揺らぎ
「おい、しっかりしろ。いや、しなくてもいいが、俺を見ろ」
ふと我に返った私は、自分が倒れていたことに気がついた。両腕に私を抱いた心路。その向こうに、空。綺麗。私は、ここに何をしにきたのだろうか。ああまた、そんなことを考え始めると、意識が遠くなる。そっと心路の手が私から光を奪った。温かい、支離滅裂だった考えが、穴に吸い込まれるように、少しずつ、収束していく。もう少しこのままで。ううん、このままでいられたら、多分私は幸せなんだと思う。私、ぼろぼろだったんだ。そう認めてしまう感覚は、新鮮だった。新鮮だ。
ここは、どこだっけ。
ふいに、公孫勝が見えた。目的を与えてほしいという私の願いを、この人なら、ちょっと叶えてくれるかもしれないと思った。生きることは虚しい。虚しい中で、なぜ生きなければならないのだろうか。私は何を言っているのか。禁忌の疑問に振れてしまった。
「辞めちゃおっかな」
ぽつりと呟いた自分の声で、ここがオフィスだということに気がついた。いや、忘れようと務めていたのだということを思い出した。忘れよう。忘れて、指先が赴くままに、世界を冒険しようと決めたんだ。
心路。
真っ白な原稿にその文字。待って、待ってよ消えないで。ぎゅっと心の目を閉じる。きっとだれよりあかるい、作る笑いを準備しながら──。
「だああああっもう!」
勢いよく体を起こしたところで、心路と頭をぶつけた。頭が割れそうなほど痛い。その痛みが、なんだか嬉しかった。戻ってこれた。空が綺麗。目に染みる。
「泣きたいのはこっちだ馬鹿!」
目に涙をためながら心路が怒鳴る。その後ろでは、林冲と史進が目を丸くして立っているところだ。私はとりあえず、えへへと笑っておいた。
「私、何がどうなったの?」
「倒れたんだ、まさに、急に」
そう答えた心路の目をじっとみる。こいつは、なにどこまで知っている存在なのだろう。いや、多分それは私が決めるべきこと。私の望み次第なのだと思う。だって心路は私にとって都合がいい存在として、ここに現れたんだもの。寂しいけれど、そうなんだもの。その最後の寂しさだけは、きっと、フォローすることはできない。不具合といわれれば、そうかもしれないね、心路。心の中でそこまでしゃべる。時が止まったようだ、と思ったけれど、この世界はこの世界で時が流れ続けている。風が頬を撫でる感覚も、わかる。そらも青くて綺麗だ。雲が少し、流れている。息苦しさに大きく深呼吸をする。
「お前、何かの病なのか?」
史進がはっきりとそう言う。心の病かもしれません、と思ったけれど、どことなくその言葉はこの場所に不似合いな気がして飲みこんだ。心路の手をぎゅっと握って、首を横に振る。
「どうでもいいじゃないですか。で、私は戦に出れるんですか、出れないんですか。あ、ダメって言われても出ることになったんでしたね」
ふと、公孫勝の存在を思い出した。この男は、常に意識していないとその場に溶けこんでしまう。林冲と言い合いを始めるかと思ったが、黙ってこちらを見ているだけだった。
「わかった、では死ね」
そう言い残し、林冲はその場をあとにした。