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投入口に百円を入れ、つまみを回すと手応えと共にガチャンと音がする。取り出し口に突っ込んだ手をすぐに引き抜いた瓏衣の手には半透明の球体が収まっていた。
早速パカリと開いてみると、中からくじ引きの紙のような取扱説明書と、景品が出てくる。
「やったあ!」
目を輝かせる瓏衣の手元を、隣にいた千鶴がのぞき込んだ。
「どうしたの?」
「狙ってたやつが当たった」
そう言って瓏衣が見せたのは、小さな、
「お弁当……?」
「唐揚げ弁当」
きちんと値段のシールまで貼られた蓋の中には黒い容器に黒ゴマと梅干しが乗った白飯、パスタか敷き詰められた唐揚げに、レタスが添えられたポテトサラダらしき副菜と、たくあんだろうか、黄色い半月状の漬物が二枚並んで入っているそれは、まさしくよく見かける市販の惣菜弁当、を巧妙に模して作られた模型玩具。いわゆるガチャガチャである。
レジの向こう側の壁際に縦に二段、それが横に並列したガチャガチャの左から三つ目にあるその台にはTHE・弁当というなんの捻りもない商品名を冠したガチャガチャがあった。他には丸い容器に入ったカツ丼や、焼肉弁当などがあるようだが、瓏衣は見事一回で目当ての景品を当てることが出来たらしい。
「なにしてんだ?」
レジで会計を終えた小太郎がナイロン袋片手に歩いてくる。
「おもしろそうなガチャがあったからやってみた」
「買うものは全部買えた?」
「おう。えーっと、もやしと味噌と……」
千鶴に返事を返すも、念の為持っていたメモを再度取り出し、ナイロン袋の中身と照らし合わせる。すると、不意に小太郎が訝しげに眉をひそめた。
「なんだコレ?」
買ったものに紛れて、覚えの無いものが入っている。ガサガサとナイロン袋を揺らして引っ張り出してみると、それは何の変哲もない一枚のチョコレートだった。もちろん封はまだ切られていない。
「こんなもん買ったっけか?」
「あ、それオレの。さっき買い物カゴに紛れ込ませたやつ」
「はぁっ!?」
思わず声を上げる彼をよそに瓏衣は涼しい顔で彼の手からチョコを取る。
「これでこの前の貸しはチャラにしてやんよ。ありがたく思え」
ニシシと笑って瓏衣は板チョコを持った右手を揺らす。
この前の貸し、とは先だっての影堕ちした件のことだろう。小太郎はぐっ、と唸るが、借りであることは認めているらしく何も言い返しはしなかった。それをいいことに瓏衣は千鶴にもまた何か奢ってやれよー、と言いながら先に店を出ていく。
「……えと、私は大丈夫だよ……?」
「……いや、まあ、確かに余計な心配かけたのは事実だしな。また考えといてくれ」
遠慮がちに言う千鶴にそう言って、小太郎は瓏衣のあとを追ってガラスの自動ドアをくぐった。
「おかえり。三人とも」
「お買い物は終わりましたか?」
外へ出るなりそう三人に投げかけられた声。瓏衣は早速板チョコを齧りつつ顔を顰めながら声がした方を、出入り口横の自販機のそばに立つ二人を見やる。
「で、お前らとはさっき喫茶店で別れなかったっけ……?」
缶コーヒーを手に持ったカイナと、ジュースを飲み干し空になった缶をゴミ箱に捨てるセレンが、そこにいた。
「堕天使たちのことを差し引いても、近頃はなにかと物騒だからな。もうすぐ夕方だし、子供たちだけで帰らせるわけにはいかんだろう」
無駄に整った顔が、愛想よく笑う。女性なら誰もが耳まで真っ赤に染めてときめくその笑顔も、瓏衣にかかれば白い目としかめっ面で片付けられるのだから形無しだ。
「そうですよ! いくら瓏衣さんが元々強くて小太郎さんも仲間になったとはいえ、瓏衣さんだってまだ新入りさんです! 万が一この前のように堕天使が現れたりしたら、今のお二人ではまだ太刀打ちできません! 危ないです!」
両手に拳を握るセレンが前のめりになりながら得意げに言うと、瓏衣は白い目のままセレンに目をやる。
「お黙りへなちょこ天使」
「ぴぎゃっ!?」
瓏衣の右手がセレンの額にデコピンを決める。痛かったのか、セレンは悲鳴をあげて額を押さえる。
ちなみに雪羅は用事があるらしく喫茶店で別れたそうだ。
