3、 2つの選択肢と皆の過去
「「「「「何をなさっているのです!?」」」」」
目の前に広がる光景は少なくとも誤解を生むには十分だった。
ルーナリアはマリアを庇い、他の者たちは迷わず男に殴る蹴るの暴行を加えた。自分たちの上司だというのに容赦が一切ない。
「⋯⋯や、やめろ。ご、誤解だ」
男がなんとかそう口にするまでには数分の時間を要した。
「何が誤解だと仰るのです」
男を見下ろす皆の視線は、それだけで男を殺せそうなほど冷たかった。
「私は首輪を外しただけだ!」
その言葉の通り、男の手の中には銀色に鈍く光る首輪があった。
「⋯⋯どうせ何の説明もせずに外そうとしたんですね? それも首輪の力で行動を縛って。なんで説明の1つもできないんです?」
誤解が解けても男は罵られ続けた。
「⋯⋯サイテ~」
エナーシャがボソッと呟いたその言葉が止めだった。
男は暴行を受けたダメージと、言葉による精神的なダメージにより意識を失った。
「さあ今のうちに」
そしてメイドたちは何事もなかったかのようにルーナリアだけを残して部屋を出ていき、ルーナリアはマリアの乱れた襟元を整え直した。
男が意識を取り戻したのは、それから10分後のことだった。
「⋯⋯ルーナリア、退しゅ「ダメです」して⋯⋯なぜだ?」
ルーナリアはニッコリと微笑んだ。
「だって碌に説明もなさらない気がするんですもの」
「⋯⋯」
男はそれ以上何も言わなかった。
「さて、誤解も解けたところで説明をしようか」
「⋯⋯」
マリアは黙って男を睨みつけた。
「⋯⋯なぜ睨まれる」
わけがわからないと男は呟いた。
「それは謝罪を一言もなさっていないからです」
ルーナリアは当然のことだと言った。
「⋯⋯その、説明すらもしなくてすまなかった」
どこか気まずそうに口にした言葉は、マリアにはどこか不器用で、だが誠実的なもののように思えた。少なくともこの中で1番偉い者にはとても見えなかった。
「⋯⋯気にしていないから良い」
マリアは静かに首を横に振った。
「⋯⋯良かったですね。マリアが優しくて。普通だったらもっと根に持たれますよ」
ルーナリアもようやく表情を和らげた。その顔には苦笑が浮かんでいる。
「⋯⋯そうだな」
そのやり取りはマリアの目に主従というよりは親子のように映った。
「⋯⋯それでは説明に戻る。マリアは奴隷の首輪を外す意味を知っているか?」
「⋯⋯うん。えっと確か⋯⋯解放」
少し自信がなさげに呟いた言葉に、男は満足気に頷いた。
「その通りだ。奴隷から解放した上で問う。どうしたい?」
「どう?」
話が見えなかった。
ルーナリアは大きな溜息を吐いた。
「話が飛びすぎです。きちんと順を追って説明をなさってください」
今の説明で理解できるものがいたら見てみたいと、ルーナリアは続けた。
「すまんすまん。⋯⋯私は独自に不当に奴隷にされている者を解放している。他にもそう言ったものは何人かいるんだがな。私の担当は未成年の少女だ。その歳の子どもばかり買い漁っていたらいつの間にか奴隷商たちからはロリコン貴族と呼ばれているがな」
「ロリコン⋯⋯」
マリアは思わず後ろに下がった。
「ああ、引かないでくれ。私にそういった性癖は一切ない」
「⋯⋯私は先ほどついにその手の性癖に目覚めたのかと思いましたが?」
「だからあれは誤解だっただろう?」
こんなやり取りがあるのも、主従関係が良いためなのだろう。
マリアはおずおずと2人の近くに戻ってきた。
「⋯⋯話を戻そう。解放した者には毎回この問いかけをしている。すなわち帰る家があるなら帰りたいか。あっても帰りたくないか。それとも帰りたくても帰る家がもう存在しないか。マリア、お前はどれだ?」
マリアは自分の場合を考えてみた。
(帰る家は⋯⋯あるって言っても良いのかな?でも帰りたいかって言われたら⋯⋯)
その答えは否だった。
「私、お母さんと喧嘩したの。だから帰る家があるのかなんてわからない。もしあったとしても帰りたくなんてない」
「「⋯⋯喧嘩?」」
2人揃って口をポカンと開けた。
「うん。私はもうお母さんの娘じゃないんだって言われて家を追い出されちゃった」
マリアは努めて明るく笑おうとした。だが上手くはいかず、目が潤んだ。
「⋯⋯原因はなんだ?」
男にはマリアが無理をしていることがよくわかった。
「原因? 原因は⋯⋯夕飯のおかずを何にするか」
マリアは恥ずかしそうにそう言った。
「「⋯⋯は?」」
2人にはなぜ夕飯のおかずごときで家を追い出されるのか理解不能だった。
「⋯⋯でもね、それもただの後付けの理由。口実ってやつだと思う。だってここ最近私が邪魔者だって思っていたの、お母さんは気づいていないって思っていたみたいだけど私、ちゃんと気づいていたもん」
マリアの目からは涙が後から後から溢れてきた。
「「⋯⋯」」
2人はマリアにかける言葉が見つからなかった。
「⋯⋯お父さんはね、5年前の戦争で亡くなっちゃったの。私は顔も覚えていないんだけどね。それからお母さんが一生懸命働いているのも知っていた。最近恋人? って人ができたことも。お母さんが夜中に私がいなかったらって呟いていたことも全部知っていた! でも! ⋯⋯でも!」
