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河野しげるの日常-1

「……ちくしょう、また失敗した」

 本日十人目の獲物がうねるような人ごみの中に溶け込んでいく様子を見つめながら、僕は心にもない悪態を呟いた。

 普段ならば、退屈極まる学校生活の疲れを癒すためにベッドの上で読書にふけったり、一日中パソコンにかじりついたりしているこの僕が、なぜわざわざ筋肉痛になるのもいとわずに新宿駅前の歩行者天国に出向いて流れゆく通行人を睨んでいるのかというと、これにはとてつもなく深い理由がある。

 ……いや、正直に話そう。本当は深いわけどころか浅すぎて逆に地面が隆起してしまうほどにくだらない理由で、僕はここに立っている。

 単刀直入に目的だけ言おう。僕はここに、カツアゲをしに来たのだ。

 なぜそんなことをしなければならないかを説明するためには時間を二日ほど遡らなくてはならないが、面倒くさいのでとりあえずこのまま進めることにする。

 そんなわけで(どんなわけかを説明するのは以下略)、全世界的に休みだとされる日曜日に、わざわざ早起きまでして東京都内の歩行者天国に張り付き、簡単に目的が遂げられそうな相手を探してはカツアゲをしようと躍起になっているのだが、先ほどから一向に成功する兆しが見られない。

 まあ、ごく普通の高校生であるこの僕がそう簡単に成功するようでは、世にはびこる不良少年達に失礼であろう。昨今の情報社会においては、小難しい専門分野は専門家に任せてしまうのが一番手っ取り早いのだ。そして幸いなことに、僕はその専門家を一人知っている。

 ポケットからスマートフォンを取り出して、電話帳からそいつの名前を探し出し、通話ボタンをタップする。

『はいよー、もしもし。お前から電話をくれるなんて珍しいな。何の用だ、しげっち』

 驚くことに、件の専門家はワンコールも絶えない内に電話に出た。心理学者に尋ねればよからぬ答えが返ってきそうな反応の速さだが、あいにく僕にはその手の知識を持った知り合いはいないので、この件は保留にしておく。ちなみに、しげっちという愛称については触れないでおいてもらえるとありがたい。

「……あー、ちょっと君に尋ねたいことがあってね。実は僕、カツアゲというものをやってみたいと思うんだけど、中々うまくいかないんだ。だからうちの学校でも指折りの不良で、現在絶賛停学中の唐薙友久からなぎともひさ君に、ご助力を賜りたいと思ってね」

『それ、頼んでるのか? それとも貶してるのか?』

「もちろん、心の底からお願い申し上げているのさ」

 僕だって、彼のプロフィールを手っ取り早く紹介するためでなければ、出来るだけ彼を傷つけるようなことは言いたくない。確かに、単位を落とすギリギリまで授業に出なかったり校庭のトラックを利用してバイクレースをしたり学校中の生徒から巻き上げたお金で『ツーリングクラブ』と称した暴走族まがいのチームをつくったり学校の裏庭に自分専用のガレージをつくったり警察官に手錠をかけられたりするバカで愚かでどうしようもないくそ野郎だけど、ああ見えて結構繊細なところがあるのだ。

『今、心の中で俺の悪口を言っただろ』

「いいや。言ってないよ」

 よく分かったな。図星だよ。

『まあいいか。つかお前カツアゲって……。もしかして、昨日の話ってマジで言ってたのか?』

 何だか憐れむような声で話す友久に、僕は少々イラつきながら返事をする。

「僕は何時だって真面目だ。それより、君にそんなことを言われるとは思わなかったな。友人であるこの僕の話が信じられないというなら、今から君のことは名前ではなく苗字で呼ばせてもらうことにするよ」

『いや……呼び方なんて好きにしていいけどさ。いくらダチの言うことでも、宇宙人に拉致されて一日に良い事と悪い事を三つずつしないと死んでしまう身体に改造された、なんて話どうやって信じろっていうんだよ。ジョークにしては独創的すぎて笑えないぞ?』

「当たり前だ。僕はそんなつまらないジョークは口にしない」

 そう、僕は二日前の五月二十二日に、地球外生命体に誘拐アブダクションされた。その際に色々と身体を弄られて奇妙な能力を手に入れたのだが、今はとりあえず現実的な話をすることにしよう。

「まあ、その件については今後じっくりと話し合おうじゃないか。友久の頭でも理解できるように、ちゃんとした物理的証拠を提示するからさ。それよりも問題なのは、カツアゲがどうしても成功しないという点だよ。いったい何がいけないんだろう? せっかく特攻服と黒いサングラスで不良っぽく見せているというのに」

