諦めるな!
その日の夕方、木村の携帯電話にメールが届いた。
『今日は本当に有難う御座いました。贈り物、今開けました。素敵なネックレスを頂いて、大事にします。それでは、またそちらにお伺いします』
木村はそのメールを読むと、また仕事を続けていた。
数日経った昼休みに、榊原はやってきた。その日の木村は、昼食に『ぼたもち』を持って来ていた。そのぼたもちは、ある店で買ったものだが、凄く大きくて木村の大好物だった。そのぼたもちを、木村は一個余分に買っていた。この日、榊原が来ることが解っていたので、それを一緒に食べようと考えていたのだ。
木村は、以前から一緒に食事をと誘っていた。だが、お互いの時間が合わない為にそれが出来なかった。そこで考えたのが、前回のスイーツと今回のぼたもちなのだ。
「これ、美味しいですね」
「でしょ、僕はこれが大好物でね。是非、一緒に食べたいと思っていたので、こうやって買って来たんだ」
「木村さんは、本当に甘い物が好きなのですね」
「僕は、甘い物も辛い物も好きですよ。ただし、酸っぱい物は駄目ですけどね」
「フフフ…… 私もそうです」
二人の会話は弾んでいた。
しかし、その後の榊原の言葉で、少し寂しい気持ちになった木村がいたのだ。
「あのう、木村さんに言わなければいけない事がありまして」
いきなり榊原が、小さな声で木村にそう言った。そして、
「来月は、キャンペーンであまり来られなくなります。私も、ここに来ると元気が出るので、出来れば頻繁にお伺いしたいと思ってはいるのですが、中々そうもいかなくて」
榊原の言葉に、木村は仕事だから仕方がないと思った。
「大丈夫ですよ。その代わり、メールはさせて下さい」
「それはもう、こちらからお願いします」
二人はそう言って、寂しさをメールで補う事にした。そして、榊原は帰っていった。
その後、榊原と木村の二人にとって、忙しい毎日が始まった。
七月のキャンペーンでは、とにかく保険の契約を取らないといけなかった。最低でも一軒は契約できなけれは、会社からの戦力外通告を受けて、辞職しなければならなかったのだ。榊原は入社して半年程だったし、契約を取れた客は、木村を入れても二件だけだったのだ。その為に、このキャンペーンを使って契約を取らないと、この先仕事を続けて行けるかが解らなかったのだ。
木村はその事を榊原から聞いていた。それで、先日の榊原の言葉を聞いた時も、仕方がないと諦めていたのだ。
しかし、そんな木村よりも榊原の方が耐えきれない状態だった。
七月に入って直ぐに、榊原からメールが来た。
『中々行けなくて、すいません。想像以上に忙しいです。
事務の仕事や、余所の県から来る上司の接待役や、新規開拓の会社訪問などで、身体が幾つあっても足りないくらいです。
今直ぐにでも、木村さんとお話がしたいです』
その様な内容だった。
木村は、とにかくこのキャンペーンが始まったばかりなので、ここは頑張る様にとの思いでメールを返した。
しかし二日後に、木村の下にメールが届いた。
『もう駄目です。私には、この仕事が向いてないのでしょうか?
契約が取れなくて、焦っています。どうしたら良いか解らなくて』
今回の内容は尋常ではなかった。榊原からのメールを読んだ木村は、どうかして力になれないものかといった感情に駆られていた。
しかし次の瞬間、ここで慰めても、榊原にとっては為にならないという事に気付いた木村だった。優しい言葉を掛けるのは簡単な事だ。気休めの様な薄っぺらな優しさを榊原に向けたとしても、このキャンペーンで契約を取れなければ、榊原は仕事を止めなければならない。現実はそんなに生易しいものではないのだ。
少し前までは家で専業主婦をしていた榊原が、ここで社会の厳しさに触れている。
木村は心に決めた。
“嫌われてもいい。とにかく、ここは諦めて欲しくない。思い切って言ってみよう。榊原さんだったら、この危機を乗り越える事が出来る”と、木村はそう思って榊原にメールを送った。
『僕は、あなたにはっきり言いますね。慰めてやりたいけど、僕はそんなに優しい男じゃないから。榊原さんは、今の仕事をやり続けたいって、好きだって言っていたじゃないですか? それなら諦めずに、精一杯の事をやってみて下さい。最後まで、自分が出来る事を全てやって、それでも駄目ならそこで考えればいいじゃないですか。まだ、始まったばかりです。僕がついていますから、応援していますから頑張って下さい』
僕は、結果よりも最後まで諦めないで欲しいとの思いだった。
その日は、榊原からメールの返信は来なかった。
しかし、また二日ほど経って、同じ様なメールが届いた。
木村は、自分なりに考えたアドバイスを伝えた。
『榊原さんの仕事は、沢山の人に逢って気持ちを開いて行く仕事だと思います。その為には、より沢山の人と会話をしないといけません。それも、ただ商品の宣伝ばかりすれば、相手は離れて行くと思います。成果を考えていると思いますが、今はそれよりも、どれだけ相手に誠意を持って会話をしていくかが大切だと思います。
結果は後で付いてきます。自信を持って、より沢山の人と会話をしていけば、そこから何かが見えてくると思います』
すると、今回は返信メールが来たのである。
『誠意を持ってと言うのが解らなくて、上司からもそう言われて』
そんな内容に、木村は再び送信した。
『僕が思うには、相手の話を聞いてやると良いと思います。
前に本で読んだのですが、話上手な人は聞き上手だと書いていました。相手の話を聞く、それもただ聞くのではなくて、どんな小さな事でも聞き逃さないという事です。
