第38話倫の選んだ道
嬉しかった。
小さな命。
この言葉しか思いつかない。
倫は、診察室から出てしばらくぼんやりと立っていた。
一点を見つめ何か考え事をしているようにただ立っている。
そんな倫に「倫、どうしたの?嫌だ……なんか言われちゃったの?」
放心状態の倫の服の袖をひっぱる里香。
虚ろにボッーとした視線はやがて里香へと移っていく。
「里香ちゃん」
「里香ちゃん。じゃ、分かんないよっ!」
「里香ちゃん、私のココにね……」
倫は嬉しそうに自分のお腹を優しくさする。
「うん。お腹がどうしたの?」
里香は心配し焦りながら不思議そうに倫のお腹を見る。
「あか……ちゃん」
「うん。赤ちゃん」
えっ!?
里香は目を丸くし驚いた。
「ここに、蓮くんの赤ちゃんがいるんだって」
ニコニコと微笑みお腹を愛しそうにさする。
そんなのんきな倫とは反対に自分のコトではないのにあたふたとしだす里香。
「どうすんの倫っ!?」
「……」
そんな里香を置いて倫は黙って歩き出す。
「倫っ!今から竹下くんのとこ行こうっ。今ならまだ間に合うよっ」
里香は歩き出す倫の手をひっぱった。
「里香……ちゃん」
倫は振り返り里香の顔を見つめた。
そう、今なら……。
今ならまだ間に合うって、私もそう思った……。
けど、倫は首を振った。
「……どうして?」
そんな倫に震える声で悲しそうに里香は聞く。
一瞬でもそう思ったけど、けどね……里香ちゃん……。
倫は、自分もそう思ったというコトは里香に言わず、
「もう、蓮くんとのコトは、終わったコトだから……」
そう……終わったコト……。
自分に言い聞かせるようにそう里香に口にした。
里香にはそう答える倫の気持ちが理解できなかった。
「どうして?好き合ってるのはあの子と竹下くんじゃなくて、倫と竹下くんだよ」
「……」
「倫っ!」
「でも、もう、終わったコトだから……」
倫は頑なにそのコトを言い通しまた歩き始めた。
あの子のお腹にも蓮くんの赤ちゃんがいる。
「私、分かんないよ」
里香は怒りにもとれる震える声で倫の背中に向けて言う。
「里香ちゃん」
倫は振り返り真剣な眼差しで里香の顔を見つめた。
「倫……」
きっと、今、このコトを口にしたらあの子のお腹の蓮くんの赤ちゃんは……。
そんな悲しいコト、私にはできない。
「里香ちゃん。ごめんだけど、もし、
蓮くんに会ってもこのコトは絶対に言わないで……ねっ」
「倫。バカでよ……あんた、大バカよ」
あまりにも強い眼差しで言う倫に里香はこれ以上何も言えなかった。
ただ、ただ、倫の代わりに瞳にいっぱいの涙を浮かべるコトしか……
泣くコトしか、してあげられない……。
「……そう……だね?」
倫は自分の為に泣いてくれる里香を見てそっと微笑んだ。
恋には不器用すぎる倫。
自分より相手のコトを考えてしまう倫。
そんな倫が、私は歯がゆいよ。
倫、あんた……大バカだよ……。
あんた、本当にいい子なんだから……。
「倫っ」
里香は駆け出し倫を思いっきり抱きしめた。
「里香……ちゃん」
倫も里香をぎゅっと抱きしめ里香の肩で涙を流した。
* *
そんなコトを知る由もない蓮は、日曜日、父、翔とまみの自宅へ足を運んでいた。
当然、まみとの結婚の話。
まみは今学期いっぱいで大学を中退するコトになった。
蓮とまみの結婚式の予定は大体三月の下旬ということになった。
三月……。
後、二ヶ月ぐらい……。
決めたはずの気持ち。
……まだ固まるコトのない自分の気持ちとは裏腹に話はとんとん拍子に進んでいく。
「俺、ここで降りるわ」
蓮は駅前で車を止めてもらい車を降りる。
考えたくない。
誰ともいたくない。
マンションまでの道を蓮はタバコを吹かしながら歩いた。
倫はあれからずっと考えていた。
私っていつも冷静。
大学のコト。
パパのコト。
これからシングルマザーとして生きていくコト。
本当なら不安でたまらないはずなのに、意外と前向き。
蓮くんの赤ちゃんを産みたい……。
どうしようなんて思わない。
もう、この子は私のお腹で生きてくれてる。
私を、選んで生きててくれてる。
私が、幸せにしてあげるから。
そう、強く決心をする。
次の日、倫は大学へ行く前、大学病院へ寄る。
「どうかね、調子は?」
「つわりとかも全然なくて……」
エコーの写真を見ていないと本当は間違いなんかじゃないかと思うくらい普通の身体に感じる。
「倫ちゃん。もう少ししたら人工中絶は勧められないよ」
おじさんは険しい表情と口調で言う。
「おじさん、私、産みます」
倫はきっぱりと答えた。
そんな倫に驚くおじさん。
「彼氏は知ってるの?」
「もう、別れました」と小さい声で答える。
「お父さんは、なんて?」
「まだ、なにも……」
でも、パパの言葉が出ると少し暗くなる倫の表情。
「お父さんとよく話し合って、また来なさい。その時、産婦人科に連絡するから……」
おじさんはそう言うとパソコンをうち始めた。
倫は、父、良明に黙ってフランスへ帰ろうと考えていた。
言ったら、絶対、反対する。
そんなの当たり前。
片親の苦労もよく知っている。
でも、もう決めたコトだから……。
蓮との別れと同様に強く決心する。
大学のキャンパスを俯き歩く倫。
ドンッ!
