魔法使いが恋をした!!
第一章 少女の日常
彼女、ミツの日常は実に平坦なものだった。間借りしている部屋の片隅のベッドで目を覚まし、顔を洗う。ああ、今日もさえない顔だなと思いながら、空腹感を感じて、小さなキ
ッチンでトーストなどの簡単な朝食を作る。まるで、リスのようにもそもそと頬張りながらそれらを食べて、一杯のミルクを飲んで出かける。
向かう先はいつも同じ。この街で魔法使いを名乗っているのは、おそらく師匠を含めて数名だろう。その師匠のところに行って勉強をする。ミツは一般的な学校に行くためのお金がなかったから、魔法使いのいる小さな学校に通っている。恐ろしいくらい学費が安いので、なんとなく入ったのだ。
両親はいつもケンカをしていた。殴りあうようなものではなく、陰険で罵りあうような静かなケンカだった。そんな家族の生活が続くはずがなかった。
ミツの誕生日に別れは訪れた。彼女は母方に引き取られたのだが、片親だけの生活にも不満はつのる。ぐちぐちと嫌味を言われる日々に、彼女は家を飛び出した。反発の言葉も述べず、静かに玄関に向かい、そのままこの部屋を間借りした。
それから数年。なんとなく膨らんできた胸部とか、丸みを帯びてきた体つきなんかを見ていると、どんな生活をしていても成長はするのだなと、淡々と感じていた。
ただ気がかりだったのが、いずれ自分も親と同じような人間に成長してしまうのではないかということだ。遺伝子を半分受け継いでいるのだ。少なからずその兆候はあるだろう。
もし、誰かに恋をして家庭を持ったら、自分も両親のように罵り愚痴りあう関係しか築けない家庭しか持てないのだろうか。そう思うと、彼女は好きな異性に声はおろか、眼すら合わせせることは出来なかった。
彼女は学生の時分に大人の醜さを知ってしまった。若い時は幸せだった環境も、年を経るごとに険悪なものになっていくのが通例である。そう思い込むようになっていた。事実、彼女の通学路の道では、夫に対して不満をもらし合っている女が幾人もいる。それでよく家庭が保つよな…。そんな幼さゆえの理想の家族というものを持っていた彼女は、世界のどこかには仲睦まじく、子供と幸せに暮らしている家族がいるものだと信じ込んでいた。
しかし、誰と結ばれようと不満は募る。距離が縮まることによって初めて見える醜さに、それでも家庭を守ろうとする女の不満は日に日に募っていく。結局、幸せな家庭なんてものは、彼女がまだ子供の頃に読んでいた童話の中にしか存在しないものなのだ。それを知った時、ミツは家庭を持つことを頑なに拒んだ。
この時代では、16歳を超えた人間は結婚できるようになっていた。その歳で立派な大人なのだと認識されていた。だから母親も彼女に早く結婚するよう何度も口走っていた。そんな彼女の話を聞きながら、ミツは「結婚しても、アンタだけは養わない」と固く誓っていた。彼女にとっては、両親不仲の環境で育ち、どちらにも恩も義理も感じていない。そんなことを思うような年頃だったのだ。
だから家を出た。母親はきっと、ただの家出だと思っているに違いない。心配されているかどうかも怪しい。そのため、ミツは母親に対する未練など微塵も感じていなかった。やっと解放された。これで自由だ。そんなことを考えていた。
間借りしている部屋の外の階段をタンタンタンと降りていると、一人の青年が下の階の扉から出てきた。それがトリだった。彼はどちらかというと、気が弱く、目上の者にはヘコヘコ頭を下げるような人間に見えた。それも本心から謝っているように見える。ミツはそんな人間関係はご免だった。それでもトリに想いを寄せていた。だから目も合わさず、彼の前を無言で通り過ぎた。
彼女がそんな恋心を寄せるようになったのは、ほんの些細なことだった。ミツがいじめられていたのだ。どこにでも、どの街にでもいるような質の悪いチンピラに。それをトリは遠目からでも見ていたのだろう。とっさに間に立って、彼女の腕を引いて、まるで待ち合わせをしていたかのような話し方で立ち去った。そして彼は言った。
