ツンデレとドジっ子、そして氷の監査官
「……限界だ。俺はもう、人と喋りたくない」
「猛毒摂取所(ラーメン屋)」の厨房で、田中は死んだ魚のような目をしていた。
「沈黙の掟」作戦が裏目に出て、店は連日満員。
無言の圧力に耐えかねた田中は、ついに「現場放棄」を決断した。
「今日から俺は、奥の倉庫でスープの番(という名の昼寝)をする。……ホールの接客は、お前たちに任せる!」
田中が指名したのは、ルミナ皇女と、秘書AIのエコーだった。
「えっ、私が接客ですか?」
エコーが不安そうに言う。
「でも店長、私、戦闘用プログラムの残骸のせいで、平衡感覚がよく狂うんですけど……」
「わらわに下民の相手をせよと言うのか? 頭が高いぞタナカ」
ルミナが不満げに頬を膨らませる。
「それがいいんだよ!」
田中は力説した。
「AIのくせにドン臭いエコー! 態度がデカすぎるルミナ様!
お前たちが接客すれば、客は『なんて不愉快な店だ』と怒って帰るはずだ!
そうすれば客足は減り、俺は平和なスローライフを取り戻せる!」
「なるほど、作戦か! ならば任せておけ!」
「わかりました! 精一杯(邪魔を)します!」
こうして、史上最悪の接客が幕を開けた。
***
「いらっしゃいませー……きゃっ!」
ガシャン!!
開店早々、エコーが何もないところで躓き、コップの水を客の頭からぶちまけた。
「あわわわ! す、すみません! 回路がショートして……!」
エコーが慌てておしぼりで客の顔を拭くが、力が強すぎて客の首がグワングワン揺れている。
(よし! これで客は激怒して……)
田中がのれんの隙間から覗く。
「……あり、がとう……ございます……」
客(エリート官僚)は、恍惚とした表情で濡れた顔を拭かれていた。
「え?」
「完璧なAIが……ドジをした? しかも必死に謝っている……?
なんて……なんて『尊い(MOE)』んだ!!」
「はぁ!?」
さらに隣の席では、ルミナがラーメンをドン!と置いた。
「ほら、食え下民ども。わらわが運んでやったのじゃぞ」
「あ、あの、お箸がないんですが……」
「手で食え。わらわに指図する気か?」
(よし! これは流石に炎上案件……!)
「は、はいっ! いただきます! 女王様!!」
客たちは感涙にむせびながら、熱々の麺を手掴み……はせずとも、携帯用マイ箸を取り出して嬉々として食べている。
「な、なんだこの空間は……」
田中は戦慄した。
「ドジっ子AI」と「サディスティック皇女」。
この組み合わせが、ストレス社会に生きる未来人たちの歪んだ性癖に、ガッチリとハマってしまったのだ。
店はラーメン屋というより、新手の「コンセプトカフェ」と化していた。
そこへ。
カツン、カツン、カツン……。
冷徹なヒールの音が響き、店の空気が凍りついた。
現れたのは、銀色の長髪をキッチリとまとめ、鋭い眼鏡をかけた女性。
手には電子ボードを持っている。
「……衛生局の特別監査官、**カレン**です」
彼女の声は、絶対零度のように冷たかった。
「近隣からの通報を受け、立ち入り検査に来ました。……不潔、騒音、不適切な接客。営業停止レベルの違反が15件確認できます」
(来た……! お役所だ!)
田中はガッツポーズをした。
(これで店が潰れれば、大手を振って休める!)
カレンは、黒鷺が送り込んだ刺客だった。
彼女は黒鷺財団のエリート中のエリート。「歩く六法全書」と呼ばれ、彼女の監査を受けた店は100%廃業に追い込まれるという「死神」だ。
「店長はどこですか。……弁明の時間を与えます」
カレンが眼鏡を光らせて厨房を睨む。
田中はのっそりと出てきた。
そして、開口一番に言った。
「あー、弁明とかいいんで。営業停止でお願いします。ハンコどこに押せばいい?」
「……はい?」
カレンの思考が停止した。
命乞いも賄賂もなく、喜んで処分を受け入れようとする店主は初めてだった。
「いやー助かるよ監査官ちゃん。俺も働きたくなくてさ。あ、よかったら茶でも飲んでいく? 廃棄用の茶葉だけど」
「なっ……ふ、ふざけないでください! 私は公務中です!」
カレンが声を荒げた。
その時。
「あ、危ない!」
ドンガラガッシャン!!
