3 セッテン
「あー、あの記事ですか? あれはサイトの掲示板にカキコがあったやつなんスよ」
次の日、真依は出社するとすぐに都市伝説のコーナーを担当している八木孝文のデスクへ向かった。
記事の事を詳しく知りたいと言う真依の言葉に、八木は手馴れたタッチでキーボードを操作しタウン情報誌のWEB版のサイトを表示させる。
「俺が管理している都市伝説のコーナーに関する掲示板をこの間開設したんスけど、これがまた盛況で。こっから面白そうな噂を探すのも結構大変なんスよー」
自分の担当しているコーナーが人気のためか、八木は嬉しそうに真依が知りたいと思っている情報を自ら進んで教えてくれている。
「げっ!!」
掲示板を開いた途端、八木の口から驚愕の声があがっていた。何事かと真依もモニターを覗き込む。
「これって……」
真依と八木を絶句させたのは、スレッド式の掲示板の、あるスレッドに書き込みが異常な程に集中していたからだった。一つのスレに対する発言の限度数を超えていたので、同じタイトルのスレが乱立している状態になっている。スレッドのタイトルは、【もぉいいかい?】――真依は思わず息を呑んでいた。
「すっげぇ書き込みの量だ。半端ねぇよ。一つの噂に、こんなに同じ事を知っているって書き込みなんて未だかつてないって!」
マウスを操作しながらの八木の声がだんだん大きくなっていく様子を、真依は逆に冷静な目で見ていた。掲示板の書き込みは、同じような事が身の回りで起こったと言う報告で溢れ返っている。
「こんなに同じ事が起こっているという事は……、これは作られた噂ではなく、真実だという事……?」
真依の言葉に八木は間の抜けたように大きく口を開けたまま、真依を見上げていた。
「うわぁおぃあっ!!」
八木が突然変な悲鳴を上げたので、真依は驚いてモニターから目を離し、八木を見る。
「朝っぱらから何て声出すんだ、このバカが」
いつの間にか、八木の背後に編集長の鴇谷が立っていた。さっきの八木の悲鳴は、目の前で起こっている信じられない現象に緊迫していた状態で不意に肩を叩かれての事だったようだ。
八木の肩に手を置いたまま、鴇谷はヌッとした動きでモニター画面に顔を近づける。
「八木、お前、この件に関しての記事を書け。これだけデカい反響があるんだ。化けるぞ、これは」
「こ、この噂をっスか? でも、投稿してくるのは皆、匿名だし、どっから当たっていいか……」
八木は情けない声を出したが、鴇谷の一睨みで気の毒な位に小さく肩を竦め、小さく「はい」と言葉を繋げた。
「で、高倉は何でコイツに?」
鴇谷がモニター画面に映る掲示板を親指で指して訊ねて来た事に、真依はどう返事をしていいものかと迷っていた。
今現在、この【もぉいいかい?】の噂と現実を結ぶ接点となるのは、自分の親友の陽子しかいない。陽子があれだけ怖がっているのを知っている真依に、取材という名目で接する事はしたくないという気持ちがあったからだ。
その時、真依のジャケットのポケットの中の携帯が着信を知らせるメロディを鳴らし始める。
液晶画面を見て、電話が実家からだとわかった真依は八木のデスクから離れ自分のデスクへ向かった。
通話ボタンを押し、真依が携帯を耳に当てた途端、真依の耳に尋常ではない程に取り乱した母親の声が飛び込んできた。
「え……陽子が? どうして? 昨夜、電話で話したばかりだよ?」
信じられないような出来事が母親の口から告げられる現実に対応出来ず、真依は目を見開いたまま呆然と母の言葉を聞くしか出来ないでいた。
「わかった……」
力なくそう答えるのが精一杯の真依が携帯を閉じるのを、少し離れた所で鴇谷と八木が見守っている。真依は携帯をポケットにしまうと、ゆっくりと彼らの傍へと戻ってきた。
「どうしたんスか……? 高倉さん」
生気が抜けてしまったような真依を見て、心配そうに八木が声をかけてくる。
「陽子……って、確か来月結婚式を挙げる友達の名前だったな? どうかしたのか?」
鴇谷もそう訊ねてきたが、真依の表情から良くない知らせだという事は察しているらしく、細い目が何かを予感しているように一層細められていた。
「さっき……、昨夜、救急で運ばれた先の病院の屋上から飛び降りて死んだって……」
真依の言葉に驚いた様子で、鴇谷と八木は顔を見合わせる。
「昨日の夜、彼女から電話があったんです。【もぉいいかい?】の記事は本当の事なのかって……。陽子、すごく怯えていたのに、私、助けられなかった……」
俯いたままの真依の顔から大粒の涙が零れ落ちた。声を押し殺して泣く真依の背中を、子供を慰めるようなやさしい手で鴇谷がトントンと叩く。
「接点が……出来た……。噂は本当の事だったんだ……」
八木の言葉に、真依と鴇谷はPCのモニターに再び視線を移す。
モニター画面から、恐ろしい何かが今にも手を伸ばして自分を引きずり込もうとしているような気がして、思わずキツく目を閉じる真依だった。