2、買われる
その3日後(ただしマリアの体感で)、男もとい奴隷商人は1人の男を伴なってやって来た。
「⋯⋯何の用?」
涙はすっかり枯れ果て、1日1食しか食べておらず、碌に水分も摂っていない身体は限界を訴えていた。
「おいおい、随分と反抗的じゃないか」
男は細い肩を竦めた。
「⋯⋯ですがあなた様のお好みでしょう?」
奴隷商人は黒い笑みを覗かせてそう尋ねた。
「⋯⋯まぁな」
男の方もニヤリと笑った。
「おい、名は何という?」
男は高圧的に言った。
「⋯⋯」
だがマリアは黙ったまま男を睨んだ。
「⋯⋯答えなさい」
奴隷商人がそう言うと首輪から何かが流れ、マリアの身体の自由を奪い去った。
「⋯⋯マリア」
そして口はマリアの意思に逆らって男に名を告げていた。
「マリアか。歳は?」
「⋯⋯8」
言われるがままに次々と答えていく。
「⋯⋯店主」
やがて満足したのか質問は終わった。
「何でしょう?」
「気に入った。買いだ。いくらになる?」
「それはそれはありがとうございます。お値段ですが⋯⋯」
マリアは自分を商品として扱い、目の前で行われる金銭のやり取りを、どこか他人事のように見ていた。
「出なさい」
それでも奴隷商人に命令されれば意思とは関係がなく身体が動く。
首元の首輪に何やらマリアの瞳の色のように鮮やかな蒼い石を填められる時も身体はまったく動かなかった。
「⋯⋯これで所有権はあなた様に移りました」
「そうか。また機会があれば来させてもらう」
「⋯⋯またのご来店、心よりお待ちしております」
男に腕を引っ張られるように階段を昇り、店を出た。
(汗が気持ち悪い)
だが男は店の正面ではなく、裏口から出て、そこに止まっていた馬車に乗り込んだ。マリアも引っ張られるように乗る。
30分ほども馬車に揺られ、たどり着いたのは王都の貴族の屋敷が立ち並ぶ区画。その平均的な大きさの屋敷だった。
「「「「「お帰りなさいませ、ご主人様!」」」」」
出迎えたのは10代前半から後半のメイドたちだった。
「うむ。この者は新入りだ。身体をよく清めさせろ」
「「「「かしこまりました」」」」
マリアは4人がかりで浴室に運ばれていった。
「⋯⋯わぁ~、綺麗な目ね」
「肌も羨ましいぐらい白いわ」
「若いって良いわね」
「⋯⋯髪も綺麗な銀色」
しきりに羨ましがられながらあっという間に身体を洗われ、湯船に放り込まれた。
「きゃっ」
小さく悲鳴を上げたが、長い間地下牢にいて冷え切った身体を風呂の熱はじんわりと身体を温めた。それがマリアにはたまらなく心地良かった。
「温か~い」
自然と強張っていた頬が緩んだ。
「⋯⋯そう、良かったわ」
そんなマリアに微笑みながら少女メイドたちは次々と湯船に入ってきた。
「⋯⋯あなたはなんで奴隷なんてやっているの? 良かったら聞かせてくれる? あっ、私はルーナリアよ。17歳。ルナって呼んでちょうだい」
そう言ったのはこの中では一番年上の金髪の少女。緑の目を優し気に細めている。
「私はリーミア。14歳。リーって呼んで」
淡い水色の髪の少女は紺の瞳を輝かせていた。
「⋯⋯エナーシャ。13歳。エナって呼んで」
少しぶっきらぼうなのは緑の髪に蒼い瞳の少女。人見知りなのか少し視線を逸らしている。
「リンクティアだよ。11歳。リンでもティアでも呼びやすい方で呼んで」
最後は赤い髪に濃紫の瞳の元気いっぱいの少女だった。
マリアも自己紹介しなければと慌てた。
「あっ、私はマリア。歳は⋯⋯後1月で9歳」
声は掠れてしまったが、皆マリアの言葉をニコニコと聞いていた。
「⋯⋯私が奴隷になった理由は⋯⋯ごめんなさい。言いたくない」
まさか食べ物に釣られてなどとはとても言えなかった。
「ううん、言いたくないなら言わなくても良いわ」
ルーナリアは首を横に振って優しく微笑んだ。他の者たちも微笑んでいた。
風呂から上がるとマリアはリーミアからタオルと服を一式渡された。
「えっ?」
それは今までのマリアの普段着とは雲泥の差、はれ着とも格段の差があった。
「あなたの服よ。サイズが合うと良いんだけど」
ルーナリアはその隣で苦笑いしていた。
「⋯⋯私の?」
間違っても奴隷に着せるような服ではなかった。
マリアはエナーシャ以外の3人に丁寧に髪を拭かれ、言われるままに渡された服を身に着けた。髪の毛はリンクティアの手によって弄られる。
「うん、やっぱり可愛いわ。私の見立ては間違ってなかった」
リーミアは少し離れたところからマリアを見て満足気に頷いた。