「ま、まあまあ瓏衣くん、もしも本当にまた危ないことが起こったときに、人手は多い方がいいということで、ね?」
千鶴が宥めて、瓏衣は渋い顔のままチョコを齧る。しかし何も言わなかったので、了承したと受け取ったカイナがでは決まりだな、と笑う。
「好きにしてくれ……」
呆れたように呟く瓏衣が自宅方向へ歩き始め、千鶴と小太郎が瓏衣を挟んで並び歩く。
その後ろにカイナとセレンが続いた。
「へえ。じゃあセレンて、カイナん家に居候してんだ」
「はい。元々僕は資料庫で蔵書を管理する史書官見習いをしていたのですが、若輩者のこの身に神令を賜り、皆さんが住むこの世界へとやってきた日にカイナさんと出会い、お世話になることになりました」
瓏衣を仲間に誘ったあのときのように、堕天使を相手に共に戦ってくれる人を探して一人この地にやってきたあの日。そんな勇猛さを持つ人間がホイホイいるはずもなく、しかしそれ以前に臆病な性格が災いし誰にも声をかけることが出来ないまま、すっかり日の沈んだ夜の公園で途方に暮れていたセレンに、その正体がまさか天使だとは思いもせず、どうしたのかと声をかけたのがカイナだった。
その後いろいろあってカイナが仲間になり、さらにゴタゴタしながら雪羅が加わり、そして瓏衣たちが仲間になって、今に至る。
「そういえば、セレンくんはどこから来たの?」
車が通る大きな通りから路地へ入り、小さいビルやコンビニを過ぎてアパートや家々が建ち並ぶ道を歩きながら、瓏衣を挟んで、千鶴が首をかしげながらセレンに問いかける。
「僕達天使を造り給うた我らが主、皆さんが呼称する神さまの御許、光溢れる天穹の苑、天界です」
「天使が住む天界かぁ。見てみたいな」
天界、と言うならば、それは空の果てにあるのだろうか。瓏衣は顔を上げて空を仰ぎ見ながら言う。
「僕もいつか機会があれば、ぜひ皆さんをお連れして、天界を見ていただきたいです!」
セレンがどこか嬉しそうに、楽しそうに笑う。やはり、故郷に特別な思いを抱くのは人も天使も同じということなのだろうか。
明るく談笑する瓏衣たちを眺めながら二歩後ろを歩く小太郎の顔はなぜか曇っていて、カイナは目線だけを向けて声をかける。
「浮かない顔だな。どうかしたか?」
「……、いや……」
なんでもない。と答えそうになった。別に大人相手に変な意地を張っているとかじゃなく、ただ本当に言うほどの事じゃないと思っていたのだが、彼らに出会って人の感情や心は取るに足らないものなんかじゃない。それはときに大きな障害や災厄となると分かった。だから、小太郎は再び口を開いた。
「その……、さっきのストーカーの話聞いてからずっと考えてたんスけど、そういや昼間に負影倒したときも変な視線を感じたなって……」
「奇遇だな。私もここ最近、何度か妙な視線を感じたことがある」
しかしその視線から殺気を感じたことは今のところ無い。この言葉に、小太郎は頷いて同意する。
だが害は無くとも、用心しておくに越したことはない。この日常を、自分の周りにいる心優しい人たちを守りたいと思うのは、小太郎だって同じなのだから。
「なんかつけてきてるな」
セレンと千鶴の間で楽しそうに談笑していた瓏衣の表情が、緩んでいた糸を引っ張ったように不意にぴん、と張り詰める。
瓏衣と言葉で、小太郎とカイナもその気配に気づいた。誰も足を止めないのは、尾行に気づいていることを悟らせないためだ。
これは、春乃から聞いた例の男を狙ったストーカーか。標的は……。
「って、男女入り交じってるから結局誰が狙われてんのかわかんねぇし……」
今までの経験と、カイナたちが気づいていなかったこともあり、瓏衣は初対面で女性とバレない自信がある。なので、この場に千鶴がいなければ、例のストーカーと断定できたのだが。
「数は一人だけのようだが……」
「とりあえずシメる?」
「笑顔で拳を構えるなバカ」
カイナの言葉に、ぐっと握った拳をかざしながら笑顔で振り返った瓏衣を小太郎が窘める。
「でもこのまま家を知られる方が困るだろ」
現在、先ず最初に千鶴を家まで送るため、瓏衣たちは彼女の家を目指して歩いている。このままなにもせず彼女の家を知られてはやがて事件が起こるであろうことは目に見えている。だからといって彼女を後回しにして先に小太郎や瓏衣を送ったところでその後何も起こらない可能性は低くない。瓏衣の言葉は一理ある。