「もっと前向いて歩かないと危ないよ…」
彼が繋いだ手は震えていた。よほど怖かったのだろう。それでもミツを助けてくれたことに、彼女は恩を感じていた。顔も性格も体格も、人に自慢できるほど自信のない女を、どうして助けたのか、気が付いた時には言葉にしていた。すると彼は簡単にこう言った。
「そりゃぁ、女の子があんな状態になった後のことくらい想像できるさ…」
要するに、女があんな状況に陥ってたら、どんな奴でもどんな性格でも、どんな背格好でも助けてしまうのだ。ガッカリしなかったらと言ったらウソになる。自分だけのために助けてくれたのかと期待した自分を少し恥じた。それでも彼女は彼に好意を持つようになった。間借りしている部屋の下にトリが住んでいることに気が付いた時には、毎晩胸が高鳴った。もしかしたら、突然ミツの住んでいる扉が開いて、トリが姿を現すかもしれない。そんな妄想を何度想像したことか…。当然、そんな奇跡的なことは一度も起きず、いつもの生活に戻っていった。
しかし、彼と偶然会う機会は何度かあった。それも数十秒くらいの超短時間なのだが。階段を下りていると、トリが扉を開けて、眠気眼であくびしながら顔を出す。そういう「ばったり会った」的な偶然は、何度かあった。それはいつまで経っても慣れない。
今日は彼と会うだろうか。声をかけてくるだろうか。あの時助けてくれた偶然を覚えてくれているだろうか。色々な期待が彼女の胸の中を踊っていた。
それが彼女の日常だった。
第二章 ワタリトリ(渡り鳥)
トリ。その名前は母親からもらったものだ。この子はきっと一所にいないだろう。どんな時も、どんな状況でも、どこからともなく現れて、気が付くともういない。姿は美しいが、通り過ぎると心が少し痛むような、虚しくなるような、渡り鳥のような生活を選ぶに違いない。そう言っていたという。
母はそれからしばらくして病死した。その頃のトリはまだ幼く、人の死というものが辛く悲しいものだという認識しかなかった。その後に、父親から聞かされたのだ。
どうやら父親は、旅の行商をしており、街に家を建てた後も、何度も旅に出ては金を稼いで来る生活を続けていたという。その時のトリの母親の心境が、彼の名前になったのだ。彼は母が死んだその何年か後に、自分の名前が、母の心の辛さを模したものだということに気が付いた。
きっとこの子も私の元には長くいないだろう…。どこか遠くに行って、時々家族の元に帰ってくる。そんな父親似の人生を送る人間になると、そう示唆しているようだと思った。
だから彼はその名前が嫌いだった。日に日に父親に似ていく自分の顔を嫌悪するくらい気持ちの悪いことだった。だが、はからずも母親の言葉は現実になった。彼は幾多の街を徘徊するように、点々と生活していた。
仕事には困らなかった。なぜなら、彼は顔だけは父親に似ていたが、口調や物腰、仕事に関しては完全に母親似だったのだ。料理は得意だし、家事一切は全く彼にとっては負担にならなかった。そのため、仕事もおのずとそういう関係のものに就いた。どういうわけか、それらをこなしていく内に、腕も上達していたらしく、すぐに仕事にはありつけた。
平々凡々な生活が彼の周りを取り巻いていたし、それを彼自身拒絶することはなかった。
* *
ある朝、新しく来た街で間借りしている部屋の階段をタンタンタンと降りてくる女の子を見つけた。その顔は良く知っている顔だった。と言っても、会話らしい会話なんか一度くらいしかしたことのない人で、彼女自身気が付いていないようだった。
目には力がなく、覇気というものが感じられなかった。明らかに根暗だ。あの時、偶然通りがかっていなければ、名も知らぬ彼女は卑猥な行為を強制されていたに違いない。
何故あの時、根性のコンの字もないような自分が、質の悪い男達の間に割って入ったのか今でも謎だ。考えられることと言ったら、単にそういう性分だからという言葉しか思いつかない。
