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または、密造おでんの夜明け

「……で、なんでこうなったんですか?」


田中ヒロシは、デスクに突っ伏して呻いた。

場所は「カスタマー・ハピネス・センター(地下30階の苦情処理室)」。

普段は陰気なこの部屋が、今はすし詰め状態になっていた。


「おいタナカァ! 喉が渇いたぞ! あの『黒い汁』を出せ!」

「アニキ! 肩揉んでやるよ! その代わり『赤い粉』をくれ!」


モヒカン頭の海賊たちが、田中の狭いデスクを占領し、書類を紙吹雪のように撒き散らしている。

そして、その横では清掃員姿のエコーが、シュレッダーのゴミ袋を枕にして爆睡していた(激辛クラッカーのショックで気絶したままだ)。


事の発端は、数時間前の衝突事故だ。

エコーの歌で暴走した海賊船は、コロニー船にソフトタッチ(激突)した際、摩擦熱で装甲が溶け合い、なんと「物理的に合体」してしまったのだ。

修理には数日かかる。

その間、行き場をなくした海賊たちの世話を、カレン局長は田中に丸投げしたのである。


『いい? 彼らを一般市民と接触させないで。あなたの部署(地下牢)に隔離して、飼い慣らしなさい。これは業務命令よ』


それが、このカオスな状況だ。


「はぁ……。隔離って言われてもなぁ」


田中はため息をついた。

海賊たちは退屈で暴れ出しそうだ。エコーが起きたらまた歌い出して、今度こそ船が爆発するかもしれない。

何かで彼らを大人しくさせなければ。

日本のサラリーマンが、不満を持つ部下や取引先を黙らせる方法はただ一つ。


「……飲みニケーション、するか」


田中は立ち上がった。

給湯室へ向かう。そこには、社員用の「合成プロテイン給湯器」がある。

彼は給湯器の設定をハッキング(というか、叩いてバグらせて)し、温度を「危険(90度)」まで上げた。


次に、備品室から「衝撃吸収用のスポンジ材(お徳用)」を持ってきた。

この世界のスポンジは、なぜか「こんにゃく」に似た弾力がある。ついでに、円柱形の「柔らかい消しゴム」も持ってきた。これは「大根」に見えなくもない。


「食材はこれでよし」


田中は、給湯室の洗面器(新品)に熱湯を張り、スポンジと消しゴムを放り込んだ。

そして、懐から取り出したるは、黄金の聖水ならぬ、黒褐色の秘薬「醤油」と、顆粒状の出汁の素。


ドボドボドボ……。


無機質な給湯室に、和風出汁と醤油の香ばしい匂いが充満する。

それは、清潔で無臭なこの未来社会において、最も「異質」で、最も「ノスタルジック」な暴力的な香りだった。


「よし、煮えてきたな」


田中はネクタイを緩め、洗面器を抱えてオフィスに戻った。


「へい、お待たせしましたー!」


「あァ? なんだそのドブみたいな色のスープは?」

海賊船長が顔をしかめた。

「臭っ! 発酵した豆の匂いがするぞ!」


「騙されたと思って食べてみてください。……『おでん』と言います」

田中はスポンジ(こんにゃく風)を割り箸に刺し、船長に渡した。


船長はおそるおそる口に運ぶ。

熱々の出汁が染み込んだスポンジ。

フーフーもせずに齧り付く。


「あつッ!? ……ハフハフ……んぐッ……」


船長の動きが止まった。

そして、カッと目を見開き、天を仰いだ。


「……沁みるゥゥゥッ!!!」


「お頭!?」


「なんだこれは……! 身体の芯が熱くなる! ただの熱湯じゃない! この黒いスープが、俺の凍えた野生の魂を優しく撫でてくるようだ!」


船長は涙を流しながら、消しゴム(大根風)にも食らいついた。

「ほろほろだ……! 人工素材なのに、故郷の味がする……!」


