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三か月限定の身代わり花嫁です。更新の可否は私が決める契約でした

掲載日:2026/10/23

 結婚式の三日前、双子の姉のヴィオラが、いなくなった。


 置き手紙には、たった二行。


『好きな人と生きます。あとはお願いね、アデル』


 お願い、と言われても。


 相手は、北方に広大な領地を持つヘルムート公爵。国の有力者との政略結婚だ。式をすっぽかせば、父の伯爵家は取り潰しになりかねない。


 父は青い顔で、私に頭を下げた。


「アデル。三か月でいい。ヴィオラの身代わりとして、公爵家へ嫁いでくれ。その間に、必ずヴィオラを連れ戻す」


 私は、ため息をついた。


「条件があります。書面で契約を」


「契約? 親子で何を」


「身代わりは、三か月の期間限定。更新の可否は、私が決めます。その旨を、公爵閣下にも伝えて、同意をいただいてください」


 父は戸惑いながらも、頷くしかなかった。


 ◇


 公爵閣下との顔合わせは、挙式の前夜だった。


 ヘルムート・ラインハルト公爵。三十一歳。黒髪の、背の高い方だった。


 彼は私の顔をしばらく見つめ、静かに言った。


「ヴィオラ嬢とは、違う人間だな」


「はい。妹のアデルです。事情はお聞き及びかと思います」


「聞いた。三か月の身代わりだと」


「はい。そのように契約書にも」


 私は書面を差し出した。


 『身代わり婚約・婚姻に関する契約』


 第一条。期間は挙式の日から三か月間とする。

 第二条。姉ヴィオラの帰還をもって、本契約は終了する。

 第三条。期間満了時の更新の可否は、アデルが決める。


 閣下は、書面を最後まで読み、顔を上げた。


「更新の可否が、君にあるのか」


「はい。私は巻き込まれた側ですので」


「……なるほど」


 彼の口元が、わずかに動いた。笑ったのかもしれない。


「承知した。署名しよう」


 あっさり署名して、閣下は付け加えた。


「三か月だけだ。君に、何も期待はしない。だから君も、何も気負わなくていい」


 それは、突き放すような言葉に聞こえた。けれど、不思議と冷たさはなかった。


 ◇


 公爵邸の暮らしは、想像と少し違った。


 屋敷は広く、使用人は優秀。ただし、家の中は驚くほど静かだった。


 閣下は朝早くに執務室へ入り、夜遅くまで出てこない。食事は書類を読みながら、一人で。屋敷には、女主人がいない。


「奥様、旦那様は、一昨年から夕食を召し上がっておりません」


 侍女のエルゼが、困った顔で教えてくれた。


「召し上がらない?」


「いえ、お部屋に運ぶのですが、冷めてから、手をつけるのです。お忙しくて」


 私はしばらく考えた。


 三か月だけの妻だ。深入りする義理はない。


 けれど、その夜、閣下の執務室の前を通りかかると、扉の隙間から、苦しげな咳が聞こえた。


 翌朝、私は料理長に頼んで、温かい麦粥を作ってもらい、自分で執務室へ運んだ。


「閣下。朝食です」


「後で食べる」


「今です。冷めると、おいしくないので」


 閣下は不思議そうに私を見た。


「君は、三か月で出ていく身だろう。なぜ、そこまで」


「三か月間、同じ屋敷で暮らす者として、健康に気を配るのは当然です。契約書の第四条にも、日常の協力は含まれています」


 嘘だ。第四条は、居住に関する規定だった。


 閣下は、じっと私を見た後、スプーンを手に取って、粥を一口すすった。


「……温かいな」


 それは、三年ぶりに温かい食事を取った人の顔だった。


 ◇


 三か月の間に、私はいくつかのことをした。


 食事を毎朝、一緒にとること。冬支度の薪を領民の家に配る手配をすること。それから、河川の治水工事のために王宮へ出す嘆願書を、閣下の代わりに整えること。