ふむ、とカイナは顎に手を添え、思案する。
「仕方ない。適当に遠回りをして撒くとしよう。物理的な手は最終手段だ」
「ちっ」
頷く小太郎に対し、つまらなそうに舌打ちをする瓏衣に、両脇の千鶴とセレンは苦笑いである。
遠回りをすることに決まり、瓏衣は適当にすぐ目の前の住宅の塀の角を曲がろうとする。
とそこで、
「きゃあああっ!!」
甲高い、女性の悲鳴が鼓膜をついた。
それは、後ろから聞こえたように思う。
反射的に全員が振り返る。そして瓏衣はいち早く、今しがた歩いてきた道を弾かれたように走りだす。
「いやあっ!」
角になっている塀の陰で中年ほどの小太りの男に背後から抱きしめられ、その腕のなかで必死に抵抗する制服姿の少女がいた。興奮したように鼻息を荒らげる男は嫌悪と恐怖に涙する少女に構うことなく、汚らしい欲求に従ってカサカサの分厚い唇をぷっくりと熟れ潤った少女の唇へ近づける。
無論、それを許す瓏衣じゃない。素早く少女から男を引き剥がし、脇の塀に容赦なく力いっぱい叩きつけてやる。
「ぐあっ!?」
やはり背中をぶつけたのだろう。痛みに顔をしかめる男の胸ぐらを掴みあげ、瓏衣は低い声を出す。
「今ここで死ぬのと彼女に謝罪して警察に突き出されるのと、どっちがいいか選ばせてやる」
「ヒィっ!?」
般若の形相に近い瓏衣の表情に目を剥きながら、男は丸い体を恐怖に震わせるばかりで答えない。瓏衣が胸ぐらを掴んでいる腕で男の首を絞め上げて返答を急かす。
「がっ……!? わ、分かっ……! 悪かった! 許してくれぇ!!」
汗と涙と唾液を垂れ流して見るに堪えない姿と化している男が懇願すると、瓏衣はようやく手を放した。やっと解放されたと文字通り一息つく男。が、それもつかの間。
不意に顔を上げた男の視界には右腕を振るう瓏衣が映っていた。かと思えば、首に強い衝撃が走り、それは神経を伝って脳を揺らし、軽い脳震盪を起こさせる。耐えきれない男は一瞬で意識を失い、ばたりと倒れ込んだ。
「瓏衣!」
千鶴や小太郎たちが走り寄ってくる。そこには怯えた様子の少女と、瓏衣の足元に転がる小太りの男。
「大丈夫か? 何があった?」
「変態を一匹シメあげたんだよ」
カイナの問いに、瓏衣はぱんぱんと両手を打ち合わせながら答えた。そして着ていたパーカーを脱ぎ、そばで自身の体を抱きしめ、呆然としながらも未だ少し怯えている少女の肩にかけてやる。
男を狙ったストーカーかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「怖かったな。もう大丈夫だから」
瓏衣が優しく声をかけると、安堵したのか少女は途端に涙を零しながら縋り付くように瓏衣に身を寄せた。
ぽんぽんと少女の背中を叩く瓏衣に仕方ないとは思いつつも少しおもしろくなさそうな顔をする千鶴。小太郎はやれやれと肩を竦める。
「カイナ。オレはこの子を家まで送るから、千鶴たちを頼めるか?」
「それは構わんが、それではお前が一人で帰ることに……」
だからといって大人数でまた歩き回るのは非効率だし、既に空は群青に染まり、星が輝き始めていて、全員を送り終える頃にはすっかり夜になる。
食い下がるもカイナもまたそう考えているのだろう。どうしたものかと腕を組み、考えあぐねている。
「なら、二手に分かれようぜ。俺がこっちに付く」
「んぎゃ」
小太郎は未だ少女をなだめている瓏衣の隣に立つと、その頭をかき回した。
「そっちは千鶴を送ってやってくれ」
「……わかった。責任を持って送り届けよう」
妥協案としては上々か。カイナは渋々頷いた。
「小太郎くん、瓏衣くんがまた無茶しないように見ててあげてね。目を離すと危ないから」
「おう。任せろ。またな千鶴」
イタズラっぽく笑う千鶴は頷くと、カイナとセレンに連れられて歩いていく。
「さーて、そんじゃいくぞバカタレ」
よっこいせ、と失神している小太りの男を担ぎ上げると、小太郎は最寄りの交番の場所を思い出しながら千鶴たちとは違う方向へ歩いていく。
「オレはガキか……」
その背中を睨んで、瓏衣は少女と共にあとを追った。
