サプライズ
あれからの木村のメールは、以前の様に、最後に一言付け加えられた内容に戻っていた。というよりも、以前の自己満足の気持ちとは違って、気持ちの籠った一言になっていた。そんな木村の想いを、榊原は理解していた。
ある日、通勤途中に送られた榊原からのメールに、木村は嬉しそうに目を通していた。
『お早う御座います。今日も一日、お仕事頑張りましょうね。
ところで、お願いがあるのですが。木村さんの、知り合いの工場を紹介して頂けないでしょうか。こちらの街はあまり馴れていなくて、訪問先を見つけるのに困ってしまって、差支えが無ければお願いできないでしょうか?』
榊原から初めてのお願い事に、木村は驚いていた。まさか、この様なメールが来るとは思っても見なかったのである。
前に聞いていたが、榊原は他県に住んでいて、結婚を期にこの町にやって来たのだ。その為に、土地感が無かったのである。
木村は、自分に出来る事があれば、お手伝いしようと思っていた。
『解りました。知り合いの工場の社長に問い合わせてみますね。
返事が戻り次第、ご連絡差し上げます。それと、今日は来られますか? できれば、可愛い榊原さんに逢いたいなと思って』
木村はそう送った。そして、返信は直ぐに来た。
『今日も行きますよ。それでは、お昼休みに』
もちろん、木村のテンションは上がっていた。そして、昼休みの榊原との会話の中で
「すいません。中々、思う様に保険が取れなくて、再来月にはキャンペーンが始まって、必ず保険の承諾を取らないといけないものですから」
「僕の方はいいですよ。早速だけど、知り合いの工場に連絡を入れていますから、向うの社長の承認を得たらお知らせしますね」
木村はそう言って、榊原を安心させていた。すると、榊原の口からとんでもない言葉が飛び出して来たのである。
「有難う御座います。それで、その紹介される所から了解の返事が頂けたら、一緒に行って貰えますか?」
と、言って来たのである。
「一緒に、ですね。―― ええっ!」
驚いた木村は、榊原の顔を二度見した後、持っていた缶コーヒーを吹き出してしまった。そして、
「一緒に、ですか?」
再び、そう問いかけた木村に、
「はい。駄目ですか?」
と、不安げな表情を見せる榊原だった。その顔に、
「いや、いいけど」
と戸惑いながらも、木村は承知していた。だが、気持ちの中では様々な想いが交差して困惑していたのだ。
“向うに行って何て言おうか。それに僕が一緒に行って、しっかりと紹介出来るだろうか?どういう風に言えば良いのかな?”
不安な気持ちが過る木村だった。
数日後、知り合いの工場から返事がきた。了解した内容の返事だった事で、早速、榊原に連絡を入れた。
『先方から、いつでも来て良いとの連絡がありました。
来週の月曜日だと都合付けられますが、榊原さんのスケジュールはどうですか?』
本当は何時でも良かったのだが、いつも忙しい榊原に対して気使う木村だった。そのメールの返信は、直ぐに返ってきた。
『どうも有難う御座います。月曜日ですね。大丈夫です。それじゃ、その時にそちらにお伺いしますね』
木村はそのメールを読んだ時に、少し不安が残った。
それは、榊原と一緒に出掛けて行けば、他の社員が変に思うかもしれない。もしもそうなれば、今後、榊原がここに訪問し辛くのではないか。そう考えたのである。
そして暫く考えた後、直ぐにメールを送信した木村だった。
『月曜日のお昼ですが、工場の上にある通りの先にある、狭い路地で待ち合わせをしましょう。ここから一緒に出て行くと、周りの連中から誤解されかねませんので。僕はいいのですが、榊原さんの仕事に、差支えがあってはいけませんので、そうしましょう』
と、思っている事をそのまま書いて送信した。そんな木村の想いを察した榊原も、
『気遣い、有難う御座います。それじゃ、そちらに行く前に、一度お電話しますので、その時に、待ち合わせ場所を教えて下さい』
と返信して来たのである。
木村は、これでいいと自分に納得していた。そして、その日が来るのを待ち望んでいた。
その時、木村の脳裏に、ある考えが浮かんだ。以前の榊原との会話の中で、誕生日が近いと言っていた事を思い出したのだ。
木村は前日の日曜日に、ショッピングモールに出掛けて行くと、そこで“榊原さんは33歳だったな、女性の厄年か。それなら何か長い物が良いかもしれないな”等といった想いを巡らせながら、色々と考えた挙句に。ネックレスをプレゼントしようと思いついた。
ただ、今までこの様な買い物をした事が無かった木村だったので、どうしても女性物が解らなかった。そして考えた末に、男物のネックレスを買ってしまっていた。
約束の月曜日が巡って来ると、朝から落ち着かない様子の木村だったのだ。そんな木村の状況に、何かを察知した元気だった。
「木村さん、どうかしましたか?」
突然、元気が木村に聞いて来た。
その問い掛けに、迷いが起きた木村だったが、やはり元気には言っておこうと思い、
