表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/19

河野しげるの日常-5

「えっと……君はそこで何をしているんだ?」

「うーん、何をと申されましても……。強いて言うなら、緊急着陸ですわ!」

「ああ、それは何となく分かるよ。民家の上にわざわざパラシュートで降下するなんてことに、大した意味は無いだろうし」

「その通りですわ。わたくしだって、パラシュートを使ってしまったのは不本意でしたもの」

「……ん?」

 何だろう。僕の見解と彼女の言葉には、どこか根本的な隔たりがあるように感じる。

「まあいいや。とりあえず君は、飛行機か何かから飛び降りて、ここへ緊急着陸したと。そういうわけか?」

「はい、大体それで合ってますわ。飛行機ではなくヘリコプターですけど」

「はあ、なるほど。じゃあ、さっき言ってた誘拐云々ってのは?」

 僕の質問に、少女は待ってましたとばかりに顔を輝かせた。

「よくぞ聞いてくれましたわ! 実はわたくし、家出をしたいのでございますの」

「家出……ねえ」

「はい! 実はわたくしの一族『姫鶴家』は、代々刀鍛冶を生業にしてきた、由緒正しき家柄ですの。今は他のお仕事をやっているのですが、刀鍛冶の技術だけは一族の男子の間で脈々と受け継がれていますの。その影響で、わたくしも小さい頃から着るものは和服、食べ物は和食、と言った具合に決められて、もううんざりしているのでございます。わたくしだって、お洒落なお洋服を着たいし、すてーきだって食べたいのですわ!」

 日頃よほどの鬱憤が貯まっていたのか、少女は顔を真っ赤にしてそう叫んだ。なるほど、やけに唐突な展開だけど、僕にも何となくストーリーが見えてきた。

「ふうん。ようするに、家の決まり事を守るのが嫌で、もう家には居られないと思ったわけだ。それで、少々乱暴な手段を使ってでも、家出をしようとしたわけだね?」

「あ、いえ、それとこれとは別の話です」

 別なのかよ。もう訳がわからん。

 何にせよ、相手から「誘拐してくれ」という誘いを受けることは、今の僕にとっては非常に有り難い提案だ。これまでのパターンからして、善悪カウンター(以後、そう呼ぶことにする)は時系列が同じ事象を、別々に判定する傾向にある。例えば友久とのキスと、ナノマシンの注入を別枠で判定したのも、ほぼ同時に起こったことだ。

 つまり、僕が『良い事』もしくは『悪い事』をしたと強く思った時、その思いの一つ一つを別枠で判定してくれるというわけだろう。

 この場合で言うと、彼女の要望に応えて誘拐を行うことは、彼女自身にとっては良い事だがその家族にとっては間違いなく悪い事である。すなわち、良い事と悪い事を一つずつやったことになる可能性が高いので、僕にとっては願ったり叶ったりな展開なのだ。

「よし、分かった。とりあえず僕にも色々と事情があるから、悪いけどちょっくら誘拐させてもらうよ」

「まあ、本当ですの! 嬉しいですわ、お姉さま」

 なんかこの子、誘拐をピクニックか何かと勘違いしてないだろうか。まあ実際、僕が犯人であるからには似たようなものだけれど。

 僕は疲労の溜まった足を無理やり動かし、家の塀を踏み台にして屋根の上まで飛び上がった。

「す、すごいですわ、お姉さま! 忍者みたいです!」

「うん、褒めてくれるのはうれしいけど、たとえが古いな……。それより君、名前は何て言うんだい? 誘拐するのに相手の名前すら知らないんじゃあまり恰好がつかないから、教えてくれ」

「あら、わたくしとしたことが申し遅れましたわ。姫鶴百合ひめつるゆりと申します。嫁入り前の半端者ではございますが、どうかよろしくお願い申し上げます」

 そう言って、百合はこれ以上ないくらい深々と頭を下げた。ここまでされると、何が何でも誘拐してあげなければという気分になってくるな。

「うん、任せてくれ。君のことは、僕が責任を持って誘拐させてもらうよ」

「まあ、初対面のわたくしにそのような親切なお言葉を……。お姉さまは天使ですか?」

 目に涙を浮かべながら、百合はうっとりとした眼差しで僕を見つめてきた。その破壊力は、僕の必殺技の遥か上を行くものであり、僕は思わず抱きしめてお持ち帰りしたくなった。あれ、そもそもそういう予定だっけか。

「さて、そうと決まったら、早く逃げる準備をしなくてはいけませんわね。そろそろ迎えが来る頃でしょうから」

 そう言うと、百合はやけに手慣れた様子で後ろにあったパラシュートを畳み始め、わずか五分足らずでリュックの中へとしまって見せた。プロ顔負けの速さである。

「えっと、じゃあとりあえず僕のうちまで行こうか。世田谷区だから、そんなに時間はかからないはずだ。交通手段は電車でいいかな?」

「電車? 何をおっしゃってますの? そんな小回りが利かない乗り物に乗ったら、たちまちの内に追いつかれてしまいますわ!」

 百合の決死の形相を見る限り、相手はかなりの強者つわものらしい。迎えとは一体全体どんな連中なのかと問いかけようとした時、それまで静けさを保っていた住宅街に、騒々しいブレーキ音が鳴り響いた。しかも一度や二度ではなく、何度も続けて聞こえてくる。

