5 鮮血の花嫁
古い屋敷の広間に真依は一人で端座していた。
目の前に置かれた朱塗りの膳を、ぼんやりと見つめてどの位の時間が経っただろう。
対座にも同じように並べられた膳の列は整然と部屋の奥までも続き、その端は闇に呑み込まれているようだった。
背後の障子戸からは淡い月の光が射し込み、闇の色に染まったような桟と、月の色を張った障子の紙の黒と白のコントラストが正座をする真依の姿を頼りなげなものに見せている。
夜だと言うのに灯りすら灯っていないこの広い座敷に、真依はいつからかずっと何かを待ち続けていた。
――シャリーン、と清澄な音が夜の闇の中に響き渡ったその時、真依は開け放たれた座敷の入り口の向こうから、こちらに近付いてくる何者かの気配を感じ取っていた。
トン……トォ……ン、と何かが廊下の板を鳴らす音がする。
何の音だろう、と視線を動かした真依に向かって、深遠とも思われる廊下の闇の中から二つ、三つ大きく弾みながら飛び込んでくる何かがあった。
真依は別段驚く様子も見せず、当たり前のように自分の胸元目掛けて飛んできた白い物を受け止める。真依の両の手の中に白い小さな鞠が、ゆらゆらと陽炎のように仄かに光を放ちながら揺らめいていた。
――シャリーン……、と先ほど聴こえた澄んだ音色が真依の耳に響く。
『 も ぉ い い か い 』
座敷の中に小さな子供の笑い声が木霊しはじめた。四方八方から聞こえてくる『もぉいいかい』の言葉と、笑い声が嵐の中の雨粒のように容赦なく真依を襲ってくる。
『真依……』
声の主を探そうと、忙しなく視線を巡らせていた真依が視界の端に白い人影が捉えたのと陽子の声を聞き止めたのは殆ど一緒だった。弾かれたように見た座敷の上座には、いつの間に現れたのだろう。白無垢姿の陽子の姿があった。
背もたれのない簡素な造りの椅子に浅く座り、俯き加減の陽子の背後には夜空が広がり、中空には冴え冴えとした光を放つ月が浮かんでいる。
真依が陽子の名を口にしようと唇を僅かに開いたその時、純白の綿帽子を被った陽子の頭がゆったりとした動きで上がるのを真依は見た。
陽子は笑っている。
白く塗られた肌と紅くさされた紅が、別の生き物のように暗がりの中に存在していた。
その紅い唇の端が狂気の形で微笑を作っている。
『 も ぉ い い よ 』
ゆっくりと一つ一つの音を区切りながら、その言葉が陽子の口から唱えられたその時――。
瞬時に陽子の纏った白無垢が深紅に染まった。
綿帽子から鮮血をしたたらせ、血を含んだ着物を着た陽子の姿を、真依は手の中の純白の鞠を握り締めながら見守る事しか出来ないでいた。
「――!?」
握り締めた指の間から何かが流れる感触がして、真依は視線を自分の手へと移す。
手の中から、声がする。
真依は震える指を少しずつ開いていく。
広げた手のひらから、どろりと塊を交えた血が流れ落ちた。
小さな産声をあげて、血まみれの小さな赤ん坊が真依の手の中にあった。
真依は大きく目を見開いて悲鳴を上げ続けた。