痛っ!
人にぶつかった拍子に何冊かの本が倫の足の上に落ちてきた。
「ごめんなさいっ」
落ちた本を拾おうと慌ててしゃがみ込んだ倫は相手の顔を見て驚いた。
「……」
ぶつかった相手は孝司だった。
「倫ちゃん」
倫の顔を見てニッコリ微笑む孝司。
二ヶ月ぶり。
「先輩っ!」
「調子は良くなった?」
倫は拾った本を地面に落とし立ち上がる。
「あ、こ、この間はどうもありがとうございました」
場に困った倫は戸惑いオロオロとこの間のお礼を言う。
孝司は本を拾い「どういたしまして」と冷静に本についた砂を掃う。
久しぶりに見る孝司の優しい笑顔に倫はホッとした。
微笑み合う倫と孝司。
そんな二人を図書館の前でまみの授業が終わるのを待っていた蓮が偶然見ていた。
壁にもたれ二人を見る蓮。
ポケットからタバコの箱を取り出し、タバコに火をつける。
「蓮、お待たせ」
まみは、図書館の壁にもたれて待っていた蓮の肩をポンっと叩いた。
「……」
全く気づかない蓮。
「蓮?」
まみは蓮の顔を覗き込み、瞬きもせず何かをずっと見つめている蓮の視線の先に目を向ける。
その視線の先……。
蓮のその視線の先には倫がいた。
まみは周りと倫に聞こえるような大きな声で蓮をもう一度呼ぶ。
「蓮っ、待ったぁ?帰ろっ!」
その声は、一番に倫に気づかせてやろうという思いで大きな声で……。
蓮はその声に驚き、タバコを地面に落とすとまみを見た。
「あ、須藤……」
倫も孝司もまみが呼んだ名前とその大きな声がした方を見る。
そこにはまみとタバコを拾う蓮がいた。
蓮くん。
倫は蓮を見た。
蓮も倫を見る。
そらしたいけど二人とも目をそらすコトができなかった。
なぜなら、そこには、会いたかった、倫、蓮がいたから……。
見つめ合う二人。
そんな二人に嫉妬したまみは蓮の腕をぎゅっと掴み
「早く行こうっ」と蓮を連れて歩いて行ってしまった。
「はぁ……」
倫の口から大きなため息がこぼれる。
蓮の腕をしっかり掴むまみ。
まるで『蓮はもう私のモノよ』……と、宣言されてるみたい。
「倫ちゃん、大丈夫?」
「はい、全然」
倫は明るく笑ってみせた。
本当は全然大丈夫じゃないし、全然平気じゃない。
でも、どうしようもない。
もう……あの頃に帰ることはできない。
まみは隣にいる蓮を見つめた。
隣にいる蓮。
私の隣にいる蓮。
もう、私のモノだよね?蓮に直接聞きたいけど、それだけは聞けなかった。
答えは分かってる。
でも、好きで好きでたまらない。
まみも苦しかった。
隣にいても蓮のココロの中には私は砂の粒の大きさも無い……。
分かってる。
でも、欲しかった。
どうしても欲しかった。
あんなコトしてまでも蓮が欲しかった。
私も蓮をどうしようもなく愛してる。
だから私は蓮を離さない。