『ちょ……ちょっと待て、しげっち今特攻服着てんのか?』

「うん、まあ。ネット通販で買ったやつね」

 電話越しに聞こえてきた溜息には、この際目を瞑っておいてあげよう。今回の僕は、一応アドバイスを受ける側だからな。

『……あー、それはたぶんあれだな。いや、たぶんじゃなくて間違いなくそうだ』

「あれって何だよ。はっきりしてくれ」

『コスプレだと思われてるな』

 ……なんてことだ。非常に心外だ。いや、確かにコスプレであることは間違いないのだが、これでも腕っぷしには多少の自信があるのだ。本物の不良にも、その点では劣らないはずだ。しかし――――

「どうりで、秋葉原の歩行者天国で、やたらめったら写真を撮られると思ったよ」

『な……しげっち! お前その格好でアキバいったのか!』

「うん、いった。今は新宿の駅前にいる」

『写真撮られたって誰にだ!』

「誰って……知らないよ。不特定多数の誰かさ」

『くそ、今から探しにいくか。いや、この際人海戦術で……』

 写真を撮られたくらいで何を騒いでいるのだろうか。

『ま、まあいい。とりあえず、しげっちのカツアゲが成功しないのは恰好がまずいとか以前に重大な問題がある』

 おお、さすがに本職なだけあって、もうすでに僕の失敗の原因を見抜いているようだ。しかし彼も僕がそこそこ腕の立つことは知っているはずだし、ビジュアル面以外での問題とはいったい何なのだろう。言葉使いとかだろうか。

『だってしげっち、女だろ』

「………………女だから、失敗したと?」

『そう。たぶん、コスプレ好きの変な女が絡んできたとしか思われてないぜ、それ』

「そんな……そんなバカな! 男女雇用機会均等法の存在が当たり前となっているこの時代に、そんな差別があっていいのか! 表現の自由の侵害だ! 男尊女卑だ!」

 信じられない。格差社会は、男女の間にも広がっていたのか。

『そういうことじゃないと思うがな。だってほら……しげっちって結構美人だろ? ごっつい男ならともかく、可愛い女の子がそんな恰好をしても、誰も怖がらないと思うぜ』

「……ふん。個人の美的感覚なんて興味がないね。そんなの人によって違うし、僕にとっては無意味なものだ」

『そうだけど、平均ってもんがあるだろうが……。ま、仮に外見が完璧でも、まだ問題はあるけどな』

「どういうことだ?」

『まず場所が悪いだろ。歩行者天国って……それじゃあ逃げろって言ってるようなもんだぜ。なんでそんな場所にしたんだ?』

 呆れたような口調で、友久はそう尋ねた。ひょっとしてこいつ、僕をバカにしてるんじゃないだろうか。甚だしく不愉快だ。僕は何時だって、論理的に行動しているつもりだ。

「だって、人が多いほうがカモになりそうな人間を見つけやすいじゃないか」

 再びの溜息。さすがにムカついて来たけれど、仏の顔も三度までというし、我慢してやろう。

『そのやり方じゃあ、そのカモになりやすい人間すらも逃がしちゃうんだよ。というか、悪いことを三つやるだけなら、何もカツアゲなんかする必要ないと思うけどな。万引きとかトイレの壁に落書きするとか、そんなんでいいだろ』

 ……何てことだ。

「えっとほら……どうせやるなら、難易度が高いほうが面白いだろう?」

『嘘つけ。お前この前ゲーセンで、クレーンキャッチャーに五千円費やしたあげく一個も取れなくて、ゲームはクリアできなきゃ面白くないんだから、誰でもクリアできるように作るべきだ、とか言ってぼやいてただろ』

「……ぅ」

『図星だな』

 図星だよ。

「ちくしょう……。じゃあ僕がやっていたのは全くの無駄足だったということか。せっかくさらしまで巻いてリアリティを追及したのに」

 受話器の向こうから、何かが倒れるような騒々しい音が聞こえた。どうやら、電話の向こうで友久がずっこけたらしい。

『さ……さらし? しげっち、さらし巻いてるのか?』

「うん、巻いてるよ。というかさらしって結構不便なんだな。胸が必要以上に締め付けられて敵わないよ」

『し……しげっち! すぐに普通の服に着替えろ! さらしなんかじゃなくてちゃんとした下着を着けなさい!』

「もちろんそのつもりだよ。もうこれを着ていても意味がないし。それよりさっきの音はどうしたんだ? 何か面倒に巻き込まれているなら加勢するけど」

『いや……だ、大丈夫だ。問題ない』

 本当だろうか。彼は意外と無茶をする人なので、いまいち安心できない。

「なあ、友久。どうやら僕には悪い事をする才能はあまりないみたいなんだ。だからできれば、今日一日僕が悪い事をするのを手伝ってくれないかな。例の宇宙人にさらわれたという件についても、詳しく話しておきたいし」

『あ、ああ、分かった。しげっち、今新宿にいるんだったな。東口で待ってろ、すぐ行くから』

 そう言って、友久は通話を終了させた。おそらく、今全速力でこちらに向かっているのだろう。そのことにほんのちょっぴりの満足感を覚えつつ、僕は今日のために用意した私服に着替えるために、駅のトイレへと向かった。

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