河野しげるの日常-4
会計を済ませて店を出ると、僕らは友久がバイクを停めているという駅前の駐車場へ向かった。移動時間から逆算すると、どうやら友久は僕から呼び出しを受けた時には、すでにこの近辺にいたらしい。
まあ、だからと言って、電話を貰ってからすぐに駅に向かって全力疾走するというのは、僕から見てもかなり変態的な行動だけど。
友久が利用していた駐車場は、東京都庁にあるオートバイ専用駐車場という所だった。駐車スペースもそこそこあり、料金も安いので、新宿に来る時はよく使っているらしい。中に入ると、見慣れた赤いバイクが目に飛び込んできた。スーパースポーツというタイプのもので、元々レース用バイクから派生しただけあり、周りにあるスクーターなどと比べるとかなり浮いている感じがする。
「……それで? 本当に触るだけなんだよな? 橋の上から落としたり、線路の上に放置したりしないよな?」
バイクのチェーンを外しながら、友久は不安そうにそう訪ねてきた。
「しつこいなあ、だから何度もそう言ってるじゃないか」
まったく、黙って騙されていればいいものを、そんな風に疑われたら益々やる気になってしまうではないか。しかしこの友久という男は、どうでもいい時に限ってやけに勘が鋭いな。
「だから大丈夫だって。ちょっと持ち上げるだけさ」
「も、持ち上げる! 待てしげっち、話が違――」
「ええい、うるさい!」
慌てて止めに入った友久の腕をすり抜けて、僕はバイクと地面の間に空いた隙間に手を突っ込み、上方に向かって思いっきり力を込めた。ナノマシンの疑似筋肉によって強化された僕の腕は、常人の数十倍にも及ぶ運動エネルギーをもって、それに答えた。
ポップコーンさながらに弾け飛んだ友久のバイクは、凄まじい衝撃音と共に天井へ突っ込み、元あった場所から数メートル離れた地面へと落下した。バイクは地面に衝突した後も二回三回とバウンドし、ようやく停止したころには、すでに原型を留めていなかった。
バイクの持ち主である友久はもちろん、加害者であるこの僕も、あまりの出来事にしばらく呆然と立ち尽くした。……いやだって、まさかここまで強化されてるとは思わなかったもの。
「……はっはっは。どうだい、これなら赤の他人に迷惑をかけることもないし、間違いなく悪い事だろう?」
「…………」
「まあ、あれだ。少し投げたくらいで壊れるバイクなんて、買い替えた方がいいに決まってるよ」
「…………」
「しっかしナノマシンとやらの性能はとてつもないな。あ、そうだ、ここらにあるバイクでジャグリングでもしてみようかな。こう見えて僕、昔からお手玉が得意だったんだ」
「…………」
かつてこれほどに黙り込んだ友久は、中学生の頃、彼の部屋に少々卑猥な本(もちろん僕の)をばらまいた時以来だろうか。後で母親に見つかって大変なことになったらしく、その時は三日くらい口を聞いてくれなかった。……廊下にもまいたのは失敗だったか。
とにかく、友久に早く正気に戻って貰わないと、さっきの音を聞き付けた通行人がうじゃうじゃ集まってくる可能性がある。今回のアクシデント……否、計画に置ける最大の弱点は、現場を目撃されると極めて厄介な状況に陥ることだ。とりあえず目撃さえされなければ、事件はめでたく迷宮入りを果たすだろう。
「友久、そういうわけだから早く起きてくれ。人が来たら面倒なことになる」
目の前で手をブンブンと振ってみるが、全く反応する気配がない。
「うーむ、仕方がない、非常手段を取るとするか。友久、ちょっと我慢しといてくれよ」
僕は脱け殻となった彼の背中と膝の裏に手をやって、ゆっくりと持ち上げた。疑似筋肉による補助のおかげで、ほとんど重さは感じなかった。
「目には目を、謎にはさらなる深い謎を。……あれ、木を隠すなら森の中、の方がいいかな」
女が男をお姫様抱っこするというのは、些か格好がつかないが、この際贅沢は言ってられない。僕は友久の身体をしっかりと持ちながら、駐車場の出口へ向かって走り出した。出口のゲートを一足で飛び越えて、狭い通路を通り抜け道路へと出る。予想通り、歩道には今まさに様子を伺うため駐車場の中に入ろうとしていた幾人かの通行人がいて、僕が飛び出すと同時に左右へバラけた。
その隙に、僕は強化された肉体を最大限に利用して、友久を抱えながら道路の路肩を全力疾走し始めた。周囲から湧き上がる驚きの声をBGMに、僕はそのまま人気がない路地を目指して突き進んだ。
数分後、ようやく周囲に人気のない住宅街のような場所に出たので、僕は足を止めて友久を降ろした。おニューのワンピースは汗でべっとりと身体に張り付き、肺は過呼吸になるんじゃないかと思えるほどに激しく運動を続けていた。どうやら肉体が強化されると言っても、体力が増えるわけじゃなさそうだ。
僕が地面にしゃがみ込んで休んでいると、仏頂面をした友久が、手を差し伸べてくれた。なんだか申し訳ないと思いつつも、手を取って立ち上がる。
「……あの、友久。言い訳するようだけど、僕としてはちょっぴり転がしてやろうとしただけで、あそこまで壊滅的なダメージを与えるつもりは――」
「いや、もういいよ。しげっちの性格は分かってる。それよりも、今やったみたいなこと、俺にもできるようになるのか?」