あくびをこらえることもせず、思いっきり朝の街の空気を肺一杯に吸うと、スウッと目が覚めてきた。その時にはもう彼女は階段を降りきり、どこかへ行くために、彼に背を向けていた。
とりあえずコーヒーを飲もう。ブラックのとびきり苦いやつを。それを飲んで、軽く腹に何か入れて、仕事に向かおう。そう思って彼は部屋の中に戻った。
* *
出勤してからの彼の仕事は調理だった。旅に出て初めて立ち寄った場所では、皿洗いをしていたが、いつの間にか店に並ぶ食事を担当するようになっていた。嬉しくないと言ったらウソになる。それだけ認められたということを実感する日は何度もある。だが、それで気が強くなったり、気が大きくなったりしたことはない。
そもそも彼は根性がないのだ。今の仕事をしているのも、単に性に合っていただけのこと。それが認められて嬉しいは嬉しいが、それ以上鼻が伸びることもなかった。だから今までその鼻をへし折られるようなことや、ましてや切り取られるような機会に遭遇したことはない。
考えてみれば、彼は何も主張しない人間だった。変わり者だったのだろう。自分の意思とかプライドとかが希薄で、人が怒るような場面に出くわしても、オロオロすることはあっても、感化されることはなかった。家に帰り、ベッドに寝転がってその時のことを反芻すると、「まぁ、そういう人もいるんだな…」と思いながら、頭の中を羊が通り過ぎていった。
* *
翌朝、目を覚ますと、とりあえず空気の入れ替えのために玄関を開ける。そういえば今日は休日だったな…。シーツを干して、部屋の掃除をしなくては。洗濯物も、ここのところ悪天候のせいで洗えていなかった。することは山のようにあった。
そうだ。彼女は確か二階のどこかの部屋を間借りしているんだっけか。休日はどんな生活をしているのだろう。なんとなくだが、部屋はちらかっていないような気がした。几帳面で、しかし、そういう家事とかはあまり好んでしているわけではないような感じだ。しなければしてくれる人が近くにいなかった環境に育ったんだろうなぁ…。
分かったふうなことを考えながらも、朝食を作る手は動いていた。朝にしては贅沢なオムレツを作ってみた。あと、サラダにスープ。もうこれだけで今夜の食事だと言っても問題ないようなものが出来上がってしまった。
「はりきりすぎた…」
まあ、何はともあれ冷えない内に食べてしまおう。かぐわしい匂いが部屋中に充満していて、自然と胃の中の虫が鳴いている。
スプーンを取って、オムレツの一部をすくい上げる。ケチャップなんか使わず、トマトソースから作ったものは、やはり香りが違う。いっちょまえの感想を頭の中に思い浮かべながら、一口目を運んだ。
「うま」
そんなに広くない部屋のダイニングで、彼は一人で食事をしている。それを客観的に見ている自分が見えたような気がした。
これを食べている今の自分は寂しい人間だろうか…。もし誰かが自分の作ったものを一緒に食べてくれたら…。そんな切ない気持ちと、自画自賛している朝食を、淡々と口に運んでいった。
ふと頭のすみをかすめた。『渡り鳥』。母親は今頃あの世で言っているに違いない。
ほら見ろ。この子は渡り鳥。一所には留まらない。渡り渡って力尽きるまで、この世を渡っていく。
急に虚しさがこみあげてきた。しかし、それが自分であるのなら、抗う余地がどこにある。今も、そしてこれからも、自分は渡り渡って生きていく。
あと何年、いや何カ月ここにいるのか分からないが、生きているならそれでいい。贅沢を言うなら、死ぬ時は誰かが見取ってくれることを祈っていた。
第三章 蜂蜜のように甘く
ミツの通う学校の全生徒の人数は、たったの十人。学年のような、そういう上下の関係を明確にする階層はなく、序列というものがあるだけだ。つまり、魔法の使い方が上手い奴が序列の低い数字をあてがわれ、下手な者は数の大きな数字があてがわれる。ちなみに、彼女の通っている学校の他に、分校が三~四校あり、それらの学校の人数もこことそう変わらない。つまり、序列の最下位は四十である。
