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河野しげるの日常2-2

 予定通り職員室へ寄って用事を済ませた僕は、三階にある二年五組の教室へ向かった。登校した時間が早かったこともあり、まだホームルームまでは少々時間がある。

 この際イタズラでもしてノルマを消費しておこうかと目論見ながら教室の扉を開けると、そこには満面の笑みを浮かべた華柳穂夏が立っていた。

 背筋にぞわりと冷たいものを感じつつも、僕はぎこちなく笑い返した。彼女が教室の外に出ようとしたところにたまたま出くわしたというのは考えにくい。問題なのは、僕がくるまでずっと扉の前で待ち構えていたのか、もしくは何らかの方法で僕の接近を感知して扉の前に立ったのか、だ。今までの人生の中で予知能力者に会ったことは皆無なので、残念ながら結論は見えている。しかし、何事につけても希望があるというのはいいものである。

「や、やあ穂夏、おはよう」

「あはは、変なしげるちゃん。さっきまで一緒にいたじゃない。さ、中に入ろ?」

「う、うむ」

 中に入ろうも何も穂夏が邪魔で入れないのだが、あえてツッコまないでおいた。こういう時は、触れずにそっとしておいた方がいい。

 原因は、非常にはっきりとしている。普段から僕のいじめに耐え抜き、それでもなお友達であろうとする彼女が僕から親切な行為をされたらどうなるか。それがわからない僕ではなかったはずだ。完全に自業自得である。

 仕方なく、僕は当然のごとく僕の手を引いて自分の席へ誘導する穂夏に付き合って、適当に雑談をしてやった。これでもう一度カウンターの数字が減ってくれれば万々歳なのだが、会話の折りに確認した手のひらのそれは一向に減る気配を見せなかった。まあ会話くらいはいつもしているので、良い事にカウントされないのも当然といえば当然だ。

 地獄のような時間を何とか耐え抜くと、ようやく待ちに待ったチャイムが鳴り響いた。むろん、ホームルーム開始の合図である。大義名分を手に入れた僕は、穂夏に断りを入れて瞬時に自分の席へと戻った。うちのクラスの担任は時間にうるさいことに有名で、一秒でも座るのが遅れるとお小言をくらうこと必須である。

 僕が席に座ってから一分と経たないうちに、件の担任教員、裁花道子たちばなみちこがやってきて教壇の向こう側から僕達生徒に鋭い視線を送った。自然と教室の空気は、心地よい緊張感に包まれる。

 身長は百七十センチ後半。女性としてはかなり高い方だろう。最低限といった感じのナチュラルメイクは、逆に彼女の整った顔立ちを引き立てている。服装は、上下を黒のスーツで固め、スカートから覗く足は同じく黒のパンストで覆ってる。まさしく、仕事ができる女といった出で立ちだ。

 しかしそんな見た目とは裏腹に、彼女はかなり気弱な性格をしており、それゆえ生徒から「みっちゃん」などというあだ名で呼ばれて可愛がられている。からかうとすぐに赤面してぷりぷりと怒り出すので、僕のようなサディストにとっては非常においしい存在だ。ちなみに、みっちゃんなるあだ名をつけたのは他ならぬ僕である。

 とはいえ、基本的には真面目な性格の彼女は、授業も担任としての仕事も規律をもってしっかりとこなしたがるので、生徒達もそれに合わせていじるタイミングはわきまえるようにしている。

「ではこれより朝のホームルームを始めたいと思います。きり――」

 いつものように号令をしようとしたみっちゃんは、なぜか途中で口を閉ざし、驚いたような表情で廊下の方を振り向いた。号令に合わせて立ち上がろうとしていた生徒達は、肩透かしをくらったように不格好な体勢で席に座り直した。状況がよくつかめない僕はみっちゃんの視線を追って廊下の方を見るが、そこにあるのは教室の出入り口の扉だけだ。

 静まり返る教室。唯一聞こえるのは、何かが擦れるような断続的な音だけだ。

 ……ん? 擦れるような、音?

