。


議会承認の規定は、文面を読む限りは十分に厳格だった。議会承認は〈交通電化会社〉に、特定の日時もしくはそれ以前に、工事の一部もしくは最終的な完成を求める規定に従って、提案された工事が施工される保証としてコンソル公債でちょうど六万ポンドを預託するように要求していた。しかし、この二人のプロモーターがクーパーウッドに説明したように、普通の仲介手数料を払えば、銀行もしくは金融グループは、指定された保管場所に要求された額のコンソル公債をおいておくし、改めて正式な申請があれば、議会の委員会は間違いなく完成までの制限期間を延長するだろう。


それでも、四万ポンドが支払われていて、コンソル公債で六万ポンドが預託され、彼らが仕事にかかって一年半がたったのに、(百六十万ポンドと推定される)地下鉄の建設資金はまだ見つかっていなかった。この原因は、すでにかなり順調に稼働している最新型の地下鉄……〈シティ=サウスロンドン鉄道〉……が存在していたのに、新しい地下鉄が、とりわけもっと長くて費用がかかる地下鉄が投資に見合う、とイギリス資本に示す材料が何も存在しなかったからである。操業中の他の鉄道は、地下鉄もどきというか、開削部分とトンネル部分を走る蒸気鉄道の二社だけだった……約五マイル半の〈ディストリクト鉄道〉と、二マイルに満たない〈メトロポリタン鉄道〉の両社は相互乗り入れに合意していた。しかし、動力は蒸気であり、トンネルや開削部分は汚くて、よく煙が充満した。それにどちらもあまり利益が出ていなかった。そして、何百万ポンドもかかる鉄道を、どうやって採算がとれるように作れるのか、を示す先例が何もなかったので、イギリス資本は関心を示さなかった。この後、世界各地で資金を探し求めた。ヘンシャーとグリーヴズの旅は……ベルリン、パリ、ウィーン、ニューヨークを経由して……クーパーウッドで終わった。


ベレニスにも説明したが、クーパーウッドは当時シカゴの問題で完全に手がふさがっていて、ヘンシャーとグリーヴズが語った話を何気なく聞いただけだった。しかし、今になって、運営権抗争で敗れてから、特にベレニスがアメリカを離れる提案をしてから、クーパーウッドは彼らの計画を思い出した。確かに、これは、自分ほどの経験をもつ実業家が誰も引き受けようとは思わないくらい巨額の費用負担で沈みかかっているように見えた。しかし、何か大掛かりなことをする、それもおそらくこの場合は、このシカゴでやることを強いられた策略からは解放され、不当なボロ儲けも一切しないという立場から見ると、このロンドンの地下鉄の実情を調べるのもいいかもしれなかった。自分はすでに億万長者だ。それなのに、どうして死ぬまでこのお金の強奪戦を続けなければならないのだろう? 


その上、過去はそのまま続くし、現在の活動は、新聞と敵にひどく悪しざまに歪められていた。非の打ち所がない商業基準が行き渡っていると思われる場所、とりわけロンドンで本物の喝采を浴びることにでもなったら、どんなにすばらしいだろう。これでクーパーウッドは、アメリカでは決してたとり着くことを望めなかった社会的地位を手に入れることになるだろう。


そう考えるとぞくぞくした。そしてこれはベレニスという少女を通して思いついたのだった。彼女がこのチャンスに気がつけたのは、知識と理解という彼女の天賦の才のおかげだった。このすべて、このロンドン行きのアイデア、将来の彼女と自分の交際から得られるかもしれないすべてのものが、約九年前のただの射幸的な冒険から生じたと考えると驚きだった。あのとき彼はケンタッキーのナサニエル・ギリス大佐と一緒に、ベレニスの母親、没落したハッティ・スターの家に行ったのだ。善が悪から生まれるはずはないと言ったのは誰だっただろう? 




  第五章



一方、ベレニスはクーパーウッドと結ばれた最初の興奮がさめた今になって、自分を取り囲む障害や危険を考えるために時間をとった。クーパーウッドのもとへ行くと最終的に決めたときにこういうことはちゃんとわかっていた。それでも今ベレニスは、正面からひるむことなくそれらに立ち向かい、これ以上時間を無駄にしてはならないと感じた。


まず、アイリーン、嫉妬深く感情的な妻がいた。もしクーパーウッドが自分を愛していると感じたら、きっとアイリーンは自分を破滅させるために、思う存分どんな手段でも使ってくるだろう。次に、新聞だ。とにかく二人が目立った形で一緒にいるところを見られたら、新聞は確実に彼と自分の関係を公表するだろう。それから母親がいる。母親には自分のこの最新の行動を説明しなければならない。それと弟のロルフ。彼にはクーパーウッドを通して何か生活の手段を確保してやりたいと今は思っていた。


このすべてのことが、絶えずしっかりと警戒し、狡猾に、そつなく、勇敢に、一定の犠牲も妥協もいとわない必要があると言っていた。


同じ頃、クーパーウッドも同じようなことをたくさん考えていた。今後はベレニスが彼の人生の主力となるのだから、彼女の幸福と、彼ともかかわりがある将来を見すえた活動を極力意識した。また、ロンドンへの思いが彼の心で大きくなっていった。だから、翌日、二人が会うと、クーパーウッドはさっそく二人の問題のすべての局面を真剣に検討し始めた。


「あのね、ベヴィ、私はあなたのロンドン行きのアイデアについて考えてきました。私にとって、とても魅力的ですよ。面白い可能性がありますからね」そしてここから自分の頭にあることを詳しく話し、自分を訪ねてきた二人の男の経緯を打ち明けた。


「私が今やるべきことは」説明の後で続けた。「誰かをロンドンへ派遣して、向うがした提案が今も有効なのかを確認することです。もし有効なら、あなたが考えていることの扉が開くかもしれません」クーパーウッドはこのすべての創造主のベレニスに愛情をこめて微笑んだ。「その一方で、私たちの行く手に立ちはだかるものは、私が今思うところでは、世間の注目を浴びることと、アイリーンが何を仕出かすかです。彼女はとてもロマンチックで感情的なんですよ。頭を使うというより感情で動いてしまうんです。私は何年も努力して、私の場合はどうなのか、男性は本当に望んでいないのにどう変わってしまうのか、を理解させようとしてきました。しかし彼女にはそれがわからないのです。彼女は、人はじっくり考えたうえで変わる、と思っています」クーパーウッドは話をやめて微笑んだ。「自然体で、完全に自分の心に忠実で、彼女は一人の男性に尽くす女性なのです」


「じゃあ、あなたはそれに不満なんですか?」ベレニスは尋ねた。


「逆です、それは美しいと思います。唯一の問題は、私が今までそう思わなかったことです」


「これからも思わないだろうと私は思っているんですけど」ベレニスは相手をなじった。


「黙って聞いてください!」クーパーウッドは頼んだ。「議論は結構です! 頼むから最後まで聞いてください。一度はあんなに彼女を愛したのに、どうして愛し続けないのか、アイリーンにはわからないのです。実際に、彼女の悲しみは今や憎しみのようなものに変わったんだと思います。あるいは、そうなったと自分に思わせようとしているんです。最悪なのは、すべてが私の妻であるという彼女のプライドに結びついていることです。アイリーンは社交界で輝きたがっていました。私も二人にとってそれが一番いいと思っていましたから最初はアイリーンがそうなることを願いました。でもすぐに、アイリーンがそれほど賢くないことがわかりました。私はシカゴで努力するのをあきらめました。ニューヨークの方がはるかに重要な、富裕層向けの本格的な都市だと思ったんです。だから、そこで努力することにしました。私は必ずしもアイリーンと一緒に暮らしたいわけではないのかもしれないと思い始めていました。信じてくれるかどうか、それはルイビルであなたの写真を見た後のことでした……私がポケットに入れている写真です。ニューヨークに家を建てて、住むだけでなくアートギャラリーにしてしまおうと決めたのはその直後です。そしてそれからは最終的に、あなたが私に興味を持ってくれたら……」


「そして、私が決して住むことのないすごい家が私のために建てられた」ベレニスは考え込んだ。「変な話があったものね!」


「人生なんて、そんなものです」クーパーウッドは言った。「でも、私たちは幸せになれます」


「それはわかってるわ」ベレニスは言った。「私はただ人生って変ねって考えていただけです。それに私は絶対にアイリーンを悩ませるつもりはありません!」


「あなたは心が広くて賢いですね。ひょっとしたら、あなたは私よりも上手に事態を管理するかもしれません」


「私ならできると思います」ベレニスは冷静に答えた。


「でも、アイリーンの他に新聞があります。彼らはどこへでも私の後を追いかけてきます。そして、私がこのロンドンの件を引き受けるとしてですか、彼らがこの件を聞いたとたんに、花火があがりますよ! さらに、あなたの名前が私の名前に結びついたら、鶏が鷹に追われるように、あなたは追い回されるでしょう。解決策は私があなたを養子にするか、あなたの後見人になるというアイデアをイギリスに持ち込むことかもしれません。そうすれば私があなたと一緒にいて、あなたの財産を管理するふりをしてもおかしくないでしょう。どう思いますか?」


「ええ、そうですね」ベレニスはゆっくりと言った。「他に思いつかないわ。でもロンドンの問題は、とても慎重に考えないといけないことよね。それに私は自分のことだけを考えているのではありません」


「それなら大丈夫ですよ」クーパーウッドは答えた。「少し運が良ければ、何とかなるでしょう。私たちがしなければならないことの一つは、一緒にいるところをあまり見られないようにすることだと思います。でも、まずはアイリーンの注意をそらす方法を考えねばなりません。だって彼女はあなたのことを全部知ってますから。ニューヨークで私はあなたやお母さんと一緒にいましたから、アイリーンはずっと私たちの間に秘密の関係があると疑ってきました。私はあなたにそれを伝える立場ではありませんでした。あなたは私をあまり好きではないようでしたし」


「本当はあなたのことをよく知らなかったんです」ベレニスは訂正した。「あなたは、謎だらけでしたもの」


「じゃ、今は……?」


「これまでと変わらないと思います」


「さあ、どうですかね。しかし、アイリーンに関しては解決策がありません。彼女はとても疑り深いんです。私が国内にいて、ニューヨークに時々姿を見せていれば、彼女は気にしないでしょう。でも、もし出国してロンドンに住みついているように見えて、新聞がそれを騒ぎ立てたら……」クーパーウッドは口ごもって考えこんだ。


「彼女が口外したり、あなたを追ってきて修羅場を演じる……というようなことが心配なんですか?」


「彼女がするかもしれないことや、しないかもしれないことを言うのは難しい。何かちょっとした気晴らしがあれば、何もしないかもしれません。その一方で、特にこの二、三年で飲むようになってからは、何だってやりかねなくなりました。数年前、思いつめたはずみに酒を飲んでいて自殺を図りました」(ベレニスは眉をひそめた。)「私が止めに入って、強引に言い聞かせて防いだんです」クーパーウッドはその場面を説明したが、昔のような強硬な態度の自分を説明しなかった。


ベレニスは、ようやくアイリーンの不滅の愛を確信し、脱げない王冠に今またもう一つ棘を加えていると感じながら話を聞いた。つまりは、自分にできることで、クーパーウッドを変えられるものはないだろう。自分だってそうだ。社会に何か復讐をしたがっている……まあ、自分も彼のことは気になった。本当にそうだった。彼は強い薬のようだった。彼の肉体的な魅力はもちろん精神的な魅力もすばぬけていて、本当に抵抗できなかった。重要なことは、アイリーンをこれ以上傷つけないで、この建設的な関係を成立させることだった。


ベレニスは考えながら話すのをやめて、それから言った。「これは大きな問題ですよね? でも、私たちには考える時間が少しあります。一日か二日、そのままにしておいてください。彼女のことは確かに気になっているんです、ずっと……」ベレニスは、目を大きく見開き、考えを続けながら、優しくクーパーウッドを見た。口にうっすら励ますような微笑みが浮かんでいた。「一緒に何とかしましょう」


ベレニスは暖炉のそばの椅子から立ち上がり、歩いて行ってクーパーウッドのひざに座り、彼の髪をくしゃくしゃにし始めた。


「すべての問題が、お金とは関係がないですよね?」ベレニスは相手の額を唇で触れながら問いかけるように言った。


「確かに関係はないですね」クーパーウッドは相手の優しい共感と励ましに元気づけられて、明るく答えた。


それから話題を変えて、前の日が大雪だったから、そりに乗って一日を楽しく過ごしましょうと提案した。ノースショアにすてきなホテルがあるのを知っていた。そこなら、冬の月を仰ぎ見る湖のほとりで、夕食がとれるかもしれなかった。


その夜遅く帰宅したベレニスは自室の暖炉の前に独りで座って考えながら計画を立てていた。すぐにシカゴに来るように母親にはすでに電報を打ってあった。母親にノースショアのホテルに行ってもらい、自分たちの予約もとってもらうつもりだった。母親にはそこで、自分とクーパーウッドが考えていることの概略を説明すればよかった。


しかし一番ベレニスを悩ませたのは、あのニューヨークの豪邸にひとりっきりでいるアイリーンだった。美しさはともかく、若さは永遠に失われ、ベレニスの気づいたところでは、最近は太り過ぎて見劣りすることに悩んでいた。なのにそれを克服する苦労はしていないようだった。服装も、本物のセンスよりも豪華さと見栄えを重視していた。年齢、容姿、天賦の才の欠如、その全てが、アイリーンではベレニスのような人間とは張り合えなくしていた。どれだけアイリーンが復讐に燃えようとも、絶対に残酷になるのはよそう、とベレニスは自分に言い聞かせた。むしろ、できる限り寛大でいるつもりだったし、もし自分が早めに気づけば、クーパーウッドにもこれっぽっちもひどい仕打ちや、短慮な振る舞いさえさせないつもりだった。実際、アイリーンを気の毒だと思った。引き裂かれて捨てられた心の中で彼女が感じているに違いないものに気がついて、とても気の毒だと思った。すでに同じくらい若い頃に、彼女自身が苦しんでいたし、母親も苦しんだからである。その傷のすべてが、まだ生々しかった。


だから、今決めたように、やるべきことは、クーパーウッドの人生でできだけ控えめで目立たない役割を果たすことだった。そうすることが彼の最大の願いであり必要なことだったので、確かに彼と行動を共にはするが、あまりはっきりと特定されないようにするつもりだった。今の悩みからアイリーンの心をそらして、クーパーウッドを、そしてすべてを知ったときにはベレニスのことを、目の敵にしないようにする方法が何かあればいいのだが。


最初は宗教を考えた。というより、アイリーンのためになるかもしれない敬虔な助言をしてくれそうな司祭か牧師でもいないか考えてみた。彼女が死んだときの遺贈のためだとか、それを期待して、喜んで彼女の役に立とうとする、抜け目ないとしても親切な人は常に存在した。ニューヨークに戻って、思い出したのは、そういう人だった。米国聖公会ニューヨーク区のセント・スウィスン教区牧師のウィリス・スティール牧師だった。ベレニスは時々彼の教会を訪れたが、神に祈るというよりは、簡素な建物と感じのいい礼拝にうっとりするためだった。ウィリス牧師は中年の、気取った、もの柔らかな、魅力的な人だった。高尚な上流の気品を備えてはいたが、あまり裕福ではなかった。かつて自分に迫ってきた彼を思い出した。これ以上彼のことを考えても失笑するだけだったので、ベレニスはこの案を退けた。しかし、絶対にアイリーンは誰かに面倒をみてもらう必要があった。


ふと、ベレニスはニューヨークの社交界でよく見かける、愛想のいい社交の上手なろくでなしを思いついた。そういう者なら十分な現金か娯楽と引き換えに、必ずしも伝統的なものではないが、かなり楽しくて社交的な場面をアイリーンに提供して、とにかくしばらくは彼女の気をそらす役目を任せられるかもしれない。しかし、どうすればそういう人にたどり着けてこの役目をやらせられるだろう? 