そのリアクションを見て、他の海賊たちも殺到した。

「俺にもくれ!」

「熱い! でも止まらねぇ!」

「この『カラシ』って黄色いペースト、鼻が爆発するぞ! 最高だ!」


地下オフィスは、一瞬にして「赤提灯の居酒屋」と化した。

田中は洗面器奉行として、的確に具材を配給していく。


「はい、こんにゃく(スポンジ)追加ねー」

「おっと、汁は残して。後で雑炊(リサイクル紙のお粥)にするから」


その騒ぎと匂いは、ダクトを通じて上層階にも漏れ出していたらしい。

オフィスの自動ドアが、ウィーンと開いた。


「……あの、すみません」


立っていたのは、疲れ切った顔をしたインクルージョン省の職員エイリアンだった。

彼は青白い顔で、ふらふらと入ってきた。


「く、臭いんです……。すごく『不快』な匂いがして……通報しようと思ったんですけど……」

職員は、湯気の立つ洗面器を凝視して、ゴクリと喉を鳴らした。

「……なぜか、足が勝手にここへ……。その……一口、いただけませんか?」


田中はニヤリと笑った。

社畜の嗅覚が告げている。こいつも「同類」だ。過度なホワイト社会で、ストレスを溜め込みすぎた犠牲者だ。


「お客さん、お目が高い。……ただし、ここは会員制の裏クラブでしてね」

田中はもったいぶって言った。

「会員になるには、『愚痴』という名の入場料が必要なんですよ」


「愚痴……?」

職員は戸惑ったが、ポツリと溢した。

「……上司のAIが、理不尽なんです。笑顔の角度が1度足りないって、減給されて……」


「なるほど、それはキツい! やってらんないですよねぇ!」

田中はすかさず、熱々のおでんを差し出した。

「さあ、食って忘れちまいな!」


職員は震える手でそれを受け取り、口にした瞬間、ボロボロと泣き崩れた。

「うぅッ……! 熱い……! 痛い……! でも……あったかいよぉぉぉ!」


それを皮切りに、噂を聞きつけた(あるいは匂いに釣られた)職員たちが、次々と地下オフィスに集まってきた。

トカゲ型、昆虫型、ガス状生命体。

種族は違えど、全員が「疲れ切った目」をしている。


「俺の話も聞いてくれ! 妻が『同意アプリ』なしで手も繋がせてくれないんだ!」

「隣人が『思考ノイズ』で訴えてきたんだ! 何も考えてないのに!」


地下30階の掃き溜めは、今や銀河一熱い「労働者たちの解放区」となっていた。

海賊とエリート職員が肩を組み、合成スポンジを齧りながら、上司の悪口で盛り上がる。

田中はその中心で、ひたすら給湯器のお湯を足し続けていた。


「はいはい、愚痴は順番に! おでんは逃げませんから!」


(……これ、もしかして「残業」よりタチが悪いんじゃ?)

田中は額の汗を拭いながら思った。

だが、彼らの笑顔(と泣き顔)を見ていると、不思議と疲れは感じなかった。

現代日本で失われた「昭和の社員旅行」のような一体感が、ここにはあった。


その時。

オフィスの隅で寝ていたエコーが、むくりと起き上がった。

彼女はふらふらと田中の元へ歩み寄り、空になった洗面器を指差した。


「……おかわり」

「えっ、もう無くなっちゃったよ」

「おかわり。……作らないなら、歌うわよ」


彼女のチョーカーが、危険な音を立てて唸り始める。

田中は青ざめた。ここで歌われたら、このビルごと崩壊する。


「わ、分かりました! 今すぐ『ちくわ(丸めた書類)』を煮込みます!」


田中ヒロシの夜は長い。

そして、この「地下居酒屋」の噂が、やがてカレン局長の耳に入り、さらなる大波乱を呼ぶことになるのは、時間の問題だった。

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