5、 工房見学2件目~4件目
2件目は《妖精の森》という工房だった。
「⋯⋯被服系の工房ってどこも~の森って名前なの?」
「そういった決まりはないけど、確かにこの手の工房が植物系の名前が多いのは確かね」
森という名がついた工房が2件続いたのはただの偶然だとルーナリアは笑った。
「そうなんだ」
中は《蒼き森》の内部よりも一回り狭かった。
「⋯⋯ここは専門が裁縫とはちょっと違うのよ」
「えっ?」
マリアがそう聞き返すのと奥から人が出てくるのはほとんど同じだった。
「ルーナリアさん、あなたが来られるなんて珍しいですね」
出てきたのは30代半ばの細身の男だった。
「そうかしら? 今日はこの子に工房の見学をさせたいのよ」
「⋯⋯新しい子ですか?」
「ええ」
マリアは一歩前に出ると頭を下げた。
「初めまして、マリアです」
「僕はルーカだ。よろしくね、マリアちゃん」
ルーカはそのまま2人を奥へ導いた。
「わぁ」
そこに広がっていたのは色とりどりの布⋯⋯ではなく、沢山の糸だった。
「うちはレースの受注生産をしているんだ」
そう言ってルーカがマリアに見せたのは細かなレース編みだった。その編み目は恐ろしく細かく、近くでよく見なければわからないほどだった。
「⋯⋯凄い」
マリアは思わず声を漏らした。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
ルーカはニッコリ微笑んだ。
職人たちが次々と糸をレースに変えていくさまは、マリアにとってまるで魔法のようで、見ていて飽きがこなかった。
ルーナリアは楽しそうなマリアを見て、ここへ連れてきて良かったと、内心胸を撫で下ろしていた。
「貴族の婦人の中には嗜みとしてレース編みをしている方もいるけど、そういった方々もうちの職人には敵わないっていう人も多いんだ。それがうちの自慢かな」
マリアはルーカに礼を言うと工房を出た。
「マリア、楽しかった?」
次の工房に向かいながらルーナリアはそう訊いてみた。
「うん、とっても!」
マリアは満面の笑みで答えた。
「そう、良かったわ。今日は同じ系統で変わり種の工房もあるのよ」
「えっ?どんなとこ?次行くとこ?」
ルーナリアは苦笑いした。
「行くのは最後。どんなところかは⋯⋯行ってからのお楽しみね」
「え~」
マリアは不満顔だった。
「でも楽しみは後に取っといた方が楽しいでしょう?」
ルーナリアにそう諭され、マリアはいったいどんなところなのかと想像を膨らませ始めた。
(同じ系統ってことは編み物系? でも変わり種って何? ムキムキのおじさんばっかとか? そう言えばルーカさんのところは男の人はルーカさんしかいなかったけど⋯⋯って違う。今はそんなことは関係ない!)
だんだんと思考はおかしな方向へと反れていき、結局3件目の工房、《森妖精の里》に着く前までに考えは纏まらなかった。
この工房がどういったところかと言えば《蒼き森》の縮小版というのが1番近い。
「うちは末端の貴族が来ることもあるけど、貴族相手というよりも、金持ちの商人とか、平民の中の富裕層相手が主だね。だからあまり装飾的な服は作っていない」
そう説明したのはこの工房の長、マーサだった。
その言葉の通り部屋に並んでいるトルソーに着せかけられている服は無駄な装飾を省いた、機能美が追求されたものが大半だった。せいぜい裾に簡単な刺繍が入っているぐらい。
マリアもそれには特に心を動かされるようなことはなかった。
「⋯⋯なんて言うか拍子抜けだった」
次なる工房に向かう道すがら、マリアはそう漏らした。
「あら、どうして?」
「だって、ねぇ⋯⋯」
マリアは言い辛そうに視線を逸らした。
「⋯⋯何を作るにしてもさっきのリーナさんのとこの方が上手だったんだもん」
「アハハ、それを言っちゃマーサが可哀そうよ」
マリアは目を瞬いた。
「? どうしたの?」
ルーナリアは不思議そうにマリアを見た。
「⋯⋯ルナさんって、ウフフとかもっと上品そうに笑うイメージだったから」
「そう? そんなことないと思うわよ」
マリアはルーナリアとそんな話をしていると、少しだけ心の距離が縮まったような、そんな気がして心が暖かくなった。
工房巡り最後の4件目。ルーナリアが変わり種と言った工房の名は《イーナリオヤ》。名前からしてすでに異質だった。
「⋯⋯どういう意味?」
「さあ、私も知らないわ。だけどどっかの国の言葉が関係してるらしいけど」