ベレニスは、このアイデアは実際にあまりにも抜け目なくて狡猾すぎるから自分からはクーパーウッドに提案できないと判断した。しかし、見過ごすにはもったいなさすぎる気がじた。自分の母親が、それとなく持ちかけるのがいいのかもしれない。そんな案が目の前でちらっとでも動けば、彼のことだから現実的なやり方で反応することが考えられた。




  第六章



クーパーウッドがロンドンの地下鉄の実情と採算性を探り出すためにロンドンへ派遣しようとすぐに考えた人物は、ヘンリー・デ・ソタ・シッペンスだった。


シッペンスを発見したのは何年も前だった。この男はシカゴのガス事業を手に入れる交渉ではかけがえのない存在だった。そして、この投機で儲けた資金で、クーパーウッドはシカゴの路面鉄道事業へ参入し、シッペンスを仲間に加えた。自ら学んだとおり、この男には情報収集とか、公共の事業やサービスの発展に貢献できる本物の才能があった。神経質で、短気で、ケンカっ早いところがあったから、必ずしも駆け引きはうまくなかった。その一方で、貴重でありながら苛立たしいことも多々ある、妥協をしない中西部的なアメリカ魂を備えていたが、完全に忠実だった。


シッペンスの見解では、現在、クーパーウッドは地元の運営権を巡る戦いで敗北してほぼ致命的な大打撃を受けていた。どうすればこの男が、自分と一緒に投資し、今やその金の一部を失いそうな地元の投資家と一緒に復活できるのか、彼にはわからなかった。敗北の夜以降、シッペンスはクーパーウッドに再会することに気おくれを感じていた。何と声をかけたらいいのだろう? 一週間前まで、世界の不屈に思えた金融の巨人のひとりだった男に、どう同情すればいいのだろう? 


その敗北からたった三日しかたっていないというのに、クーパーウッドの秘書の一人からシッペンス宛に、元雇い主のところへ来るよう求める電報が届いた。会ってみると、相手は明るく、元気で、機嫌がいいのがひしひしと伝わって来るので、シッペンスは自分の目が信じられなかった。


「調子はどうです、大将? 元気そうなんで、ほっとしました」


「これほど気分がいいことはなかったな、デ・ソタ。あなたこそ、どうなんです? どんな運命にでも立ち向かう準備はできてますか?」


「まあ、ご存知のはずですよ、大将。こっちはいつだって準備万端ですからね。何でもお申し付けください」


「そうだったね、デ・ソタ」クーパーウッドは笑顔で答えた。本当は、埋め合わせになったベレニスとの関係成立のおかげで、自分の人生で最高のベージが開かれ記述がなされようとしていると感じていた。希望に満ちているだけではなくすべてに思いやりを向けたい気分だった。「あなたに引き受けてほしいことがありましてね。あなたを呼びにやったのは他でもない、デ・ソタ、信頼性と秘密を必要とするからです。あなたをおいて他にはいませんからね!」


一瞬その唇がこわばった。目には、彼を信頼せず恐れた人たちが嫌った、あの険しく、揺るぎない、金属のような、謎めいた輝きが宿った。シッペンスは胸と顎を突き出し、直立不動の姿勢をとった。身長五フィート四インチの小男だったが、踵の高い靴と、クーパーウッド以外の相手には誰であろうと決して脱がないシルクハットで嵩上げされていた。長いダブルの裾の広がったコートを着ていたが、それを着ると背丈と威厳が増した気になった。


「ありがとう、大将」シッペンスは言った。「あなたのためなら、いつでも地獄へ行きますよ」クーパーウッドの信頼とお世辞の合わせ技だけでなく、数年に渡る二人の親交と過去数か月間我慢を強いられたすべてに、すっかり気が高ぶってしまい、唇は震えんばかりだった。


「しかし、今回は地獄を通り抜けるようなことは何もないよ、デ・ソタ」クーパーウッドはくつろいで微笑みながら言った。「我々はシカゴでやるだけのことはやった。もう二度とやる必要はない。その理由を説明しましょう。これから話したいのはね、デ・ソタ、ロンドンと、そこの地下鉄と、私がそこで何かをする可能性なんだ」


クーパーウッドはここで一旦話をやめて、自分に一番近い椅子に座るよう、穏やかな簡単な仕草でシッペンスに合図した。一方、シッペンスは随分勝手が違う面白いことがありそうだとすっかり刺激されて、大きく息を呑んだ。


「ロンドン! まさか、そんな話が出ようとは、大将。すごいです! 大将なら、何かをやるって思ってました! やっぱりだ! ああ、この感動を何と言えばいいのか見当がつきません!」話す間に、内側で明かりが灯ったように顔が明るくなって、指がピクピクした。シッペンスは立ち上がりかけて、再び座った。彼が興奮している確かな兆候だった。物々しい、かなり不格好な口髭を引っ張った。その一方で、考え込んではいるが完全に安心した憧れの目でクーパーウッドを凝視した。


「ありがとう、デ・ソタ」クーパーウッドはこれを受けて言った。あなたなら関心を示すと思いましたよ」


「関心がありますとも、大将」シッペンスは興奮して答えた。「大将は、世界の奇跡のひとりですからね! まさか、シカゴの連中との決着もついてないのに、こんなことに取り組む準備をしているとは! すばらしいです! 誰も大将にはかなわないとはいつも思ってましたが、今回あんなことがあった後だから、てっきり大将がしょんぼりしている姿を見るものと覚悟してました。しかし、そんな人じゃなかった、大将! へこたれるのは大将らしくない。でかすぎますからね、それにつきます。私だったら、あんな目にあったらつぶれちゃいますよ。私だったらね。やめちゃいますって、きっと。でも、大将はそんなことはない! 私が知りたいのは大将が私に何をしてほしいかだけです、大将、私はやりますからね! そして、お望みとあらば、誰にも気取らせません、大将」


「うん、それも頼みのうちだ、デ・ソタ」クーパーウッドは言った。「秘密厳守とあの見事で非情な物事の進め方はあなたの持ち味だからね! これをやりとげるとするなら、私のアイデアに関しては、そうしてもらうと助かるよ。そうすれば、我々のどちらもさらにひどい状況に陥ることはないからね」


「わかってます、大将、わかってますって」デ・ソタはほぼ極限まで緊張して続けた。「今から完了の時まで、一セントももらわなくても、私はもう十分に大将からいただきました。やってほしいことを言ってくれさえすれば、私は全力でそれを行います。あるいは戻ってきて、できませんと報告します」


「まだその台詞を言ったことはなかったね、デ・ソタ、あなたに限ってそんなことはないと信じてるよ。つまり、こうなんだ。約一年前、我々全員がここで運営権の延長で大忙しだった頃、ロンドンの企業連合のようなものを代表して、二人のイギリス人がロンドンからやって来た。詳細は後で伝えるが、ざっと説明すると……」


そして、クーパーウッドはグリーヴズとヘンシャーが自分に語ったすべてを概説して、その時自分の頭にあった考えで締めくくった。


「わかるだろうが、すでに使った分の金で過剰投資なんだ、デ・ソタ。約五十万ドルだ。それと、全長四、五マイルの鉄道に関係する議会承認だか運営権の他には何も見るべきものがない。そして、実際、何かの形にできる以前に、この他の二本の鉄道に関係する軌道の権利によって、何らかの手段で、こいつがつなげられないとならなのだ。彼ら自身がそれを認めた。でもね、デ・ソタ、私の今の関心は、今のロンドンの地下鉄全体についてのすべてだけではなく、もしそれが可能であればだが、もっと大規模な地下鉄網の可能性をさぐることなんだ。私が言いたいことは、もちろん、わかりますね……儲かる鉄道、つまり、まだ他の誰も手を付けていない地域に乗り出したらの話です。わかりましたか?」


「もちろんですとも、大将!」


「その他に」クーパーウッドは続けた。「都市の概要と特徴がわかる地図がほしい。地上だか地下鉄を走ってる現地の鉄道とか、始まりがどこで終わりがどこだとか、もしも見つけ出せるのなら、地質の構造が一緒に載っているものがいい。それと、鉄道で行ける地域や地方、現在そこに住んでいる住民、もしくはそこに住む可能性が高い住民の種類も知りたいな。わかりましたか?」


「完璧です、大将、完璧ですとも!」


「それから、在来線に関係する運営権についてもすべて知りたいな……向こうでは議会承認と言うんだがね……その有効期間、路線の長さ、そのオーナーと筆頭株主は誰か、経営の内容、配当額……事実上、あなたがあまり注意を引きすぎずに、そして当然私にはまったく注意が向かずに、あなたが見つけ出せるすべてのことです。わかりましたね、じゃあ、当然、その理由も?」


「完璧です、大将、完璧ですとも!」


「それから、デ・ソタ、在来線に関しては経営コストだけでなく賃金についてもすべて知りたい」


「了解です、大将」すでに頭の中で仕事の計画を立てながら、シッペンスは繰り返した。


「それから、掘削と設備の費用の問題や、在来線を蒸気から……向こうでは蒸気を使っていると理解しているんだが……電気に替えるのにかかる損失と新たな費用があるな。ニューヨークで新しい地下鉄に使うと話題になっている第三軌条式だ。わかるだろうが、イギリス人はこういうことで、違う行動をとったり、違う考え方をするものだ。それについてもあなたが私に伝えられる情報はすべてほしい。最後になりますが、我々が実行したことで、上がりそうな地価とか、レイクビューや他の場所で行ったように、どの方向なら事前に購入する価値があるかとか、あなたならおそらく何か探り出せるかもしれません。覚えてますね?」


「覚えてます、大将、覚えてますって」シッペンスは答えた。「万事心得てます。あなたが知りたいことはすべて、おそらくそれ以上のことを調べ上げてみせます。いやぁ、こいつはすばらしい! この仕事に呼んでいただいて、私がどれほど誇りに思い、幸せか、言葉では言い表せません。いつ出発すればいいとお考えですか?」


「すぐにだ」クーパーウッドは答えた。「つまり、郊外でやっている今の仕事の後始末がつき次第だ」当時シッペンスが社長だった地方の会社〈ユニオン交通〉のことを言っていた。「キトレッジに引き継いでもらえばいい。そして、冬はどこか、イギリスかヨーロッパにでも出かけるつもりだと吹聴するといい。あなたの所在を新聞につかまれずにいられれば、それに越したことはない。もしできなければ、交通以外の何かに興味があるように見せかけてください。それと、向こうの鉄道関係者で、生きのよさそうなのや、その者が関係している鉄道と一緒に引き受けてもよさそうな者を聞きつけたら私に知らせてください。というのもね、デ・ソタ、もし我々が買収しても、これは最初から最後までアメリカではなくイギリスの企業でなければならないからなんだ。わかるでしょ。イギリス人っていうのは、アメリカ人のことが好きじゃないんです。いかなる反米闘争も御免ですからね」


「了解です、大将、わかりました。私からのお願いは、もしも後々向こうのどこかで私があなたの役に立てるなら、私のことを頭に入れておいてほしいんです。大将とは長いこと一緒に仕事をしてきました。しかもおそばで。辛いですからね、もしも今回限りで……」シッペンスは口ごもり、訴えかけんばかりにクーパーウッドを見つめた。クーパーウッドは穏やかだが、それでいて不可解な表情を返した。


「そうだね、そのとおりだ、デ・ソタ。わかってる。理解してるって。その時が来たら、できることは何だってするさ。あなたを忘れたりしないよ」




  第七章



シッペンスに彼の任務を指示して、シカゴに関する自分の持ち株からすぐにお金を引き出すには、東部へ行って特定の金融関係者と相談しなくてはならなくなることも確認してしまうと、クーパーウッドの心は自然に、ベレニスと、極力人の注意を引かない形で旅行や生活をする問題に戻った。


もちろん、ベレニスよりもクーパーウッドの頭の中のほうが……長い鎖のような事実と、アイリーンと彼との関係と、これほど親密な者は他に誰もいないことは……はるかに明確だった。これはベレニスにはよく理解できなかった。特に彼が彼女を熱烈に追い求めていたせいである。しかしクーパーウッドとしては、アイリーンに対して、あくまでうまくあしらってなだめる以外、どんな行動もうまくいかないと思わざるを得なかった。特にロンドンが攻められたら、しかもシカゴの彼の企業と社会的手法を巡るこれだけの大騒ぎがあった直後とあっては、大きすぎるリスクになるだろう。彼は贈収賄やいろいろな反社会的な手法で非難されてきたのだ。そして今に、世間の不満もそうだが、アイリーンが何らかの大っぴらな行動を起こすかもしれない……新聞に彼とベレニスの関係をばらすかもしれない……これは絶対にあってはならない。


そしてこのとき、クーパーウッドとベレニスの間をぎくしゃくさせるかもしれない別の問題が存在した。それはクーパーウッドの他の女性たちとの関係だった。一連の情事のいくつかはまだ終わっていなかった。アルレット・ウェインはとりあえず捨てられた。他にも、気ままに過ごしただけの者がいたが、キャロライン・ハンドとはまだ続いていた。彼女は鉄道や梱包の会社に投資していたシカゴの富豪ホズマー・ハンドの妻だった。クーパーウッドが初めて会ったとき、キャロラインは妻と言ってもまだ若い娘だった。クーパーウッドがきっかけでハンドに離婚されてしまったが、ちゃんとした和解金をもらっていた。それに彼女の方は依然としてクーパーウッドに夢中だった。クーパーウッドはシカゴで彼女に家を与えていた。ベレニスは決して自分のところには来ないと確信していたから、シカゴで戦っている間もずっと彼女とはかなりの時間を一緒にすごしていた。


そして、クーパーウッドが最終的にシカゴを離れることにしたとき、キャロラインは彼のそばにいるためにニューヨークへ行こうと考えていた。彼女は賢い女性で、嫉妬深くなかった……少なくとも表向きはそうだった。服装の着こなし方が少し型破りだったが、美しくて、いつも上手に彼を楽しませる程度に気が利いた。もう三十歳だが、見た目は二十五歳で、気持ちは二十歳でありつづけた。ベレニスがやってくるそのときまで、しかもそれ以降も……ベレニスはこれを知らなかったが……キャロライン・ハンドはクーパーウッドに家を開放していて、彼がそこに迎えたがる相手は誰でも招待していた。シカゴの新聞が彼に対する辛辣な攻撃の中で触れたのは、ノースサイドの彼女の家だった。キャロラインは、彼がもう自分のことが大事でなくなったら、そう言えばいいといつも言った。彼女には彼を引きとめるつもりはなかった。


キャロラインのことを考えながら、クーパーウッドは彼女の言葉を受け入れ、彼女が提案したように説明してそれから別れようと考えた。それにしても、ベレニスのことはとても大事だったが、これをする必要はないように思えた。


