6、 結論
その日の夜、一時的に与えられた自室のベッドに横になりながらマリアは悩んでいた。服は少し大きかったがリンクティアに借りた寝間着に着替えている。
(リーナさんのところもルーカさんのところも素敵だったな。ラミーさんのあの編み方も凄かったし)
今日の工房見学はマリアの中で有意義なものとなっていた。
(でも⋯⋯)
だが半日ちょっとの短い触れ合いの中で、ルーナリアたちと離れ難く思い始めているのも事実だった。
(半日前の私だったら迷いなく3人のうちの誰かに弟子入りをすることを選んだだろうに)
マリアはおかしくなってクスリと笑った。いつも母親の機嫌ばかりを気にしていた数日前の自分には想像もつかないことだった。
「⋯⋯結局はどの道を選んでも何かしらの後悔はするんだろうな」
言葉にすればすんなりと自分の中に入ってきた。
(⋯⋯結局は私にとって何が1番大事かってことだよね)
マリアはその後しばらく考え続けたが、答えが出ぬままやがて眠りについてしまった。
◇◆◇
チュンチュンチュン
翌朝マリアは鳥のさえずる声で目を覚ました。
「⋯⋯朝?」
寝惚け眼で目をこすると、だんだんと記憶が蘇ってきた。
「⋯⋯そうだ、私⋯⋯」
すでに日は昇っていた。
マリアは昨夜着替えとして渡され、枕元に置いておいたメイド服を手に取ると着替え始めた。
「あっ、髪の毛どうしよう」
櫛の類はなく、仕方なく手櫛で梳いて整えた。最後に残った髪の毛を結んでいたリボンを片手に少し考えると、髪の上半分だけを掬い、ハーフアップにすると、頭の右側で結んで止めた。
身支度を終わらせると、マリアは足早に食堂に向かった。
「待たせてごめんなさい!」
食堂にはすでにこの屋敷の主である男を含め、6人全員が揃っていた。
「気にしなくて良い。慣れない枕ではよく眠れなかっただろう?」
男は優しく微笑んだ。
マリアは顔を赤らめながら空いていた席に座った。
「⋯⋯どうするのかマリアの結論を聞く前に朝食を済ませてしまおう」
マリアが驚いたことに男も一緒に食べるようで、7人分の食事が用意されていた。皿の中身は俺も同じだ。
「⋯⋯」
スープを口に運びながらマリアは焦っていた。
(どうしよう。結論なんて出てないよ)
マリアにとっては一瞬のような、それでいて永遠に続く気がするぐらい長いような朝食の時間が終わると、男はまっすぐにマリアを見た。
「⋯⋯結論を訊こうか。マリア、これからどうしたい?」
ドクン
マリアは自分の心臓が跳ねたのがわかった。
「私は⋯⋯」
皆黙ってマリアの答えを待った。
マリアの脳裏にこの1日にも満たない間にあったことが次から次へと浮かんだ。男に買われたことから始まり、お風呂に入った時のこと。渡されたメイド服を着た時のこと。奴隷から解放された時の騒動。昼食を食べながらルーナリアから聞いた皆の過去の話。そして工房見学をしたこと。
それは時間にすればほんの一瞬のことだった。だがその僅かな時間の間にマリアの答えは定まった。
「私は皆と一緒にこの屋敷で働きたい」
答えが出てしまえば簡単なことだった。
マリアの好きな料理だって、この料理人がいない屋敷では自由にできる。裁縫や編み物だって仕事にしなくても自分の時間にやろうと思えばできるのだ。いくら忙しくても、個人の時間はまったくないわけではないのだから。それにもしかしたらラミーには個人的に教わりに行けるかもしれない。
「⋯⋯それで良いのだな?」
だからマリアは再度の確認に明るく答えた。
「はい!」
固唾を飲み込んで見守っていた皆の瞳が輝いた。
「良かった~。マリアが出て行っちゃうのかと思った」
リンクティアはそう言ってテーブルに突っ伏した。
「⋯⋯ティア、お行儀が悪い」
そう窘めるエナーシャの声は普段と変わらなかった。だが唇の端が僅かに上がっていた。
「⋯⋯マリア、後悔しても遅いからね」
リーミアは意味あり気な笑みを浮かべていた。
「⋯⋯リー、なんで脅しているのかしら?」
「脅してなんていないってば」
ルーナリアも頬が緩むのを隠しきれていなかった。だがその中でも1番喜んでいたのは——。
「やった~! これで仕事が減る!」
メイドたちの中でも最年長のラーナだった。
「ラ、ラーナさん?」
その喜びようにマリアは若干引いていた。
コホン
咳払いが響いた瞬間、全員黙って背を正した。
「皆、喜ぶのは良いが程々にな」
その言葉に皆の視線がラーナに集まり、ラーナは黙って俯いた。
「さてマリア。昨日うちのメイドは色々と特殊だと言ったのは覚えているか?」
「? うん」
なぜ今その話が出たのかわからなかった。
(特殊って、料理とか庭仕事とかも仕事に入っているってことでしょう?)