話をする中で、例えば子供の誕生日や色々な記念日、ゴルフなどの予定、家族のスケジュール等、どんな事でも聞き逃さずに覚えておくことです。そしてその時に、誕生日なら普段の飴をやる時にメモ紙でもいいので『お子さんの誕生日おめでとう』と書いて渡したり、結婚記念日であれば『昨日は記念日だったみたいですね。おめでとう御座います』といった一言を添える等、相手を良く観るといいです。
人は観られていれば『関心があるのかな』とか、『この人は気がきくな』とか、何か感じる筈です。そうして相手との距離を縮めればいいと思います。一言を添える。小さな気配りかもしれませんが、それが誠意じゃないかと思いますよ』
木村は、下手な文面だとは思ったが、榊原の事を想って考えた事を送った。ただ、頑張ってほしい、そう思って送っていたのだ。
そして、最後には必ず、
『成果を焦らずに一生懸命にやっていけば、必ず結果は付いてきます』
そう書いて送っていたのだった。
榊原からの返信はこなかった。しかし、それからも木村は諦めずにメールを送っていた。
七月も半ば過ぎに、見た事も無い車が工場にやってきた。その車から降りてきたのは、榊原とその同僚の社員達だった。それも大きな箱を持って、工場団地にある全ての工場に散っていったのだ。
木村や元気の居る喫煙所に走って来た榊原。その手に持っていた箱の中には、いつも訪問している工場の人達に食べて貰おうと、沢山の大福餅が入っていた。
斎藤や元気の前まで来た榊原は、満面な笑顔で大福餅を配っていた。そんな榊原の姿を、木村は黙って見ていた。その行動は、榊原に対して冷たくしていたのではなく、他の人達と話しやすくしていた為だった。ここで木村がしゃしゃり出ては、余計に邪魔になってしまうと思ったからだ。
榊原が斎藤に大福餅を手渡すと、斎藤は僕の方にそれを渡そうとした。それは、僕が歳上だからと気を利かせての行動だった。
その時、突然、榊原がそれを止めたていた。その状況に、そこに居たみんなは一斉に榊原の方を見ていると、今までに見せた事の無いような笑みを浮かべてこう言った。
「木村さんは特別なので、これをあげます」
そう言って、一回り大きな大福餅を渡したのだ。
榊原を見ていた斎藤や元気だったが、その視線が木村にそそがれると、木村はその特大の大福餅を、嬉しそうに手に取っていた。そして、榊原が周りの人にも大福餅を配り終えた時に、木村は大福餅を頬張ったまま言った。
「どうも有難う御座います。とっても心の籠った御餅で美味しいですね。お仕事、頑張って下さいね。大丈夫ですよ。何も心配はいりませんから」
その言葉に榊原は、微笑んで大きな声で返事をしていた。そして、周りの者達にも挨拶をすると、隣の工場に走って行った。
その日の夕方に、木村の下にメールが届いた。
『今日の一言で元気が出ました。明日からまた頑張ります。有難う御座いました』
木村は、そのメールで安心していた。しかし、その後よく考えると、あれだけ必死になっているという事は、未だに契約は取れていないという事が解った。実際にそうだったのだ。
榊原は追い詰められていたのである。
ここで気を緩めたら駄目だと感じた木村は、しつこい様だとは思ったが、それからもメールを送り続けていった。
時には、夜になって榊原からメールが届いた時もあった。
『今日は疲れました。もうきつくて、身体が持たなくて』
木村はメールを返信した。
『今から、電話してもいいですか?』
すると、
『お話がしたいのですが、今は旦那が居ます』
と返って来、早めに寝る事も大切です。身体をしっかり休めて体調を整えてから、また、明日頑張るといいですよ。もう少しです。頑張って下さい。成果は焦らずに、結果は必ず付いてきますから。僕が付いていますから、安心してお仕事頑張って下さい』
木村は、祈る想いでメールを送っていた。
数日後、苦しい七月が終った。
木村は、心配で堪らずにいた。
成果の事は、榊原のやる気を出す為にああ言ってはいたが、やはり結果は出さないといけない。契約は取れたのだろうか? 大丈夫だったのだろうか? そんな事ばかり考えていたのである。
そんな不安に駆られていた木村に、榊原からメールが送られてきた。もちろん、木村は直ぐにそれを読んだ。
『今まで、本当に有難う御座いました。木村さんのメールで毎日元気に仕事をする事が出来ました。ただ、まだそちらに行けないみたいです』
そう書いてあった。そして、その後も文面があった。
『それと、木村さんの御蔭で契約が三つも取れました。上司からも良く頑張ったねと褒められちゃいました。これも全て木村さんの御蔭です。今、このメールを書きながら涙が止まらないので、トイレで書いています。本当に有難う御座いました。
木村さんに、今直ぐにでも逢いに行きたいです』
そのメールを読んだ時、今までの想いは全て榊原の心に届いていたのだと解った。榊原は、木村のアドバイス通りにやっていたのだ。
そして、結果として三つの契約に繋がっていた。
木村はそのメールを読んで喜んでいた。そして、直ぐに返信メールを送った。
『僕はただ、自分の思った事をあなたに言っただけです。全てはあなたの実力です。もっと自信を持って下さい。そして、これからもお仕事頑張って下さい。また、こちらに来て下さいね。
僕も早くあなたに逢いたいです』
木村はそのメールを送信すると、張り切って仕事を始めた。心の中では、その場で泣きたいほど嬉しい感情が迫って来ていたが、職場だった事でそうもいかない木村だった。