クーパーウッドなら両方に説明できるかもしれなかった。いずれにしても、できる限り誠意をつくすと約束した手前、ベレニスとの関係を損うようなことはすべきでなかった。


しかし、彼の心はアイリーンの問題に絶えず戻った。クーパーウッドは二人を引き合わせた様々な出来事を思い出さずにはいられなかった。フィラデルフィアでアイリーンをクーパーウッドに結びつけた、そしてそれがすべての原因ではなかったが、彼の最初の経済的な破綻を引き起こした、あの最初の激しい劇的な熱愛。当時、明るく、理不尽で、感情的だったアイリーンは、自分のすべてを熱狂して捧げ、しかもその見返りに、その破壊的な歴史の中でも愛が誰にももたらしたことがなかった、完璧な安全を期待していた。そして、今でさえ、これだけの年月が過ぎた後でも、彼の人生にも彼女の人生にもあんなに不義密通があった後でも、アイリーンは変わらなかった。今でも彼を愛していた。


「あのね、ベレニス」クーパーウッドは言った。「私はアイリーンに、本当にすまないと感じているんです。アイリーンはニューヨークのあの大きな家にいて、まともな連中とのつき合いがないものだから、何もしないくせに口説いて飲み食いし、それから勘定を払うために彼女から金を巻き上げようとする、大勢のろくでなしに引っ張りだこにされているんです。使用人から聞いて知ってるんですよ。今でも私に忠実ですからね」


「確かに哀れよね」ベレニスは言った。「でも、わからなくもないわ」


「私は彼女につらい思いをさせたくありません」クーパーウッドは続けた。「本当はすべて私の責任ですから。私がやりたいのは、ニューヨークの社交界とか、その周辺で、一定の金を払って、社交の管理だとか彼女を楽しませる仕事を引き受けてくれる魅力的な男性を見つけることなんです。もちろん、文字通りの意味ではありません」クーパーウッドはここで悲しそうにベレニスに微笑んだ。


しかし、口角のかすかな動きを伴う、うつろな短い凝視が、相手が自分の考えとぴたりと一致したのを知って満足感を伝えていると解釈できなかったとしたら、ベレニスはそれにまったく気がつかないふりをしていた。


「私にはわかりませんけど」ベレニスは用心して言った。「そういう人がいるかもしれませんね」


「いくらでもいるにちがいない」クーパーウッドは事務的に言った。「もちろん、アメリカ人でなければなりません。アイリーンは外国人のことが好きじゃないんです。男性の外国人ですがね。でも、一つ確実なことは、私たちが平和を手に入れて自由に動き回れるようにするつもりなら、この問題はすぐにでも解決しておかねばなりません」


「適任者なら私が知っていると思います」ベレニスは考えながら口をはさんだ。「名前はブルース・トリファー。ヴァージニアとサウスカロライナのトリファー家の者です。ご存知かもしれませんが」


「いや。私が考えているようなタイプの人ですか?」


「まあ、若くて、ハンサムです、もしそういう意味でしたら」ベレニスは続けた。「私が個人的に知っているわけではありません。私が彼に会ったのは、ニュージャージーのデーニア・ムアー家でのテニスの試合だけでしたから。その日、エドガー・ボンシルが、その人がどんな居候で、どんな風に富豪の、たとえばデーニア・ムーア夫人を利用して生活していたかを話してくれたんです」ここでベレニスは笑って付け加えた。「エドガーは私が彼に興味をもつかもしれないって少し心配してたと思います。私は彼の見た目を気に入りましたから」ベレニスはこの人物についてはほとんど知らないかのように、笑ってごまかした。


「面白そうですね」クーパーウッドは言った。「きっと、そいつはニューヨーク界隈じゃ有名人ですね」


「ええ、ウォール街で遊んでるとエドガーが言ったのを覚えてます。本当は関係なかったんですけど、人に印象を与えるためにそんなふりをするんです」


「なるほど!」クーパーウッドは実にうれしそうに言った。「そういう奴はたくさんいますが、そいつの所在を突き止めるのに苦労はしないでしょう。私だって若い頃には随分会いましたよ」


「それは少し恥ずかしいことだと思います」ベレニスは考え込んだ。「そういう話はする必要ないんですけど。それと、こうやって利用することに決めた相手を通して、アイリーンが何かのトラブルに巻き込まれないことを確実にすべきだと思います」


「あらゆる意味において、アイリーンに一番良ければそれでいいんですよ、ベヴィ。それを頭に入れておいてください。私はただ、彼女や私がひとりで、あるいは一緒にやってもできないことを、彼女のためにやってくれる人を見つけたいだけです」そして、ここでクーパーウッドは話をやめて、考えぶかげに相手を見つめた。ベレニスは少し暗く悲しそうに相手を見た。「アイリーンを楽しませてくれる人がほしいんです。そのためには喜んでお金を払いますよ、十分にね」


「まあ、様子を見ることにしましょう」ベレニスは言った。それから、まるで不快な話題を変えたいかのように言った。「母が明日一時頃来ると思います。ブランディンガムに部屋を手配しておきました。でも、今のうちにロルフのことでお願いがあります」


「彼がどうしました?」


「あの子ったら、要領は悪いし、何の訓練も受けたことがありませんから。私が何かあの子の仕事をさがしてあげられればと思って」


「その件なら心配無用です。ここの部下の一人に彼の面倒を見させますから。部下の秘書として、ここに来ればいいんです。キトレッジに手紙を書いてもらいますよ」


ベレニスは何でも解決してしまう手際の良さと、自分への寛大な態度に少なからず感動して、クーパーウッドのことを見た。


「私が恩知らずでないってことを知っておいてほしいわ、フランク。あなたって私にとても親切ね」




  第八章



ベレニスが彼のことを話しているまさにその頃、ハンサムなろくでなしのブルース・トリファーは、東五十三番街のセルマ・ホール夫人の下宿屋の小さい寝室の一室で、変わりやすい多彩な思考だけでなく、かなり酷使された肉体を休めていた。そこはかつてそこそこおしゃれだったが、今ではかなり没落したニューヨークの「正面がブラウンストーン張り」の高級住宅街だった。口の中には後味の悪さが残っていた。前日の深夜の名残だった。手もとの年季の入った丸い腰掛けには、ウィスキーの瓶と、炭酸水のサイフォンと、タバコがのっていた。そして、折りたたみの壁収納式ベッドで彼の横にいたのは、明らかに魅力的な若い女優で、トリファーは女の給料と、部屋と、他の所持品を共有していた。


あと少しで午前十一時になるというのに、二人ともまだ半分眠っていた。しかし、すぐにロザリー・ハリガンは目をあけた。かつてはクリーム色だったが今は色褪せた茶色の壁紙と、低い三面鏡の化粧台と、整理ダンスのあるそのあまりに魅力のない部屋を眺めながら、起きて部屋中にとっ散らかっているみっともない衣類を片付けようと決めた。間に合わせの台所も浴室もあった。腰掛けのすぐ右側には書き物机があり、ロザリーはそこにアパートで食べられるような食事を並べた。


だらしない格好をしていても、ロザリーは魅力的な人だった。カールしたくしゃくしゃの黒髪、小さな白い顔、小さくて探るような黒い目、赤い唇、かすかに上を向いた鼻、優雅で色っぽい丸みを帯びた体、このすべてが合わさって、とにかく一時的に、道楽者で、落ち着きのない、ハンサムなトリファーをつなぎとめていた。ロザリーはトリファーのために飲み物を混ぜてタバコを渡そうとも考えていた。それから、もし興味を示したら、コーヒーを入れたり、卵をいくつか茹でたりするつもりだった。しかし、もし彼がちょっかい出したり、気のある素振りを見せなかったら、身支度して十二時からのリハーサルへ出かけ、それから彼の傍らに戻ってきて最終的に目を覚ますのを待つつもりだった。ロザリーは恋をしていた。


基本的に女について回るトリファーは、こういう親切のすべてに、気のない態度以外は返さなかった。どうしてこの自分がそんなことをしなきゃならないんだ? ヴァージニアとサウスカロライナのトリファー家のトリファーなんだからな! この自分は、最高の人たちと一緒にどこにでも行く権利があるんだ! ひとつ問題なのが、ロザリーやその手の娘がいないと、いつも無一文で、もっと悪いときは酔っ払って借金を抱えていた。それにもかかわらず、女性からすると彼は魅力的な存在だった。しかし、無為に二十数年を過ごしても、誰とも重要な社会的関係を構築できず、おかげで今では好意を示すことにした誰にでも、そっけない、皮肉っぽい、横柄な態度を取りがちだった。


トリファーは南部の名門出身で、かつては裕福な社会で名の通った一族だった。その当時、チャールストンにはまだ古い魅力的な屋敷が建っていて、そこには南北戦争以前からずっと続いている一族の分家の末裔が住んでいた。彼らの財産は、あの戦争の結果、価値がなくなった数千ドル相当の南部連合の債券だった。この頃、兄のウェクスフォード・トリファー大尉は軍隊にいて、ブルースを浪費家とか社会のごろつきだと考えた。


そして、テキサスのサンアントニオには成功した牧場経営者の別の兄がいた。西部に行って、結婚して子供たちに恵まれ、落ちついてしまい、今ではニューヨーク社交界にかけるブルースの野心を愚かの極みと見ていた。もし何かをするつもりでいたのだとしたら……たとえば、女相続人をものにするとか……どうして何年も前にやっておかなかったのだろう? 確かに、彼の名前は時折新聞に載り、一度はお金持ちのニューヨークの社交界にデビューした娘と結婚するのではないかと噂されたこともあった。しかし、それは十年も前、彼が二十八歳のときのことであり、結局、何も起こらなかった。今はもう兄弟も他の親戚も誰も彼をこれっぽっちも信じていなかった。彼は終わっていた。ニューヨーク社交界の彼のかつての友人のほとんどは、同じ考えだった。彼は自分の欲望の犠牲者だった。彼は自分の社会的価値や立場を軽視しすぎていた。彼らはとっくの昔に、彼にはもう何も貸さないというところにまで到達していた。


しかし、彼がしらふで、完全に身だしなみを整えたときに時々会うと、彼が金持ちと結婚せずに、そうやって輝けるグループに復活しなかったことを後悔せずにいられない者が老若男女を問わず今でも存在した。彼の暖かみのある南部なまりは、彼が使うと、とても楽しくて、笑顔がとても魅力的になった。


ロザリー・ハリガンとの今の関係はまだ八週間しかたっていないが、あまり長続きするとは見ていなかった。所詮、週給三十五ドルのただのコーラスガールに過ぎなかった。ロザリーは陽気で、優しく、愛情深かったが、トリファーも感じたように、どうにかなるほどの実力はなかった。さしあたって彼をつなぎとめていたのは、ロザリーの体と欲望と愛情だった。


そして、この特別な朝、ロザリーは彼のしわくちゃの黒髪とすてきな形の口と顎をうれしそうに眺めた。彼が他人に奪われてしまうというあまりにも絶望的な恐怖に染まっていたので、その様子はまったく哀れだった。トリファーはいつものように、怒鳴って悪態をついて命令しながら目を覚ますかもしれない。ただ髪に触れることしかできなくても、何時間でも彼と一緒にいたいと願った。


一方でトリファーの心は、半分夢の中、半分覚醒して、自分の日常生活に浸透した病魔について考えていた。今は、ロザリーからもらったお金しかなかった。トリファーは無一文だった。それにもう、ロザリーへの関心はすでに冷めていた。せめて派手にお金を使っても平気な資産家の女性でも見つけて、結婚して、今は自分を見下している大勢の地元の成り上がりどもに、トリファーとは何者か、金持ちのトリファーを、見せてやれたらいいのだが! 


ニューヨークに来てすぐに、恋に悩む女相続人と駆け落ちしようとしたが、両親がその娘を海外に連れ去ってしまった。そして、彼は自分が公共の媒体では、財産目当て、自分の娘に幸せな結婚と生活を願う立派な資産家すべてに警戒されるべき人物、要警戒人物として、非難されていることに気がついた。酒、女、ギャンブルに加えて、この破談だかヘマは、長年ずっと入りたいと思っていた扉を閉ざしてしまった。


今朝すっかり目が覚めて服を着る間に、トリファーは自分をそそのかして連れて行った昨夜のパーティーのことでロザリーを怒鳴り始めた。そこで彼は酔って、まわりの連中が彼を追い払ってせいせいするほど相手を見下し、嘲笑したのだ。


「あいつらめ! あの無礼者どもめが!」トリファーは叫んだ。「なぜ、あの新聞記者どもがあそこに来ることを話さなかったんだ? 俳優だってひどいもんだ、くそ、だが新聞のスパイや、お前の女優仲間と来た宣伝屋の犬どもときたら! ふん!」


「でも、私、彼らが来ているって知らなかったのよ、ブルース」ロザリーは弁解した。青白くて絵のように美しい彼女は一生懸命にガスの火でパンを一枚焼いていた。「来るのはショーの目星い出演者だけだと思ったのよ」


「目星いね! あんな連中でも星呼ばわりするのか! あいつらが星だったら、私は恒星系そのものだ!」(このたとえはロザリーには全く通じなかった。彼が何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。)「あの役立たずどもめ! お前には星と石油ランプの区別もつくまいがな!」


それからトリファーは気を引き締めて、こんなことをやめる踏ん切りがつくまでにどのくらいかかるだろう、と思いながらあくびをした。自分はどこまで落ちていくのだろう? 自分たちがやっていける分しか稼げない女たちに分け前をもらって、それから平等に分け合えない男たちと酒やギャンブルに明け暮れている! 


「ああ、こんなこと、耐えられん!」トリファーは叫んだ。「終りにしなくちゃいけない。これ以上、こんなところでだらだらしてはいられない。みっともないにもほどがある!」


トリファーは怒って両手をポケットに突っ込み、部屋の隅まで歩いて行って、また戻って来た。その間、ロザリーは無言で彼のそばに立っていた。怖くて口がきけなかった。


「おい、聞こえてるよな?」トリファーは尋ねた。「そんなところで人形みたいに突っ立っているつもりか? まったく、女ってやつは! 猫のように喧嘩をするか、ひれ伏して何も言わなくなるかだな! ああ、少しでも頭に良識ってものがある女に、一人でいいからお目にかかれたらなあ……私だって……」


ロザリーはトリファーを見上げた。口がゆがんで苦悶の笑みになった。「それで、どうするっていうの?」ロザリーは静かに言った。


「そいつにしがみつくのさ! 愛したっていいな! だが、一体、それでどうなるんだ? 私はこんなところにいるんだぞ。この狭いところでぶらぶらしていて、何ができるっていうんだ! 私は別世界の人間なんだ。そっちに戻るつもりでいる! お前と私は、別れなければならないってことだ。それ以外はありえない。もう一日だってこんなこと続けられない!」


そう言いながら、トリファーはクローゼットに行って帽子とコートを取り出すと、ドアに向かった。ロザリーは彼の前にじりじり進んで、両腕を投げるようにして抱きつき、顔を相手の顔に押しつけた。彼女は泣いていた。


「ねえ、ブルース、お願いよ! 私が、何をしたっていうの? もう、私のこと、愛してないの? あなたの望みどおりにするだけじゃ不足なの? 私からは、あなたに何も求めていないわよね? お願い、ブルース、私から離れないで、ブルースってば!」


しかし、トリファーは相手を押しのけて振り切った。


「やめろ、ロザリー、やめるんだ」トリファーは続けた。「私はもう我慢しないからな! こんなことで私をとめることはできないぞ。出て行かなきゃならないから出て行くんだ!」


トリファーはドアを開けた。しかし動くと、ロザリーが彼と階段の間に体を割り込ませた。


「ねえ、ブルース」ロザリーは叫んだ。「まさか、あなた、行くはずないわよね! ねえってば、こんな風に私を置いていくはずないわよね! 私、何でもする、何だって。約束するわ! ねえ、ブルース、もっとお金を稼ぐわ、もっといい仕事につくわ。私ならできるって。別のアパートに引っ越したっていいのよ。私が全部やるから。ブルース、お願い、座ってよ、こんなことやめてよ。あなたが私を置いていくなら、私、死ぬわ!」


