忘れられた風船
「ーあれ」
電車の中に風船が浮かんでいるのを、車掌が発見した。風船といっても、浮かぶタイプのもので、風船の中に風船が入っている可愛いものだった。
「これ、大事なものなんじゃないのか?」
車掌は紐を持つと、風船を軽く叩く。誕生日会とかによく使われるものではないだろうかと推測し、
ー子どもが泣いてないといいけど…。
と想像する。透明な風船の中に入った小さな風船がピンク色という点から、恐らく女の子が忘れたんじゃないかと目星をつける。そういえば、車内を歩いている時、子どもがはしゃいでいたのを思い出し、車掌は顎に手を当てる。
ー探している子どもがいないか、見てみるか。
車内をゆっくり歩きながら、子どもの姿を探していく。田舎の中を走る電車なので、客は少ないが、2両編成だった。夏ということもあり、外から眩しい光が差し込んでくる。車内は冷気が満たされているからいいが、青い田を見ながら車掌は車内を見終わる。
「…いないな…」
困った車掌は、もう一人の車掌に事を話す。すると、やはり心配したようで、
「届けたいですけどね…。どうしましょうか?」
「そうなんだよな…。どうするか」
2人は腕を組み、天井を見上げる。風船は風に揺られており、早く持ち主に会いたそうに少し淋しげだった。
ー反対側の電車に乗れるといいんだけど…。
車掌が思いついたのは、上りと下りが一緒になる時間があり、その時に反対側の電車に乗り込めば、子どもが待っているのに出会えるのではないかというものだった。それをもう一人に話すと、
「いいアイデアですね。駅で待っているかもしれないし」
「そうだよな。俺、反対側の車掌になってもいいか?」
「いいですけど、子どもがいなかったら…?」
「それは…それまでだ」
車掌は風船をしっかり持つと、自分に近づけた。どうして忘れたのかは知らないが、風船が持ち主に会いたがっているように感じた。
ーここは面倒くさがらずに、探すか。
自分にも幼い子がいるので、大泣きしている姿を想像する。
「悪いけど、次の駅で反対側の車両に乗るから」
「分かりました。ただ、1人、応援をよろしくお願いします」
「OK。悪いな」
「いいですよ。子どものヒーローになってあげてください」
もう一人の車掌が親指を立てたので、車掌は苦笑しながらうなずく。電車は入道雲が伸びる晴天のもと、ゆっくりと進んでいく。その速さは風景をじっと見たい客にはいいのだが、風船を手にした車掌は気が気ではなかった。
ーどうか出会えますように。
持ち主はどんな子だろうと考える。多分、忘れていったくらいだから、まだ小さいのではないかと思う。
ーお兄さんが届けるから待っていろよ。
そう決意すると、電車は駅に着いた。反対側の電車も到着しており、車掌はもう一人の車掌に言う。
「俺、行くから頼む」
「はい!! 気をつけて」
「おう」
軽く手をあげると、電車から降りる。田舎の電車、それも平日なので、降りる客はまばらだった。蒸し暑さに襲われ、少しくらっときたが、車掌は反対側の車掌の元へ向かう。
「おい、お前達」
「…ん? あれ、先輩、どうしたんですか?」
「ちょっとな。それより、1人、変わってくれないか?」
「え…? 何故? それにその風船…」
「訳は後で話すから、頼む!! 交代してくれ。1人でいい」
「じゃあ俺がそっちに行きますよ」
「助かる。悪いな」
降りた車掌とすれ違い、車掌は反対側の車両に乗る。ひんやりとした車内に安堵し、残った車掌に話しかける。
「あと何分で出発だ?」
「そうですね…。あと5分くらいでしょうか」
「5分か…。短いようで長いな」
車掌はそう言うと、車内を見回す。おばあさんやおじいさんが多く利用しており、朝の満員電車と比べると、穏やかな雰囲気に包まれていた。