「こっちに来て」
ルーナリアは部屋の隅、そこにあった大鏡の前にマリアを連れていった。
「⋯⋯これ、私?」
そこにいたのは黒いメイド服に身を包んだ銀髪碧眼の少女だった。
黒いワンピースの襟と袖口だけは白い布で作られており、ワンポイントなのか蒼い糸で蔓草の刺繍がされていた。首元の奴隷の証である首輪は高い襟に隠され見えない。その代わりに首元には紺色のリボンが結ばれていた。
足首近くまであるスカートはたっぷりと布を使っており、ふんわりと広がっていた。裾には襟と同じように蒼い糸で刺繍が一周。
そんなワンピースの前全体を覆うのは真っ白なエプロン。デザインは比較的シンプルで、裾にフリルが一段。そのすぐ上にはワンピースと同じく蒼い糸で刺繍がされている。丈はスカートの刺繍の少し上まで。
足元は黒い革製の編上げブーツ。いつサイズを測ったのかどれもマリアの身体にピッタリで、それがマリアには少し恐ろしかった。
肩よりも少し長い髪の毛は丁寧に編み込まれ、頭の右下で綺麗なお団子にされ、襟元のリボンと同じ色の、それよりも一回り細いリボンで結ばれている。そして控えめにレースの付いた黒いヘッドドレスがついていた。
「そうよ」
他の皆も刺繍とリボンの色は違えど、同じデザインのメイド服を着ている。
ルーナリアは刺繍は萌黄色、襟元のリボンは常盤色。胸元まである髪の上半分だけを編み込んでハーフアップにしている。留めているリボンは勿論襟元と同じ色のもの。
リーミアは勿忘草色の刺繍に瑠璃色のリボン。マリアのものを全体的に明るくしたような感じだった。
エナーシャは翡翠色の刺繍に萌葱色のリボン。ルーナリアのものに少しばかし青を混ぜ込んだようなそんな色。長い髪は左右に分けて三つ編みにされている。
リンクティアは浅紫の刺繍と葡萄色のリボン。肩までの髪は後ろで纏められていた。
「気に入った?」
「⋯⋯うん。でも⋯⋯」
「でも?」
「⋯⋯なんでサイズがわかったの?」
訊いてはいけないような気がしたが、訊かずにはいられなかった。
「⋯⋯それはね、見ただけでサイズがわかる特技を持っている人がいるのよ。ほらさっき玄関ホールに私たち以外にもう1人いたでしょう?」
そう言われて記憶を探る。
「⋯⋯あっ、茶色の髪の人」
確かにもう1人、茶色の髪と目の人物がいた。
ルーナリアは満足そうに頷いた。
「そう。彼女がラーナ。覚えておいて。この屋敷にいることは一番少ないけど」
身なりを整え終わると、マリアはルーナリアに執務室へ連れていかれた。
コンコン
「ルーナリアです。先ほどの子を連れてきました。入ってもよろしいでしょうか?」
「入れ」
どこかぶっきらぼうな声が返ってきた。
「失礼します」
ルーナリアに手を引かれて入った執務室は一見質素だった。家具などは全て茶色で統一され、よく見ればどれも長年大切に使い込まれていることがわかる。
部屋の奥に置かれた大きめの執務机には、先ほどの男が座っていた。
「⋯⋯ルーナリア、マリアを残して部屋から出ていきなさい」
「かしこまりました」
ルーナリアは一礼すると部屋から出ていった。それがマリアにはひどく心細かった。
「あまり警戒しなくても良い」
初対面の時とは違い、優しい声音だった。
「別にマリア、お前をどうこうするつもりもない」
そう言われてもマリアが警戒を解くことはなかった。
男は嘆息すると立ち上がり、静かにマリアに歩み寄った。
マリアは思わず後退りをした。だがすぐに背中は壁についてしまった。
「⋯⋯なぜ逃げる」
マリア男に捕まるまで、然程時間はかからなかった。両手を掴まれ、逃げ出すことは叶わない。
男は呆れたように呟くと命じた。
「動くな」
そう言われた瞬間、身体が一切動かなくなった。声も出せない。できることといえば男を睨みつけることだけ。
そのまま男の手は優しく首元のリボンは解いたそしてボタンを1つ2つと外していく。
(や、やめて)
だが意思に反して言葉にはならない。
カチャリ
何かが外れるような音がして首元がスースーした。それと同時に身体の自由が戻り、マリアは迷わず男を突き飛ばした。
「うおっ」
まさか突き飛ばされるとは思っていなかったのか、男は尻もちをついた。
マリアはそれには目もくれず息を大きく吸い込むと——。
「きゃあ~っ!」
大きな悲鳴を上げた。
屋敷のあちらこちらから悲鳴を聞きつけて集まってきたメイドたちが見たのは、唖然とした顔をした自分たちの主人と着衣を乱したマリアの姿だった。