しかし、トリファーはこの時には腹が決まっていた。「なあ、やめろって、ロージー! 馬鹿なまね、しなさんな! お前に自殺する気がないのはわかってる。自分でもわかってるだろ。しっかりするんだ! 落ち着けって。今夜か明日にでも会ってやるよ、多分な。だけど新しい仕事をしなくちゃならないんだ。それだけだよ。わかったかい?」


ロザリーは見つめられて軟化した。この避けられぬ事態は避けられるものではないことがようやくわかった。もし相手が行きたがったら、自分ではつなぎとめられないことを知った。


「ねい、ブルース」ロザリーは密着しながらもう一度訴えた。「行かせないわ! 絶対に! 絶対に! ここは通れないわよ!」


「通れないだと?」トリファーは聞き返した。「じゃ、見てるがいいさ!」トリファーは女をドアから引き離すと、急いで階段を降りて出ていった。ロザリーは息を切らして、恐れおののき、家のドアが大きな音を立てて閉まるのを見つめながら立っていた。それから疲れたように向き直って部屋に入り、ドアを閉めてドアにもたれかかった。


そろそろリハーサルに出かける時間だった。しかしそのことを考えても体が震えた。もう、どうでもよかった。どうしようもなかった……多分、彼が戻って来ない限り……服を取りにでも戻って来ない限り……




  第九章



この時にトリファーが温めていた考えは、証券会社か信託会社に就職して仕事を、具体的に言うと、資産家の未亡人や令嬢の財産管理を、しようというものだった。しかし、困ったことに、彼は当時のニューヨーク社交界のはじっこだけでなく中心で活躍していた社交界の便利屋のグループから除外されていた。年をとって目立つ地位を維持したくて遅いデビューをする者はもちろん、社交界に入りたくてもお金はあるのに経歴がない者にとって、こういう人たちは助かるだけではなく時には絶対に欠かせなかった。


アメリカ名門の出であること、容姿、社交のセンス、そしてヨット、レース、ポロ、テニス、乗馬、運転……特に四頭立ての大型四輪馬車、オペラ、演劇、スポーツへの洗練された関心を含めて、条件はかなりのものだった。彼らは金持ちのお供をして、パリ、ビアリッツ、モンテカルロ、ニース、スイス、ニューポート、パームビーチ、南部の鴨の隠れ家や各地のカントリークラブにまで出かけた。ニューヨークでよく行く場所は、しゃれたレストラン、オペラの「ダイアモンド・ホースシュー」、劇場だった。場所柄をわきまえた立派で適切な服装ができることや、馬術ショー、テニスやフットボールの試合、今人気のある演劇の最高の席を入手できる力と技量が必要だった。カードをたしなみ、ゲームの細かい説明ができ、場合によっては、衣装、宝石、部屋の装飾について助言や提案ができれば役に立った。しかし、何よりも、彼らは自分のひいきの名前がタウントピックスや新聞の社交欄に比較的頻繁に登場することを確認しなければならなかった。


しかし、こういう仕事を継続的に行うことは、あまり面目がつぶれない形で、便利屋はその努力が報われたり、そして時には犠牲を払わねばならないことを意味した。特にその犠牲は、そうでなかったら若者や美人との交友を通じて得られたであろう喜びや感動だった。なぜなら、彼の注意は主に、アイリーンのような中年に向けられなければならなかった。社交や感情に基づく退屈の、つまらない時間を嫌がる相手であった。


実はトリファーは何年もずっとそればかりをやってきて、三十一か二のときにそのことにうんざりし始めていた。このすべての退屈そのものと時々起きる心痛の前から消えて、酒を飲み、彼に捧げる情熱と愛と献身の情を持つ、ステージの世界の美人と楽しむつもりだった。同様に、この時、トリファーはまた、自分に最高のもてなしをすることができる人々がよく行く、レストラン、バー、ホテル、その他の場所へ行こうと考えて楽しんでいた。トリファーは気を引き締め、しらふを保ち、どこかから……おそらくロザリーから……少し金を手に入れ、それで社会の常識に照らして見込みがあると再び見てもらえそうな、服装と羽振りのいい格好を整えるつもりだった。さあ……今度こそ見てろよ! 




  第十章



この頃ニューヨークでは、アイリーンがどうやって自分の人生を切り開こうかと疲弊し、幻滅しながらない知恵を絞っていた。俗に言うクーパーウッド御殿は、このときにはニューヨークで最も華麗で美しい邸宅の一つだったが、アイリーンにとっては抜け殻にすぎず、社交の墓場であるだけでなく感情の墓場だった。


今思えば、クーパーウッドの最初の奥さんと子供たちにとんでもないことをしてしまった。あの時は、彼の奥さんがどんな苦しい思いをするのか知らなかった。しかし今はその辛さをすべて知っていた。クーパーウッドに献身的な愛情を捧げ、家族も友人も社会も名声も捨てたのに、今や絶望のどん底にいるのだ。冷酷無情な他の女たちが、愛ではなく彼の富と名声を求めてまとわりついたからだ。クーパーウッドは若くて魅力的だったからその女たちを受け入れた……ほんの数年前の自分に備わっていたものよりも決して優れてなどいないのに。しかし、絶対に彼を手放すつもりはなかった! 絶対にだ! この女たちの一人が、フランク・アルガーノン・クーパーウッド夫人を名乗ることなど絶対にあってはならなかった! これは本物の愛情と正式な結婚で封印したものだから、奪われることなど決してあってはならないのだ! クーパーウッドはあえて公然と法的手段で自分を攻撃しようとはしなかった。世間は自分と同じように多くを知りすぎている。もしクーパーウッドが自分を追い出そうとしたら、世間も知っていると見ていいだろう。アイリーンは、若くて美しいベレニス・フレミングに対するクーパーウッドの率直な愛の告白を決して忘れなかった。彼女は今どこにいるのだろう? おそらくクーパーウッドと一緒だ。だが、彼女は絶対に正式にクーパーウッドを手に入れることはできない。絶対にだ! 


なのに、どうして自分はこんなに孤独なんだろう! この豪邸、しかも部屋という部屋は、大理石の床、彫刻を施されたドアと天井、彩られ飾り付けられた壁なのに! 使用人がスパイかもしれないってことはちゃんと知ってるんだから! おまけに、やることはほとんどなく、会う人はほとんどなく、会いたがる人もほとんどいなかった! 通りに立ち並ぶ大邸宅の住人たちはみんな金持ちだから、自分やクーパーウッドを見ようともしなかった! 


慕って来る人も少しはいて、アイリーンは黙って受け入れた。その中に身内が一、二名いて、フィラデルフィアに住む二人の実の兄だった。二人とも裕福で社会の重要な人物だった。しかし、信心深く、保守的で、妻子がアイリーンのことを認めなかったので、アイリーンが兄たちに会うことはめったになかった。たまに昼食や夕食に立ち寄るとか、ニューヨークに滞在中に一晩泊まることはあったが、いつも家族は連れてこなかった。次に会うのは、ずっと先のことだろう。アイリーンはそれがどういうことかを知っていたし、兄たちも知っていた。


しかし、人生でこの他に、アイリーンにとって大事な人は誰もいなかった。俳優や社交界のごろつきが時々アイリーンと一緒にいたがった。主に金を借りることが目的であり、彼らは本当は自分たちのもっと若い友人にしか興味がなかった。クーパーウッドがいなくなっただけで、こんなつまらない遊び人の一人の愛人になってしまう自分をどうすれば想像できただろう。望んだからだ! しかし退屈でだらだらすぎていく何時間もの孤独でつらい考え事の後だけは、肉体的な魅力と、達者なおしゃべりと、お酒があると、誰の方でも向いてしまう! ああ、人生、孤独、年齢、虚しいかな、価値のあるものすべてがなくなった! 


とんだ笑いものだ、絵画と彫刻とタペストリーのギャラリーまであるのに、この豪邸ときたら! 何しろ、夫のクーパーウッドが、めったに帰宅しないのだ。そして帰宅したときは、使用人たちの前で愛しているふりをしたが、いつも慎重だった。実際、クーパーウッドはここにあるすべてのものを処分する権限を持っていたので、使用人はアイリーンの上にいる者としてクーパーウッドにぺこぺこした。そして、アイリーンが嘲笑や反抗をしても、手を取ったり、優しく腕に触れたりして、いくらでも丁寧に愛想よく、言うことができた。「でもね、アイリーン、覚えておかないといけないよ! きみは今もこれからもずっとフランク・クーパーウッド夫人なんだ。だから、自分の役割を果たさないといけないね!」


そして、少しでもアイリーンが怒ったり、泣いて目に涙をため唇をふるわせたり、激情にかられて自分の前から逃げ出しても、クーパーウッドは後を追いかけて、長々と議論をするか、巧みに訴えてアイリーンを自分の意見に従わせた。あるいは、それに失敗すると、花を贈ったり、夕食後に一緒にオペラへ行こうと誘うこともあった……譲歩すれば必ずといっていいほどアイリーンは見栄っ張りな弱い魂をさらけ出した。クーパーウッドと一緒に人前に出れば、少なくともある程度は、アイリーンがまだ彼の妻で、彼の家の女主人であることの証明になったからだろうか?  




  第十一章



デ・ソタ・シッペンスは必要な部下とロンドンに出発し、現地に到着するとナイツブリッジに住まいを構えて、クーパーウッドなら必要とするだろうと自分が感じた情報をすべて集め始めた。


すぐに衝撃を受けたことのひとつは、最も古い二本の地下鉄……〈メトロポリタン鉄道〉と〈ディストリクト鉄道〉、またの名を〈インナーサークル〉……には、ダウンタウンにループが存在している事実だった。これは、シカゴのクーパーウッドの鉄道を、本人にはとても都合がよく、ライバルにはとても苛立たしい費用のかかるものにしたものによく似ていた。世界初の地下鉄になるこの二本のロンドンの鉄道は、どちらもひどい作りで、蒸気で走り、事実上の密閉状態でダウンタウンの主要各駅のすべてに接続し、地下鉄全体の要衝としてサービスを提供した。約一マイル離れて互いに並走し、相互乗り入れのために終点で合流し、西のケンジントン駅とパディントン駅から、東のイングランド銀行地区のオールドゲート駅までの全域に及んだ。実際に、重要な施設は全部……大通り、劇場街、金融街、繁華街、大きなホテル、鉄道駅、国会議事堂は……このエリアにあった。


この鉄道は、粗末な設備と経営のせいで、支出と大差ない儲けしか出ていないことをシッペンスはすぐにつかんだ。しかし、バス以外にはこれらの地区へ通じるこれほど便利なルートが他にまだ存在しなかったので、利益を出すことができた。


さらに、鉄道のこの旧式な蒸気機関には、市民の不満がかなりあっただけではなく、鉄道が電化されて最新の状態になるのを見たいという、近頃、地下鉄の分野に参入しつつある若い金融関係者の確かな願望があった。この関係者で、〈ディストリクト鉄道〉の数少ない大株主の一人が、クーパーウッドが話にあげたステイン卿だった。卿は、ロンドンの社交界で最も著名な人物のひとりでもあった。


シッペンスによって長々と書きつづられたこの状況の詳細は、クーパーウッドを刺激するのに十分だった。今のうちに手中に収めて、郊外に延長するための運営権なり議会承認なりを獲得して増強しておけば、この中央のループ構想は、クーパーウッドをこの先の開発の責任者や中心人物にするのに必要な主導権のようなものを確実に提供することになるだろう。


自分のポケットを探る選択をしなかったら、これ全体にあてる現金はどこで調達することになるだろう? おそらく最終的には一億ドルになるだろう! 特に、現在のロンドンの地下鉄はどれも経費を稼ぐだけで精一杯らしいから、資本金を出す投資家に期待をもたせられるか現時点では疑わしかった。確かに、この事業は現時点で考えるには大胆な代物だった。先んじることもそうだが、クーパーウッドを最高の適任者に仕立てる、極めて巧妙な宣伝の連発も同時になされなければならないだろう。


クーパーウッドは、過去の取引を理由に今自分が売り込める、主に東部の大物のアメリカ金融界の指導者全員と、彼らの金融機関と銀行を考えた。何か途方もない金儲けというよりは名誉が欲しいことをはっきりさせておくべきだった。ベレニスが正しかった。もし実現したら、彼のこの最後にして最大の投資は、これまでの事業のどれよりもレベルが高く、いつものいかがわしい手口と一緒にすべての罪が償われてもおかしくなかった。


心の中では、もちろん、鉄道開発の計画・管理にあたって、従来のやり方を完全にやめるつもりはまったくなかった。むしろ、クーパーウッドの手口は本国のようにはイギリスでは知られていなかったため、これまで以上に、これに対し一社、あれに対し一社、追加されたり作り変えられたりする支線や既存の組織ごとに一社つくることに熱心で、それの水浸しされた株がだまされやすい一般大衆に売られるのである。こういうものはこうやって扱うのだ。大衆は、十分有望に見えるように作られたものなら、騙されて何でも買うかもしれない。それはふさわしい会社によって与えられる長所、評判、安定性次第だった。このすべてを頭の中で決めてしまうと、クーパーウッドはすぐに電報でシッペンズに感謝と、追って連絡があるまでロンドンに留まるよう指示を送った。


その一方で、ベレニスの母親がシカゴに到着して、とりあえず同居した。ベレニスとクーパーウッドは、それぞれのやり方で、事の顛末と、これからみんながこの新しくて、おそらくわずらわしい関係にどう加わるかを明らかにした。最初、ベレニスの前でカーター夫人は多少涙を流した……主に自分の過去を反省したからだった。実際に自分でも言ったように、娘が今こうなっているのは本当はそれが原因だった……それでも、彼女の実に変わりやすい良識が時々彼女に信じさせるほどは決して落ちぶれていなかった。結局、クーパーウッドは偉大な人物だし、本人が今言ったように、ベレニスはその財産のかなりの部分を相続するだけではなく、もしアイリーンが亡くなるか離婚をすれば、クーパーウッドはほぼ確実にベレニスと結婚するつもりだった。もちろん、現時点では、以前と同じように、カーター夫人の友人であり、その娘の後見人という立場を続けることになる。たとえ何が起こっても、時々どんな噂が聞こえても、この説明が継続されるのだ。このために、公の場での接触は極力少なくして従来どおりにすることになった。クーパーウッドとベレニスが密かに自分たちのために考えたものは自分たち自身の問題だった。二人は絶対に同じ船や列車で旅行したり、どこであれ同じホテルにはとまらないつもりだった。


ロンドンでなら、三人ともかなり社交的な生活を送れるかもしれないとクーパーウッドは考えた。特に、もしすべてがうまくいけば、格が上の金融グループと関係を築いたり、自分たちの家で自分に最も好意的な有力者や仲間と会えるようにする手段として、ベレニス親子と自分の関係を利用できるかもしれないと思った。裕福で評判のいい未亡人と娘にとって、自然でそれらしく見える体制を維持することをカーター夫人に期待していた。


ベレニスは、もちろん、これがもともと自分のアイデアだったので熱心だった。カーター夫人はクーパーウッドのことを、自分の個人的な慰めが関係するところでは無慈悲で、ほとんど残酷なまでに妥協しない人だと思っていたのに、話を聞いているうちに、すべてが一番いい方に向かっているとすっかり丸め込まれてしまった。ベレニスは最も実務的な態度をとって自分の立場を表していた。


