平凡な日常の終わり
カメラのフラッシュと質問の嵐だな、と秋は思った。
群がってくる人達とフラッシュの眩しさで、先に進みたいのになかなか先へ進めない。
もっともそれらのお洗礼を受けているのは秋ではない。秋の後ろを歩いている二つ年下の双子の弟の朝霧と妹の呉羽である。
ここは空港。
二人はフランスのパリに向けて今から日本を発つ。音楽の才能と実力を認められた者しか出席できない式典に招待されたからだ。
日本人では初、そして世界最年少ということもあり世間は挙って二人に群がった。
「じゃあ、兄さん。僕たちは行くね」
「お土産楽しみにしてなさいよ、兄貴」
そんな優秀な二人に対して、秋は寂しそうに手を振って別れるのだった。
儚射 秋は落ちこぼれである。
周囲がそう思っていることを、秋が知ったのは小学生の頃だっただろうか? それとももっと前だっただろうか?
秋は頭が悪いわけでも運動ができないわけでもない。むしろ要領はいい方だと自分では思っている。
要は平凡だ。
では、平凡が落ちこぼれと思われる理由は何だろうか?
簡単である。
比べる対象が優秀だからだ。
儚射家は代々続く音楽家の家系で、音楽界では結構有名らしい。
実際、父親もオーケストラの指揮者をしているし、母親もピアニストである。
そんな有名な家庭に生まれた秋は、自然と周囲の人から音楽の期待をかけられるようになった。
秋自身も音楽は嫌いではない。
幼い頃に母親に連れられて、父親が指揮するオーケストラを見たときは、自分もこうなるんだ! と将来の夢を決めたものだ。
……だが、
秋に音楽の才能はなかった。
代わりに、秋の双子の弟と妹は音楽の神童とも呼ばれるほどの才能があったのだ。
コンクールに出演しても秋には嘲笑、二人には拍手が常だった。
これを落ちこぼれと言わず、何と呼ぼう?
「……はぁ、ほんと羨ましいよ」
二人を乗せた飛行機が飛び発っていく。
それを見送りながら、秋はポツリと呟くのだった。
秋が住んでいる町は、川を挟んで、中流家庭が住む地域と高台にの上にある昔からの旧家や金持ちが住む地域に別れている。
ちなみに秋が住んでいるのは後者である。
朝早く家に出たのに、もう夕方だ。せっかくの休日なのに少しもったいないなー、と秋は思いながら玄関を開けた。
「ただいま」
そんな秋を出迎えたのは沈黙と薄暗い廊下のみである。
当然だ。
両親は仕事で海外を飛び回っているため、年に数回しか帰って来ないし、弟と妹も先ほど空港で見送ったばかりだ。この大きな家に、これから一週間秋しかいないのだ。
ピザの出前を頼み、簡単にシャワーを浴びる。
浴室から出てきたと同時にピザが届いたことを知らせるチャイムが鳴った。
門でお金を支払って、リビンクに入ったらテレビを付ける。すでに外は真っ暗だった。
テレビ番組の内容は、歴史上の偉人や英雄などの一生を紹介するドキュメンタリー番組だった。
ボーとテレビを見ながら、ピザを食べる。
……んは…今日の……世……物は……フラン……救世主と呼……
気が付けば、自分と二人の間には大きな差ができていた。
彼女……有名な……主……でしょう。
自分は努力しなかったわけではない。周囲の期待の目に応えようと頑張った時期が確かにあった。それが期待の目から嘲笑と失望の目に変わったのはいつだっただろう。
100年……た……争を終わ……いた……。
自分とは逆に周囲に認められ、どんどん実力をつけていく弟と妹。
神々……聴いた……われ、若……で戦……た乙女。
そして、とうとう世界にも認められたのだ。
自分がすごく惨めに思えてくる。
「……寝るか」
まだ早いし、明日も日曜で学校は休みだが、起きている気分ではない。
秋は自分の部屋に向かおうと、テレビを消し、ソファーから立ち上がりかけたところで――背後にある人の気配に気づいた。
「――誰だ!?」