「あの、僕の勘違いじゃなければ、こっちに近づいて来てる気がするんだけど。あれが追っ手?」

「ちっ、今日の担当は境神さかがみでしたか。まずいですわお姉さま。早くわたくしを運んでくださいな。さっきの男の方のように!」

 うげ、見てたのか。

「いいけど、君はリュックを背負ってるからおんぶの方がいいと思うな」

「何でもいいから早く!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら急かす百合を背中に乗せた瞬間、すぐそこの交差点から、黒いリムジンがドリフト走行でこちらへ突っ込んできた。凄まじいブレーキ音と共に道路の幅ギリギリを通過してきたリムジンは、僕達が屋根を拝借している家の前で不自然な程にピタリと止まった。もはや技術を通り越して、神業の領域である。

 僕が呆気にとられて目を奪われている間に、リムジンの運転席のドアが開き、中から時代錯誤な鎧に身を包んだ夜叉のような大男――ではなく、フォーマルなスーツを着こなす細身の青年が現れた。

「ああ……遅かったですわね。あれが境神ですわ。若くして『姫鶴百合回収部隊』の隊長を務める、凄腕ですの」

 言いつつ、百合はうんざりしたような溜息を吐いた。一体何の凄腕なのかはよく分からなかったが、ネーミングからして彼らが百合の保護者達だろうか。とりあえず、運転の腕だけは確かなようだ。

「さあ百合お嬢様、お遊びは終わりにして帰りますよ。お母様も心配になっておいでです」

 整髪料でしっかりと整えられた前髪を撫でつけながら、境神は屋根にいる僕らを見上げた。あれだけの運転をした後だというのに、声には微塵のブレもなかった。その切れ長な目には理知的ながらも力強い意志がみなぎっており、彼の仕事に対する異常なまでの忠誠心がひしひしと伝わってきた。

 彼の眼力に気圧されたのか、百合は僕の背中に隠れるようにして身を縮めた。どうやら彼女にとっては苦手な相手らしい。

「……お嬢様、どうなされました?」

 境神の問いに、百合はさらに身を縮めて押し黙ってしまった。初対面の僕にも臆すことなく話しかけてきたから、てっきり積極的な性格なのだと思っていたが、身内には弱いようだ。内弁慶ならぬ外弁慶か。

 仕方がない、ここは僕が何とかするか。

「えーと、すみませんが百合は家には帰れません」

「……どういう意味ですか? というか、どちら様です?」

 たった今その存在に気が付いたというように、境神は僕の顔を凝視した。どうやら僕のことは、単なるモブキャラとしか思ってないらしい。

 いいだろう。今から彼の辞書に、見た目で人は判断出来ないという言葉を、嫌というほど刷り込んでやる。僕は『勝つために男になる』と決めたあの頃のように、沸き上がる闘志を決意に換えた。

「僕の名前は河野――いや、名前なんてどうでもいい。僕はこれから、この子を誘拐したいと思います。身代金は要りません。要求もありません。取引もしません。ただ今日一日が終わるまで、彼女の身柄は僕が引き取ります」

「……誘拐?」

 意味が分からないというように顔をしかめる境神を尻目に、僕は助走をつけるために何歩か後ろへ下がった。

「百合、ちょっと揺れるからしっかり捕まってて」

「……はい」

 百合がより強く抱きついてくるのを確認すると、僕はナノマシンに出していた待機命令を解除した。途端に、全身に張り巡らされた擬似筋肉が作動し始め、僕の身体は羽毛のように軽くなった。

「待て君、何をするつもりかは知らないが、やめなさい。その方がどのような立場の人間か分かっているのか? 嘘でも誘拐などという言葉を使わない方がいい。さもないと――」

 ようやく事態を呑み込み始めた境神が警告の声を上げるが時すでに遅く、僕はすでに道路の向こう側にある建物に向かって走り出していた。屋根の縁にたどり着いた瞬間、それまでに溜め込んだ運動エネルギーを一気に解放し、跳躍する。

 足下が空くようなふわりとした浮遊感に、一瞬跳んだことを後悔する僕だったが、恐怖を感じる間もなく僕の足は目的の建物の屋根を捉えていた。そのまま勢いを殺さずに走り続け、次の建物に跳び移る。

「わわっ、お姉、様、すごいっ、ですわ! やっぱり、忍、者…………うぷ」

 おい、うぷって何だ。まさか吐く気じゃないだろうな。

 百合の言葉に少々不安を覚えつつも、僕は怪しげな方向感覚を頼りに、家に向かって走り続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