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「……えらくもったいぶるから何をさせられるのかと思ったら……」


 くぐもった呟きが隣から聞こえ、すかさず小太郎は肘で小突く。


「おい瓏衣。迂闊に喋るなよ。夢が壊れる」


 お互いだけが聞き取れる程度の声量で言うと、現状を思い出した瓏衣は黙り込んでソレに徹する。


「くまさん! ふーせんちょーだい!」


 明るく無邪気な声に呼ばれ、瓏衣は動きづらい体をゆっくりと振り向かせると、左手に持ったカラフルな風船の束の中から一つを目の前の幼い男の子に手渡す。


「やったー! ありがとうくまさん!」

「待ちな少年。風船はすぐ飛んでくから、手にくくりつけとくといいぜ」


 走り去ろうとしたその男の子を引き止めた小太郎は持っていた風船の束を瓏衣に持たせると、彼のそばに膝をつき、風船から垂れている紐を男の子の手首に緩く巻き付け、結んでやる。


「ありがとうにーちゃん!」

「おう。転ぶなよ」


 満面の笑みで今度こそ走り去っていった男の子の背を見送りながら、腰を上げた小太郎は瓏衣から風船の束を受け取る。


「コタって意外と面倒見いいよな」

「だから喋んな着ぐるみ(・・・・)


 再び小太郎が小突く。その感触は柔らかい。

 そう。春乃から言い渡された通り、翌日の朝にショッピングモールを訪れた瓏衣たちを待っていたのは春乃ではなく、開店当初の短期間に不定期で行われる子供たちへの風船配り。早い話がバイトだった。

 瓏衣たちがちょうど六人で集まったため二手に分かれ、西側と東側のホールで絶賛バイト中である。

 そして、三人のうち二人にはスタッフ用の赤いジャケットを、一人にはくまの着ぐるみを着てほしいと言われ、じゃんけんという公平にして公正なる勝負の結果、最初の一手で早々に負けた瓏衣が着ぐるみ役に決まったという顛末である。


「くまさん! わたしにもふーせんください!」

「にーちゃんぼくにもふーせんくくりつけて!」

「ぼくあかいろがいい!」


 間髪入れず幼い子供たちが二人の周りに殺到する。町中だったかテレビだったか、どこかで目にしたことのある、本来の熊にあるまじきずんぐりむっくりの体にちょっと間の抜けた顔のくまの着ぐるみを着ている瓏衣は体当たりされたり抱きつかれたりと特にいい標的である。


「こーら君たち、くまさんやお兄さんが困っているぞ。風船はいっぱいあるから、順番に取りに来るといい」


 と手慣れた様子で子供たちを扇動した声の主は、小太郎と同じスタッフ用の赤いジャケットを着て、至極嬉しそうな、楽しそうな顔をしたカイナである。


「はーい!」

「ん。いい子だ」


 きゃっきゃとはしゃぐ子供たちと目線を合わせるようにしゃがみこみ、カイナは順番に風船を手渡していく。色のリクエストや手にくくりつけて欲しいという要望にもしっかりと答えていた。どうやら彼は子供が好きなようだ。

 感化されるように小太郎も、うーっし!と気合いを入れる。


「チビすけども! 今ならこのくまさんが特別にハグしてくれんぞオラァ! ただし体当たりは無しだ!」


 口調こそ荒いものの、笑顔をうかべていたおかげか、それとも小太郎の雰囲気が柔らかかったせいか、はたまたま、ただくまさんとハグという言葉に惹かれたか、子供たちは怯えることなく二人のもとに駆けてくる。

 風船を配り、リクエストがあれば写真を撮ってやるぐらいでハグをしてやれとは言われていないが、言ってしまったものは仕方がない。

 隣で風船を配る小太郎はあとでシメてやると心に誓いながら、瓏衣はあまり動かない着ぐるみの体を捻り、次々と抱きついてくる子供たちを抱きしめ返す。

 あるいは他のスタッフに呼ばれ、子供たちと写真を撮っていく。


「ねぇねぇくまさん、」


 そうこうしていると、不意に背中をたたかれて瓏衣は振り返る。そこにいたのは長い髪を三つ編みにした幼い少女だった。

 着ぐるみに徹している瓏衣は振り向けはしても言葉を話せない。近くにいたカイナが気づいて寄ってきた。


「どうした? 風船か?」


 無駄に整った顔が笑みを浮かべると、少女は途端に顔を赤らめながらもふるふると首を横に振った。


「くまさんは、はっぴーみたいにおどれる?」


 心做しか期待しているように目を輝かせる少女の話がてんで分からず硬直している瓏衣に、カイナが耳打ちする。


「教育番組の一つにパンダのハッピーというキャラクターがダンスをして友人の動物達を元気づけるという番組がある」


 ちなみにヒップホップ系統のダンスだったはずだとやけに詳しく教えてくれるが、それは踊れというフリなのだろうか。瓏衣は着ぐるみの中で眉を顰める。


「くまさん、おどれない?」


 少女の表情が曇っていき、瓏衣は青ざめていく。


「い、いや! 踊れる! 少しなら踊れるぞ!」

「!!?」


 慌てて繕うカイナを、なんてことを言ってくれるのかと着ぐるみの中から睨む瓏衣。そして少女もまた本当かと問うように彼の顔を見て、それから再び期待の色を宿した目で瓏衣を見るが、無論瓏衣はいかなるものであろうとダンスなど踊ったことがない。

