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その男、指名手配につき(または、密室の2メートル・ルール違反)

カレン局長による「特別監視対象(兼・肩もみ係)」への任命から数十分後。

田中ヒロシは、インクルージョン省の上層階へと続く、目がくらむほど白い回廊を歩いていた。


「呼び出しボタン設置から即呼び出しって……。あの局長、絶対『凝り』じゃなくて『寂しさ』を埋めようとしてるだろ」


田中は独りごちた。

社畜の勘が告げている。このままでは「都合のいい男(マッサージ機)」として飼い殺しにされる。どこかで決定的な「やらかし」をして解雇されるか、あるいは革命的な成果を上げて主導権を握るか。二つに一つだ。


その時、廊下の壁面に投影されている「市民防犯ニュース」のホログラムが、田中の足を止めた。


《最重要指名手配:『The BOWING MAN(土下座男)』》


赤色灯のアイコンと共に、デカデカと映し出された男の顔写真(防犯カメラの粗い映像)。

ヨレヨレのスーツを着て、必死の形相で地面に額を擦り付けているその男は、どう見ても田中自身だった。


「……ん?」


田中は凍りついた。

映像の下には、恐ろしい罪状が羅列されている。


《罪状リスト》


1. ソニック・テロリズム(大声での謝罪)

2. 視覚的自傷行為(土下座による精神汚染)

3. 第1級身体不可侵権侵害未遂(マスク剥ぎ取り未遂)


「……マスク剥ぎ取り未遂?」


田中の脳裏に、この世界に来て直後プロローグの記憶がフラッシュバックした。


――回想――

あの時、ドローンから逃げた田中は、路地裏で蹲る少女を見つけた。彼女は喉元の機械から異音をさせ、苦しそうにしていた。

「おい、大丈夫か!? そんな重そうなマスクしてるから酸欠になるんだよ! 今外してやるからな!」

親切心120%で手を伸ばした瞬間、少女は悲鳴を上げて逃げ出したのだ。

「いやぁぁぁ! 野蛮人! 私の『匿名性』を奪わないでぇぇぇ!」

――回想終了――


田中は廊下で頭を抱えた。

「あああ! あの時の『風邪気味の女の子』への親切が、ここでは性犯罪扱いなのかよ!」


今の今まで、ただの通りすがりだと思っていた。だが、あの行為はこの世界では「服を無理やり脱がそうとする」のと同じ、いやそれ以上の重罪だったのだ。

カレン局長に気に入られた直後に、自分が最悪の指名手配犯だと知る。

この状況でカレンの部屋に行かなければならない。バレたら即、社会的抹殺だ。


冷や汗を拭いながら歩き出したその時だった。

通路の角から、ガシャン! という派手な金属音が響いた。


「うぅ……動いてよ、ポンコツ……!」


聞き覚えのある、しかし必死に声を押し殺したような囁き声。

田中が角を曲がると、そこには一人の清掃員がいた。

ダボダボのグレーの作業着。背中には「SANITATION(浄化)」の文字。彼女は、暴走して壁に頭を打ち付けている旧式の清掃ドローンを、必死に抑え込もうとしていた。


ドローンが回転し、清掃員が体勢を崩す。

「危ない!」

田中は反射的に駆け寄った。そして、ドローンの側面にある古びたメンテナンスハッチを、革靴のつま先で迷いなく蹴り飛ばした。


ガンッ!


