泥だらけの休日と、愛すべき非効率
「……これだよ。俺が求めていたのは、こういう時間だ」
コロニーの片隅にある「人工自然区画(公園エリア)」。
田中は、麦わら帽子をかぶり、首にタオルを巻いて、鍬を振るっていた。
ラーメン屋の経営は「自動化(ガチャ化)」によって安定した。
店は海賊たちとエコーに任せ、田中は週休3日制を導入。
余暇の時間を使って、以前からやりたかった「ネギの自家栽培」を始めたのだ。
「土に触れ、太陽(人工灯)を浴び、汗を流す。……これぞ人間らしい生活。社畜時代には夢のまた夢だった『ワークライフバランス』だ」
田中の狙いはもう一つあった。
「自家栽培」を理由に、**生産数を絞る**ことだ。
「『すみません、今の時期はネギが育ってないのでラーメン出せません』と堂々と言える。これで客足を適度に減らし、細く長く商売を続ける。完璧な計画だ」
田中は、泥だらけの手で満足げに笑った。
彼にとってこれは「サボり」ではなく、精神を整えるための「豊かな労働」だった。
しかし。
その「非効率な姿」が、効率化に疲れた未来人たちの目に留まってしまった。
「……ねえ、見て。あの人、何してるの?」
「機械を使わずに、手で土を耕してる……。信じられない、なんて『時間の無駄遣い』なんだ」
通りがかりのセレブたちが足を止める。
彼らの常識では、野菜は工場で3秒でプリントアウトされるものだ。
わざわざ数ヶ月かけて育てるなんて、狂気の沙汰だ。
だが、一人の貴婦人が溜息をついた。
「……素敵だわ」
「えっ?」
「『時間を無駄にできる』ことこそが、真の富裕層の証でしょう?
私たちはお金で『時短』を買ってきたけれど……あの方は、自分の命(時間)を、たかがネギ一本のために注いでいる。なんて贅沢な『命の消費』なのかしら!」
「は、言われてみれば……!」
ざわめきが広がる。
未来において、効率は貧乏人の宗教。
あえて「待つ」「手間をかける」ことこそが、最高のステータスなのだ。
翌日。
田中の畑の周りに、人だかりができていた。
「タナカ様! その泥のついたネギを譲ってください! 工場生産品の100倍の値段を出します!」
「いいえ! 私はその『育つまでの3ヶ月間』を予約します! 待つ楽しみを私にください!」
「……は?」
田中は鍬を持ったまま固まった。
「いや、ただのネギだぞ? 形も不揃いだし、虫も食ってるし……」
「それがいいのです! 『不揃い』こそがナチュラルの証明!」
田中が「生産調整」のために始めた家庭菜園が、いつの間にか**『超高級オーガニック・ブランド』**として崇められてしまったのだ。
「……まあ、いいか。高く売れるなら、労働時間をさらに減らせるしな」
田中は肩をすくめ、マイペースに水やりを続けた。
***
一方、その煽りを真正面から食らった男がいた。
黒鷺である。
彼はちょうど、新ビジネス**『倍速ライフ・コンサルティング』**を立ち上げたところだった。
「睡眠時間を短縮し、2倍働き、2倍遊ぶ! タイムパフォーマンス至上主義!」という教材を売り、意識高い系の若者から金を巻き上げていた。
しかし、急に解約の嵐が訪れた。
「なぜだ!?」
黒鷺はオフィスのデスクを叩いた。
「時は金なり! 効率こそ正義! なのになぜ、みんな『スローライフ』に流れるんだ!?」
部下が青ざめて報告する。
「そ、それが……タナカ氏の影響で、『ガツガツ急ぐのはダサい』『余裕のある男がモテる』という風潮が広まっておりまして……」
「なんだと……!?」
モニターには、畑で悠々と汗を拭う田中の姿が映っている。
決してサボっているわけではない。
真剣に、しかし楽しそうに土と向き合っているその姿は、効率に追われて目を血走らせている黒鷺よりも、遥かに「豊かな成功者」に見えた。
「おのれタナカ……!」
黒鷺は、自社の『睡眠短縮ヘルメット(装着すると悪夢を見て飛び起きる)』を床に叩きつけた。
「私が必死に『時間を節約させる詐欺』をしている横で……貴様は『時間を浪費する贅沢』を流行らせるだと!?
商売の邪魔どころか、私の生き様そのものを否定する気か!!」
田中はただ、美味しいネギラーメンを作り、休日は土いじりをしたかっただけだ。
しかしその「健全な精神」が、結果として、人々の心を蝕む「効率中毒(黒鷺のビジネス)」を浄化してしまったのである。
「くそっ……こうなれば、私も畑を……いや、ダメだ! 泥でスーツが汚れる!」
黒鷺のプライドが邪魔をして、スローライフには乗れない。
田中は知らぬ間に、黒鷺を「時代遅れのあくせくした男」へと追い落としていた。