「私は本当にフランクを大事に思っています、お母さん」母親に言った。「だから、できるかぎり一緒にいたいんです。彼が無理強いしたんじゃないのよ。私の方から彼のところへ行ったの。こうしようと言い出したのも私なの。私たちが生活に使ってきたお金がお母さんのものではなく彼のものだった、と知ってから私はずっと、もらってばかりいて何も返さないことがいいことだと思えなかったのよ。それに私はお母さんと同じくらい臆病で、わがままで敏感すぎるから、何もなくては人生に立ち向かえないわ。だってもし彼が私たちのもとを去ったら、そうなっていたでしょ」


「ああ、あなたの言うとおりなのはわかってるわ」母親はまるで頼み込むように言った。「お願いだから、私を責めないでおくれよ。このとおり、私だって辛いんだから。だから、お願いよ。お母さんが考えてきたのはいつだって、あなたの将来ですからね」


「ねえ、お母さんったら、よしてよ」ベレニスは母親をいたわりながら頼んだ。結局、愚かで道を誤ろうが、母親を愛していた。確かに、学生時代は母親のセンス、知識、判断を軽視しがちだった。しかし、すべてを知った今では、母親を違った観点で見るようになっていた。決して完全に免責しないにしても、今の母親を許して同情していた。見くびったり、見下したような発言はもうしなかったが、反対に、まるでその身に降りかかっていた人災の埋め合わせをしようとしているかのように、ただ優しさと理解だけを与えた。


そして、今度は優しくなだめるように言い添えた。「いい、お母さん、私、すぐにわかったの。自分に何ができるのかを確認しようと自分で試したときに、私は自分がやがて向き合わねばならない状況のどれにも備えて育てられていなかったんだって。過保護で、甘やかされ過ぎたんだわ。お母さんやフランクを責めているんじゃないのよ。でもね、私には社交という未来はないわ、この国ではだめなのよ。私にできる最善のことは、きっと、私がフランクと人生をともにすることだわ。だって、あの人こそ、本当に私を助けることがきる唯一の人なんですもの」


カーター夫人は同意して頷き、物思いに沈みながら微笑んだ。彼女は、ベレニスが望むことは何でもしなくちゃいけないのを知っていた。彼女には自分の人生がなく、クーパーウッドと娘に頼る以外に生きる術はなかった。




  第十二章



そして、この総意に従って、クーパーウッド、ベレニス、彼女の母親がニューヨークに向けて出発した。女性たちが先に行き、クーパーウッドは後に続いた。彼の目的は、アメリカの投資状況を調査することと、〈チャリングクロス鉄道〉に関する最初の提案を検討できるように、手紙を転送してくれそうなどこかの国際的な証券会社を見つけることでもあった。これは自分が関心を持っているように見えなくするためだった。


もちろん、ニューヨークとロンドンを担当する自分のブローカー、ジャーキンス、クロアーファイン、ランドルフがいたが、これほどの大事業ともなると彼らを全面的には信頼しなかった。その会社のアメリカ部門の責任者のジャーキンスは、狡猾で何かと重宝したが、それでも利己的過ぎるし、時々しゃべり過ぎることがあった。とはいえ、変な証券会社に行っても状況が改善するわけではない。かえって悪化するかもしれなかった。クーパーウッドは最終的に信頼できる人を使ってジャーキンスに、グリーヴズとヘンシャーがもう一度彼に話を持ちかければうまくいくかもしれない、と提案してもらうことに決めた。


この件で最初に訪問した際にグリーヴズとヘンシャーから渡された紹介状の一通が、ラファエル・コールという、数年前に自分にニューヨークの交通に関心をもたせようとした、かなり裕福なニューヨークの元銀行家からだったのを思い出した。当時クーパーウッドはシカゴの問題にかかりっきりだったので、コールの提案を検討していられなかったが、会話がきっかけで友情が成立し、その後コールはクーパーウッドのシカゴの事業の一部に投資した。


コールについて今クーパーウッドが考えているのは、このロンドンの事業の有望な投資を事前に教えるだけでなく、グリーヴズとヘンシャーがもう一度自分のところに来るようジャーキンスを通してコールに提案させることだった。コールを五番街の自宅のディナーに招待してアイリーンにもてなしてもらうことにした。こうしてアイリーンをなだめるついでに、自分が満ち足りた夫であることをコールに印象づけるつもりだった。コールは多少なりとも保守的な生活をしていた。それに、このロンドンの計画は世間の批判を防ぐためにも、こういう保守的な後ろ盾が確実に必要になるだろう。実際、ベレニスはニューヨークに向かう直前に言った。「覚えておいてね、フランク、あなたが公の場でアイリーンを大事にすればするほど、私たちみんなが助かるのよ」そしてベレニスは静かな青い目を向けた。その力強い示唆するような目は、その時代のすべての繊細さがまとまったようだった。


その結果、ニューヨークへ行く途中クーパーウッドは、ベレニスの言葉はもっともだと考えながらアイリーンに自分が向かっていることを電報で知らせた。ついでに、エドワード・ビンガムに連絡をとることも計画していた。よく会いに来る社交的な債券のセールスマンで、彼なら多分このトリファーという男の情報を提供できるだろう。


そして、最近与えたパーク・アベニューの家にいるベレニスに電話をかけたのは、この充実した計画に沿ってのことだった。その日遅くなってからベレニスに会う手はずを整えたあとで、コールに電話をかけた。ネザーランズ・ホテルの事務所に寄ってみて、たまたまビンガムからのクーパーウッドが会うのに都合がいい日時を問い合わせる伝言が他の伝言の中に混じってあることも知った。最後に、自宅へ向かった。数か月前にアイリーンが会った人物とはかなり雰囲気が違っていた。


実際、クーパーウッドが今朝、自分の寝室へ入って来るのを見てアイリーンは、その表情と足取りから、すぐに何かいいことがあると感じた。


「ごきげんよう、アイリーン」彼女の前で見せるのがふさわしいとはずっと考えなかった穏やかな態度で、クーパーウッドはさっそく切り出した。「私の電報を受けとったと思うが」


「はい」アイリーンは落ち着いて少し怪訝そうに答えた。それでも、クーパーウッドに対する気持ちの中には怒りはもちろん愛情もあったので、興味津々で相手を見つめた。


「ほお、探偵小説を読んでいるんだ!」クーパーウッドはベッド脇のテーブルの上にある本を見て、同時に心の中ではアイリーンの知力とベレニスの知力とを比べていた。


「そうだけど」アイリーンは不機嫌そうに答えた。「あたしに何を読ませたいのかしら……聖書、それとも毎月の貸借対照表、それとも美術品のカタログ?」


アイリーンは、クーパーウッドがシカゴで大変だったときに、自分に手紙を書くことを怠ったという事実に、悲しみ、傷ついた。


「実はね、アイリーン」クーパーウッドは、なだめ、いたわるように続けた。「ずっと手紙を書こうと思っていたんだけど、死ぬほど忙しかったんだ。本当にそうだったんだ。それに、きみのことだから、おそらく、新聞には目をとおしているって知ってたからね。全部出てたし。でも、きみの電報を受け取ったよ、どうもありがとう! 答えようとは思ったんだ。そうすべきだったね、わかってるよ」大々的に報じられたシカゴ市会議での敗北直後に、アイリーンが送った励ましの電報のことを言っていた。


「それは、どうも!」午前も十一時だというのに、まだ身じたくをだらだら続けているアイリーンは鋭く言った。「そういうことにしておきます。他にご用は?」


クーパーウッドは、雪のような、ひだのある、白い部屋着に気がついた。赤い髪が引き立つから、アイリーンはいつも愛用していた。かつてはクーパーウッドもよく感心して眺めたものだった。顔にたっぷり白粉がついていることにも気がついた。そんなものが必要になったのかという思いは、アイリーンの心にのしかかったかもしれないがクーパーウッドの心にも重くのしかかった。時間の仕業だ! 腐食は日々進んでいる! アイリーンはどんどん年をとる一方だった。心を痛める以外に何もできなかった。クーパーウッドはそれを口に出さず、無視しているようにさえ見えたが、クーパーウッドが女性の老化の兆候をどれほど嫌うかをアイリーンはよく知っていた。


クーパーウッドは少なからずアイリーンにすまないと感じたので、優しくする気になった。実は、アイリーンを見ていて、ベレニスのアイリーンに対する心の広い見方を考えてみたが、自分たちの間で一応折り合いがつくのならアイリーンの海外旅行にまで話を広げていけない理由は見当たらなかった。結婚生活が円満だと印象づけるためには、必ずしも付きっきりである必要はなく、同時期に周辺にいればよかった。自分のそばからアイリーンを引き離すために、このトリファーか他の誰かが手配できれば、彼女が同じ船に乗ってもいいかもしれない。ベレニスと自分のいるところにアイリーンを近づけないようにしなければならないので、アイリーンの気を引くために選ばれた人物は、ここだけでなく海外でも彼女を追うようにすればいいだろう。


「今夜は何か予定があるのかい?」クーパーウッドは機嫌をとるように尋ねた。


「いいえ、特別なことは何もないわ」クーパーウッドの表情は好意的だったが、自分に何かを求めているように見えたので、それが何かは推測できなかったが、アイリーンは冷静に答えた。「しばらくここにいるつもりなの?」


「ああ、少しの間だけどね。少なくとも、ここを出たり入ったりする。数週間、海外に行くかもしれない計画があるので、そのことできみと話がしたいんだ」クーパーウッドはどう続けていいか少し迷っていたので、ここで話をやめた。これはとても難しくて、とても複雑だった。「それで、私がここにいる間、きみにちょっとしたもてなしをしてほしいんだ。構わないかい?」


「いいけど」アイリーンは相手のよそよそしさを感じながら簡潔に言った。長い別居明けなのに、クーパーウッドの思いは自分にないように感じた。とたんに疲れるやら落胆するやらで議論する気になれなかった。


「今夜オペラへ行きたくはないかい?」それからクーパーウッドはアイリーンに尋ねた。


「まあ、あなたが本当に行きたいのなら、いいわよ」結局、たとえわずかな間だろうと、クーパーウッドを自分のものにできるのは慰めだった。


「そりゃあ、行きたいさ。それに、きみと一緒に行きたいんだよ。結局、きみは私の妻で、この家の女主人だからね、きみが私をどう思っていようと、世間体は取り繕う必要があるんだ。それがあれば、私たちのどちらにも害は及ばないし、どちらにも有益だからね。実はね、アイリーン」クーパーウッドは腹を割って話すように続けた。「こうして今、シカゴで大変なことになってしまった以上、二つのうちの一つをしなくてはならないと思うんだ。この国での事業活動をすべてやめて引退するか……私はあまりそんな気分じゃないんだ……あるいは、何か別の仕事を見つけてどこか別の場所で取り組むかだ。腐敗して死ぬなんてご免だからね、まったく」クーパーウッドは結論づけた。


「あなたったら! 腐敗って!」アイリーンはクーパーウッドを面白がって見ながら口を挟んだ。「まるで腐敗があなたを襲うみたいじゃない! あなたが腐敗を襲って追い出す可能性の方が高いわよ!」これはクーパーウッドの笑いを誘った。「いずれにせよ」クーパーウッドは続けた。「これまでに聞いた中で私が気になるのは二つしかなくて、パリで提案された地下鉄の計画……私としてはこれはあまり魅力的ではないんだ……それと……」ここで間をあけて考え込んだ。その間アイリーンはこっちが本命だろうかと考えながらクーパーウッドを観察した。「ロンドンのものなんだ。現地の地下鉄の事情を調べてみたいと私は考えている」


この言葉を聞いて、自分でも説明できない何かの理由で……テレパシー、精神的浸透で……アイリーンは明るくなって、何か面白いことを思い描いているようだった。


「それよ!」アイリーンは言った。「それってかなり見込みがありそうだわ。でも、もし何か別の仕事を始めるなら、後で問題が生じないように今度こそあなたには改めてほしいわ。あなたはどこに行っても問題を起こすみたいなんだもの。さもなければ、問題の方がひとりでにあなたのために発生するのね」


「まあ、ずっと考えているんだが」クーパーウッドはアイリーンの最後の発言は無視して続けた。「他に何も思いつかなかったら、ロンドンで何かを始めてみるかもしれない。だが、どんな形であっても、イギリス人はアメリカの企業にあまり好意的ではないと聞いている。その場合はイギリスで活路をひらくチャンスはないだろう。ましてや、シカゴであれだけの騒ぎがあった後だからね」


「ああ、シカゴね!」アイリーンは身構えつつも、義理立てして、叫んだ。「シカゴなんて知ったことじゃないわ。頭があるならどんな人でも、あいつらが嫉妬深いジャッカルの群れなのを知ってるわ! ロンドンはあなたの再出発にふさわしい場所だと思うわ。シカゴでかかえているような運営権の問題を避けるためにも、解決する方法をしっかり知っておくべきなのよ。あたし、いつも思ってたんだけどね、フランク」アイリーンはここで思い切って言った。クーパーウッドと過ごした歳月の為せる業で、別に機嫌を取りたいわけではなかった。「あなたって他人の意見に無関心過ぎるのよ。他の人だって……それが誰だってかまわないけど……あなたのために存在しているわけじゃないでしょ。だから、こういう戦いを引き起こしちゃうんだわ。もう少し他人への配慮に気を遣わない限り、いつもそういうことになるわよ。もちろん、あたしにはあなたの頭の中なんてわからないけど、やりたいことがあるときに、相手を説き伏せるアイデアとかやり方を持っていて、相手に少しでも丁寧に向き合うことを今日からでも始めたいと思えば、あなたをとめようなんてことはなくなるんじゃない。それだけよ」アイリーンは話すのをやめて、相手が何か言うか見届けようと待っていた。


「ありがとう」クーパーウッドは言った。「それについては、きみが正しいかもしれないね。私は知らないが。いずれにせよ、私はこのロンドンの件を真剣に考えているんだ」


クーパーウッドが確かにどこかに向かって行動しているのを感じながら、アイリーンは続けた。「あたしたちのことだけど、もちろん、あなたがもうあたしのことなんか気にかけてないって知ってるわ。今後もないこともね。そのくらい、あたしにももうわかるわ。でもね、そうであっても、あたしだってあなたの人生に影響を与えたって思うのよ。もしそれだけのことだったとしても……あなたと一緒にフィラデルフィアとシカゴでやってきたすべてだけど……このあたしが古い靴のようにはき捨てられるいわれはないわ。そんなのってないわよ。それに長い目で見れば、そんなことしたって、あなたにいいことがあるはずないもの。あなたはあたしのことで少なくとも人前では体裁を繕うのかもしれない、っていつも感じてきたし、今でも感じてるわ。少なくとも少しは気を遣ってみせてよ。一言の言葉も、一通の手紙も、何もよこさず、何週間も何か月もここに独り座らせたまま放ったらかしにしないでよ……」


そして、ここでもう一度クーパーウッドは過去に何度もあったように、アイリーンが喉をつまらせ、涙で目を曇らせるのを見た。そしてアイリーンはこれ以上、何も言えないかのように背を向けた。同時に、見てのとおり、まさにここが歩み寄りのしどころだった。ベレニスがシカゴに来てからクーパーウッドはずっと考えてきたことだった。明らかに、アイリーンにはその準備ができていたが、クーパーウッドはまだどの程度なのかはわからなかった。


「私がしなければならないのは、何か他の仕事を見つけて、そのためのお金を見つけることなんだ。その間は、ここで生活して、すべてが以前のように続いているように見せたい。そうすればいい印象を与えられるからね。まあ、離婚を望んだ時もあったが、きみが過去を水に流して、私の私生活に文句を言わずに見せかけの関係を続けられるのなら、私たちは何とかうまくやっていけるかもしれないと思うんだ。現に、私たちならやれると私は確信している。私は今までのようには若くない。それに私には自分に必要なことに合わせるために私生活を管理する権利があるが、私たちがこれまでのように生活してはいけないとか、状況を実状よりもましに見せてはいけない理由もないからね。きみはこれに賛成かい、それとも反対かい?」


アイリーンはクーパーウッドの妻のままであり続けること以外に望みはなく、邪険にされても、クーパーウッドがやることはどんなことでも成功するところが見たかったので、こう答えた。


「それで、あたしは他に何をすればいいの? カードはすべてあなたの手の中にあるのよ。あたしの役目は何なのかしら? はっきりと言って?」


ここでクーパーウッドが提案したのは、もし出国の必要があるとわかって、自分もクーパーウッドに同行した方が体裁がいいとアイリーンが思った場合は、クーパーウッドの私生活で彼を困らせるような日常的な接触をアイリーンが強要しない限り、同行と、二人の夫婦円満を示す報道の材料を提供すること、に反対しない、というものだった。


「まあ、あなたがそうしたいのであればそうしましょう」アイリーンはこれに関して言った。「きっと、今のあたしより悪くないわよ」しかし同時に、この陰には、また女がいるのかもしれないと考えていた……おそらくはあの女だ! ベレニス・フレミング。もしそうだったら、アイリーンに妥協の余地はない。ベレニスに関してだが、あのうぬぼれ屋で自分勝手な成上りと公然と付き合われて、この自分に恥をかかせるまねをクーパーウッドに絶対に、絶対に許すつもりはなかった! 絶対に、絶対に、絶対に許さない! 


