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「朝からこんなとこで呼び止めてすいません。あの、俺、柏田かしわだっていうんですけど、覚えてるかな。今は大学進学して別の学科にいるけど、高校三年間はずっと同じクラスで…」


 大学の近くまで伸びる、いつもの遊歩道にて。人のよさそうな顔で気恥ずかしさにはにかみながら茶髪のくせ毛を掻く柏田かしわだと名乗る彼は言う。

 千鶴は過去の記憶を掘り起こす。

 思えば自分は小さな頃から活発な方だったが、しかし瓏衣たちを除いては親しい友人はあまりいない。他人に話しかけることは苦ではないし、誰とでも打ち解けられる自信はあるが、それでも自分でも不思議なぐらいに、一緒にいたい、話がしたいと思えたのは二人だけだった。

 元々千鶴自身多くの友人を望まないこともあって、昔から瓏衣がいれば、中学に上がって小太郎が輪に入りだしてからは彼を含めて、二人がいればそれでいいと心から思ってきた。

人嫌いというわけではないが、不思議と誰よりもあの二人といる方がなによりも楽しいのだ。

 そういえば高校時代、休み時間にいつものように三人で話していると、何かの教科の係で生徒たちから回収したノートを彼らしき男子生徒が運んでいくのをたまたま横目に捉え、他人事であるのをいいことに瓏衣が係は大変だなけけけとせせら笑ったことがあったような…。


「あ、覚えてなくてもいいです。鹿野さんずっと飯綱と一条寺と一緒だったし」


 千鶴の返しが遅いので覚えていないと解釈したらしい彼は両手を左右に振る。まったく覚えていないわけでもないが、まあいいかと千鶴はあいまいに笑う。

 自分が何と言おうが、この先の展開は大方の見当がついている。同じようなことはこれまで何度かあったから。


「それで、あの! い、いきなりなんですけど…!」


 彼女の予想通り、柏田は勢いよく頭を下げて言葉を紡ぐ。


「高校の時からずっと好きでした! お付き合いを前提に、お、俺とっ! まずはお友達から始めていただけないでしょうかっ!!」


 緊張のあまり、彼は早口になりながら腹の底から声を張り上げる。無理もあるまい。

 シャツにベストと、スラックスのようなパンツの上に薄手のスプリングコートと、やや真面目そうな印象を与える服装に身を包んだ彼は、確か高校時代はやや緩い友達も何人かはいたものの、彼自身は優等生に近い成績と言動をとっていた。

 そんな彼が異性に向けた告白慣れをしているわけがない。きっとこの告白も、彼には相当な勇気と覚悟を要したことだろう。

 しかし、千鶴の答えは決まっていた。


「とても真摯な気持ちが伝わりました。でも、ごめんなさい…」


 布擦れの音がして、柏田はおそるおそる頭を上げる。すると、やはり千鶴が深々と頭を下げていた。

 そっか、と小さな声が聞こえて、千鶴はゆっくりと頭を上げる。


「本当は、正直断られるってわかってたんだ。鹿野さんが誰かと付き合ってる姿って見たこと無かったから」


 悲しげに視線を落とし、ぽつぽつと呟くように言葉をこぼす。彼女を一瞥すると、罪悪感を感じてくれたのか、彼女もまた憂い顔で視線を落としていた。


「ひょっとして、一条寺のことが好きとか?」


 気まずくなって、彼は首をかしげておどけてみせた。

 千鶴はゆるゆると首を振る。


「…うん。とりあえずわかった。告白聞いてくれてありがとう! よりによって朝に呼び止めてごめんね! 大学だと学科違うと人探しは難しいからつい…。じゃあね!」

「はい…」


 いたたまれなくなった彼は二、三度手を振って駆けだし、未練がましく詰め寄ることもせずあっさりと去っていった。

 本当のことを言うと同じ大学に進学していたことも知らなかったが。意味もなくその姿を目で追い、小さくなる背中を見つめる。

 そして彼が、二十メートルほど離れたところのアーチタイプの車止めのポールに腰かけている背中を追い越した。その背中は紛れもなく瓏衣で、二人で通学していたところを柏田に呼び止められるや否や、空気を読んだ瓏衣が待ってるからと短く残して場を離れたのだが、気づいていないのか、柏田は瓏衣に言葉をかけることも視線を向けることもなくまっすぐ駆けていった。

