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入店退店問わず、ガラス張りの扉を開くと流れるリズミカルなチャイム音と店員の挨拶に見送られながら、小太郎は千鶴と共にコンビニを後にする。向かうのは小太郎が母親と暮らす自宅だ。
コンビニを出てすぐ左手にある角を曲がり住宅地を歩いていく。隣を歩く千鶴の顔を盗み見ると、その表情はコンビニに入る前、いや、今朝彼女が小太郎の家を訪れたときからずっと変わっていない。その浮かない顔の原因は、今この場にいない人物にある。やれやれと小太郎は肩を竦めた。
昨日のバイト後、今日の連休最終日は三人で大学から言い渡された課題を片付けて過ごそうと話していたのだが、瓏衣は用事があるからと誘いを断ったのである。
どんな用事かを尋ねてみると、瓏衣ははぐらかすような返答しかよこさず詳細を話してくれなかった。
時刻は昼前。仕方ないので二人だけで朝早くから小太郎の家で課題を進め、今は小休憩と称して座りっぱなしで凝った体を解すための散歩がてら、糖分と飲み物と、それから昼食を調達しに近所のコンビニで買い出しを終えたところである。
連休最終日の昼日中、静かな住宅街の道を歩く二人の間に会話はない。というのも、今の千鶴の頭の中は瓏衣のことでいっぱいで、それは出会ったときからずっと変わらず、小太郎にとってはいつものことだった。いつだって彼女は瓏衣を思い、瓏衣の身を案じている。それは小太郎も同じだが、彼女の比ではないし、そもそも思いの括りが違ってくる。
すると、隣の千鶴がうかない表情のままついにため息をついた。
「心配か?」
「うん……。瓏衣くん、用事があるって言ってたけど、本当はなんだったんだろう……。また、無茶してないといいけど……」
カイナたちとの修行なら隠したりはしないだろうし、それなら小太郎にも声をかけるはず。心配をかけまいとしてのことだったのかはわからないが、アレの性質を考えるとはぐらかされるほうが却って心配になる。
「ま、気持ちはわからんでもねぇが、負影が出たらセレンたちが報せてくれるだろうし、大丈夫だろ」
「そう、だね……」
アレは真っ直ぐだ。気持ちも、行動も。守りたいもののためなら危険など顧みない。自身の命すらも惜しくないその危うさが、余計に心配なのだ。
一言、なにか連絡を入れてみようと、千鶴が携帯を取り出したその時である。
目の前に差し掛かった曲がり角から呼吸荒く飛び出てきた影に気づかない千鶴は、小太郎が危ないと声をかけるよりも早くそれとぶつかり合う。
「きゃっ!?」
「おっと!?」
勢いに負け反射的に身動きが取れず、その場に尻もちをつこうとしていた千鶴の腕が掴まれ、強く引き寄せられる。
そうして抱き寄せられ、相手がこちらを助けてくれたということに気づいたのは体を包む温もりにおそるおそる目を開けてからだった。
「失礼、お嬢さん。怪我は……って、あれ?」
「す、すいません。ありがとうござ……」
ぱち、と目が合い、お互いの顔を認識し合うや否や、同時に目を丸くする。
「千鶴……?」
「瓏衣、くん……?」
「瓏衣? お前こんなとこで何してんだ」
えらいキザなセリフを吐き始めるからどんなナルシストかと思えば、噂をすれば影というやつか。驚きながらも、小太郎が怪訝な表情で問いかける。
課題を放り出すほどだからよほど重要な用事だったのだろうとばかり思っていたのだが、こんな時間にこんなところでいったい何を。
すると、我に返ったように瓏衣の表情が変わる。
「そうだ! 二人とも祷ちゃん見なかったか!?」
祷、ちゃん……?