そして、なかなか興味深いことに、クーパーウッドが現在の自分の夢に向かってかなりの進捗が、それもかなり早くあったと考えていた一方で、アイリーンは少なくとも多少得るものがあったと考えていた。自分の個人的感情をどれだけ犠牲にしても、クーパーウッドがどんどん自分に公然と気を遣えるようにできれば、自分がクーパーウッドを確保している証拠がどんどん強力になって、私的な勝利はなくても、公然たる勝利は大きくなるのだ。




  第十三章



コールに一働きしてもらって、グリーヴズとヘンシャーにもう一度話を持ちかけてもらう問題は、食事と酒の一夜のうちのほんのわずかの間に、クーパーウッドに片付けられた。現にコールは、ロンドンならクーパーウッドはシカゴがこれまで彼に与えた以上に彼の実力に適したもっといい分野を見つけられるかもしれないし、その場合に考えられるかもしれない投資の計画があればぜひもっと詳しく聞きたい、という考えを表明した。


同じく、エドワード・ビンガムとの話にも満足した。クーパーウッドはそこからブルース・トリファーに関する興味深い情報を引き出した。ビンガムによると、トリファーは今ひどい状態だった。かつては上流社会とのつながりがあり、そこそこお金を持っていたが、今はそのどちらもなくしていた。依然としてハンサムだが、空っけつで、みずぼらしかった。最近まで、ギャンブラーや他の札付き連中とかかわっていたからか、以前彼を知り好意を寄せていた者のほとんどは明らかに彼をリストから外していた。


一方、ビンガムも認めざるを得なかったが、先月トリファーは社会復帰を試みていた。彼は今、五十三番街のアルコーブという地味ないわゆる独身者のクラブで一人で暮らしていて、高級レストランで食事をする姿が時折見受けられた。ビンガムは、トリファーが二つのうちの一つをしようとしていると思った。自分が提供できるサービスに喜んで金を払ってくれそうな資産家の女性に取り入るか、昔の社交界のつながりが給料に見合うと考えられる証券会社に就職するか、だった。クーパーウッドがトリファーを見つけたかったのはまさにこういう状況にいるときだったので、ビンガムのこの批評を兼ねた結論はクーパーウッドをにっこりさせた。


ビンガムに礼を言い、相手が立ち去った後で、クーパーウッドはアルコーブのトリファーに電話をかけた。相手はそのとき、中途半端な服装で横になり、五時になるのをかなり憂鬱な気分で待っていた。五時になったら、彼の言う『巡回』に出かけるつもりだった……旧交を温めるとか、新たな付き合いができるかもしれない軽い挨拶をしに、クラブ、レストラン、劇場、バーを見て回るのだ。クーパーウッドの呼び出しに答えるために、吸いかけのタバコを指にもち、髪はくしゃくしゃのまま、少し履き心地のよくないぶかぶかのスリッパをつっかけて広い廊下に現れたのは、風の強い二月の三時のことだった。


「フランク・A・クーパーウッドという者ですが」と名乗る声に、トリファーは、緊張して姿勢を正した。何しろ、その名前は何か月もの間、新聞の一面の見出しだったのだ。


「ああ、はい、クーパーウッドさん、何かご用でしょうか?」トリファーの声は、相手が誰だか当然わかっていて、丁寧な言葉で、何を求められても応じる意向が混ざっていた。


「私はあなたが興味を持つかもしれないある事を考えてましてね、トリファーさん。明朝十時半にネザーランズの私の事務所を訪ねていただけるなら、ぜひお会いしたいのですが、その時間にお会いできますか?」


トリファーが聞き漏らすことがなかったように、その声は必ずしも上司が部下に話しかけるものではなかったが、有無をも言わさない命令的なものだった。トリファーは自分を社会的に評価していたにもかかわらず、すごく気になり、少なからず興奮した。


「もちろんです、クーパーウッドさん、おうかがいします」トリファーはすぐに答えた。


何の話だろうか? 株だか債券を売ろうっていう提案かもしれない。もしそうなら、喜んで引き受けるつもりだった。部屋に座って、この予想もしなかった呼び出しについて考えながら、クーパーウッド夫妻について読んで知ったことを思い出し始めた。ニューヨーク社交界に進出しようとしていたことや、それに関するある失敗と冷たくあしらわれた噂があった。しかし、それから仕事と、それが社交界とのつながり方の中でどういう意味を持つかという考えに戻り、妙に元気づけられた気分になった。クロゼットの服だけでなく顔や容姿を点検し始めた。髭を剃り、シャンプーをして、服にはちゃんとブラシとアイロンをかけなければならない。今夜は外出せずに体を休めて、明日に備えて英気を養うことにした。


そして、翌日午前中、トリファーはクーパーウッドの事務所にいた。これまでになかったほど抑圧され従順になっていた。どういうわけだか、これが人生の新しいスタートの前触れに思えた。少なくとも部屋に入って、その部屋の中央を占める大きな紫檀材の机の向こうに偉人が座っているのを見たとき、トリファーはそう願っていた。しかしすぐに畏縮し少し自分に自信がなくなった。何しろ目の前の男性は、礼儀を欠くでも心から共感するある種の雰囲気を欠くわけでもないのに、それでも近寄りがたい、かけ離れた存在だった。確かに、ハンサム、力強い、支配的、と評されるかもしれないとトリファーは判断した。大きく、魅力的で、考えを全然明かさない青い目、目の前の机の上にそっとのっている力強い優雅な両手、右手の小指には装飾のない金の指輪があった。


この指輪は何年も前、彼がその後ずっとつづく上昇曲線のどん底にいたフィラデルフィアの刑務所の独房で、アイリーンが不滅の愛の印としてくれたもので、クーパーウッドはそれを一度もはずしたことがなかった。そして今ここで、自分が別の女性と至福で平和な時間に楽しむために、アイリーンを夢中にさせるある種の気晴らしを請け負ってくれる、どこか落ちぶれた社交界の色男と打ち合わせをしようとしていた。まさに道徳的退廃の一つの形といっていい! そんなことは十分にわかっていた。じゃあ、他にどうすればよかっただろう? クーパーウッドが今計画していることは、人生そのものが、彼や他の人たちを通して作用し、創造し、形にした条件から生まれたものだから、そのままでなければならなかった。いずれにしても今さら変わることはなかった。手遅れだった。クーパーウッドは勇敢に、挑むように、冷酷に問題を解いて、相手を服従させて、自分の方法と用件を避けられないものとして受け入れさねばならなかった。だから今トリファーを冷静に、むしろ冷たく見すえて椅子に促し、クーパーウッドは語り始めた。


「トリファーさん、座ってください。昨日あなたに電話をしたのは、かなり機転がきいて社交の経験を持つ男性を必要とする片付けたい用件があったからです。それについてはもう少ししてからもっと詳しく説明します。あなたの個人的な経歴や事情をある程度調査しもせずに、電話をしたわけではないと言っておきましょう。ですか、あなたに害を及ぼすつもりがないことは保証します。実は、正反対です。もしあなたが私の役に立ってくれれば、私もそれなりにあなたの役に立てるかもしれません」ここでクーパーウッドは明るく微笑んだ。それに対してトリファーは何となく疑っていたが依然として愛想がいい態度だった。


「この会話が無駄になるほど大きな欠点が私に見つからなかったのならいいのですが」トリファーは悲しそうに言った。「私が厳しい伝統的な生活を送ってこなかったことは認めましょう。私はそういうタイプの人間になるために生まれてこなかったと思うんです」


「確かにそうではなかったようですね」クーパーウッドは、実に楽しそに、慰めるように言った。「しかし、その話をする前に、率直にあなたのすべて私に打ち明けてほしいのです。私が考えている問題は、あなたのすべてを知る必要がありますから」


クーパーウッドは励ますようにトリファーを見つめた。今度はトリファーがそれに気がついて、少年時代からさかのぼって人生のすべての物語をかいつまんできちんと正直に語った。すると、クーパーウッドはこれを少なからず楽しみ、この男は自分が期待していたよりもいい人だと判断した。あまり打算的ではなく……ずる賢いとか身勝手というよりも、率直で、行き当たりばったりで、楽しいことが好きなのだ。その結果、最初の目論見よりも、もっとはっきりと詳しく話してもいいと判断した。


「それでは経済的にあなたは崖っぷちにいるわけですね?」


「まあ、そんなところですね」トリファーは苦笑いしながら答えた。「本当は崖を離れたことがないと思います」


「まあ、崖はいつも混雑してますからね。でも、最近では、気を引き締めて、できればかつて所属していた世界に戻ろうと努力しているのではありませんか?」


答える間に、紛れもない嫌悪の影がちらちらと雲のようにトリファーの顔をよぎるのに気がついた。「ええ、そうですよ」そして、再びあの皮肉っぽく、ほとんど投げやりで、それでいて魅力的な微笑みが浮かんだ。


「その戦いはどう続いているんですか?」


「このざまですから、あまりよくはありません。私の経験は、自分が持っているよりもはるかに多くのお金を必要とする世界の中の出来事でした。私はこのニューヨークで知っているタイプの人たちと付き合いがあるどこかの銀行か証券会社とかかわりたいと思ってきました。そうすれば、銀行だけでなく自分のために多少の金は稼げますからね。それに本当に私の役に立つかもしれない人とまた連絡がとれるかもしれませんし……」


「なるほど」クーパーウッドは言った。「しかし、自分の交友関係をなくしてしまっては、少し難しいと思いますね。あなたが語ったような仕事で、望むものが取り戻せると本当に思っていますか?」


「わからないので、答えようがありません」トリファーは答えた。「そう願っています」


クーパーウッドの口調に不信というか少なくとも疑念を感じる、かすかに当惑させる響きは、ちょうどそのときトリファーを、ほんの少し前に感じていたよりもはるかに希望が薄らいだ気分にさせた。いずれにせよ、トリファーは勇ましく続けた。


「私はそれほど老いてませんし、必ずしも、脱落して復帰した多くの人たちよりだらしなかったわけでもありません。私の唯一の問題は、私に十分なお金がないことなんです。これまでにお金があったら、絶対にぶらぶらしなかったですよ。お金がないのが問題であって、他には何もないんです。今でも自分が完全に終わったとは思ってません。私は努力をやめたことはありません。いつだって明日がありますからね」


「いい心構えです」クーパーウッドは言った。「そうだといいですね。いずれにせよ、証券会社にあなたの居場所を確保するのは難しいことではないはずです」


トリファーは熱く希望を抱いて奮い立った。「そうだといいんですがね」トリファーは真剣に、ほとんど悲しみに暮れて言った。「それはきっと、私にとってどこかへ通じる出発点になりますから」


クーパーウッドは微笑んた。


「まあ、そのときは、何の問題もなくそれがあなたのために手配されると思います。しかし、ひとつだけ条件があります。それは、あなたはしばらくいかなるものにもかかわらずにいる、ということです。私がこんなことを言うのは、私が興味を持っていて、私のためにあなたに引き受けてほしい、社交に関係がある問題があるからなんです。それはあなたの現在の独身者の自由を制限するものではありませんが、少なくともしばらくの間は、あなたが先ほど私に言ったのと同じようなことをしながら、ただ一人の人物に特別な注意を払わねばならなくなる、つまりあなたよりも少し年上のかなり魅力的な女性に注意を払うことになるかもしれません」


クーパーウッドがこれを話したときトリファーは、おそらく財産を狙っているクーパーウッドの知人の裕福な年配の女性がいるにちがいなく、自分が世話役になるのだと思った。


「わかりました。それがどんなことであっても、私はあなたのお役に立てると思います、クーパーウッドさん」


ここで、クーパーウッドはゆったりと椅子にもたれかかり、両手の指を合わせながら、冷たい慎重な目でトリファーを見つめた。


「私が言うその女性とは、私の妻なんです、トリファーさん」クーパーウッドははっきりとぬけぬけと言ってのけた。「もう何年もの間、クーパーウッド夫人と私は……仲が悪いというわけではありません、それは真実ではありませんから……しかし、多少気持ちが離れてしまいましてね」


ここで、トリファーは万事心得たとばかりにうなずいたが、クーパーウッドは急いで話を続けた。


「私たちが永久にそうだとか、妻に不都合な何らかの法的証拠を得たいとか言うのではありませんよ。そういうことではありません。妻の人生は妻のものですから、好きなように自由に生きればいいのですよ、もちろん、限度はありますが。どんなスキャンダルも公になるのを容認するつもりはないし、どんなスキャンダルであれ妻を巻き込む奴は誰も許しません」


「わかりました」トリファーは言った。今はもう、この提案で自分が儲かるチャンスを得られるなら、しっかり掌握して慎重に見極める必要がある境界線を感じ取ろうとし始めていた。


「まだ完全ではないと思いますね」クーパーウッドは少し冷たく言い返した。「しかし完全にはっきりさせておきましょう。クーパーウッド夫人はとても美しい娘でした。私が出会った中でとびっきりの美人のひとりでした。中年ですが、まだとても魅力的です。こんなに落ち込んだり、ふさぎがちでなければ、自分をもっとずっと魅力的にできるのです。原因は私たちが急に変わってしまったからです……その責任はすべて私が受け入れ妻には一切ありません……ちゃんとわかってもらえるといいのですが……」


「わかります」トリファーは関心を示し敬意を払って言った。


「クーパーウッド夫人はずるずる悪化の一途をたどっています……付き合う相手もそうですが本人がたまったものではない……本人は正当化できるかもしれないが、現実には通用しません。妻が何を考えているにせよ、まだ若いすぎるし生きがいならいくらでもあるんです」


