秋、ドンレミを発つ
「いい、皇太子さまには失礼のないようにね」
「はい」
「いいか、危険だと思ったら、すぐに周りに助けを求めるんだぞ」
「はい」
「いつでも帰っていいんだからね」
「はい」
翌朝、ジャンヌは家族と別れの挨拶をした。
秋達はそれを少し離れたところから眺める。
「やっぱり心配なんだな」
「それは当然だろ。親なんだから」
確かに三代目の言う通りだ。当然心配なのだろう。下手をすれば二度と会えないかもしれない、そう考えているはずだ。
いや、それは事実だ。
歴史ではジャンヌがこの地に足をつけることは二度とない。
悲しいと思う。
なら、自分がそれが出来るように助けてやりたい。
でも、今更であるが歴史を変えることになるが、それは大丈夫なのだろうか?
と、いうより変えられるのだろうか?
三代目に聞くと、知るか、って答えが返ってきた。
ウイングに聞くと、
「過ぎた過去は変えられません。つまり現代の過去はそのままです。もし、この時代で歴史を変えても別の世界線パラレルワールドとして、未来を創っていきます。その未来が秋の住む時代と交わることはありません」
どうやら、過去を変えても自分の時代に影響は及ぼさないらしい。
「では、行きましょうか」
ジャンヌがやってきた。
別れの挨拶はすんだようだ。
ドンレミを出る。
道中、昨日話していた6人の兵士達と合流した。
彼等は突然同行することになった秋達を疑いの目で見ていたが、ウイングが微笑むとあっさり陥落した。
基本移動は夜行われた。
野党が出るためらしい。
昼は物陰や橋の下などで寝泊まりをして、夜移動する。
昼夜逆転の生活に、慣れない食事と旅で秋は体調を崩し始めた。
そして、とうとう倒れてしまったのだ。
森の中にある一軒の廃屋。
その廃屋の中にある薄汚れたベッドに秋はいた。
「アキ、大丈夫?」
「うう、すまん、ジャンヌ」
ここはウイングが見つけてくれた廃屋である。
兵士達は周囲の確認と近くの村へ買い出しに、ウイングは薬草を探しに行った。
三代目は……何処に行ったのか知らん。知らない間に姿が消えていた。
既に秋達は、2日ほどここにいる。
それもすべて秋が体調を壊したためだ。
まだ何も始まってもいないのに、自分だけ体調を壊して、皆の足を引っ張るなんて……。
情けなく、そして惨めである。
現代に帰りたい、とさえ思う。
それでも何とか頑張ろうと思うのは、秋の最後の意地であった。
そんな中、一つだけいいことがあったとすれば、それはジャンヌとすっかり打ち解けられたことである。
秋とジャンヌは年も近く、世話好きなジャンヌは何も知らない秋の世話をやいているうちに、すっかり仲良くなったのである。
今もこうして、世話をやいてくれている。
そんなジャンヌに報いるためにも早く体調を直したいものだ。
「いいんですよ、アキ達はわたしを信じてここにいてくれているのですから」
どうやら、遠くからジャンヌの噂を聞きつけて旅に同行したことになっている秋達に、ジャンヌは随分信頼してくれているらしい。
兵士達から話を聞いたが、彼等は特にジャンヌを信じて旅に同行しているわけではないらしい。
もっとも邪険に扱っているわけもない。
信じてはいないが、命令だから従っている。
もしくは藁にもすがると言ったところだろうか。
それほどまでに、現状のフランスは追い込まれているのだ。
――百年戦争。
この戦争を歴史上ではそう呼んでいる。
イギリスとフランスが戦争を始め、それが百年近く続けられたからだ。
そして、この戦争でフランスは追いつめられていた。
連戦連敗だったからだ。
市民は日々略奪と貧困に喘ぎ、救いを求めた。
それに答えたのが、ジャンヌ・ダルクだ。
彼女は戦争で初めてフランスを勝利させ、それを切っ掛けにフランス王を誕生させる。
誕生した新しきフランス王はイギリスと和平を結び、百年戦争に終止符を打つ。
それが歴史である。
そして、その歴史の裏側で、ジャンヌは見捨てられ魔女として火刑に処罰されるのだ。
「――なあ、ジャンヌが聴いた神の声ってどんなものなんだ?」
「神の声ですか?そうですね、初めて聴いたのは、13歳ぐらいで最初は言葉というより思いの塊のようなものでした。でも不思議と意味は理解できるのです。それがどんどん明確になって、ああ、これが神の声なのだと確信しました」
あの日の事は、一生忘れません、と思い出という宝物を抱きしめるように呟くジャンヌ。
「そうか、そんなに凄かったのか、平凡な俺とは違い、やっぱ神様に選ばれるなんて、ジャンヌは凄いな」
「凄い?いいえ、わたしは凄くないですよ。何処にでもいる平凡な村娘です」
おいおい。
ジャンヌは近い未来聖女と称えられ、歴史にも名を遺すのだ。
それが平凡なわけないだろう。
「いいえ、アキ。本当にわたしは平凡です。子供の頃は山や野原を駆け回って遊び、川遊びをし、そして両親の仕事の手伝いをして、一日を終える。そんな平凡な村娘です」
ただし、とジャンヌは続ける。
「わたしは平凡ではありますが、遣りたい事を、やらなければならないことを知っています。わたしはそれに向かって歩いていくだけです」
「遣りたい事……やらなければならないこと……」
秋がやりたいことはなんだろうか?
オーケストラの指揮者だろうか?
幼い頃は、父親の姿を見て憧れたが、今となっては違うような気がする。
なるほど、とジャンヌは納得した、と頷く。
「アキはきっと今の自分が嫌いなんですね」
でも、とジャンヌは続ける。
「きっと、アキが自分が遣りたいこと、やらなければならないことを知ったとき、きっと自分のことが好きになりますよ」
扉を開く音と、話声が聞こえる。
どうやら皆が帰ってきたらしい。
「きっと、アキの人生はそこから始まるんですよ」
そうかもしれない。
いつの日か、ジャンヌに自分が遣りたいことやらなければならないことを報告しよう。
薬草らしきものを笑顔で握りしめたウイングの笑顔を見ながら、秋は心に決めたのだった。
その日、ウイングが何処からか摘んできた薬草を煎じて作った、にがーい薬によって、翌日秋の体調は完全に回復したのであった。
そうして、旅は再開される。
そして、秋達はとうとうシノン城にたどり着いたのだった。