4、 屋敷の案内と工房見学1件目
この話と次話、かなり趣味に走っています。その割には適当ですが⋯⋯。
案内された場所はどこも質素だった。厨房から始まり、客室に寝室、温室、浴場に執務室、応接室。そして各使用人の部屋。部屋の数こそ多いが覚えるのは簡単だった。
ルーナリアは空き部屋を見せたが、使用人の部屋は最低限の家具以外は何もなく、他の部屋に比べさらにシンプルだが、ある程度広々としていた。
そのようなことよりもマリアを驚かせたのは、屋敷の中には5人のメイドたちと主人である男の他に人が存在していないことだった。
「⋯⋯ねぇ、なんでこんなに人がいないの?」
「理由があるのよ」
質問してもルーナリアはそう答えるだけだった。
屋敷を一巡りすると、2人は再び食堂に戻ってきた。
「⋯⋯屋敷を一通り見終わった後で私たちの仕事の説明をするわね。見ての通り屋敷には私たち以外に人がいないわ。だから他の屋敷に比べて仕事が多いわ。料理も庭仕事も全て私たちの手でやらなければいけないからね」
「じゃあなんで料理人や庭師を雇わないの?」
これだけ大きな屋敷を持っている人物が、そのような費用をケチるほどお金に困っているとは思えなかった。
「⋯⋯さっきも言ったでしょ? 理由があるって。後で説明するわ。仕事内容は家事全般と屋敷の維持管理だと思ってもらえれば良いわ」
ルーナリアはそれだけ言うとポケットから1枚の紙を取り出し、広げた。
「メイドの仕事だけじゃなくって弟子入りできる工房についても説明しましょうか。これが工房のリストよ」
そこには工房の種類別に百数十もの工房の名が並んでいた。中には取る弟子を選ぶような有名工房もいくつか混じっていた。
「マリアは何か興味があることはある?」
「興味のあること⋯⋯料理と裁縫が少し」
「料理と裁縫か⋯⋯。あいにく料理人を募集しているところはないのよね。服を作っている工房は何か所かあるけど、見学に行ってみる?」
「うん!」
ルーナリアの提案に、マリアは大きく頷いた。
マリアはそのまま見学に行くのかと思っていたが、流石に今の格好は目立つらしく、エプロンとヘッドドレスを外すように言われた。
「⋯⋯これでもまだ目立つけど、マリアのサイズの服はないのよ。でもまあ目的地を考えれば許容範囲よ」
ルーナリアはいつの間にか私服らしい茶色の地味なワンピースに着替えていた。
「あの屋敷、個人の私服以外は服はメイド服しかないのよ? おかしいでしょう?」
「⋯⋯人の趣味は色々だから」
マリアはメイド服は男の趣味だと信じて疑わなかった。
1件目は《蒼き森》という貴族街に限りなく近い工房区の店。木製の看板には大木の絵が描かれている。
「すいません」
ルーナリアが声をかけると30代後半から40代前半の女性が奥から出てきた。
「これはこれはルーナリア様。本日はどのようなご用件で?」
身につけたエプロンには糸くずがいくつもついており、先ほどまで奥で作業をしていたことが窺える。
「うちのメイド服はすべてここで作ってもらっているのよ」
マリアにだけ聞こえる声量でそう囁いた。
「⋯⋯今日は注文に来たわけじゃないの。この子が工房見学をしたいらしくって」
ルーナリアはマリアの背を軽く押して、挨拶するよう促した。
「初めまして、マリアです」
丁寧に見えるよう細心の注意を払って頭を下げた。
「あらあら、ご丁寧に。私はこの工房《蒼き森》の工房長、リーナよ。よろしくね」
リーナはわざわざしゃがんでマリアと目線を揃えてくれた。
「工房見学なら奥も見るのよね?」
「当たり前じゃない。見なければ意味がないでしょう?」
「それもそうね」
お互いに笑いあうその姿には信頼関係があることが見て取れて、マリアには羨ましかった。
案内された奥の部屋には10人ほどの人がいた。作業台の上には色とりどりの布が並べられている。
「わぁ」
マリアは思わず声を漏らした。
「マリアちゃんは裁縫が得意なの?」
リーナは瞳をキラキラ輝かせるマリアを眩しそうに見つめた。
「⋯⋯得意ってわけじゃない。下手でもないと思うけど。あっ、裁縫は好きだよ」