ミツの序列は十六。ほぼ中間。善し悪しのない生徒ということだろう。特別飛び抜けた才能もないけど、特別下手くそというわけではない。そんな感じの位置に彼女はいた。でも、これでも彼女は努力した方なのだ。両親がいた時は、学校という場所には言ったことはなかったし、言葉を喋れても書けないでいた。
全くの零からの状態から、中間の辺りまで来たのだ。自分より劣る人間がいるとは思いもしなかった。からまれた時、彼女であればあの程度の一般人はどうとでも出来たのだが、学校の規則には、一般人への魔法の使用は固く禁じられていた。
しかし、その規則すら無視してしまいたくなるほどの衝動が、ミツの中でフラストレーションのように溜まっていくのを感じていた。そしてついに、彼女は一般人に魔法を使用した。
作業は単純だった。
ミツはまずトリの部屋を訪れた。その時彼があの時のことを覚えているのを知った。だから、なおさら魔法をかけたくなった。早く彼を自分のものにしたい…。
あらかじめ尾行をして、彼が料理番をしている姿を見た。きっと彼女が訪れたら、料理をふるまってくれる。その可能性にかけた。それは見事に的中し、彼女はトリの出した二人分の、彼の方の料理の中に薬を盛った。トリの料理はおいしかった。隣で眠っている彼を放置して最後まで食べてしまった。その後、自分の部屋に連れて行き、魔法をかけた。どういう手順で魔法をかけたのかについては、ここでは省くが、彼女が使ったのは、吸血鬼が持っている『魅了』という能力に近いものだ。目が覚めた時、一番近くにいた異性に恋心を寄せる魔法で、彼女自身成功するとは思っていなかったので、とりあえずトリの部屋で目覚めるのを待った。
「あれ…?君は?」
トリはミツが訪れに来た時の記憶を失っていた。
「あの…。あの時のお礼を言いたくて…。」
それでも緊張のせいでしどろもどろになっていた。
トリは自分が料理を出したことも忘れていたので、テキトウに言い訳をつけて説明した。彼はミツが訪れた後、料理を振舞ってくれたのだが、いつになく陽気な感じで酒を出してくれた。それを殆ど彼が飲んでしまって、眠りこけていたのだと。
バツが悪そうに彼は「もうしわけない」と言って謝ってくれた。その時、ミツの胸の奥が少しだけ痛んだことに気が付けば、この後のことに気を焼いたりしなかったのかもしれない。
それからの二人は、頻繁に会うようになった。といっても、ミツの方から声をかけるのではなく、トリの方から話しかけてきて、「今日の午後は暇?」といった内容から、デートを申し込んでくる。
彼女の方も、最初の方こそドキドキしていたものの、段々と彼と会うのが楽しくなってきた。今日はどんな話題でデートに誘ってくるのだろうか?などと考えながら、いつもは覇気のない顔で降りていた階段を、タンタンタンとイキイキしながら降りていた。
明らかにミツを見る目が変わってきた彼の行動に、彼女は心底喜んでいた。魔法は成功したのだと、思い込んでいた。それが間違いだと気が付いたのは、トリへかけた魔法の効果が無くなり始めた時だった。
階段を陽気な気分で降りているミツに、トリは声をかけた。どうやらまたデートのお誘いらしい。彼女は忘れていた。かつてあれほどまでに嫌っていた自分の母親や父親のような関係を持つことを恐れていることに。
「あー…。ミツ。
今日も午後は暇かな?」
「ええ。暇よ」
なんとなくそっけない態度をとるのは、自分が彼をコントロールしているという優越感からだろうか。
ミツは、そっとトリの腕を抱くように近づいた。彼の体温が高くなっていくのを感じた。まるで自分は魔女だ。まぁ、その通りなのだが…。
「それで?今日はどこに連れて行ってくれるのかしら?」
「ああ、そうだね。
良い材料が見つかったんだ。だから今日また家で食事しないかい?