「ですが、私には奥さまの気持ちが理解できます」クーパーウッドの好きな利いた風な口をきいてトリファーは再び話をさえぎった。それは同情と理解を示していた。


「確かにありえることですね」クーパーウッドは冷淡に、かなりあてつけがましく言った。「私があなたにお願いしようとしている仕事はですね、もちろんそれに対しては私が資金提供するのですが、妻の人生を今よりももっと面白くて華やかにするために、何らかの方法で介入するというものです……表向きは私は知りません。もちろん妻もこの我々の会話については何も知りません。妻はあまりも孤独なんです。会う人がろくにいないうえに、ろくな連中じゃありません。私があなたをここに呼んだ目的は……もちろん、必要な金はあなたに提供しますし、いかなる行為も疑われてはなりませんが……妻の関心の幅を広げる方法を見つけられないか、妻のやり方や考え方に合うようなタイプの人で囲んでやれないか、確認するためです。ここで言っておきますが、私は妻に対しても自分に対しても、社交界との何かのつながりを求めているわけではありません。しかし、妻のためになり、ある意味では私のためにもなるような、妻が接点を持ってもいいと思える中間の世界がありますよね。もし私の言う意味がおわかりなら、多分、あなたならいくつか提案できるはずです」


そこで、トリファーはできる限り正確に、クーパーウッドの指摘に沿って、アイリーンのためになる人生の選択肢を概説し始めた。クーパーウッドは耳を傾けた。トリファーが状況を把握したことに満足した様子だった。


「もう一つあります、トリファーさん」クーパーウッドは続けた。「私が選ぶ証券会社でのあなたの業務は、私に指図されるものだと理解していただきたい。そのことは互いに納得づくでありたいですね」そして、クーパーウッドは椅子から立ち上がって、話が終わったことを示した。


「はい、クーパーウッドさん」トリファーは立ち上がって微笑みながら言った。


「よろしい。さて、すぐには再会できないかもしれませんが、指示がないままほったらかしにはされませんよ。あなた専用の引出金勘定を用意しておきます。以上です。ごきげんよう!」


そして、よそよそしい威厳が再び加わったこの挨拶は、今一度トリファーに自分とこの男の間に依然として存在する大きな隔たりをはっきりと印象づけるのに十分だった。




  第十四章



このすばらしい面接のおかげで、トリファーは極めて気分が爽快だった。クーパーウッドの事務所を後にして、トリファーは美しいクーパーウッドの邸宅を一目見ようと五番街沿いを北に歩いた。その印象的なイタリアの宮殿風の輪郭や装飾をじっくり見た後で向きを変え、冒険気分で辻馬車を呼び、五番街と二十七丁目にあるデルモニコへ行った。この地域はランチの時間帯になると、見物しに来たのかされに来たのか、ニューヨーク社交界きっての見栄っ張りや野心家や、演劇界、芸術界、法曹界でも最高の人たちで、にぎわった。レストランを出る前に有名な常連客の少なくとも六人と語らい、華麗な堂々たる態度で他の多く人たちの心に自分をはっきりと印象づけた。


一方、クーパーウッドは自分が取締役兼株主である〈セントラル信託〉に指示を出して、パーク・アベニュー近くの五十三番街のアルコーブに住むブルース・トリファーという人物に、そこの特別会計部門に関係する業務が考慮されていることと、彼が電話をよこし次第に指示を受け取ることになっていることを通知させた。その日のうちに実行された、週給二百ドルでひと月分前払いという取り決めは、まるで空中を歩いている気分になるほど、トリファーをわくわくさせた。さっそく、クーパーウッド夫妻のニューヨーク時代の歴史をできるだけさりげなく、新聞記者だけでなく、市内の自由奔放なバーやレストラン、ギルセイハウス、マルティニク、マールボロ、ブロードウェイと四十二丁目のメトロポリタンなど、当時のギャンブラーや酒飲みが集まる場所にいる様々な物知りに尋ねる作業にかかった。


あの俳優やこの俳優と一緒にいるとか、特定のレストラン、レース、その他の公のイベントでいろいろな人たちと一緒にいるアイリーンが目撃されていたことを知ると、トリファーはアイリーンが確実にいるこうした集まりに何とか潜り込むことにした。もちろん、ちゃんと正式な紹介があれば、それに越したことはなかった。


アイリーンの社交の付き添い役の問題を軌道に乗せて、クーパーウッドはようやくシカゴの資産の少なくとも一部を売却する手配をする業務に心置きなく専念できるようになった。それと同時に、コールが〈チャリングクロス鉄道〉代表との交渉を進展させるのを待っていた。現時点での主な目的は、自分が会うときに相手が合理的な提案をする気になっている状態にまで、相手を追い込むことだった。


だから、グリーヴズとヘンシャーが再度面会を求めているという情報をもってジャーキンズが現れても、大きな関心をまったく示さなかった。もし有利な提案を本当に持っていて、以前のようにただ言い合いをするだけでなく、今から十日以内に現れたら……


そこで、ジャーキンズはロンドンのパートナーのクローファインに電報を打ち、迅速な行動が必要だと強調した。二十四時間たたないうちにグリーヴズとヘンシャーは、ニューヨーク行きの船に乗っていた。到着してから数日間、二人はジャーキンズとランドルフと一緒に部屋にこもり、クーパーウッドに提示するつもりの資料に目を通した。そして、面会の手配が済むと、二人はクーパーウッド当人がこの会合を扇動した張本人だとも知らずに、同じくこの問題での自分たちの役割を知らないジャーキンズとランドルフに連れられて、最終的にクーパーウッドの前に現れた。


クーパーウッドも知ってのとおり、確かにグリーヴズとヘンシャーはイギリスでは大手の請負と土木の業者だった。シッペンスから知らされていたとおり、二人とも比較的裕福だった。また、新しい地下鉄のトンネルと駅を建設するために〈交通電化会社〉と交わした契約に加えて、二人は最近『議会承認』を完全に引き継ぐ追加のオプションに、さらに三万ポンドを支払い済みだった。


しかし、明らかにその〈交通電化会社〉は崖っぷちにいた。ライダー、ステイン卿、ジョンソンと彼らの友人の数名から成るこの会社は、法律や財務の知識がかなりあるのが長所だった。しかしこの中には資金の調達やこういう鉄道をうまく経営する方法について現実的な考えを持っている者が誰もおらず、自分たちで出資できる立場でもなかった。ステインはすでに二本の中央環状線〈ディストリクト鉄道〉と〈メトロポリタン鉄道〉に多額の投資をしていが、全然儲かっていなかった。今後は〈チャリングクロス鉄道〉から身を引き、建設する権利を確保するためにすでに支払われていた一万ポンドに加えて三万ポンドを支払う条件で、これをグリーヴズとヘンシャーに提供したがっていた。実際、今度はもっと大きな環状線計画を念頭に置いていたため、クーパーウッドは興味を持っていた。彼が見たところでは、これは別にして運営されればよかった。あるいはもっと良いのは、もし彼が〈ディストリクト鉄道〉と〈メトロポリタン鉄道〉の経営権を確保すれば、これを延長線としてこれらを合併させて、彼にとっては絶好の参入の楔にすればいいことだった。


それなのに、グリーヴズとヘンシャーが、ジャーキンズとランドルフにかつがれ支えられて事務所に入ってきたとき、クーパーウッドの態度には全然真心がこもっていなかった。グリーヴズは背が高くて、がっしりとした、血色のいい男で、自分は中流階級だと固く信じていた。ヘンシャーもまた背が高くて、痩せて青白く、紳士の雰囲気があった。クーパーウッドは相手に地図や書類を広げるのを許して、まるで初耳とばかりにすべての話をもう一度聞いてから、ほんの少し質問しただけだった。


「一つ、おうかがいしたいのですが、もしも私がこの構想に関心を持って、もっと詳しく調べてみたくなったとしたら、その調査にはどれくらい時間をもらえますか? 当然、あなた方が本当にお望みなのは、鉄道を建設する契約込みで、この計画の全権を売却することだと私は思っていますが、あってますよね?」


これには、グリーヴズもヘンシャーも見ていてわかるほど硬直した。何しろ、二人が望んだことはまったくそんなことではなかったからだ。今説明したように、彼らが本当に望んだことは、五十パーセントの権利を三万ポンドで売ることだった。残りの五十パーセントは建設契約と共に自分たちの手もとに残るはずだった。しかし彼らが愚直に述べたように、この株については、〈交通電化会社〉がすでに印刷したのに売却できなかった八百万ドル相当の百ドル株を市場でさばくために自分たちの影響力を行使するつもりであり、そのために自分たちの五十パーセントの一部を放棄していた。しかし、彼らが付け加えたように、クーパーウッドのような人物なら確実に儲かる方法で鉄道の資金調達と運営を助けることができた……肝心な点がこの鉄道の建設や運営ではなかったので、この提案にクーパーウッドは笑ってしまった。彼の夢は地下鉄網全体の支配だった。


「しかし、ここまでの話から判断すると、あなた方は親会社の鉄道建設で、相当な利益を期待してますね。それも十パーセントを大きく下回るものではないものを」クーパーウッドは言った。


「まあ、そうですね、普通の請負業者なみの利益は期待していますが、それ以上ではありません」グリーヴズは答えた。


「そうかもしれませんが」クーパーウッドは穏やかに言った。「もし私の理解が正しければ、あなた方はこの鉄道の建設で少なくとも五十万ドルの利益を上げることを期待していますね、しかもあなた方が仕事を請け負う会社のパートナーとしての報酬とはまったく別にです」


「ですが、うちの五十パーセントはイギリス資本を入れるつもりですよ」ヘンシャーは説明した。


「イギリス資本はどれくらいですか?」クーパーウッドは用心して尋ねた。もし自分がその鉄道の五十一パーセントを確保できるのなら考える価値はあるかもしれないと思っていた。


しかし、今気づいたのだが、そのことについて相手は少しあいまいだった。もしクーパーウッドが参入してコンソル公債の負担を引き継ぎ、建設自体が実現性を帯びたら、おそらく総費用の二十五パーセントは一般に販売できたかもしれない。


「しかし、そうすることは確かなんですか?」クーパーウッドはこの案にかなり興味を持ったので尋ねた。「自分の株を受けとってもいないのに、多額の資金を調達することを条件にして、会社を自分のものにするつもりなんですか?」


まあ、無理だ、彼らにそんなことはできない、厳密には。しかしできなければ、建設契約さえ維持することが認められれば、五十パーセント未満、たとでば三十でも三十五でも応じるかもしれない。


クーパーウッドはここでまた微笑んだ。


「面白いですな、みなさん」クーパーウッドは続けた。「土木業をすみずみまで理解しているように見えるあなた方が、資金調達をそれほど難しいものではないとお考えなのですから。もちろん、そんなことはありませんよ。あなた方が何年も勉強して、それから実際に仕事をして、いつもしているような契約を取る評判を得られる地位にたどり着かねばならなかったように、私も資本家として、まったく同じことをしてこなければならなかったんです。もちろん、あなた方だって、ものすごいお金持ちが進み出て、自分のポケットマネーでこれほど大掛かりな鉄道を建設して運営することに同意するとは期待できないでしょう。できるはずがないんです。リスクが大き過ぎますから。その人だって、あなた方がしようと計画していることをしなくてはならないんです。他の人たちに投資してもらうってことです。まずは自分の利益、次は自分が使っているお金の持ち主の利益、それがなかったら、どんな事業のためだろうと、人はお金を集めたりはしませんよ。そしてそのためには、自分が取り組むあらゆることに対して五十パーセントをはるかに上回る権利を持たねばなりません」


グリーヴズとヘンシャーは黙っていた。クーパーウッドは話し続けた。


「今、あなた方が私に求めているのは、私が資金を、いや、資金の大半を調達し、その一方で、その残りの資金をあなた方が調達できるようにするだけではなく、あなた方が鉄道を建設する儲けを出して、それから後で共同であなた方と運営することなんですよ。もしさっきのがあなた方の本当のお考えなら、私は興味がないので、当然、我々はこれ以上話す必要はありません。私がやってもいいことは、もし私に鉄道の全権を渡すのであれば、あなた方の三万ポンドのオプションを引き継ぐことですね。それとあなた方がすでに支払った一万ポンドと、建設の契約は残すかもしれませんが、それ以上はしません。この他に加えるなら、利息四パーセントのコンソル公債六万ポンドがありますから、その面倒は見なくてはなりませんね」


ジャーキンズとランドルフはこの時にはもう、自分たちは何だかこの問題の対応を誤ったと感じ始めていた。同じ時にグリーヴズとヘンシャーは、自分たちは利益を出していたかもしれない問題でやりすぎてしまったと感じながら、怪訝な顔をして互いに見つめ合った。


「わかりました」最後にグリーヴズが言った。「ご自分に都合がいい話ばかりですね、クーパーウッドさん。しかし、我々としてはあなたに、世界にはこれ以上健全な提案はない、とはっきり理解してほしいですね。ロンドンは地下鉄にとって理想的な場所ですよ。システムが統合されてませんから、こういう鉄道は絶対に必要なんです。いずれできるでしょう。そのための資金くらい見つかりますよ」


「かもしれませんね」クーパーウッドは言った。「でも私としては、もしもう一度状況を見直した後で、それでもなお、あなた方が自分では計画を進められないとわかって、私の計画を受け入れる気になったら、書面でそう言ってもいいですよ。私はそれから検討します。でも、もし私が関与を決めたら、私の条件で手仕舞えるオプションつきでなければなりませんからね。もちろん、あなた方の建設契約には口出しするつもりはありません。あなた方の仕様書が納得いくものだったら、それでかまいませんから」


クーパーウッドは会談が終わったのを示すかのように指で机をたたき、それから一呼吸おいて、考えられる提案がもう自分の前にはないのだから、自分の発言内容がいかなる形であろうと公にならなければ、それを好意と受け止めると付け加えた。それから、ジャーキンズに残るように合図した。他のメンバーがいなくなるや、彼の方を向いて言った。


「きみの困ったところはね、ジャーキンズ、せっかくチャンスが自分の手の中にあるのに完全につかみきれていないことだ。今日のざまを見たまえ! きみは二人の男を私のところに連れて来た。きみや他の連中の話によると、彼らはロンドンの重要な鉄道の仕事を管理している。もし正しく扱われれば、関係者全員にとってもっと大きなことに簡単につながったかもしれないんだ。なのに、彼らは私の仕事のやり方をまったく知らずにここにやって来た。きみはそれがどういうものか知ってるよね。私がすべてを管理するんだ。彼らが私のこの分野での経験と、こういう計画で私に何ができるかを明確に知っていたかどうか、未だに疑問だよ。彼らは、自分と自分の友人が支配するものの半分の権利を私に売れると思ってたんだぞ。いいかい、ジャーキンズ」ここで、クーパーウッドはジャーキンズの背筋を凍らせるほどキッとにらみつけた。「この問題できみが私のために働きたいのなら、この特定の提案に煩わされないでロンドンの地下鉄全体の状況を調べて、それに対してどんなことができるかを確認することを勧めるよ。そして、もう一つ、私と私の仕事に関するきみの個人的憶測はすべて口外しないでもらいたい。あの二人をここに連れてくる前にきみがロンドンへ行って、二人についてわかることをすべて確かめていたら、きみは私やあの二人の時間を無駄にしなかったんだ」


「わかりました」ジャーキンズは言った。太った四十男で、優れた服装の手本になるほどだったが、この時ばかりは緊張のせいで汗だくだった。だらんとした蝋のような男で、黒い物欲しそうな目の下には小さな尖った鼻が突き出ていて、さらにその下は柔らかな厚ぼったい口だった。自分を億万長者にするような何か投機的な大成功をいつも夢見ていた。劇場、ポロの試合、ドッグ・ショー、その他の社交行事の初日の夜を飾る有名人だった。ロンドンにもニューヨークと同じくらい大勢の友人がいた。


その結果、クーパーウッドは、彼は何か自分の役に立つかもしれないと感じた。しかし現時点では漠然としたヒントを投げてやる以上のことをする気にはならなかった。これでおそらく彼は慌ててグリーヴズとヘンシャーを追いかけて二人との関係を修復にかかり、あまつさえロンドンに渡るかもしれない……まあ、ジャーキンス以上に優秀な宣伝係はどこに行けば得られるだろう? 