 自意識過剰かもしれないが、もし瓏衣と彼が自分のことでなにかい言い争い始めたらどうしようと内心ヒヤヒヤしていたのだが、杞憂で済んで何よりだ。

 こくこくと不安定に揺れている少々丸まった背中に、千鶴は飛びついた。


「えいっ!」

「わっ…!」


 一瞬だけ体が思い切り前へ傾くが、気が付いた瓏衣がすぐに体を起こしたので倒れずに済んだ。


「ああ、終わったか…。ふわぁ…」


 肩ごしに振り向いた顔は至極眠そうで、ポールから腰をあげると、瓏衣は大きなあくびを一つこぼす。


「なんだかすごく眠そうだけど、大丈夫?」

「今朝からすげえ眠い。おまけに食欲が尋常じゃなくてさ。朝から三合の米を平らげたのは快挙だったわ…」


 行くか、と瓏衣が歩きはじめ、千鶴が付いていく。並木道を歩く間も、瓏衣はときおり大きなあくびをこぼしてはふらふらと足取りが覚束なくなる。


「昨日のことと関係あるのかな…」


 千鶴の表情が曇る。すると、頭に瓏衣の手が乗った。


「それも含めて放課後、もう一度話を聞きに行こうと思う。やっぱりオレ、あいつらと組むよ」

「えっ!? だ、ダメだよそんなの!!」


 今から聞きに行くわけではないのに、千鶴は慌てて頭の上にのっている瓏衣の手を掴んで引き留める。その表情は不安と悲しみに満ちていて、瓏衣は寝ぼけまなこだった蒼色の目を丸くする。


「なに、取り乱してんだよ…?」

「だって、だって瓏衣くん、昨日もまた危ない目に遭ったんだよ!!? 私と柚姫さんがもう危ないことしないでって言ったのは、もう《あの時》みたいな酷いケガしてほしくなかったからなのに!!! なのにまた危ないことに関わるつもりなの!?お願いだからもう止めてよ!!!」


 勢い任せに気持ちを吐き出した千鶴は、気持ちの高ぶりからか大粒の涙を流し始めた。

 瓏衣とて彼女の気持ちや思いやりがわからないわけじゃない。わかるからこそ、大事だからこそ、守りたいと思ったのに。

予想外にも意思がぶつかってしまい、呆気にとられながらも言葉を口にする。


「千鶴聞いてくれ。オレは…!」

「もういいっ! もう知らない! 瓏衣くんのバカ!! 大っきらい!!!!」


 彼女の勢いに負けて何も言えなかった挙句、その言葉は瓏衣に多大な衝撃を与えた。

 いわば、よく比喩される、鈍器で頭を殴られたような、あの衝撃。

 千鶴はもう何も聞きたくないらしく、一人で駆けて行ってしまった。取り残された瓏衣は、少しの間をおいて、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

 道行く通行人の目を気にする余裕は、もはや残っていない。


「ん? おい瓏衣」


 たまたま通りかかった小太郎が駆け寄ってくる。しかし、今は体が鉛のように重くて、地面に這いつくばったまま瓏衣は顔を上げることが出来ないでいた。


「こんなとこでなに絶望してんだよ。まだ朝だぞ。つか千鶴はどうした」


 傍で膝をついてしゃがみ込み、瓏衣の肩に手を添えてゆすりながら、周囲を見渡してみるが、どこにも千鶴の姿が見当たらない。

 千鶴は大体いつも瓏衣か自分のどちらかと一緒にいるはずなのに珍しいと彼は首を傾げた。


「……れた」

「あ?」


 今、うなだれたままの瓏衣から声が聞こえた気がするのだが、小さすぎて聞き取れない。


「ち、千鶴に…」

「あいつに?」


 何があったかようわからんが、言葉を一気に紡ぐ元気も気力もないらしい。仕方ないので待ってやる。


「千鶴に、千鶴に…!」


 今度は這いつくばっている瓏衣の体がプルプルと小刻みに震えだした。

 そして、俯いたままだがようやく上体を起こして膝立ちになった瓏衣が言うことには、


「千鶴に…! 大キライって言われたああぁっ!!!!」

「うおおっ!?」


 感極まったか、瓏衣は半ば叫ぶように言いながら勢いよく小太郎にガバリと抱き付いてきた。勢い余って小太郎が尻餅をついたが、瓏衣はお構いなしに子供のように泣き喚く始末。


「……つまり…」


 珍しく朝からケンカが勃発したという、ゴールデンウィークも目と鼻の先に控えた四月最後の金曜日の朝だった。






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