途端に千鶴は眉根を寄せて丸い目を鋭くする。
「……見てないけど、なんでそこでこの前の女の子の名前が出てくるの」
早々に千鶴がむくれ始め、瓏衣はバツが悪そうな顔をするが、渋々口を開く。
「……実は今日、祷ちゃんに誘われて出かけることになってたんだけど、いっこうに待ち合わせ場所に来ないんだ」
今朝の九時にショッピングモールで落ち合う手筈だったのだが、待てど暮らせど彼女は姿を見せなかった。携帯は繋がらず、ショッピングモール内を探し回ってみたがそれらしい姿はどこにも無い。
まだ知り合ったばかりだが、約束を無断ですっぽかすような子には見えなかった。一番最初に会ったときは通り魔に襲われていたし、この前も不埒者に遭ったばかりだ。もしやまた何かあったのではないかと心配になり家を訪ねてみたが誰もおらず、仕方なく街中を捜索していたという。
「じゃあ用事ってのはあの子と出かける用事だったのかよ……。わざわざ隠すようなことか?」
「だって、なんかようわからんけど祷ちゃんの話すると千鶴不機嫌になるからなんか言いづらくて……」
辟易する小太郎に、瓏衣は気まずそうに頭を掻きながら目を泳がせる。
すると案の定、みるみる膨れていく、千鶴の両頬。
「あ、お、オレもう行くな! 連絡が取れないとなるとわりとマジで心配だから!」
耐えられなくなった瓏衣は早口にそう言い終えるや否や踵を返し、飛び出すように二人の前から走り去る。
が、てっきり大事な用事だと思いきや、その中身は知り合ったばかりの女の子と出かける約束だったと知ってしまった千鶴の怒りは収まらない。
わかわなと体を震わせ、溢れる思いを力いっぱい叫ぶ。
「瓏衣くんのバカあぁっ!!!!」
「んぎゃあっ!!?」
千鶴の怒号が響くと同時に、離れていく瓏衣の後頭部に向かって勢いよくなにかが飛び、そしてぶつかった。突如背後からなにかに衝突され、体勢を崩した瓏衣は顔からアスファルトに沈む。その反動で、小さなそれは今度は千鶴と小太郎のもとへ飛び、小太郎が宙へ手を伸ばして事も無げにたやすく掴み取ったそれはアラーム音を響かせる卵型の機械だった。
「あ! み、皆さん!」
まだ声変わりを終えていない少年の声が後ろから駆けてくる。
二人が振り返ると同時に、目の前で足を止めた少年は全速力で駆けてきたのか、膝に手をついてぜぇぜぇと肩で息をする。
「セレンくん?」
「じゃあやっぱコレお前のか」
よほど体力を使ったのか、荒い呼吸を落ち着かせるので手一杯らしいセレンは二人が声をかけても反応を返さない。小太郎はそんな彼から手のなかの小さな機械に視線を戻す。
確か、セレンがいつも持っている負影や堕天使の出現を感知し報せるものだったはず。
「……はぁ……! ……は、はいぃ……! 警報機が鳴ったのでひとまず、近くまで様子を見に行こうとしていたところにっ……、皆さんの姿をお見かけしたので、お報せしなくちゃと思ってっ……!」
言葉を区切りながら説明するセレンがようやく顔を上げた。すると、セレンはきょとんとした表情を浮かべる。
「……あれ? 遠目でしか見ていませんでしたが、瓏衣さんもいらっしゃいませんでした?」
「ああ、突然降ってきたこのちっさいのに伸されてあそこで倒れてる」
「ああああ瓏衣さあああんっ!!?」
二人の周りを見渡していたセレンが小太郎が親指で示した先で未だ倒れ伏したままの瓏衣を見るなり駆け寄る。
瓏衣の後頭部にうっすら見えたたんこぶに、まあけっこうすげぇ勢いだったからなと小太郎が呟いた。
「瓏衣さんしっかりしてください! 瓏衣さあん!!」
うわあん!と泣くような声を出しながら瓏衣を揺すって起こしていると、不意にセレンの胸ぐらが掴まれる。
その手はもちろん、
「セレンてめえ……。やっぱりわざとなんじゃねぇだろうな……?!」
這うような声と、元々目つきの悪い目をさらに釣り上げて睨みあげる瓏衣である。
「ごめんなさい違うんですわざとじゃないんですうっ!!!」
鬼の形相にセレンはいよいよ目じりに涙をため、身を引いて瓏衣から離れようとするが、瓏衣は逃がさないとばかりにセレンの胸ぐらを引き寄せる。
「……らだ」
「ふぇ……?」
独り言かこちらに向けられた声か、どちらにせよ聞き取りきれず、反射的にセレンは動きを止めて聞き返す。
すると瓏衣はセレンの胸ぐらを放し、浮き上がるようにのそりと起き上がった。顰めっ面でいまだ痛む後頭部を擦る。
「負の力の反応は、どこからだ」
「あ、え、えっと、北西方面に二キロです! でも、カイナさんも雪羅さんも今仕事で手が離せないみたいで……」
「オレたちがいなかったらどうするつもりだったんだあいつら……。構わん。小太郎行くぞ。千鶴は自宅待機だ」
瓏衣や小太郎が仲間になるまではどうしていたのか非常に気になるがそれはさておき、言われなくてもついてってやるよバカと小太郎は持っていたコンビニの袋を千鶴に預ける。
「……やっぱり、どうしてもダメ……?」
ついて行ってもなにもできないことはわかっている。危険な目に遭わないようにという瓏衣の配慮であって、一緒に行けば瓏衣が戦うと決めた覚悟を踏みにじることになる。それでも、大切な人と、大切な友達が、死ぬかもしれないほどの危険を伴う場所へ向かうのをただ黙って見送るというのは、いつだって辛い。
「ダメだ。絶対にダメだ。頼むから安全な場所で待っててくれ。全部終わったら、連絡入れるから」
千鶴の心情など知る由のない瓏衣は、な?と千鶴の頭を撫でながら笑いかけると、千鶴は手に提げた二つの袋を握りしめ、眉尻を下げたままわずかに笑い返してくれた。
「……必ず、連絡してね。約束だよ。行ってらっしゃい……」
「ああ。すぐ戻る」
「またあとでな」
こちらですと先導するセレンに続いて、瓏衣と小太郎は駆け出した。