  第十五章



そして事実、グリーヴズとヘンシャーがロンドンに向けて出発してからそう何日もたたないうちにジャーキンズも出港した。夢に見た億万長者につながるかもしれない大事業の一翼を担いつつあるという期待に胸を震わせていた。


そして、グリーヴズとヘンシャーと〈チャリングクロス鉄道〉に関連したこの予備的な動きは、クーパーウッドが期待したほどはっきりした形で終わらなかったようだが、続行する彼の決意を変えることはなかった。というのは、シッペンスにもたらされた情報があって、〈チャリングクロス鉄道〉がだめでも、どこかの地下鉄を支配しようと決めたからだった。自宅では会議だけでなく、何度もディナーがあった。このおかげでアイリーンは、一緒に過ごしたシカゴの最初の日々を最高に色鮮やかな幸せの思い出にしていた昔の生活に、夫が少なくとも少しは関心を持ったという印象を受けた。何かの不思議な運命のいたずらで、シカゴの敗北が夫を正気に戻してくれたのではないか、とアイリーンは思い始めていた。だから必ずしも楽しがる必要はなくても、夫は昔の外へ向かう関係をとることに決めたのだ。これはクーパーウッドにとっては小さな意味しかないが、アイリーンには今でもとても慰めになりえた。


しかし、クーパーウッドはますますベレニスの気質に惹かれている、というのが実情だった。ベレニスにはある種の遊び心と独創性に富んだ奇抜さがあり、それが彼女の詩的、狂想曲的でありながら現実的な雰囲気と合わさってクーパーウッドをよろこばせた。実際、ベレニスを研究していて全く飽きなかったし、ベレニスがシカゴにやってきた割りと早い時期から、彼女に対して精神的な興奮と同じものを経験して楽しむようになっていた。


ベレニスの空想の一つで、クーパーウッドに最も深い影響を与えた出来事が、つい最近シカゴであった。ある日の午後遅く、二人は以前二晩続けて食事をしたことがある旅館まで夕食に出かけた。しかし中に入る前に、ベレニスは彼を近くの森に案内した。雪が点々とある低いオークと松の一帯に、風刺画とも目立った似顔絵ともとれる彼に似た雪だるまがあった。ベレニスは早朝からひとりで出かけて行き、それを作ったのだ。目には明るい青灰色の石を二つ使って、口と鼻には大きさの違う小さな松ぼっくりを使った。わざわざ彼の帽子まで一つ持ち出して、雪だるまの頭の上におしゃれにかぶせてあった。そのおかげで余計にそっくりになった。木枯らしが木々の間をささやくように吹き抜け、血のように真っ赤な太陽の最後の光が差し込む夕暮れ時に、クーパーウッドはいきなりこの雪だるまに出くわして驚いた。


「いやぁ、ベヴィ! ずいぶん変わったことをしますね! いつの間に、こんなものを作ったんですか、妖精さん?」クーパーウッドはその漫画っぽさに笑った。というのは、ベレニスは片目をほんの少しだけ斜めにし、鼻は少し誇張してあったからだ。


「今朝よ。一人でここまで来て、すてきな雪だるまさんを作りました!」


「確かに、私にそっくりだ!」クーパーウッドは、びっくりして言った。「だけど、ベヴィ、どれくらいかかったんだい?」


「まあ、一時間ってとこかしら」ベレニスは後ろへさがって出来映えを確かめた。そして、クーパーウッドからステッキを取り上げて、小石でこしらえた雪だるまのポケットの一つに立てかけた。「さあ、これであなたの出来上がりです! 雪と松ぼっくりと石のボタンだけですけど!」ベレニスは体を伸ばして、その口にキスをした。


「ベヴィ! そういうことするのなら、こっちにおいで!」クーパーウッドは、ここには何か得体の知れないもの、妖精がいる、と感じながらベレニスを両腕で抱きしめた。「ベレニス、あなたには戸惑うことばかりだ。ここにいるのは本物の生身の女の子かい、それとも妖精か魔女ですか?」


「知らなかったの?」ベレニスは向き直って、クーパーウッドに向かって大きく指を広げた。「私は魔女だよ、お前なんか、雪と氷に変えてやるからな」ベレニスが不気味に迫って来た。


「ベレニス、頼むから! 馬鹿なことはやめてくれ! 時々、思うんだが、あなたは魔法をかけられた人なんだ。好きなだけ私に魔法をかけていいけど、いなくなるのだけはごめんだよ」クーパーウッドはキスして、両腕でしっかりと抱きしめた。


しかし、ベレニスは体を引き離して、雪だるまのところへ戻った。「さあ!」ベレニスは叫んだ。「あなたは死にました、すべて駄目になりました。結局、本物じゃないのよね、あなた。せっかく、そっくりに作ったのに。とても大きくて冷たくて、ここでとっても私を必要としてくれたのに。今度は、可哀想な雪だるまさんを壊さなくちゃいけない。もう私以外、誰にもわからなくなるように」そして突然、ベレニスはクーパーウッドのステッキで雪だるまを打ち砕いた。「ほおら、私があなたを作ったんだけど、今度は壊してますからね!」と言いながら、ベレニスは手袋をした指で雪を粉々にした。その間、クーパーウッドは不思議そうに彼女を見つめた。


「おい、おい、ベヴィ、何を言っているんだい? 作るのも、壊すのも、どちらもやればいい。でも私から離れないでくださいね。あなたは私を変わった場所に連れていき、新しい変わった気分にさせ、あなた自身の不思議な世界に連れて行ってくれるから、行くのが楽しみなんです。信じますか?」


「もちろんよ、あなた、もちろんですとも」今度は、まるで今までの出来事がなかったかのように、明るく、がらりと変わって、答えた。「そのつもりです。そうでなくてはなりませんもの」ベレニスは彼の腕の下に腕を滑りこませた。ベレニスは何かの催眠状態か、自分の幻想から抜け出たようだった。クーパーウッドはそれについて尋ねたいところだったが、そうすべきではないと感じた。とはいえ、これまで以上にこの瞬間、何ものにも邪魔されずに、近づき、見て、触れることができるし、以前は違ったのに、今は歩き、話をし、彼女と一緒にいることを許されている、と気づいたので、クーパーウッドをぞくぞくさせるものが彼女にはあった。これはまさに、この世のすべての善と喜びの本質だった。実際、クーパーウッドは絶対に彼女とは離れたくなかった。何しろクーパーウッドはこんなに変化に富み、これほど独特で、これほど論理的で実践的でありながら、同時に現実ばなれした、気まぐれな人にこれまで一度も出会ったことがなかったからだ。確かに芝居がかったところはあるが、彼が知り合った女性の中で最も機知に富み、華やかだった。


そして、純粋に官能的側面では最初から彼を驚かすだけでなく魅了する何かがあった。自分が男性によって、自失や完全な恍惚に浸らされることを許さなかった。彼女は、彼や他人の欲望を満足させるためのただのありふれた肉欲の道具ではなかった。それどころか、どんなに恋い焦がれて情熱があふれようが、いつも自分の魅力をはっきりと意識していた。顔にかかる赤みを帯びた金色の渦巻のような髪、扇動的で有無をも言わさなぬ魅力的な含みのある青い目、魅惑と謎を秘めた微笑みを浮かべる甘美な口。


最高に震えて果てていく彼女との恍惚のあとで彼は思うのだが、ベレニスのそれは決して単なる粗暴で野蛮な欲望ではなく、彼女自身の美に対する賛美と強烈な自覚と評価であり、巧みに示唆してその言い分を強く主張し、それによって彼がこれまでに知り得た何物とも違う効果を出していた。というのも、精神的にも官能的にも最も夢中になり、この関係が意味するものに対する彼女自身の風変わりな意識にはまりこんでしまったのは、ベレニスではなく彼自身だった。




  第十六章



アイリーンのことで目立った成果をあげるには、少なくとも少しは何らかの形でトリファーと協力する必要があると気づいたクーパーウッドは、数週間後にロンドン旅行を計画しているとアイリーンに伝えて、もしその気があれば同行してもいいと言ってみることにした。そしてこの結果をトリファーに知らせて、昔のように夫がかえりみないからといって自分を責めることがないようにアイリーンを楽しませることが期待されている、と明確に知らせるつもりだった。この時のクーパーウッドの気分は最高だった。二人の間には長い間、悲劇的な感情の断絶があったが、アイリーンの苦しみを和らげて、少なくとも見せかけの平和をもたらす形で、ついに問題を調節することになったと思った。


クーパーウッドの……血色がよく、自信に満ちた、穏やかで、折り襟にクチナシを飾り、グレーの帽子をかぶり、グレーの手袋をしてステッキを振っている……姿を見てアイリーンは、クーパーウッドが受けてもいいと自分が感じた以上に楽しく笑わないよう自分を抑えざるを得なかった。すぐにクーパーウッドは自分の問題を話し始めた。シカゴの宿敵の一人が最近死んだのを新聞で読んだかい? さあ、これで心配事がなくなった! 夕食は何を食べようか? もし手遅れでなかったら、エイドリアンにシタビラメのマルグリィでも準備してもらいたいな。しかし何だな、忙しいったらないな。ボストンとボルチモアに行ったと思ったら、すぐにシカゴにも行かなきゃならないんだ。しかし、このロンドンの問題だが……ずっと調査を続けているんだ。多分、すぐに現地に行くことになるだろう。どうだ、きみも行きたいかい? 当然、私は現地で大忙しになるんだが、でも、きみはパリにでもビアリッツにでも行けばいい。週末なら会えるかもしれないな。


すると、アイリーンはこの新しい展開に驚き、喜びに目を輝かせて、椅子から身を乗り出した。それから、我に返って、この夫との本当の関係を思い出し、また沈み込んだ。相手はごまかしが多すぎるから、アイリーンは何も信じられなかった。それでも、この招待は本当に自分と一緒に行きたがっている、と考えるのが一番いいとアイリーンは判断した。


「すてきね! 本当にあたしと行きたいの?」アイリーンは尋ねた。


「そうでなかったら、私がきみに尋ねたりするかな? もちろん、きみと行きたいよ。これは私の本気の一手なんだ。うまくいくかもしれないし、いかないかもしれない。とにかく」ここでいつもの淡々とした功利主義で嘘をついた……愛の急所を一突きにした……「きみは私の他の二つの冒険の始まりのときにも私と一緒にいたんだ。今回も参加すべきだと思うんだがね?」


「そうね、フランク、あなたがそう感じるんなら、あたしも参加したいわ。それってすばらしいことになるわね。あなたがいつ出かけることにしても、あたしの方は大丈夫よ。いつ出航するの……どんな船?」


「ジェーミソンに調べさせて、きみに知らせるよ」秘書に言及した。


アイリーンはドアに歩いて行って、夕食の注文を伝えるためにカーを呼んだ。アイリーン全体が急に生き生きとしていた。これは昔の生活が少しよみがえったようだった。そこでは彼女が仕切って手際良く采配を振っていた。それと旅行鞄を出してその状態を報告するようにもカーに言いつけた。


そして、クーパーウッドは温室で飼うために輸入した熱帯の鳥の健康状態を気遣って様子を見に行こうと誘った。アイリーンはすっかり上機嫌で夫の横を元気よく歩き、オリノコ川生まれの二羽の用心深いムクドリモドキを夫が観察して口笛を吹いてオスに澄んだ鳴き声を出させようとするのを見守っていた。クーパーウッドは急にアイリーンの方を向いて言った。


「きみも知っているだろうが、アイリーン、私はいつだってこの家を本当にすばらしい美術館にしようと計画してきた。買い物は続ける。最終的には最高レベルの個人コレクションになるはずだ。そして、やがて遅かれ早かれ私が死んだときに、ここが私の記念碑というだけでなく、こういうものの愛好家を喜ばせるものとして維持されるように、どうやってきみと話し合おうか最近ずっと考えていた。私は新しい遺言書を作成するつもりでいる。これは考えたいことの一つなんだ」


アイリーンはこのすべてに少し戸惑った。一体、どういう意味だろう? 


「私は、もうじき六十だ」クーパーウッドは静かにつづけた。「別にまだ死ぬことを考えているわけではないが、物事ははっきりさせておくべきと感じているのは確かだ。五人の遺言執行人のうちの三人は、フィラデルフィアのドーラン、コール、それとここの〈セントラル信託〉を指名するつもりだ。ドーランもコールも財務や実務を理解する人だから、彼らならきっと私の願いをかなえてくれると信じている。しかし、きみが生きている間はきみにこの家を使ってもらうつもりだから、ドーランとコールにもきみに協力してもらおうと考えている。そうすれば、きみが自分で家を一般に公開できるし、準備が整うのを確認もできるからね。この家は美しくあって欲しいし、私が死んだ後も美しいままであってほしいのだ」


アイリーンはここでさらに興奮した。夫の問題でどうして自分のことがこんなに真剣に考えられているのかアイリーンには想像することができなかったが、うれしくて満足だった。クーパーウッドが人生をもっと冷静な見方でとらえ始めていたからに違いなかった。


「ねえ、フランク」アイリーンはあまり感情的になり過ぎないように言った。「あたしがあなたに関わるすべてをいつもどう感じていたか、わかってるでしょ。あなたはもうそんな風に感じていないようだけど、あたしはあなたの他に実生活を送ったことがないし、送りたいとも思わないわ。でも、この家のことをあたしに任せるか、あたしを執行人の一人にすれば、あたしは何ひとつ変えないから安心できるわよ。あたしはあなたのようなセンスや知識を持ってるふりをしたことはなかったわ。でも、あなたの願いが常にあたしにとって大事だってことは、あなたが知ってるでしょ」


アイリーンが話す間、クーパーウッドは緑とオレンジ色のコンゴウインコを指で突っついていた。恥知らずな色使いにぴったりの不快な声の主は、クーパーウッドの真面目くさった様子をあざ笑うようだった。それでも、彼はアイリーンの言葉に感動し、手を伸ばして肩を軽く叩いた。


「そうだね、アイリーン。私たち二人が同じ立場から人生を見られるといいんだがね。でも、それができないから、私はできる妥協はすべてしたいんだ。だって、何があったとしても、あるいは何があろうと、きみはこれまでも、あるいは今も、私を気にかけているし、今後もそれを続けてくれそうだとわかっているからだ。そして、きみが信じようが信じまいが、そのことで何かお返しができるのなら、ぜひそうしたい。この家の問題と、これからきみに話す他の問題はその一部なんだ」


その後の夕食の席で、病院に大規模な研究施設を寄付するアイデアを語り、他の遺贈についても話をした。これがあるから、ニューヨークとこの家に頻繁に戻ることがどれほど必要かを指摘した。


そして、クーパーウッドはこういうときにアイリーンにその場にいてほしかった。もちろん、合間を縫ってアイリーンを海外旅行に連れ出すつもりでもあった。


そしてアイリーンがとても幸せで満足しているのを見て、クーパーウッドはアイリーンを承服させたやり方をひとりで喜んだ。もしこのまま続けられさえすれば、すべてはうまくいくだろう。





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