 僕がおぼつかない記憶の糸をたどって音の正体を見極める前に、それは自ら扉を開けて中にいる者に答えを示して見せた。

 真っ白いワイシャツに赤いリボン。チェック柄のスカート。 服装だけなら僕と同じ女子高生。髪型はベリーショートで、かなりの美形ゆえに男子だと偽っても騙し通せるかもしれない。

 彼女、浅波佑真あさなみゆうまは穂夏と同じく中学時代からの友達だ。僕からすれば姉貴分といった感じの存在なのだが、度を越した変人であるゆえ度々主従関係がわからなくなる。

「あ……先生、おはようございます。遅刻してしまって申し訳ありませんでした」

 教室中から浴びせられる視線を物ともせずに、佑真は重々しい摩擦音を伴いながら自分の席へと向かった。

「……ま、待ちなさいっ!」

 ようやく硬直から解けたみっちゃんが、なんとか自分のペースに持ち込もうと声を張り上げる。

「はい、何でしょうか?」

「何でしょうか、じゃないでしょう! その鞄についているものについて説明しなさい!」

「……鞄?」

 こいつはいったい何を言っているのかというような怪訝な表情で、佑真は右手に持っていた通学鞄を見下ろした。特に変わったところもない紺色の手提げ鞄だ。側面には彼女が熱心に集めているストラップの数々と、長さ一メートル強はある鉄製のハンマーがぶら下げられている。頭部にこびりついている赤い物体については、触れない方が無難である。前に冗談半分でそのことについて質問したら、笑顔のまま得物を振り回してきたことがある。あの時は、危うくおしっこちびるところだった。

「先生、鞄についているものと言われても、ストラップしかありませんが。これらの一つ一つの造形について説明すればいいのですか?」

「ち、違いますっ! 話をはぐらかさないでください。明らかにストラップでは説明がつかないものが混ざっているでしょう! そのは……はん……」

「ハンマー?」

「それです!」

 ビシリと問題のブツに向かって指を差したみっちゃんは、それだけで全エネルギーを消費したかのように肩で息をしながら佑真を睨みつけていた。しかし当の佑真は相変わらず何でもないというような涼しい顔で、その視線を受け止める。

「なるほど。つまりハンマーはストラップの範疇には入らないということですね? しかし先生、ストラップについての明確な定義はこの学校の校則には存在しません。つまり何がストラップで何がそうでないかの判断は生徒に一任されているということです。私の判断では、この程度の大きさのハンマーはストラップだと言っても何の差し支えもないと思います。それとも先生の中にはストラップという存在についての明確な定義がおありなのですか? もしそうならば今この場でおっしゃってください。例えあなたが何と言おうと、私が完膚なきまでに論破して差し上げましょう」

「す、すとらっぷのていぎ? そんなもの、常識的に考えて――」

「常識? 常識とはどのような常識のことでしょうか。日本社会全体についてのことなのか、地方自治体レベルのことなのか。はたまたこの学校限定での話をされているのか。まずは常識というものを私達の間で定義しましょう。話を進めるのはそれからです」

「常識の定義? そんなものはどうでもいいのです! と、とにかく学校に凶器となるようなものを持ってきては、いけませんっ!」

「ほほう、それでは先生は私に裸で登校しろとおっしゃるのですか。私クラスの武道の達人となると、鉛筆一本でも十分な凶器となり得るのですが。わかりました、先生がそこまで言うなら明日から全裸で学校に通いたいと思います」

「裸になれなんて誰も言ってません! とにかくハンマーを学校に持ってきてはいけません!」

「裸にならなくてもいいのですか。凶器になり得るものの携帯は許可してくださると。ではこのハンマーもといストラップの所持についても認めていただかなければなりませんね」

「だからハンマーはストラップじゃ……うううー」

 今にも泣きだしそうなみっちゃんに、教室中から同情の視線が向けられる。何人かはちらちらと期待の眼差しで僕を見てくるが、正直佑真を止めるのは不可能に近い。できるとすれば、彼女の師匠である僕の母くらいだろう。

「と、とにかく、先生は間違っていませんからー! 間違っていませんからー!」

 子供のような捨て台詞を残しつつ、みっちゃんは出席を取るのも忘れて脱兎のごとく教室から早足で去って行った。それを勝利とみなしたのか、佑真は確かめるように小さくこくりと頷いてから、ハンマーを引きずりつつ自分の席へと座った。それを合図に、その他の生徒達も一時間目の授業の準備をするために動きだし、教室は再び賑わい始める。みっちゃんには少々酷なようだが、異常な状況も何度となく経験すれば人間は慣れるもので、僕や佑真が起こすトラブルに当初は戸惑っていたクラスメイト達も今ではこの有様である。

中途半端ですが区切りまーす

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