第一話 「花」
「ん…」
朝の気配を感じ、緑間は小さく声を上げた。
窓から光が差し込んでいるのがわかり、そういや昨日カーテン閉めないで寝たんだっけか、とうわ言のように呟く。軽く寝返りを打ち、緑間はゆっくりと目を開けた。
驚きを隠せなかった。
(…○△%¥$※#*Σ×☆!!?)
咄嗟に口を押さえたので悲鳴を上げるのは辛うじて免れたものの、緑間は激しく混乱した。なんだこれ夢か、と目をこすって、彼はもう一度“それ”を見やる。ついでに頬もつねってみたが、どうやら夢ではなさそうだった。
「なん…で、」
すぐ目の前、三十センチほど向こうに、よく見知った彼の幼なじみが寝ていたのだ。
(なんで静の野郎が俺の…)
強烈且つ衝撃的なその朝の風景に、すっかり眠気が飛んだ緑間は、とりあえず状況を把握する為に頭を捻る。思い出すのに、そう時間はかからなかった。
(そうだ、昨日)
突然、死んだはずの幼なじみが目の前に現れた。
勿論赤崎が死んだその瞬間、緑間は確かにそれを見ていた。だから、赤崎が生きて帰ってきた―などということはなく。
霊となって、緑間の元へやってきたのだ。
それと同時に、赤崎が自分から離れることが出来なくなったことも、緑間はついでのように思い出した。
(…懐かしいな)
緑間は赤崎の髪にそっと触れる。触れている、という感触はやはりあった。くせ毛で茶髪の緑間とは対照的な、綺麗で指通りの良いまっすぐな赤崎の黒髪。
昔は、こうやってよく一緒に寝ていた。ここに青子も加わって、きょうだいのように一つのベッドを共有していた時期もある。そう、そんな時期も確かにあった。
「ん…ん?」
髪を触られていることに気がついたのか、赤崎が若干眉間にしわを寄せて小さく唸る。このままだと起こしてしまうかもしれない、と思った緑間だったが、結局それでも手を止めなかった。
「ん…祭…?」
寝ぼけ顔でうっすら目を開けた赤崎が、緑間の顔を見て首を傾げる。目が半分も開いていないものだから、焦点が若干ずれていた。学校で見る赤崎の寝起きの方が、少なくとも今よりはまともである。朝一番の寝起きが最も無防備だと、緑間は訂正しておくことにした。
「おーよく眠れたかよ、静。おはよう」
「ああ…良い夢を見ていた気がするよ…おはよう、祭」
「そりゃ良かった」
良い夢。そういえば今朝自分はどんな夢を見ただろう、と緑間はそんなことを考えた。頭を捻ってはみたものの、良い夢だったのか、それとも悪い夢だったのか、それすらも覚えてはいなかった。
だが、ここ最近ずっと見ていた、赤崎が死んだあの日の夢でなかったことは確かだ。そもそも、まともに眠れたのが緑間にとっては本当に久しぶりのことである。
「あれ…そういえば僕、なんでここに?」
ようやく目が覚めた赤崎は、目をこすりながら体を起こし、確認するように部屋の中を見渡す。
「ここ、祭の部屋だよね」
「まあ、どっからどう見てもお前の部屋じゃあねえな」
「じゃあ、なんで僕は…」
言いかけたところで昨日のことを思い出し、赤崎が「あ、」と声を上げる。緑間もベッドから起き上がり、赤崎に対して若干の皮肉を言ってやった。
「幽霊も寝るんだな。まさか霊になったお前と一緒のベッドで寝ることになるだなんて、思いもよらなかったぜ」
「…僕だって、思っていなかったとも」
けらけらと緑間が笑うと、拗ねたように赤崎がそっぽを向いた。緑間は笑いながら、頭の隅で昨晩のことを考える。
(さて、これからどうしたもんか…)
赤崎が成仏できるよう、最後まで付き合うと決めた。決めたはいいが、具体的に何をどうすればいいかわからないのが現状だ。
当の本人は未練や後悔など無いと言うし、これではどこに向かって歩けばゴールに辿り着けるのか、わかったものではない。加えて八方塞だ。迷宮入りしてしまう。
あれやこれやと悩んでいた緑間に、若干慌てた様子の赤崎が声をかけた。
「祭、もう七時だよ。学校、行かないの」
「…は?」
「だから、学校。最近ずっと行ってなかっただろ。今日も行かないつもり?」
ふと、緑間は思い出したようにカレンダーを見た。今日は平日で、なんなら明日も平日だった。
とても学校なんて行ける状態でなかった緑間は、それこそ赤崎の葬儀が行われた日を除けば、今日までずっと部屋に閉じこもっていた。曜日感覚など、無くなって当然かもしれない。
だが、今は赤崎がいる。
生き返ったわけではないけれど、どういう状態であれ今ここに―緑間の目の前には、赤崎がいる。一応は、赤崎のいる日常が戻ってきた、と言っていいだろう。それは少しばかり、以前とは違った形であるけれど。
果たして今の自分には、学校に行かない理由があるだろうかと緑間は考え、考えるまでもなく答えはすぐに出た。
「…お前が行くなら行くんだけど」
「じゃあ、決まりだね」
僕は祭から離れられないし、と赤崎は笑った。
さて、新たに気がついたことが二人にはあった。
それは、お互いに“テレパシー”が使えることだ。
口に出さなくとも、相手に心の中で呼びかけるだけで、思っていることが伝わるという、なんともまあ現実離れした力である。そして今のところ、このテレパシーは赤崎と緑間の間でしか発動しないようだ。
非常に便利―に思えるが、ただ単に他より少し霊感が強く、霊媒体質であっただけの設定に、若干付加価値が付きすぎではないだろうかとも思ったりする緑間であった。
「おーっす」
そんな感じで、緑間は久しぶりに学校へ登校した。最後に登校した時と違うのは、隣りを歩いていたはずの幼なじみが、霊となって後ろをついていることくらいだろう。そして赤崎の机に、花の数本入った花瓶が置いてあることくらいだ。
改めて突きつけられる“赤崎の死”という現実に、緑間の表情が若干翳る。
「ま…祭、」
クラスメイトの一人が、赤崎の机をじっと見つめたまま動こうとしない緑間に声をかけた。緑間のことを名前で呼ぶくらいには、親しい友人である。
気まずそうに目を伏せるそんな友人に、緑間は「なんだよ」と返事を返した。周りをぐるりと見てみれば、クラスメイト全員が同じような顔をしている。
赤崎と緑間が特別仲の良いことは、クラス全員が知っていたことだ。おそらく気を遣われているのだろう、と緑間は小さく肩を竦めた。
「その…花、なんだけど」
「え?ああ、これ…もしかして、みんながやってくれたのか?」
これ、というのは赤崎の机に置いてある花瓶のことだ。花は枯れていないし、中の差し水も綺麗なままだ。誰かが用意してくれて、尚且つ手入れもしてくれていたのだろう。
そして少なくとも、その“誰か”は、赤崎の死を悼んでくれたに違いない。
「余計なことだとは、思ったんだけどさ。気に障ったなら…」
「ありがとな」
どうやら友人は、その場から動かなくなった緑間が怒りに震えているのだと勘違いしていたようで、柔らかく放たれたその感謝の言葉に「え、」と目を丸くした。
緑間の視界の斜め上には、宙に浮く幼なじみの姿がある。テレパシーで、赤崎の思っていることが彼の頭の中に流れこんだ。
「…あいつも、ありがとうって言ってる」
目前の友人はぽかんと口を開け、それから照れたように「おう」とはにかんだ。