 一拍の間と沈黙があって、やむを得ず瓏衣が動く。


「わあ!」


 両手を床について、ずんぐりむっくりの体を勢いよく後ろに振り上げ腕立ちになった瓏衣に、少女はぱあっと顔を明るくする。

 少女の歓声が聞こえたせいだろう。周囲の視線が瓏衣に集中し、ちらほらと拍手の音がする。


───着ぐるみのせいで、いつもより体が重い……!


 ぷるぷると腕が震えるが、耐える。根性で。

 あと、カイナもあとでシメる。


「くまさんもっとおどって!」


 踊ってと、言われても。

 瓏衣は一瞬考えて、


「わあぁっ! すごーいすごーい!!」


 テレビなどで見かけた様々なダンスを必死に思い出しながら、あとはノリで体を捻り、振り、回す。もはやヒップホップでもなんでもない、創作ダンスですらないそれは、その業界に詳しい人間に言わせれば文字通りただじたばたと暴れているに等しいだろう。しかし、子供を誤魔化すには十分である。

 辺りから飛び交う拍手がまたより多くの注視を招き、周囲に集まる子供たちは風船そっちのけで、床を転げ回る熊にきゃっきゃと声をあげる。


「くまさんすごーい! はっぴーみたい!」

「すげー! くまがおどってるー!」

「もっとやれー!」

「くるくるー!」


 声援に応え、すっぽ抜けそうになる頭を押さえながらより激しく暴れ回る瓏衣。いや熊。

 やれやれと肩をすくめる小太郎。

 子供たちの笑顔に負けて、瓏衣を止めるに止められなくなったカイナ。

 驚きを通り越して若干引き始める他のスタッフたち。


───うおおりゃあああっ!!!


 力の加減を間違えたために切り上げるタイミングを失った熊のヤケクソで不格好な舞踊は、しばらく続いた。




 なんとか収拾をつけ、即興ダンスを無理やり締めくくった瓏衣は他のスタッフたちにフォローされ、小太郎とカイナとともにフラフラになりながら裏へと戻り、鉄パイプの骨組みにブルーシートを垂らして作った簡易なテントの中のパイプ椅子に腰を下ろし、着ぐるみの頭を脱ぐ。

 被り物と無茶ぶりからようやく解放された瓏衣は着ぐるみの胴体を脱ぐまでの気力は無く、ぜぇぜぇと肩で息をしながら力なく項垂れた。


「いや、その……、本当にすまなかった……」


 謝りながら、スタッフが用意していた扇風機を瓏衣の前に置き、スイッチを入れる。

 自分が着ぐるみを着ているわけではないのに、無責任に適当なことを口走って瓏衣に無茶ぶりをしたのだ。


「……だ、だい……じょ……」

「まずは水飲め。そして汗を拭け」


 水を被ったように黒い毛先から汗を滴らせ、まともに言葉を発せない瓏衣を見かねて小太郎がその頭にタオルを被せ、蓋を開けた状態のペットボトルを手渡す。

 受け取ったペットボトルの冷たさを指先から味わいながら、瓏衣はペットボトルを勢いよく振り仰ぎ、ぐびぐびと音を立てて無心で中身を飲み下す。

 その姿はさながら試合後のボクサーである。


「大丈夫か?」

「……なんとか」


 緩慢な動作で汗を拭いながら、瓏衣はようやく顔を上げた。ペットボトルは空である。


「カイナ、気にしなくていいから。体動かすのは得意だし、子供の期待には誰だって応えてやりたいさ」

「そう言ってもらえると助かる。だが本当にすまなかった」


 店の明かりがブルーシートを透過して、まるで水中のような青く淡い光に包まれたテントの中。力の入れ方を間違えたのは自分だと瓏衣が苦笑すると、カイナは再び生真面目に頭を下げた。


「はーい! バイトさんたち、お疲れ様ー!」


 入口の垂れ幕をめくって元気のいい挨拶を投げてきたのはスタッフ用の赤いジャケットを腰に巻いた、今回の風船配りの現場指揮を任されているのだというパーマがかった明るい茶色の髪の若い女性。溌剌とした雰囲気をまとう彼女は春乃の同級生なのだという。