 閣下は書類は完璧だが、人に頼むのが苦手で、頭を下げるのを嫌う方だった。それを私が夜会で貴族の奥様方に笑顔で話し、少しずつ根回しをした。


 結果、工事の予算が、ついに王宮で認められた。


 報告を聞いた閣下は、執務室で長いこと黙っていた。


「……なぜ、そこまでしてくれた」


「契約期間中は、公爵夫人ですので」


「それだけか」


「さあ、どうでしょう」


 私は笑って、はぐらかした。


 本当は、少しだけ、この屋敷での暮らしが好きになっていたのだ。


 ◇


 契約期間が終わる、三日前。


 公爵邸の門の前に、一台の馬車が止まった。


 降りてきたのは、ヴィオラだった。


「アデル! 帰ってきたわよ」


 姉は、日に焼けた顔で、にこやかに手を振った。


「駆け落ち相手と別れたの。思っていた人と違ってね。それで、公爵夫人の座、やっぱり私が貰うわ。あなたはもう帰っていいわよ」


 あまりの言い草に、言葉を失った。


「お姉様、それは――」


「だって、元々私の結婚でしょう? あなたは身代わりだったんだから、本物が戻ったら交代するのが当然じゃない」


 屋敷の玄関先で、姉は堂々と言い放った。


 そこへ、閣下が現れた。


「確認させていただきたい」


 彼は静かに、懐から書面を取り出した。


「この契約書の第二条には、『ヴィオラの帰還をもって契約は終了する』とある。つまり、貴女が戻られた以上、契約は終了する。ここまでは、よろしいか」


「ええ、もちろん」


「第三条。期間満了時の更新の可否は、アデルが決める」


 ヴィオラの笑顔が、ひきつった。


「そして、貴女は、挙式当日に失踪された。婚姻の誓いの場にいなかった以上、貴女と私の間には、婚姻の事実がない。婚姻の事実があるのは、アデルとの間だけだ」


「え?」


「貴女が戻られたことで、身代わりの契約が終わる。だが、アデルとの婚姻そのものは、契約とは別に有効だ。解消するか継続するかは、アデルが決める」


 閣下は、私のほうを向いた。


 その目は、これまで見たことがないほど不安げだった。


「アデル。更新は、してくれるか」


 私は、少し意地悪をしたくなった。


「閣下。三か月前、『何も期待しない』とおっしゃいましたよね」


「……言った」


「今は、いかがですか?」


「期待している。毎朝、粥を持ってきてほしい。夕食は一緒にとりたい。書類を読みながらでなく」


 言葉を探すように、閣下は続けた。


「それから、君がこの屋敷からいなくなると、僕はたぶん、また食事をとらなくなる。だから、その、更新を」


 最後は、ほとんど懇願だった。


 三十一歳の公爵閣下が、玄関先で、私に向かって、声を震わせている。


 姉が口を開けたまま固まっている。


 私は、こらえきれずに吹き出した。


「更新の条件を、お伝えします」


「何でも聞く」


「期間は、無期限。解約は、双方の合意のうえで。それから、毎朝の粥は、閣下が私に作ってください」


「僕が、君に?」


「ええ。たまには、私も温かい朝食をいただきたいので」


 閣下は、目を丸くして、それから、人生で初めて、という顔で笑った。


「分かった。腕を磨く」


 後ろで姉が何か叫んでいたが、使用人たちが穏やかに馬車へ誘導していった。


 契約書は、更新された。


 新しい署名の隣に、閣下は、ぎこちない字で、小さく書き添えた。


『追記。妻の笑顔を、毎日見ること』


 それは契約条項というより、ただの願い事のようだった。


 私は、その一行に、迷わず署名した。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
面白かった。けど、ナーロッパのゆるふわ世界だとしても、挙式前駆け落ちして、純血かどうか(この時点で純血を散らしていると判断するのが普通)分からない姉がどうして舞い戻れると?それ以前に父親が、駆け落ちを…
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