「え? あ、うん、そうだね。友久なら、僕よりずっとうまく活用できるはずだよ。それとついでに機械工学系の知識もインストールしておいたから、うまくすれば市販のものよりも遥かに性能のいいバイクがつくれると思うよ」
「ほう、そりゃいいな。楽しみだ」
技術者としての血が騒いだのか、友久は好奇心いっぱいの笑みを浮かべた。ついでだから言っておくと、彼の父親はバイクの販売店謙修理屋を経営しており、プライベートでもオリジナルのバイクを組み立てたりしているらしい。彼もその影響を受け、小さい頃から父親の仕事を手伝ったりなどしているうちに、ついにはその父親よりもバイクに詳しくなってしまったとか。いやはや、夢中になるとは恐ろしいな。
「ところで、さっきのしげっちの行動でかなりの騒ぎになっているだろうから、被害にあったバイクの持ち主の俺に、警察から連絡があるかもしれんな。例の宇宙人から言われたノルマってのは、あとどれくらいだ?」
「ちょっと待って、確かめてみる。……えっと、残りは良い事『1』回と悪い事『2』回だね。バイクを投げ飛ばしたのもちゃんとカウントされたみたいだ」
「あと半分か……。一人でやれそうか?」
「うん、大丈夫。最悪、妹に悪戯でもして達成するさ」
「分かった、やばそうだったらすぐに電話しろよ。じゃあ俺は、世話の焼ける友達の後始末でもしてくるよ」
そう言って、友久は僕に背中を向けて、駅のある方角へと歩き出した。その背中がいつもより頼もしく見えて、僕はほんのちょっぴり胸がキュンとするのを感じた。うーむ、これは由々しき事態だな。後で男成分を補充しておかなければ。
一人になってしまった僕は、とりあえず肩にかけていた鞄からスマートフォンを取り出して、時間を確認することにした。現在時刻は午後五時十二分。午前零時まで、後七時間を切っていることになる。
友久にはああ言ったが、正直に言うと僕にはまるっきりいいアイデアが浮かばなかった。犯罪者になるというのは、案外善人でいることよりも遥かに難しいのかもしれない。このままでは、仮に今日一日を生き延びられたとしても、三日ごとに訪れるミッションの全てをクリアするのは、相当に厳しいだろう。何か恒久的に悪事を提供してくれる手段がないと、非常に間抜けな死に様をさらすことになりかねない。宇宙人に歯向かって殺されたという方が、まだマシな死に方である。
とにかく、それについてはまた後日考えるとして、今は残り三つのノルマを達成することに全力を尽くすしかないだろう。
「……はあ。この際誰かを誘拐するとかしてみるかな。それか銀行強盗でもして、奪ったお金をその辺にばらまいて、義賊の真似事でもしてみるか……」
「あら、いけませんわ、強盗だなんて。誘拐になさったら? ちょうどここに、誘拐するのにうってつけのか弱い少女もいることですし」
「うん、それもそうだね。じゃあとりあえず君を誘拐…………ってはい?」
突然割り込んできた声の主を探して、僕は辺りを見渡した。しかし、周囲に人間の姿は見受けられない。声の調子からして物陰に隠れている様子ではなかったから、あるとすれば僕の頭がおかしくなったということくらいだろうか。
「ちょっと、どこを見ていらっしゃるの? 上ですわよ。貴方の右側にあるお家の、屋根の上です」
「……上?」
僕は言われるがままに回れ右をして、上方を仰いだ。見るとそこには、確かに美少女と呼ぶのもはばかられるくらいに見目麗しい少女が、一軒家の屋根の上で体育座りをして、こちらを見下ろしていた。髪型は黒のセミロング。肌の色は、今まで一度足りとも紫外線なるものを浴びたことがないんじゃないかと思えるほど透き通っていて、紫の蝶の刺繍が入った黒い着物が、それを一層際立たせていた。
と、ここまでなら、誰もが一度は憧れる日本的美少女が、屋根の上にいたということで一応のけりがつく。いや、そもそもなぜ一軒家の上に女の子がいるのかとか、しゃべり方が見た目とミスマッチしているだとか、突っ込むべきことは色々とあるだろう。しかし、それらの疑問がことごとくどうでもいいと思えるほどに、彼女の第一印象はぶっ飛んでいた。
まずは手首。刑事ドラマなどでよく見る金属製の手錠が、少女の細い両手首にかけられていた。次に背中。背負われた大きなリュックサックからは何本もの紐が伸び、彼女の後ろで陸に揚げられた蛸のごとく横たわるパラシュートに繋がっていた。極めつけは首にかけられた革製の黒い首輪で、明らかにサイズが合っておらず、ブカブカだった。おまけに輪の外側にはちゃちな金属のトゲのようなものが等間隔で並んでいて、もはや首輪というより、ネックレスと言った方が近いかもしれない。
……僕のような変人が言うのも何だが、正直このタイプの人間とは、あまり関わり合いになりたくない。変人は常人の中に混じってこそ真価を発揮するものであり、変人同士の馴れ合いは、ただ悪戯に混乱を招くだけだと経験で知っているからだ。
しかしまあ、こう見えて礼儀を重んじる性格の僕としては、話しかけられて無視するというのもできない相談だった。仕方なく、僕は少女の放つ期待の籠った眼差しに答えるため、口を開いた。