皆のマリアを見る目は先ほど滅茶苦茶喜んでいた1名を除いて同情的だった。
「⋯⋯その話をする前にまず名乗っておこう。私はラリー・エルダー。男爵をしている」
「えっ? 男爵?」
男爵家の屋敷にしてはこの屋敷は立派すぎた。
「そうだ。私はこれでも王家の遠縁でな。とは言っても、8代ほど前の当主の妻が当時の国王の五女だったという、何ともまぁ、微妙な関係なんだがな。だがその関係でうちは代々表向きは王族付きの侍女や侍従として仕えている」
「表向きは?」
妙な言い回しだった。
「⋯⋯そうだ。エルダー男爵家の真の顔は王家直属の諜報部隊だ。構成員はうちの近しい親戚関係者と、別邸のメイドと執事だな」
「⋯⋯もしかして」
マリアの頭をとある考えがよぎった。
「⋯⋯この屋敷が別邸?」
エルダー男爵は大きく頷いた。
「その通りだ。本邸はここよりもこじんまりしているがね」
よく考えればおかしな話だった。これほど大きな屋敷を持つ貴族の家族がいないはずがなかった。だがこの屋敷に存在するのはエルダー男爵の部屋と使用人——メイドたちの部屋だけだった。
「⋯⋯えっと、それはつまり?」
マリアはもうその先を聞くことが怖かったが、訊かずにはいられなかった。
「⋯⋯つまりだな。マリア、お前も今日から立派な諜報員だ。よく訓練に励め」
言葉の最後の方はどこか投げやりだった。
「⋯⋯」
マリアの隣に座っていたルーナリアはそっとマリアの肩に手を置いた。
「⋯⋯誰もが通る道よ」
そんな言葉は何の慰めにもならなかった。
「さ⋯⋯」
「「「「「「さ?」」」」」」
「詐欺だ~‼」
思わずそう叫んだのも無理がないだろう。
それから1年が経つ頃には、マリアは諜報員として働き始めていた。とは言ってもまだまだ見習いとしてだが。
(なんか色々あったけど、この生活も悪くないな)
ある日屋敷の窓を拭きながらふとそんなことを思った。
今は屋敷の中の仕事が主で、時折王都屋敷の外に出ては市井の声を集めるのが仕事だった。まだ危ないからと、潜入調査のようなものはさせてもらえていない。
勿論あの日マリアが願った通り、個人の時間は十分すぎるほどもらっていた。
(リンリー様の訓練は厳しいけど、何だかんだで楽しかったし⋯⋯)
エルダー男爵夫人であり、この諜報部の長であるリンリー・エルダーは月に何回かこの屋敷を訪れては諜報員たる者、一定以上の戦闘能力は必須だと言ってマリアたちに戦闘訓練を施していた。その訓練で合格をもらえなければ本格的な仕事はさせてもらえない。ルーナリア曰く、その合格基準値はBランク冒険者に無手で易々と勝てるレベルらしい。
「マリア~! 新しい子が来るって!」
「わかった! 今行く!」
リンクティアに叫び返しながら掃除道具を手早く片付けると、屋敷の主とまだ見ぬ少女を迎えるため玄関へと向かった。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。m(_ _)m