「今日、榊原さんと一緒に出掛けるんだ。僕の知り合いの工場を紹介する為にね。だけど、向うで何て言おうか考えているんだよ」
と、全てを打ち明けていた。
話の内容に驚いたげんきだったが、木村の言葉を聞いて、先方に何を言うかという心配だった事で、少し安心していた。これが、榊原との二人きりだからどうしようか、等と言っていたら、それこそ心配の種だったのだ。元気は木村に言った。
「木村さんらしいですね。頑張って下さい」
元気はそう言うと、仕事を始め出した。
木村は、元気から良いアドバイスを聞こうと思いつつも、声を掛けきれずに仕事を始めていた。その後も、作業に集中しようとしていた木村だったが、どうしても頭から離れない事があったのだ。それはプレゼントの事だった。
先日にネックレスを買ってきてはいたが、それだけじゃ物足りなさを感じていた木村は、作業も手に付かずに考えていた。他に何か、女性が喜びそうな物をと考えていたのだ。
そして思いついたものは、やはり食べ物だった。それも、女性にはスイーツだと。その時頭を過ったのは、榊原の勤める会社の近所にある店だった。シュークリームとエクレアが有名なスイーツ店だった。だが、それをどうやって買に行くのか。再び悩む木村だった。
そして考えた挙句に、木村のとった行動とは、
「社長。昼休みに、外出しないといけない用事がございまして。その為に、前以って銀行に行きたいのですが。ちょっと、抜けていいでしょうか」
木村は社長のいる事務所に行くと、そう頼んでいた。その言葉に、
「昼休みになって、その用事と一緒に銀行も済ませてくればいいじゃないか」
と言って来た。木村は困った顔をして、
「それが、先に銀行でお金をおろして、昼休み中に、それを持っていかないといけないのです。それに、行く場所が結構遠くて、今から銀行に行かないと、昼休みの時間では間に合いそうにないので」
と、どうしても今から外出しないといけない事を、強調して言った。そんな木村に、社長はしぶしぶ承知していた。
その瞬間、時計を見た木村は、慌てて出て行ったのだ。時計の時間は十一時になったばかりだった。一時間はある。それで充分だったのだ。全ては、榊原に食べてもらうスイーツの為の嘘だった。本当に悪い奴だった。だが、それ程までして、榊原に喜んで欲しいと思っての行動だったのだ。
木村は車に乗ると、一目散にその店に向った。普段はスピードを出さない木村だったが、その時ばかりは急がずにはいられなかった。
店に到着した木村は、先ず、榊原に電話をした。
「もしもし、木村ですが。いきなり尋ねますけど、シュークリームの味は何がいいですか?」
突然の質問だった。もちろん、何が何だか解らずに、困惑する榊原だった。そんな榊原の事など考えもしない木村は、
「抹茶と、チョコと、カスタードと、いちごの味がありますけど、その中から何か選んでください」
と、中に入っているクリームの種類を説明すると、
「私は、どれでも好きですけど、それがどうかしたのですか?」
未だに状況が掴めていなかった。
何の余興も無く、いきなりシュークリームの味を選べと言われても、榊原には答えようがなかった。それに、まさか木村がスイーツ店に来ているなどとは、想像すらしていなかっただろう。
榊原の言葉を聞いた木村は、そのまま電話を切ると、中身の味から適当に選んで、シュークリームを四つとエクレアを二つ購入していた。そして、そのまま待ち合わせの場所に向ったのである。
木村がその場所に着いた時には、昼休みになる五分前だった。そこで、タバコを一吹かししながら、榊原から電話を待っていた。
暫く待っていると、ダッシュボードの上に置いていた携帯電話が鳴り始めた。
「もしもし、榊原ですが。工場の直ぐ近くまで来ましたが」
そう話す榊原に、待っている場所を解り易く説明すると、車から出て榊原が来るのを待っていた。再びタバコを吹かす木村の前に、榊原の車が停まった。すると、窓を開ける様に指示すると、
「このまま真っ直ぐに行くと、橋の下に停まるスペースがありますから、一端そこに行って打ち合わせしましょう」
そう言った。その後、急いで車に乗って榊原を先導していった。
二台の車が橋の下に停まると、自分の車を降りた榊原が、木村の車まで歩いてきた。それを見た木村は、助手席のドアを開けて呼び込んでいたのだ。まさに、緊張の一瞬だった。榊原が助手席に座るなどとは、考えてもいなかったのだ。
「すいません、貴重な時間を頂いて。ただ、私の車には沢山の資料がありますから、そのまま置いて行く訳には」
助手席に座った榊原は、そう言った。
「そうですね。ここで車上荒しにでもあったら大変ですからね。それじゃ、紹介する会社は直ぐそこですから、二台で行きましょう」
もしもの事があってはいけないと思った木村は、冷静な気持ちでそう言った。その言葉を聞いた榊原が、そのまま車から出ようとドアに手を当てると、
「ちょっと待って下さい。これ食べて行きませんか?」