今度は酔い潰れないからさ」
いいよという合図だったのだろうか、彼女はトリの顔へ自分の唇を近づけると、彼もミツの唇に口づけた。まるでこの年でもう新婚生活を送っているような気分で、彼女にとって有頂天の最中だったのだろう。彼の戸惑いの色を見せた表情に、少しでも疑問を持つべきだったのだ。
「じゃぁ、これから学校だから。
また今夜…」
ミツが唇を離してトリの耳元で囁いた。こんな大胆なことを、以前の彼女なら絶対にしなかっただろう。
間借りしている部屋から遠ざかっていくと、隣の部屋がゆっくりと開く音が聞こえた。
「よう、トリ。
今日も彼女とお楽しみか?」
なんとなく柄の悪い人の声が遠くからしていたが、言われて嫌なことを言っていなかったので、ミツは気にしなかった。
「邪魔するなよ、ハインツ。
壁越しに盗み聞きなんて」
ハインツと呼ばれた男は、ハハッと笑った。
「悪い悪い。こちとらモテない男でして、女とのコミュニケーションなんて他人様からでないと頂戴出来なくてな」
そこで一拍間を置いて、彼は元気のない声で答えた。
「…そうだね。それが普通なんだ」
「??」
ハインツは最後の言葉に疑問符を浮かべながら、「じゃぁ、またな」と言って、工場の現場へ向かった。トリはそんな彼のことを横目で見送りながら、扉をゆっくりと閉めた。
扉を閉めて、大きなため息をついた後、彼は頬を二回ほど叩いた。
「さて、下ごしらえしようかな」
彼の不安を知る由もなく、ミツは楽しそうに魔法学校に行っていた。
* *
あらかた下ごしらえを終えたトリは、香ばしい匂いと音を立てている鍋から目を離し、ミツの通っている魔法学校の新聞記事に目を通していた。
そこには、魔法学校からの謝罪文が記事一面に記載されていた。その内容とは
『この度は当学校の生徒の管理が甘かったことを深くお詫び申し上げます。
当学校では、一般人への魔法の使用は強く禁じていたのですが、この数カ月の間、一般市民へ魔法をかけたという疑いのある生徒が続出しており、本校の怠りのせいで、平穏な日常を謳歌しておられる方々にご迷惑をおかけいたしたことを深く謝罪するとともに、早急に処分の方を致します。』
というものだった。
額を片手で覆うと、罵りの言葉を吐いた。
「何やってんだ…」
トリは封筒と手紙を用意して、文章を書き始めた。カリカリカリという寂しい音が、今の彼の心境を表しているような気さえした。ふと彼は思った。彼女も独りだったのだろうか?遊び相手もいない、明るく笑って話をしてくれる相手もいなかったのだろうか。
数分間、寂しい音が鳴り続けた後、今度はカサコソと、やましいことをコソコソしているような音がして、最後にトントンと歯切れのいい音が何度かした。
ミツを助けるためだとはいえ、悪いことをすることになるだろうな。そんなことを思いながら、しかし自分の決意は変わらないという意思を感じさせる目を彼方に向けた。そして、それを持って外に出ていった。
* *
自分のしていることがバレていることに気が付いたのは、もう遅すぎるくらい時間がたった後だった。
登校して席に着いたら、周りを他の生徒に囲まれた。どれも序列の高い人間だった。この学校の生徒でない者まで混じっている。
「……何?」
彼女にしては珍しく、敵意をむき出しにした視線を、目の前の人間に向けた。
「ミツ。君には一般人への魔法の使用の疑いがかかっている。一緒に来てくれるね?」
ミツに睨みつけられていた序列四位の男子生徒は、怖気づくことすらなく淡々と口にした。