ー無駄足に終わらないといいけれど…。
少し心配だったが、もう行動してしまったものはしょうがない。すると子連れが乗ってきて、車掌の持つ風船を指差す。
「あ!! 風船だ!! いいな!!」
「ご乗車、ありがとうございます。…でもこれは渡せないんだ、ごめんな」
男の子の頭を撫でてやると、母親が申し訳なさそうに頭を下げてくる。車掌も軽く頭を下げると、電車のドアが閉まった。
「動きますよ、先輩!!」
もう一人の車掌が声をかけてくれ、車掌は短く「おう」と答える。今、来た道を戻っていくのだから、風景は見たばかりなものが過ぎていくのだった。風船を持ちながら、車掌はなるべく外から見えるような位置に立つ。制服姿の自分が持つには、今頃になって恥ずかしくなってきたが、誰も何も言わず、電車は進んでいく。
ーこの穏やかさがいいんだよな…。
ガタンゴトンと進んでいく電車に揺られ、車掌は思わずあくびを殺す。外を見ていくが、まだ道のりは長いように感じられる。
ーお客様、第1。お客様があっての電車だから。
車内は眠る客や、風景を見ていく客、中には酒を飲む外国人がいたが、騒がしくなかった。電車はゆっくりと1つ、また1つと駅を通過していく。果たして風船の持ち主は駅で待っているだろうかと、不安になってきたが、
ーいや、必ず待っているはず!! 子どもの大事なものだから。
自分が子どもの頃、風船をもらえて嬉しかった思い出を頭に浮かべ、泣いている子どもがいないか探していく。車内にいたのでは分かりづらいので、1つ駅に着く度に、車両を降り、子どもがいないか確認する。
「…いないな…」
ぼそりと呟くと、また車内へ戻る。別の相方になった車掌が話しかけてくる。
「どうでした? いました?」
「いや、今のところは…。俺の無駄足かな?」
「何を言っているんですか、先輩。良いことをしているんですから、堂々と胸を張っていいんですよ。必ず見つかるはずです」
「そうか。分かった、ありがとう」
少し微笑むと、もう一人の車掌が白い歯を見せて笑う。電車は亀の歩みのように進んでいき、そのリズムに慣れた頃、駅に到着した。車掌が風船を持って外に降りると、
「あ!! あれ!!」
子どもの甲高い声がした。気づいて首を回せば、4、5歳くらいの女の子が自分を指している。どうやら持ち主に会えたようだと、安堵する。
「ーこれ、あなたのかな?」
「うん!! 忘れて泣いていたの」
どうも大泣きしたのか、子どもの目は真っ赤だった。しかしその瞳に、自分と風船が映り、笑顔を取り戻したようだった。
「すみません。この子の不注意で忘れたのに」
20代くらいだろうか。母親が頭を下げてくる。
「本当にすみません。大変じゃありませんでしたか?」
「大丈夫です。…ほら、風船」
手渡してやると、子どもはにっと笑った。泣いたことを忘れたようで、けろりとし、風船を持ちながらジャンプし始めた。
「こら!! お兄さんにお礼は?」
「ありがとう!! お兄さん!!」
「どういたしまして。もう手放しては駄目だよ?」
「うん!! 約束は守る!!」
小指を出してきたので、小指を差し出し、指切りする。
「じゃあね、お兄さん!! また電車に乗るから!!」
「よろしくな。…お母さんもよろしくお願いいたします」
車掌が挨拶すると、母親は少し頬を染め、うなずく。
「では失礼して…」
車掌はバイバイと手を振ると、車内に乗り込む。子どもが立ち去るまで、手を振ってくれたので、自分もずっと振り返す。
ーあー良かった。
何だか大きな仕事をしたみたいに、達成感があった。自分も自身の子どもに会いたくなったが、客の目があるので我慢することにした。
「ー発車しますよ、先輩!!」
「分かった。俺も仕事に戻る」
襟首を直すと、車掌は自分の立ち位置に戻ったのだった。