そう言って、榊原を引き止めていた。そして、後部座席に置いてあったシュークリームとエクレアを、榊原に差し出したのである。
その状況に、何が起きたのか解らずに、戸惑いを見せる榊原だったが、木村は微笑んで言った。
「もう直ぐ誕生日だって言っていたから、これを買ってきました。
本当はケーキにしようかと思ったのですが、そこの店では、この二種類が美味しい事で有名だったので」
「えっ、いつ買って来たの?」
目の前に差し出されたスイーツを見て、驚きの表情でそう言った榊原だった。目の前では、照れ臭そうに頭を掻く木村だった。
「さっき電話をした時です。店から電話をしていました」
榊原は、急な出来事に言葉を無くしていた。まさか、この様なサプライズがあるとは、夢にも思っていなかったのだ。
榊原は、心の底から喜んでいた。
「有難う御座います。それじゃ、お言葉に甘えて頂きます」
榊原はそう言うと、シュークリームを食べ始めた。
隣で微笑む木村が、
「どれが良いか解らなかったので、適当に選んできました。まあ、どれも美味しいでしょうから」
そう言うと、榊原は万弁の笑みを浮かべて、
「とっても美味しいです」
と、シュークリームを頬張ったままそう言った。
榊原は、木村の真心からの気遣いに、喜びで一杯だった。そして、微笑みながらずっと木村を見詰めていた。そんな榊原の視線を感じていた木村だったが、気付いていない振りでシュークリームを頬張っていた。
その時、木村はある事をお願いした。それは、
「榊原さんに、どうしても教えたい場所があるのですが?」
「うん、何処ですか?」
「ここから見えるのですが、えっと、あの山の上です」
そう言った木村は、車のフロントガラス越しに山の方を指した。
「とっても眺めの良い場所で、この街が一望で来て、本当に絶景って言ったところですよ。僕は、何かあるといつもあの山に登って、そこからの景色を眺めているんです。そうすれば、悩んでいる事が小さく思えてきて、よしまた頑張ろうって気持になれるんです。榊原さんに、その場所を教えたくて」
木村がそう言うと、
「いいですよ。今度、時間を作って行きましょう。その時は、是非連れて行って下さい」
と、榊原は嬉しそうに言った。その言葉に、木村も喜んで頷いていた。そして二人は、目的の工場に向ったのである。そこは、木村が前に働いていた工場だった。二人が来るのを、そこの従業員達は待っていた。
工場の事務室に通されると、木村は懸命に榊原を紹介していた。
その熱心さに、そこの社長も、榊原の今後の出入りを許可してくれた。その後、工場から出た榊原は、従業員と話をしていた。側に居た木村だったが、仕事の邪魔をしない様に思い、そこで働いていた時に仲の良かった友達と、工場の中で話をしていた。
暫く話をしていた木村は、昼休みが終る時間になった事を確認すると、榊原の所に戻っていった。そして、
「僕はそろそろ戻りますので、榊原さんは頑張って仕事を続けて下さい」
そう言って帰ろうとした。すると、
「木村さんが帰るのでしたら、私も一緒に」
榊原も言って、木村の側に走り寄って来たのだ
木村は、そんな榊原を黙って見ていたが、
「そうですか。それじゃ一緒に」
一緒に車の所に向った二人だった。それを見ていた従業員達は、そんな二人を茶化しながら見送っていた。
木村が車に乗ると、榊原が木村の下にやってきた。そこで二人は話をした。
「今日は、どうも有難う御座いました。また、そちらにお伺いしますね。シュークリームとエクレア、とっても美味しかったです。」
「いやいや、そのくらいしか出来なくて。それと、これをあげようと思って」
木村はそう言うと、昨日買って来たネックレスを榊原に手渡した。
始めは、何が起こっているのかが解らずに、キョトンとした顔で木村を見ていた榊原だったが、眼の前に差し出された包を見て驚いていた。そんな榊原に、木村は照れながら言った。
「女性に年齢の話をすると怒られるかもしれませんが、33歳は女性にとっては厄年でしょ。厄年の人には長い物を届ければ良いと聞いた事があったので、男物ですがネックレスを買ってきました。
受け取ってくれますか?」
木村の言葉に、榊原は喜んでいた。シュークリームの時でも驚いたのに、こんな事までしてくれて本当に嬉しかったのである。
榊原は心の底から喜んで、その贈り物を受け取っていた。
それを見て安心した木村は、自分の工場に帰っていった。榊原は、それをじっと見送っていた。
榊原が、なぜ、木村に工場を紹介してくれと頼んだのか。その理由は簡単な事だった。
榊原は、別に仕事の為に木村を利用したのではなかった。只々、木村との時間が欲しかったのだ。
木村に工場を紹介して貰い、そこまで一緒に行きましょうと誘えば、それが可能になるのだ。こうして榊原は、木村との距離を縮めたかったのだ。
そんな榊原の考えなど、考えもしていない木村だった。それどころか、大任を果たしたとの満足感が、木村の心に漂っていた。