そこに居たのは見覚えのない二人の男女。
男はガラの悪い不良のような雰囲気を全身から発している。
ファッションなのか、髪に、瞳、唇、そしてよく見ると爪まで蒼いのだ。何故だろう。その色を見ていると――そう、海、蒼海と言う言葉が頭に浮かんだ。
逆に女は清楚で何処か神秘的な雰囲気の良さを感じさせた。しかも、切れ目ながら琥珀色に輝く瞳に整った顔つき、要は美人である。また、よく見ると長く青い髪の隙間から見える背中は服ではなく素肌だ。どうも背中は大胆に露出させているらしい。
「突然のご無礼、お許しください」
見とれてしまいそうな綺麗な礼を女がした。
「私の名前はウイング。この方は三代目。今回私達は秋のお力を貸していただきたく参りました」
「っは? おれ?」
双子の弟と妹ならわかるが、自分なんかに助けを求めてきたのが秋には信じられなかった。
何故なら秋は物心ついた時からバカにされてきたのだ。助けを求められたことなど記憶の中に一度もなかった。
そんな戸惑う秋に、ウイングは、はい、と微笑んだのだった。
「お茶をお借りしました。お口に合えばいいのですが……」
「……結構なお味で……」
お茶を飲んだ後の秋の言葉に、ウイングは本当に嬉しそうな表情を浮かべた。
今秋の対面には、三代目とウイングが座っている。
あれから、立ち話もなんだから、と三代目の言葉でテーブルに座ってお茶という流れになった。
理由はわからないが、三代目はこの家のことをよく知っているようで、お茶の在りかや道具の場所などすべてウイングに指示していた。
「で、あんたら何? 何処から入ったの?」
本当なら警察でも呼ぶべきなのだろうが、もし両親のお客さんだった場合たいへんな事になる。
実際海外から、よく両親を訪ねてお客さんが来るのだ、その場合文化の違いから、トラブルになったことも少なからずある。
何より二人は自分のことを知っていた。
警察を呼ぶのはそこを見極めてからにしよう、と秋は考えていた。
「まあ、そんなことはどうでもいい。それより力を貸せ」
前言撤回。この偉そうな男だけは警察に突き出すべきだ。
「三代目、そんな言葉を吐かないでください。申し訳ございません、秋。三代目は少々口が悪くて……」
ああ、いえ、態度も性格も悪いですねー、と続けてぼそっと、呟くウイング。二人の態度からウイングが三代目に付き従っているのかと思ったが、心底従っているわけではないらしい。
「とりあえず、私から事情を説明します。少し信じられないかもしれませんが、最後まで聞いていただけますか?」
秋は頷く。
ウイングの話は一言で表すなら妄想の類だった。
三代目の正式名称は三代目時間協奏能力者。時間を奏でることによって、自由自在に時間を操ことができる。
そんな三代目は時間を操り自由に時間旅行を楽しんでいた。
しかし、そんなある日、三代目は次元干渉能力者と出会う。
破壊力だけなら時間協奏能力者を上回る力に自分達は敗北しかけた。しかし、三代目の先代である二代目が自分の身を犠牲にして、自分達を守ったのだ。
二代目が死ぬとは思えない彼らは、いろいろな時代に行き、いろいろな場所で二代目の姿を探した。
しかし、長い時間を探したにも関わらず、二代目は見つからなかった。
だったら、他の力を借りればいい、と二人は助力を求めて自分を訪ねてきたとのことだった。
「だから、秋。俺達にさっさと力を貸せ……って、何処に電話してやがる!?」
秋はウイングの話が終わる前に警察に連絡していた。
三代目に取り押さえられ、ウイングは秋から奪った電話の相手に対して、ぺこぺこ頭を下げながら、申し訳ございません、はい、はい、大丈夫です、と謝る。
「うるせー! 一度病院で頭を見てもらえ!」
そんな二人に対して、秋は憤慨していた。