言葉をぶつけるべき相手は他にいることはわかっていた。それでも叫ばずにはいられなかった。
「いくら何でも実の子どもを身一つで捨てることなんてないじゃない! ⋯⋯仮にも⋯⋯ヒック⋯⋯仮にも親なら⋯⋯ヒック⋯⋯」
それ以上先は言葉にならなかった。マリアは泣き続けた。歳相応の子どものように。今まで必死に強がっていた分だけ涙が溢れた。
「「⋯⋯」」
男は黙ってマリアを見ていた。
ルーナリアもただ無言でマリアの身体を抱き締め、背中を優しく撫でてやった。
結局マリアが泣き止んだのはそれから30分も後のことだった。
「ご、ごめんなさい。泣いちゃって⋯⋯」
マリアの目は真っ赤に腫れていた。それでもその顔はどこか憑物が落ちたように晴れ晴れとしていた。
「⋯⋯いや、気にするな」
男はもし自分がマリアの立場だったら、とっくに泣き叫んでいただろうと感じた。それだけマリアの精神的強さというものがよくわかった。
「⋯⋯家には帰らない。それで良いんだな?」
「うん」
男はそんなマリアに純粋な称賛を送りたいと思った。言葉にはしない。だが行動でそれを表そうと。
「わかった。お前には2つ選択肢がある。私の紹介する工房で住み込みの弟子として働くか、それともうちでこのままメイドとして働くか。⋯⋯よく考えて決めろ。期限は明日の朝までだ」
「明日⋯⋯」
「工房主の人柄は保証する。それに⋯⋯」
男は意味深に笑った。
「それにうちのメイドは色々と特殊だからな」
執務室を出るとマリアは食堂に連れていかれた。
「お腹が空いているでしょう? ちょっと早いけどお昼を用意しておいたわ」
言われて初めてマリアは自分がお腹が空いていることに気づいた。
食堂のテーブルの上にはパンとスープだけの質素だが一通り食事の準備がされていた。
「好きなだけ食べて良いわ。しばらくまともに食事なんてしていないでしょう?」
ルーナリアも隣に座り、パンを食べ始めた。
「⋯⋯私もそうだったからよくわかるわ」
「っ⁉ ルナさんも?」
マリアもルーナリアが手を伸ばしたことで安心して食べ始めた。
「⋯⋯ええ。私はね、昔は冒険者をしていたの」
「⋯⋯冒険者?」
今のルーナリアからは想像もつかなかった。とても武器なんて持ったことがあるようになんて見えない、華奢な身体をしている。
「そうよ。私これでもCランク冒険者だったんだから」
Cランクと言えば一流と言っても差し支えないランクだ。
「⋯⋯とてもそうは見えない」
ルーナリアはクスリと笑った。
「よく言われるわ。それが14歳の頃の話。⋯⋯自分のでいうのもあれだけど、私って可愛らしいでしょう?」
マリアは黙って頷いた。
ルーナリアの顔は整っていると言っても良いぐらいだった。
「⋯⋯馬鹿なことを考える人ってどこにでもいるのよ。当時同じパーティーを組んでいた冒険者に賭博好きの人がいたの。稼いだお金を全額つぎ込むことなんて日常茶飯事だった。やめておけば良かったのにね、彼女はある日賭博で大きな借金をこさえてしまったの。その時彼女はどうしたと思う?」
「⋯⋯さあ」
マリアには想像もつかなかった。
「⋯⋯何も知らずの宿の部屋で眠っていた私を奴隷商に売り飛ばしたの」
ルーナリアは悲し気に目を伏せた。
「そんなこと!」
「あり得ないって言いたいでしょう?でも本当のことよ。今の世の中はそんなことがまかり通っているの」
付け加えるならばルーナリアを売り飛ばした彼女はルーナリアの親友だった。そのことが3年経った今でもルーナリアの心に小さな傷を残していた。
「⋯⋯なんか暗くなっちゃったわね」
「ううん、気にしないで」
ルーナリアは微笑んだが、マリアは無理をしているようにしか見えなかった。
「⋯⋯じゃあ他の皆も?」
だからマリアは不自然にならないよう、少しでも話を変えようとした。
「ええ。ラーナは家族全員を流行り病で亡くしたところを奴隷商に捕まったそうよ。彼女がまだ5歳にもならない頃の話ね。
リーは行商人の娘だったの。盗賊に襲われて護衛と両親は目の前で斬殺された。
エナーシャの両親は住んでいた土地の貴族の怒りを触れ、殺された。残ったエナーシャもその領主の手によって売り飛ばされた。彼女が臆病なのはそのせいね。
リンクティアは明るく振舞ってはいるけれど、お金に困った実の両親に売られた。
⋯⋯不幸な体験をした者ほどこの屋敷に留まる者は多いわ。必ずしも全員というわけではないけど」
マリアは不幸かなんて本人が決めることだと思っていた。でも今は、他の者たちに比べたら自分の不幸なんてかわいいものだと思えた。
「⋯⋯皆は強いんだね」
ルーナリアはその言葉に苦笑した。
「強くなんてないわ。そのことから逃げて、目を背けて生きているだけ。私は向き合おうとしているマリアの方がよっぽど強いと思うわ」
いつの間にかテーブルの上の皿は空になっていた。
「行きましょう。屋敷の中の案内と仕事の説明をするわ。どっちを選ぶのか判断材料にして」
「うん、わかった」
自分の手で未来をつかみ取ってみせると、マリアは大きく頷いた。