「お疲れ様、三人とも」


 続けて、同じく垂れ幕をくぐって中へ入ってきたのは喫茶店にいるときと同じ、動きやすいパンツルックの春乃だった。


「聞いたわよー? 子供にせがまれて着ぐるみ姿で即興ダンス踊ったんですってねー? 大盛況だったらしいじゃない!」


 もう一組の風船配りの様子を見に行っていたため先ほどの場にいなかった彼女は、私も見たかったなーと残念そうに肩を落とした。大盛況だったなら、体を張った甲斐があるが……。


「ごめんね皆。彼女、奈那ななから頼まれて、私は喫茶のバイトで手一杯だからって言ったんだけど、人手が足りなくてどうしてもって言われちゃって……」

「いやー、来る予定だったバイトの子が体調崩しちゃって!」


 代役として、瓏衣たちが招集されたという顛末である。おかげでだいぶ助かってるわよ!と屈託ない笑顔で笑う奈那とは対照的に、すまなさそうに眉尻を下げる春乃に、瓏衣は滴る汗を拭いながら首を振る。


「そういや喫茶店はいいんすか?」


 小太郎がこぼすように口にすると、瓏衣はサボり癖があるらしい店主の、締まりのない顔を思い出す。


「このあと少し買い出しをしたらすぐ戻るから大丈夫よ」

「ダンスは予定には無かったものだけど、子供たちが楽しんでいたならなによりだわ。さっき着ぐるみ着てた貴方はもう疲れたでしょうから、このあと休憩行ってきていいわよ。あとの二人は悪いんだけどもう少し風船配りお願いね。どっちかにちゃんと着ぐるみも被ってもらうわよ」


 準備できたら出てきてねと残して、奈那は春乃とともにひらひらと手を振りながら出て行った。

すると、カイナと小太郎はどちらからともなく右手を持ち上げる。


「じゃん」

「けん」


 ぽん。

 叩きつけあうように出された二つの手。片やグー。片やチョキ。


「む。私の負けか」

「いいじゃん。今度はお前がダンス踊れば。下手したら手足滑らせて骨折するかもだけど。それよりカイナ、着ぐるみ脱ぐから背中のジッパー下ろしてくれ」

「ああ」


 椅子から立ち上がった瓏衣はジッパーに絡まないよう首元の髪の毛を掻きあげ、カイナに背中を向ける。

 目の前に差し出された着ぐるみの背中の、きっちり上まで閉まっているジッパーに手を伸ばしていると、爽やかだがほのかに甘い香りがふわりと鼻腔を掠めてカイナは動きを止めた。

 この香りは瓏衣のものか。それとも着ぐるみから漂っているのか。ふと考えているうちに、髪を掻きあげたことによりさらけ出された未だほんのり蒸気した細い首筋に目が止まる。暑さは一先ず落ち着いたようだが、しかし大粒の汗が焦らすようにゆっくり、ゆっくりと首筋を滑り、うなじをなぞる。

 途端、胸に何かが込み上げるように押し寄せて、無意識に、喉が鳴った。


「カイナ?」


 一向にジッパーが引き下ろされないどころか、背後から物音ひとつしないことを不審に思った瓏衣が不思議そうな顔をして振り返ると、ようやく気がつき我に返ったカイナは緩く握った手で口元を隠し、気まずそうに顔を逸らした。


「……あ、ああ。すまない……」


 ますます不審に思えたが、まあいいかと追及はしなかった。


「ティーシャツの上から着てるせいでまだ少し暑いんだ。早く脱がせてくれ」


 すると、突如斜め後ろあたりから容赦なく頭を殴られる。


った!? なん───うわっ!」


 抗議をする間も無く肩を掴まれたかと思えば、引きちぎるような勢いでジッパーが下に引き下ろされた。

 蒸れていた背中に外気が触れ、妙な開放感を感じながらも、瓏衣はおそらく犯人であるはずの彼に怒りを示す。


「いきなり何すんだよ小太郎!」

「お前がジッパー下ろせっつったんだろうが」

「殴れとは言ってないだろ!」

「わかったから、それ脱いでとっとと休憩行け」

「なんなんだよっ!?」


 納得がいかないが小太郎は話を続ける気がないようなので、瓏衣は渋々怒りを呑みこみ、着ぐるみを脱いで最初に着ていた薄手のパーカーに腕を通すと、ショルダーバッグを引っ掴む。


「じゃあ、あとよろしく……」


 不服そうな顔のまま、瓏衣はテントの裏に通じる垂れ幕から出て行った。

 瓏衣が出て行った垂れ幕をしばらく見つめて、戻ってこないことを確認した小太郎がカイナへ音もなく視線を移す。

 顔を背けたまま硬直している彼の背中に小太郎は、


「蓼食う虫も好き好きっすね……」


 もう何も聞きたくないし何も言いたくないというように、カイナは間の抜けた顔の熊の被り物を被った。




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