ドローンは一瞬フリーズし、やがて大人しく再起動音を奏でて正常動作に戻った。

これぞ、昭和の町工場スキル「パーカッシブ・メンテナンス(叩いて直す)」である。


「ふゥ……。こういう旧式は、優しく触るより一発入れた方が言うこと聞くんですよ」


田中が笑いかけながら手を差し伸べると、座り込んでいた清掃員が顔を上げた。

作業用ヘルメットの下。そこには、無表情な金属製の仮面と、喉元を覆う真鍮のチョーカーがあった。


「……あ」

「……え?」


二人の時が止まった。

仮面の奥の瞳が、驚愕に見開かれる。

指名手配の原因となった少女。歌姫、エコー・404だ。


「な、なんでここに!? あなた、指名手配中の……」

田中が声を上げようとした瞬間、エコーが素早く立ち上がり、田中の口を汚れた手袋で塞いだ。


「シッ! 声がデカいのよ、この原始人!」

エコーの声は、喉のチョーカー(自動検閲オルゴール)を通して、少し機械的な響きを帯びていた。

「殺されたいの? 私がここにいることがバレたら、感情去勢キャンプ行きよ!」


その時、通路の向こうから、規則正しい駆動音が聞こえてきた。

巡回警備ドローンだ。


《定期巡回。不潔な存在および不快な感情をスキャン中……》


「マズい!」

エコーが焦る。この何もない通路で、清掃員と背広の男が密着している状況は、どう言い訳しても「不適切な異性間交流」だ。


田中は瞬時に周囲をスキャンした。5メートル先に、配管点検用の狭いハッチがある。

「こっちだ!」

田中はエコーの手首を掴み(同意アプリなし)、ハッチの中へと転がり込んだ。


ドムン。

扉が閉まる。そこは、配管と配線がごちゃごちゃと走る、畳一畳分ほどの狭いスペースだった。

暗闇の中、二人の距離はゼロだった。

未来社会の絶対の掟、「2メートル・ルール(対人距離)」が、今ここで完全に破られた。


「ち、近……っ!」

エコーが息を飲む。

田中は、彼女を壁際に押しやる形になっていた。右手を壁につき、彼女を覆うような体勢。

いわゆる、「壁ドン」である。

現代日本ならときめきのシチュエーションだが、この世界では「身体的自由の拘束」および「威圧による精神的加害」の極みだ。


「は、離れて……! 私のパーソナルスペースが……汚染される……!」

エコーが震えている。チョーカーがキィキィと不快な音を立て始めた。

蒸気が漏れ出し、外のドローンがそれに反応しかける。


《異常音を検知。付近にストレス源あり》


「落ち着け!」

田中はとっさに、ポケットに入っていた「あるもの」を取り出した。

社員証と一緒にぶら下げていた、小袋入りの「おつまみ用スルメ」だ。


「これを噛め」

「は? なにこれ、臭っ……!」

「いいから! 顎を動かせば気が紛れる!」


エコーは混乱しながらも、田中の剣幕に押されてスルメを口に入れた。

硬い。そして、強烈な塩気と磯の香り。未来の合成豆腐しか食べたことのない彼女にとって、それは「暴力的な旨味」だった。


「んぐ……っ! 硬い……痛い……でも……」

噛みしめるたびに、チョーカーの不協和音が止まる。彼女の意識が「怒り」や「恐怖」から、「スルメとの格闘」に逸れたからだ。


ドローンの音が遠ざかっていく。

《誤検知と判断。巡回に戻ります》


狭い暗闇に、スルメを咀嚼する音だけが響く。

やがて、エコーがふう、と息をついた。

「……野蛮な味ね。あなたみたい」

「最高の褒め言葉として受け取っておくよ」


田中は身体を離した。

「……名前。まだ聞いてなかった」

「田中ヒロシ。しがないサラリーマンだ」

「私は……エコー。ただのエコーよ」


その時、田中の懐で通信機が鳴った。カレン局長からの催促だ。

『田中? まだ着かないの? 私の肩が爆発する前に来なさい』


「やれやれ、お呼び出しだ」

田中はハッチを開けた。

「行くのか?」とエコー。

「ああ。また会おう、エコー」


田中はニヤリと笑い、カレンの元へと急いだ。

背中には「指名手配」の恐怖、手には「ヒロイン」との秘密。

そしてこれから向かう先には、さらなる厄介事が待ち受けているのだった。

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