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メールアドレスの交換

 それからの木村は、榊原の事を考える事が多くなっていた。そして榊原の方も、昼休みに来る回数が増えていたのである。その為に、榊原と話をしたい気持ちと、元気とのゴルフも楽しいからやりたいという思いとで、いつも迷っていた木村だった。

 榊原は工場に来ると、必ず木村の所に来る様になっていた。そして、微笑んで挨拶をすると、木村はその度に“ゆっくりと話がしたいな”と思うようになっていた。

雨が降った日はその思いが叶う為か、木村は榊原が来るのを待つようになった。しかし、そんな時に限って、榊原は来ない時が多かったのだ。タイミングというものは、木村の思い通りにはならなかった。

そんな日が続いた、ある日の昼休み。

榊原が木村に、

「少し時間を頂けませんか?」

そう言ってきたのである。

木村は直ぐに、保険の話だと解っていた。だが、解りつつもその事を問う木村だったのだ。

「何でしょうか?」

「木村さんは今、保険に入っていますか?」

やはり、思っていた通りの言葉が返って来た。

木村はその問い掛けに、一応は答える事にした。

「いいえ、入っていませんけど」

「木村さんに、保険のプランを立てて来たのですが、観て頂きたくて持ってきたのですが」

榊原は、そう言いながら微笑んだ。そして木村は、その笑顔に負けた。榊原からの保険の用紙をじっくりと見ていたのだ。それに追い打ちを掛ける様に、

「もし、宜しければ、保険に加入など如何でしょうか?」

榊原の頬笑み攻撃は、尚も続いたのである。木村は完全に、その笑顔にKOされていたのである。

「解りました。検討してみます」

木村はそう答えてしまった。

こんな時は、きっぱりと断るのが普通だが、その時の木村は、それが出来なかった。検討すると言ってしまった以上、断る為にはそれなりの訳を考えなくてはいけなくなってしまったのだ。

その日は、榊原の勝利に終わった。

元気は、そんな木村を心配して、

「大丈夫ですか木村さん? 保険に入れられますよ」

そう言ったが、木村は渋い顔をして、

「なんとか考えてみるよ」

とだけ言って、話をはぐらかした。

 次の日も榊原はやってきた。

「木村さん、保険の方はどうですか?」

榊原の言葉に木村は、

「もう少し検討させて下さい」

そう言う他はなかったのである。しかし、木村は“どうせ保険に入っていた方が良いなら、この際だから加入しようかな”そう思い始めていたのである。

そして、更に翌日。

榊原は木村の所にくると、

「保険の方は」

やはり、そう聞いてきた。

その問い掛けに、木村は言った。

「いいですよ、それで何を持ってくればいいのかな?」

保険に加入する際に必要な物を尋ねていたのだ。

すると、榊原の顔が変わった。それはセールスをする顔じゃなく、本当に喜んだ顔だったのだ。その理由は、今後の榊原の行動で解って来る事だった。

保険のセールスをしている女性を見ると、笑顔が武器だとか、優しく接してノルマを上げるとか考えがちだが、やはり大変な様である。中々、契約が取れる様な物でもないし、渡す物は全てセールスをやっている女性の自腹だし、ここまで来る車の燃料代も自腹なのである。その為に、給料を貰っても出て行くお金が結構嵩張るのが現実みたいだ。その上ノルマも大変で、上司からも駄目出しを言われる様だ。今言った事は、後で聞いた話である。

 榊原は必死だった。

成績を上げると言うよりも、これからも、この仕事を続けていけるかどうかの瀬戸際だったのだ。榊原は木村に、必要な物をメモ紙に書いて渡していた。そして、万弁の笑みを浮かべて、帰ろうとした。その時、木村が榊原を、呼びとめたのである。

そして、思わず言ってしまったのだ。

「榊原さん、写真を一枚撮らせてよ!」

榊原は、木村の突然の言葉に驚いていたが、

「い、いいですよ」

と戸惑いながらそう言った。

木村はそこで、更に榊原に対して要求したのである。

それは、

「結んでいる髪の毛を、解いてくれます?」

榊原は更に驚いたが、言われた様に、後ろで結んでいた髪の毛を解いた。それを見た木村は、等々、本人を目の前にして言ってしまった。

「やっぱり思った通りだ。この方が可愛いよ、最高に可愛い!」

その言葉に、周りに居た工場の連中は驚いていた。元気は木村の後ろで、飲んでいたジュースを吹き出すほどだった。

榊原は、木村の言葉に少し頬を紅くしていた。それがまた、木村の心を揺り動かしていたのである。

木村は、持っていた携帯で、榊原の写真を撮った。その写真を確認する為に、榊原は木村の横に並ぶ様に寄り添って来た。

その時の二人が、かなりの至近距離いた事は言うまでもない。

「可愛く撮れているでしょう」

木村の言葉と、頬と頬が擦り合う程に近付いた事で、少し照れを見せた榊原は、笑顔で小さく頷いていた。そして、駆け足で車の所に走って行った。

その後、周りに居た者達が木村に言った。

「よく写真を撮らせて貰いましたね!」

木村は笑顔で頷くと、そのまま黙って工場に入っていった。

その後の木村のモーションは、それだけでは修まらなかったのだ。

数日後、榊原が工場にやってきた。その日から、髪の毛を後ろで結んでいない榊原だった。

その日は、木村が保険に加入する為の用紙を書く日だった。そして、榊原の上司である女性も、一緒に来ていた。そして榊原の代わりに、保険加入の際の説明をする上司の女性だった。

その間、榊原の眼は木村の方をじっと見つめていた。木村も、榊原の視線を感じながら説明を聞いていた。そして時には、榊原の方をチラチラと見ていたのだ。その度に、目線が合う二人だった。

そんな木村は、余りの緊張の為に話の内容は殆ど耳に入っていなかったのだ。そして説明も終り、木村が書いた申込用紙を鞄にしまう榊原だった。

その時、木村がとんでもない事を言った。

「榊原さん、メールアドレスを教えて頂けませんか」

その言葉に、先に驚いた表情を見せたのは、一緒に来ていた上司の女性だった。当の榊原は、あまり動揺もせずにニッコリと微笑んで、

「いいですよ」

と、簡単に返事をすると、鞄から携帯を出していた。側では上司の女性が、榊原に何かを言いたい様子だった。しかし榊原は、そんな事など気にも留めずに、木村に携帯の赤外線でメールの交換を行った。

「これで用事がある時は、何時でもメールでやり取りができますね」

木村がそう言うと、

「そうですね」

と、榊原は微笑んで答えた。そして、携帯を鞄にしまった。これが、今後の二人の距離を縮めていく、最初の出来事になるのだ。

榊原と上司の女性は、二人で同じ車に乗って来ていた。そんな二人は、そのまま帰っていった。

 榊原が保険会社に入社して、初の契約者となったのが木村だったのだ。こうして木村の担当を受け持つ事になった榊原静香だったのである。


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