記憶を頼りに歩いて、たどり着いた交番に男を突き出すと、瓏衣と小太郎は少女を送るために住宅街を歩く。
「オレは瓏衣。飯綱瓏衣。後ろは一条寺小太郎。よろしく」
制服を着ているからには彼女は学生だろう。すぐに気づいて助けに入れたのはよかったが、幼い少女が気色の悪い悪漢に襲われれば、嫌悪と恐怖しかあるまい。少しでも恐怖が安らげばと、瓏衣は談笑として小太郎の分と合わせて軽い自己紹介をする。
すると瓏衣の隣を少し気落ちした様子で歩いていた少女は顔を上げると、わずかだが顔を綻ばせてくれた。
「助けていただいて本当にありがとうございました。私は西条祷です」
「祷ちゃんか。かわいい名前だね」
「い、いえ!そんなっ!」
赤く染まった頬に手を添え、はわはわと慌て出す祷に、瓏衣は笑う。
「……あの、実は、瓏衣さんたちに助けられたのはこれで二度目なんです」
「そうだったかな?」
「……覚えて、いらっしゃいませんか……?」
足は止めない祷が少し不服そうに、不安そうに眉尻を下げ、上目づかいに瓏衣を見る。
ハーフアップに結われた金色の髪は毛先が緩くカーブしていて、碧玉のような瞳は自信がなさそうに揺らいでいる。落ち着いた物腰に、華奢な体はワンピース型の清楚な制服をまとっていて、それはこの街では有名な大学と高校が合わさっている名門女学院の生徒が着ているもの。
言われてみれば、この優美で品のある制服と、目を引くかわいらしい金色の髪にどこか覚えが……。
とそこで、不意に脳裏にいつかの光景が断片的によぎっていく。
「そうか! 君はあのときの!」
ほんの数日前、負影と、影堕ちした不審者、そしてカイナたちに初めて会ったときに不審者に襲われていた少女だ。
あのときは避難させることだけを第一に考えていたため、千鶴に最寄りの交番に連れていかせ、それきりになっていた。二人の後ろをついて歩く小太郎も思い出したのか黙ったまま目を丸くしている。
瓏衣がようやく思い出すと、祷はぱあっと表情を明るくさせて笑う。
「はい! あのときも、助けてくださってありがとうございました」
あれから目まぐるしいほどに怒涛の毎日が繰り広げられていったためすっかり忘れていたが、改めて無事だったとわかると、無茶をした甲斐があったというものだ。
いくつもの星が輝き出した空の下を歩く三人はやがて住宅街へと足を踏み入れたが、しかし同時に瓏衣の表情が固くなっていく。
それもそのはずだ。左右に並び立ついくつもの家々。その一つ一つを囲う塀の間隔がはるかに長く、また一つ一つの家が一般的な住宅に比べて明らかに大きい。つまりこの住宅街は豪邸ばかりが軒を連ねる、一等地の高級住宅街だったのである。
制服が証明しているとおり名門女学院に通っているというなら、彼女がお嬢様であってもなんら不思議なことではないが、それでも間違いなく一般市民である瓏衣と小太郎は初めて目にする高級住宅のその規模の大きさに呆気にとられるばかりだ。
「うちはもうすぐです。そこの白い壁の家がそうですから」
二人をよそに、優雅に、お淑やかに歩き続ける祷は白く細い手を持ち上げて自宅を示す。
インターホンと監視カメラがついた門の前で足を止めた祷はゆっくりと体を瓏衣たちの方へ振り向かせ、長い髪と制服の裾を揺らす。
「送っていただいてすいません。本当にありがとうございました。では、失礼します」
「どういたしまして。おやすみ、祷ちゃん。またね」
「はい! きっとまた!」
軽く手を振る瓏衣におやすみなさいと笑った祷は礼儀正しく頭を下げると、インターホン横の格子状の門を開いて中に入り、奥の玄関へと歩いていく。
小さな背中がますます小さくなっていくのを、小太郎はしばししかめっ面で眺めていた。
「どした小太郎。顔怖いぞ?」
来た道を戻ろうとしていた瓏衣は、半身だけを振り返らせて目を丸くしていた。
すると瓏衣は口元をニンマリと緩ませて、
「惚れたか?」
瓏衣の方へ振り返った小太郎が、後頭部に回していた手を振り上げる。
「ふんっ」
「あだっ!?」
ばしん。思い切り叩かれた背中に強烈な痛みが走る。
「帰るぞアホタレ」
「へーい」
ポケットに手を突っ込んで歩く小太郎を追いかける瓏衣は隣に並び、さて明日は春乃から何を頼まれるのかと零すと、彼はさァなと素っ気なく返した。