実は少し嬉しかったのだ。優秀な家族ではなく、平凡な自分を訪ねて来てくれたことに。だいたい力を貸せって何をさせるつもりなのか? もっとも妄想に付き合う必要はない、とばかりに秋は暴れた。
と、突然テレビがついた。
どうやら二人が暴れた際に、リモコンでも踏んでしまったらしい。
テレビの中では、一人の少女が火あぶりにされているところだった。
秋はテレビの中の少女を知っている。
――聖女ジャンヌ・ダルク。
彼女のことを何処で何時知ったのか覚えていない。
でも秋は彼女のことをずっと知っていた。
神の声を聴き、若干17歳で戦場に立った乙女。
いくつも戦場を渡り歩き、母国フランスを解放に導いた救国の英雄。
……しかし、彼女の最後は悲惨である。
彼女は信じていた者たちに見捨てられ、裏切られるのだ。
19歳という若さで彼女は魔女として、火あぶりにされた。
幼い心ながら、自分は涙したものだ。
頑張っている人には、その報いとして幸せな将来が約束されてほしい。
もしかすると、頑張っても報われない自分と重ね合わせたのかもしれない。
だから、ふと思ったのだ。
「いいぜ、なら力を貸してやるよ。ただし……条件がある」
「条件?」
秋の視線の先を二人が追う。
そこにはテレビに映っている一人の少女の姿。
「時間を超えられるんだろう? 俺を中世フランス時代に連れて行って、ジャンヌ・ダルクと会わせてくれれば、何でもしてやるよ」
その言葉に三代目は獰猛な笑みを、ウイングは信じられない、といった表情を浮かべたのだった。
「では準備はいいか?」
三代目はストレッチをしながら秋に問う。
もちろん秋は頷く。
あれから、三人は庭に出てきた。
何でも時間移動するために、時の扉を開く必要があるらしい。
そして、時の扉を開くと、周囲にいろいろな影響を及ぼすことがあるのだそうだ。だったら影響の少ない外でやろう、とのことになった。
もっとも秋は信じていない。ただ、これでダメだったら、二人にはお引き取り願うつもりである。というか、さっさと帰れ、って感じだ。ああ、ウイングだけはいてもいいかな。
「三代目、私は反対です。中世フランス時代といえば、百年戦争の真っ只中。秋に戦争の景色は早すぎます」
やる気の三代目に異を唱えるのは、ウイングだ。どうやら秋を戦時中に連れていくことに反対らしい。妄想乙である。
「煩いぞ、ウイング。秋が言ったんだ。そんなに心配ならお前がしっかり守れ」
ウイングは下唇を噛みながら、分かりました、と弱弱しく頷く。表情から納得していないのが丸分りである。
もっとも次に顔を上げたときは、太々しい顔だった。
分かりました、秋はこの身に変えても守ります。もっとも守るは秋だけです。三代目は自分の身は自分で守ってくださいね。とぼそっと、呟くぐらいである。
三代目が、え? マジ? と絶望にも似た表情を浮かべた。
……なんじゃ、こりゃ?
「おい、まだかよ。俺は眠りたいんだよ」
あんた達二人も含めて、今日はいろいろあったからな、と心の中で呟いておく。
「ああ、今時の扉を開くぞ!」
――瞬間、三代目の雰囲気が変わった。
聞いたことのない音色が秋の耳に届く。その音色は蒼い光となって三代目に集まってくる。あれは光の楽譜だ。秋には何故か理解できた。
そして、音色が、光の楽譜が重なっていく。音は単調な音から複雑な音色を奏でるようになり、光の楽譜は蒼い扉へと姿を変えていく。
――蒼い光が弾けた。
「さあ、完成したぞ。これが中世フランス時代に通じる時の扉だ」
三代目の言葉の前にはりっぱな蒼い光の扉があった。その扉は一つの楽器のように絶えず音色を吐き出している。
「あ、あんた達は……」
秋はようやく気付いた。
この二人は只者ではないことに。
しかし、気が付いてももう遅い。悪魔の契約は結んでしまったのだ。
秋が恐る恐る時の扉に触れた瞬間、秋の視界は蒼い光で埋め尽くされたのだった。