リーナはその答えに満足した。
「そうかい。そう訊いて安心したよ」
マリアはキョトンとした顔でリーナを見上げた。
「⋯⋯裁縫は得意と思っている者よりも好きな者の方が成長が早いからね」
「えっ? なんで?」
リーナは優しく微笑んだ。
「技術職は繰り返しの練習が大事なの。好きだと思っている者ほど一生懸命練習を繰り返すもの。誰だって厭々やるよりは好きでやる方が良いでしょう?」
「⋯⋯そっか」
「それにね。得意だと言っている者より得意ではないと言っている者の方が何か一芸に秀でていることもよくあることよ」
かと言って不器用な人間はうちの場合はお断りしているけどと、リーナは笑った。
「試しに何か作ってみる?」
「良いの⁉」
リーナの提案にマリアは目を輝かせた。
「と言っても時間がないから簡単なものだけだけどね」
どうせまだ他の工房も回るんだろうと、ルーナリアに確認をとった。
「ええ。まだ後3件残っているわ」
「⋯⋯それじゃあ本当に時間がないわね。ハンカチに簡単な刺繍でも入れようか? 何か好きなモチーフはある?」
「モチーフ⋯⋯私蔓薔薇が良い」
「そう。じゃあマリアちゃんの目の色に合わせて青薔薇にしましょうか」
リーナは白い無地のハンカチを取り出すと、自分の裁縫道具を引き寄せた。
「これを自由に使って良いわ」
中には色とりどりの色と鋏と針、三角チャコ、そして巻尺が収まっていた。
「ありがとう」
マリアはお礼を言うと早速チャコで下絵を描き始めた。
「⋯⋯見本もなしになかなか上手ね」
リーナは感心したように呟いた。
「そんなことないよ。私なんて下手くそだもん」
それは謙遜でもなんでもなく、純粋に思っていることだった。
「⋯⋯そんなことないわ」
だからこそリーナの言葉はただ煽てているようにしか聞こえなかった。
10分ほどでハンカチの淵を1周する下書きが終わると、マリアは緑の糸を針に通した。
「あら、葉っぱから刺繍していくの?」
「うん。その方がやりやすいから」
マリアは慣れた様子で蔓と葉、両方を20分もかからないうちに刺繍してしまった。
「⋯⋯速いわね」
マリアは静かに首を横に振った。
「そんなことない。だってお母さんにはいつも遅いって言われていたもん」
その瞳の奥には僅かな悲しみが確かにあった。
「⋯⋯そんなことないわ。丁寧で仕上がりも綺麗だし」
「⋯⋯ありがとう」
だがその言葉はマリアの心までは届かなかった。
(⋯⋯褒められて喜ばないなんて。いったいどんな親に育てられたのかしら)
それがわかってしまったからリーナはマリアを直視できなかった。
僅かに残った緑の糸を針から引き抜くと、マリアは代わりに秘色色の糸を通した。
「? そんな色を使ってどうするの?」
マリアは答えずに花弁の下の方を中心に刺していった。
つぎに天色の糸で花弁全体に刺し、最後に仕上げに白藍を花弁の淵と花弁の中に僅かに残しておいた場所に刺せば、そこには陰影がついた立体感溢れる薔薇の花があった。一部糸が重なっていることで、微妙な濃淡の変化まで表現している。
「「⋯⋯凄い」」
見ていた2人は思わずそう呟いたが、マリアはどこか不満気だった。
(ん~、この色かな)
取り出したのは若竹色の糸。それを刺していくことによって葉にも僅かな陰影がついた。
「できた」
仕上がったハンカチを見るマリアの目は満足気だった。
「素晴らしいわ。それを店に並べて売り出したいぐらいよ」
リーナのその言葉は心からのものだった。
「そんな⋯⋯。私なんてまだまだ」
そしてマリアのこの言葉も紛れもない本心だった。
「⋯⋯そんなことないのに」
リーナの目はどこか悲し気だった。
このハンカチはリーナがマリアを必死に説得し、後日製作者の名は伏せて工房で売りに出された。
売り出されたその日、一部の貴族が金に糸目を付けずに競り合いをし、原価大銀貨1枚にも満たないこのハンカチは最終的には大金貨10枚という、原価の1000倍ほどでとある公爵家令嬢に落札された。マリアがそれを知るのはそれからさらに1月以上も後のこと。