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今日の帰路はいつもと違って、とても楽しい気分だった。
とても楽しくて、嬉しくて、胸の中が暖かくて、気づいたらもう家の前に着いていたぐらいだ。
たい焼きを一緒に食べて、この大きなぬいぐるみを取ってくれて、瓏衣はバイトの休憩時間をこちらのために使ってくれたが、それでもあのショッピングモールの十分の一も回れていない。 だから先ほど別れ際に、思い切って、明日もう一度改めて一緒に見て回らないかと勇気をだして誘ったら、瓏衣はもちろんだと二つ返事をくれて、さらに連絡先の交換を申し出てくれた。
天にも登る気分で舞い上がった祷は、少し早口になりながら集合場所と時間を指定し、帰路についたのだった。
実を言うと祷は瓏衣とさよならの挨拶をして帰路についてからずっと、今までにないぐらいの、スキップのような軽い足取りで小さく鼻歌を紡いでいたのだが、そのことに彼女自身が気づかないぐらいに上機嫌で、頭の中は明日のデートに何を着ていくかということでいっぱいだった。
そう。明日はデートだ。他の誰でもない、大好きな人と。
うんとかわいい服を着て、あまりしたことはないが髪も少し纏めてみよう。
「ふふっ」
玄関の戸を開ける前に、ぎゅう、と腕の中のぬいぐるみを抱きしめる。
それから家のなかへ入る。朝から出かけた両親はまだ帰っていないので、祷は帰宅の挨拶を省いて脱いだ靴を綺麗に揃えると、自室へ向かった。
ショルダーバッグを机に置いて、ゲージの中で寝ているかわいい家族にただいまと小さく呟いたら、祷はぬいぐるみを抱いたままベッドへ腰かける。
膝にぬいぐるみを座らせ、向かいあうと、祷はまた笑った。
「ふふ……」
彼はどんな子が好みだろうか。どんな服を着た子が好きだろうか。
そうだ。お弁当を作っていって、お昼は公園のベンチで食べるというのはどうだろう。料理は得意な方だが、彼にはちゃんとしたものを食べてもらって、美味しいと言ってもらいたい。早速なにを作るか考えなくては。
あ、彼はいっぱい食べる人なのだろうか。男の人だもの。きっといっぱい食べるはず。
「えっと、メモ……」
ぬいぐるみを丁寧に隣に座らせ、ベッドから立ち上がった祷は勉強机の引き出しを開け、適当なメモ帳とペンを取り出し、まっさらのメモ帳にペン先を走らせる。
まずは基本の卵焼きに、唐揚げは定番で、ミートボールなんかも入れて。健康のために野菜も忘れてはいけない。
あれはどうかこれはどうかと弁当のメニューに熱中する祷の肩を、不意に優しいテノールがそっと叩く。
「ご機嫌よう。こんにちは。麗しいお嬢さん」
「ひゃっ!?」
両親はまだ不在で、誰も居ないはずの自宅。それも自室で、背後から知らない人の声がして、祷は体ごと肩を跳ねさせて振り返る。
西側の窓から差し込む夕日を背に立つそれは血色のいい男性の顔をして、軍服のようないかめしい服装をしたヒトの体躯をしていながら、
「初めまして」
それの背に寄り添う黒い翼が、それはヒトではないと否定する。
けれど、何故だろう。得体の知れない存在が目の前にいるというのに、ヒトによく似たその顔が愛想良く笑っているからか、不思議と恐怖は感じない。
「貴方は、天使……?」
呆けた顔をする祷の目は、やはり背の翼に止まる。その翼は純白ではなく、ちょうど祷の想い人の髪と同じぐらい黒いが、それでも彼女のなかで翼を持つ存在といえば天使ぐらいしか思い浮かばない。
すると、目の前のその男性らしき存在は赤い双眸をわずかに丸くしたかと思えば、堪えきれないというふうに、大きく肩を揺らして愉快そうに笑いだした。
「ふっ、はははははっ! いや、失礼! そうだね。色や形はともかく、背中に羽があるという点については、僕達は彼らと同じだ」
男は、生徒に教えを説く教師のように黒い革手袋に包まれた右手の人差し指をぴんと立て、しかしと続ける。
「僕達と彼らとでは、抱く志が、掲げる理想がまったく異なる」
そこで男の言葉が止まる。会話が噛み合わず、男の言葉の真意を掴みかねる祷は、困惑したように眉尻を下げた。
「……えと、ごめんなさい。難しくてよくわからないのですが……、翼を持っていながら天使ではないなら、貴方は何者なのですか?」
礼儀正しく頭を下げて謝罪した彼女に微笑むと、男は再び柔らかい笑みをたたえる。
「僕達は、彼ら天使や、彼らが持つ眩いばかりの光に惑わされた人々を正しき方向へと導き、あるいはうちに秘める想いを掬いあげる者。堕天使さ」
祷の視界が、閉じる───。