エコーがまたしても躓き、手に持っていた「特製・ニンニク増し増し豚骨スープ」の寸胴をひっくり返した。
その飛沫が、カレンの完璧な制服に降り注ぐ。
「きゃぁぁぁっ!!?」
カレンが悲鳴を上げた。
スーツは脂まみれ。眼鏡はスープの湯気で真っ白に曇ってしまった。
「あわわ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「ええい、何をしておる! 貴様、わらわの店を汚す気か!」
ルミナまでカレンを叱責する。
「ち、違います! 私は……うぅ……!」
カレンはパニックになった。
黒鷺の下で完璧を求められ、一度のミスも許されない環境で生きてきた彼女にとって、公衆の面前で「汚れる」ことは死に等しい屈辱だった。
彼女はその場にしゃがみ込み、震え出した。
「……やれやれ」
ため息と共に、カレンの肩に暖かいタオルがかけられた。
田中だった。
「眼鏡、貸してごらん」
田中はカレンの顔から眼鏡を優しく外し、自分のネクタイでキュキュッと拭いた。
「……っ」
カレンが顔を上げる。
眼鏡を外した彼女の瞳は、不安に潤んだ、あどけない少女のものだった。
「失敗したって死にゃあしないよ。……ほら、君も働きすぎだ。眉間のシワ、取れなくなってるぞ?」
田中は眼鏡をかけ直してやり、ニカっと笑った。
「どうせ営業停止なんだ。服が乾くまで、裏でラーメンでも食ってけ。……サボるのも仕事のうちだぞ」
ドクン。
カレンの心臓が、今まで聞いたことのない音を立てた。
(サボるのも……仕事? ミスしても……許される?)
彼女の世界にはなかった概念。
そして、田中の「大人の余裕(ただの枯れた社畜根性)」が、張り詰めていた彼女の心の糸をプツンと切った。
「……い、いただきます……」
カレンは真っ赤な顔で、小さく頷いた。
その瞬間。
店内が爆発した。
『うおおおおおッ!! 見たか今の!?』
『「氷の監査官」がデレたァァァッ!!』
『眼鏡オフ! ギャップ萌え! しかもちょっと脂臭い! 最高だァァァッ!!』
客たちは、これを「そういうショー」だと思い込んだのだ。
ツンデレ皇女、ドジっ子AI、そして**「クーデレ(クール・デレ)監査官」**。
三属性が完成した瞬間だった。
「ち、違います! 私は……!」
カレンが慌てて否定しようとするが、ルミナがニヤリと笑って彼女の手を引いた。
「良い素質じゃ。カレンとやら、今日からわらわの部下にしてやる。皿洗いを手伝え」
「は、はいっ! ……あっ、いえ、私は監査を……!」
「エコー、制服の予備を持ってこい!」
「了解です! フリルたっぷりのやつがあります!」
なし崩し的に、カレンは店の奥へと連れ去られた。
***
黒鷺のアジト。
「……バカな」
黒鷺は、モニターに映る映像を見て絶句していた。
そこには、フリルのエプロンを着け、真っ赤な顔で「お、おいしくなぁれ……」と棒読みの呪文を唱えさせられているカレンの姿があった。
「私の最強の監査官が……! 完璧な鉄仮面が……!
たった一杯のラーメンと、タナカの『適当な優しさ』に籠絡されただとォォォ!?」
店は大盛況。
カレン目当ての「お役所マニア」まで行列に加わり、売上は天元突破。
厨房の奥で、田中は頭を抱えていた。
「なんでだ……! なんで従業員が増えるんだ! しかも監査官って、給料いくら払えばいいんだよ!
……もう嫌だ、俺はただ静かに暮らしたいだけなのにぃぃぃ!!」
田中の悲鳴は、客たちの歓声にかき消されていった。