「へぇ~」
今までの工房の建物は全て石で造られていたが、この工房だけはなぜか高価な煉瓦で造られており、左右の建物ともまた違った空気を放っている。端的に言えば入り辛い。
建物の大きさ自体は今日訪れた工房の中でもこじんまりとしていた。
「⋯⋯私、入りたくないんだけど」
「安心して。中は比較的普通だから」
「比較的って何⁉ 比較的って!」
マリアは半分ルーナリアに押されるように中に入った。
「⋯⋯」
すぐにはマリアの口から何も感想が出てこなかった。
「⋯⋯これが比較的普通?」
内装は一言で言えば異国情緒溢れるものだった。床には入り口付近を除き綺麗な敷き布が引かれ、壁にはカラフルなタペストリーが掛けられている。ただしルーナリアの比較的普通という言葉通り、その2つを取っ払えば他の工房の造りとよく似ていた。
ルーナリアが当然のことのように履いていたブーツを脱いだのを見て、マリアも慌てて脱いだ。
「ラミーはいる~!」
入口の脇大きめの靴箱にブーツを仕舞うと、ルーナリアは大声を張り上げた。
「そんな大声を出さなくても聞こえてるよ」
出てきたのは30代後半ぐらいの黒目黒髪の女性だった。この国の者ではないらしく、全体的に顔の彫りが浅い。平均よりも若干ふくよかな身体を見慣れないどこかの民族衣装であろう服に包んでいた。
ゆったりとしたこげ茶の丈の長いガウンを着ているのだが、ウエストを蒼い飾り紐で絞っている。裾の方には大きくスリットが入っており、下に着ている黒いズボンが僅かに見える。そして何よりもその襟元、袖口、裾。全てに複雑な紋様の刺繍が銀色の糸で入っていた。頭には同じ色の厚手の布で作られたベールを着けており、そこにも細かな刺繍がされ、淵には何やら植物を模した飾りが付いている。
「⋯⋯凄い」
思わず口から言葉が漏れた。
一般庶民のマリアからしたら普段からこのような布をふんだんに使った服を着ているなど、贅沢という他なかった。
「⋯⋯褒め言葉として受け取っておくよ」
ラミーはマリアの言葉の裏に込められたそういった意味までも正確に汲み取った。
「それでルーナリア、そんな小さな子を連れてどうしたんだい?」
「ほら、前に希望する子がいたらあなたの工房に弟子入りさせて欲しいってお願いしたじゃない?」
「⋯⋯ああ、そんなことも言われたね。それでその子が希望者かい?」
ラミーは完全に忘れていたらしく、妙な間が開いた。
「ええ。とは言っても今は候補の工房をいくつか見学して回っている段階なんだけどね」
「そうかい。それで奥も見ていくんだろう?」
「勿論よ。折角だし色々見せてあげて」
自己紹介も何もせぬままラミーは2人を奥の部屋へと招いた。
「⋯⋯うちは工房って言ったって、私1人でやってるんだ。そろそろ歳も歳だし後継者が欲しかったんだ」
「この工房ではラミーの生まれ故郷の伝統的なレース編みの飾りを作っているのよ」
ルーナリアは補足の説明を加えた。
「⋯⋯この国でも使われている道具を使った編み方もあるけど、メインはこれを使ったものさね」
そう言ってラミーがマリアに見せたのは銀色に輝く金属——縫い針だった。
「えっ?」
マリアは思考が追いつかなかった。
「⋯⋯縫い針?」
呟いた言葉にラミーは満足そうに頷いた。
「その通りだよ。私の国ではこれを使って編み物をする」
「えっ? でもこれ裁縫道具⋯⋯」
なぜ裁縫道具がレース編みの道具になるのかマリアには意味不明だった。
ラミーはニヤリと笑った。
「黙って見てな」
ラミーは小さな白い布を取り出すと、青い糸を通した針を隅に刺した。そして糸を針に2回巻き付けると結び目を作った。そしてさらにそのすぐ左隣に刺すと、今度は1回だけ糸を巻き付け結び目を作る。
それを何回か繰り返すと、今度は1番右端の結び目と結び目の間に渡っている糸、その中に針を通し同じように結び目を作る。そうしたら次はその隣へと。
その要領でどんどん繰り返していき、最後には見事な三角形ができていた。
「こんな感じに編んでいくんだ」
「⋯⋯でもこれって布の淵にしかできないよね?」
ラミーは苦笑すると部屋の隅の戸棚から小さな花飾りを持ってきた。
「これは今の編み方の応用で作ったんだ」
「えっ?」
どこにも布など見えない。マリアは困惑した。
「これはね、編み始める時に紐を土台にするのさ。最後に紐を抜くとこの通りだ」
「へぇ~」
マリアは伝統芸の奥深さに魅せられていた。