「私は何もしてないわ」
「なら、なおさら問題ないだろう。こちらの間違いであれば、正式に謝罪しよう。」
どうする…。逃げるか?といっても、彼らから逃げられる可能性はゼロに近い。後方で待機している序列一位から三位の男女たちは、面倒くさそうに机に腰を置いていた。
無駄なことはするなということだろう…。序列五番目辺りからは、力に雲泥の差がある。六番にいるものですらミツには太刀打ちできないのに、それ以上の、本物の魔法使いにかなうわけがない。彼らにとってミツは、赤子の手をひねるくらいの感覚で圧倒出来てしまうのかもしれない。
「わかったわ……」
こうしてミツの喜劇にも似た最高の時間は終わりを告げた。
* *
強制的な呼び出しを受け、理事長室に通されたミツは、木製の椅子に座らされた。
「やぁ、ミツ。話は聞いていると思うが、君には一般人への魔法の使用の疑いがかかっている。その人間の証言も取れている。彼によると、一度意識を失った後から、君のことが異様に気になり始めたのだそうだ。
ミツ。こちらもおおよその見当は付いているんだ。君の口から直接聞きたいんだよ。
君は彼に何をした?」
ミツが沈黙していると、序列三位のカレンがプッと吹き出した。
「みっともないわねぇ。はっきり言いなよ。
モテない女はすることも醜いわねぇ。」
陽気な口調で侮辱されたことに、彼女のプライドが反撃をしようとした。
「アンタほどじゃないわ。そのケバケバしいピンクの髪。ほんとは白髪を隠すためなんですって?生まれつき色素が欠乏していたせいで、肌も白いけど、体中の毛が真っ白なのよね?それでよくバァさんってあだ名で嫌がらせ受けてたらしいじゃない。今でもアソコの毛は白いのかしら?」
「殺されたいの?」
「すぐ力に頼ってみっともないわね。だからいじめられる……」
言い終わる前に、ミツの額を片手でカレンがわしづかみにしていた。女性の力とは思えないほどの腕力で軽々と彼女の頭を持ち上げて、万力の力で締め上げた。
「もう一度聞くわね?
殺してほしいの?」
その時にはもうミツの意識は消えかけていた。頭に送られるはずの血液の大半を押さえつけられてしまっているせいで、痛みはおろか、今自分がどのくらい危険な状況に陥っているのかすら分からなくなっていた。
「そこまでにしなさい。
カレン。下がりなさい。」
いつの間にか近づいていた理事長が、カレンの腕に触れると、彼女の腕から力が抜けていった。ミツはしばらく意識が曖昧になっていたが、カレンに顎を蹴り上げられて目が覚めた。
「私は確認がしたいのだ。君が本当に魅了を異性にかけたのかどうか。
もしそうであれば、こちらもしかるべき対処を取らなければならない。学校という小社会では、規則というのは法律に値する。それを犯すとどうなるか、分からないわけではないだろう?」
「はい……」
「使ったのだね?」
「はい……」
「規則を破った者は然るべき報いを受けるべきである。そう思わんかね?」
「はい……」
彼女はもう同じ言葉を何度も発していた。それ以外の返答が出来るほどの余力がなかった。規則を破った者がどうなるのか、それは一目瞭然である。破門だ。学校を追い出される。気が付けば、うなだれた頭の中は真っ白になり、両目からは涙があふれていた。
しばしの沈黙の間、すすり泣くミツの声だけが聞こえていた。
「しかしながら、ここに一通の手紙が来ている。魔法をかけられた当の本人からだ。」
「え?」
トリが今更私に何の手紙を?
「この手紙の内容によると、彼女が魔法を使ったのは、自分が被検体になるという承諾の下行ったものであり、君にはなんの責任もないというものだ。どのような処遇が言い渡されるのか、一般市民である私には推し量れないが、どうか寛大な対処を望むとな。」
「デタラメだわ!!」
カレンが喚いたが、理事長に手で制されて、不満をあらわにしながらも黙ってしまった。
「このような手紙が送られて来ること自体異例なのだ。だから私としてもどう対処するのがベストなのか測りかねている。
君が規則に反しているのに間違いはない。しかし、被検体となった彼から釈明の手紙が届いてしまった。
ミツ。君はどうするべきだと思う?」
彼女はしばらく考えて、口にした。
* *
ミツが帰ってきたのはそれからしばらくしてのことだった。トリは彼女を迎えるために、ずっと自分の部屋の前で待っていた。彼女の足取りは重く、まるで初めて自分と出会った頃のような覇気のない顔でこちらに向かってくる。
「やあ、お帰り」
トリの言葉を無視して自室へ帰ろうとするミツの腕を、彼は優しく握った。
「今日の夕飯は腕によりをかけたんだ。絶対に気に入ってもらえる。
学校のことは、その、勝手なことをして悪かったと思ってる。
いい酒もあるし、ミツだって一度は浴びるほど飲んでみたいだろ?」
「……いつから気が付いてたの?」
彼の方に顔も向けず、彼女が最初に言ったのはそれだった。
「実を言うと、自分でもよく分からないんだ。君に魔法をかけられた数日後に、手紙が届いてね。差出人は分からないし、中に変な薬のようなものが入ってたから、最初は捨てようかとも思ったんだけど、手紙に『それを飲まないと危険だ』って大袈裟なことを書いてあったから、料理に混ぜて食べちゃった。その時くらいからかな……。」
「……あの手紙は何?」
段々しどろもどろになってきていることに気が付いたが、正直に話すことにした。
「アレは、まぁ、なんというか、お礼だよ」
アハハと乾いた声で笑った。
「僕ってね、基本的にモテないんだ。君みたいな女の子とデートした経験なんて一度もない。
だから、お礼にと思って……」
「童貞野郎だったのね」
「うん……。まぁ、そうだね」
アハハとさっきと同じように笑った。笑ってごまかした。
「笑い事じゃないってのよ……」
「ううぅっ」とうなって、その場に座り込んでしまったミツを、彼は驚きながらも自分の部屋に連れて行った。彼女は泣いていた。今まで一度も泣いたことがなかったみたいな泣き方だった。子供のように、涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、そんなことお構いなしに泣き続けた。
しばらく泣き続けた後、ティッシュを取って彼女に渡すと、盛大な音を立てて鼻をかんだ。
「落ち着いた?」
こくりと頷いていたが、目はまだ涙で濡れていた。よく見ると、額と顎の方に痣が出来ていた。
「それ、どうしたの?」
「白髪女にやられた……」
「???」
どうも要領を得ない答えだが、誰かにやられたのは事実らしい。
「ところでさ、結果はどうなったの?」
「……破門だよ。当然でしょ……」
「その、何か酷いことはされなかった?」
「……うん。」
そこでやっとトリが大きな息を吐いて、腰を床にどっかとおろした。心の底から「よかったぁ」と言っていた。
「そんなことより、お腹減った……」
そういえば、朝から煮詰めていた肉が、香ばしい匂いを立てていた。弱火でずっと煮込んでいたから、今、トリの部屋は肉のいい香りで一杯だった。
「お酒もあるって言ってたよね?」
「もちろん」
なんだか急に十歳くらい老けたような疲れを顔に宿したトリは、それでも彼女に笑顔を向けた。
「胃袋が張り裂けるくらい食べて飲んで、ストレスなんか吹っ飛ばそう」
「そうそう、そのいき。」
「その後は、仕事探しに行かなきゃ」
「それなら、うちで働けばいい。皿洗いとか調理補助とか、色々募集してるから。そんなことより、食事の準備をしよう。なんだか僕までおなか減ってきたよ」
のそのそと立ち上がると、彼の裾をつまんで見上げているミツが、恥ずかしそうにこっちを見ていた。
「腰が抜けた……」
* *
あれから何年彼女と一緒に暮らしただろう。
なんと彼女には料理の才能があり、仕事を探すまでもなく、トリと一緒に開業してしまった。それから、ミツの通っていた学生や教師までもが来るようになり、散々トリとミツの関係を羨ましがっていたハインツと、ミツが白髪女と呼ぶ女性カレンが付き合うきっかけにもなった。
それからは淡々と時間が過ぎていき、気が付けば二人は籍を入れていた。子供が一人生まれ、二人目が今、彼女のお腹の中にいる。
(END)