無限の連鎖と、幸せのネズミ講パンデミック
「……遅い」
舞踏会の翌日。
「株式会社タナカ」の新たな拠点となる予定のテナント(元・倉庫)で、田中は腕組みをしていた。
頭にはタオルを巻き、手には軍手。
今日は、念願の「屋台ラーメン・タナカ」の開店準備初日だ。
内装工事を行い、厨房機器を搬入し、試作品のスープを仕込む……はずだった。
「どうなってるんだ。配送業者は来ないし、手伝いに来るはずの海賊たちもバックれか?」
田中はイライラと貧乏ゆすりをした。
昨日の舞踏会であれだけ盛り上がり、シリウス皇子から「営業許可」も取り付けた。
まさに順風満帆のスタートダッシュ……のはずが、出鼻をくじかれている。
「店長、大変!」
買い出しに行っていたエコーが、空の買い物カゴを下げて飛び込んできた。
「市場が……全滅してる!」
「なんだと? 食材の売り切れか?」
「違うの。野菜もお肉も山積みになってるのに、お店の人が誰もいないの! 『本業が忙しいから休業します』って張り紙だけがあって……」
「本業? 八百屋の本業は野菜を売ることだろうが」
田中は首を傾げた。
「まさか、昨日のバイオ味噌の影響で、全員が『味噌作り』に転職したとか……?」
その時。
ガラッ!
入り口のシャッターが開き、海賊船長が入ってきた。
「よう、アニキ。……いや、タナカ『さん』」
「おお、やっと来たか! 遅いぞ船長! さっさと作業着に着替えて……」
田中は言葉を失った。
船長は、いつもの薄汚れたツナギを着ていなかった。
サイズの合わないピチピチの「イタリア製高級スーツ(のコピーデータで作った服)」を着込み、胸元には「金色のバッジ」を輝かせているのだ。
そして、その手にはペンキの缶ではなく、アタッシュケースが握られている。
「……なんだその格好は? 就活か? それとも結婚詐欺のカモにでもされたか?」
「フフフ……失敬な。これは『成功者のユニフォーム』ですよ」
船長は、やけに馴れ馴れしい笑顔で、準備中のベニヤ板カウンターに座った。
そして、アタッシュケースから一本のボトルを取り出し、ドンと置いた。
中には、ただの水が入っている。
「タナカさん。……ラーメン屋の開店準備、大変そうですねぇ」
「ああ、お前らが来ないからな」
「まだそんな『労働』をするつもりですか? 毎日汗水垂らして、小銭を稼ぐ……。そんな『古い生き方』で、一生を終えるつもりですか?」
田中の眉毛がピクリと動いた。
このフレーズ。
この胡散臭い笑顔。
そして、無駄にポジティブで中身のないオーラ。
「アニキ、これからは『権利収入』の時代ですよ」
船長は目を輝かせて言った。
「我々が提供するのは、ただの水ではありません。……**『量子波動水・ハピネス・ティアーズ』**です」
「……水だな」
「違います! この水には『成功者のマインド』が転写されているんです! これを飲むだけで、運気が上がり、肌がツヤツヤになり、異性からモテて、AIの評価スコアが爆上がりするんです!」
「へぇ。で、いくらだ?」
「今ならスターターキットで『5000いいね』! ……高いと思いますか? でも待ってください。ここからが魔法です」
船長は、内装用の図面に、勝手にマジックで「ピラミッドの図」を描き始めた。
「貴方がこの水を買い、さらに『2人の友達』に紹介します。すると、彼らの売上の20%が貴方のスコアに入ります。さらにその友達が2人を紹介すると……」
「孫会員、ひ孫会員……と増えていき、俺は何もしなくても『いいね』がチャリンチャリンと入ってくる」
「そうです! さすがアニキ、話が早い! これぞ『ハピネス・サークル』! 誰も損をしない、夢のシステムなんです!」
船長は恍惚とした表情で、自分の描いたピラミッド図を見つめている。
「俺はもう、海賊業なんて野蛮な仕事は引退です。部下全員にこれを買わせましたからね! 俺は今日から『ダイヤモンド・エグゼクティブ・ディレクター』なんです!」
田中は、深く、深く溜息をついた。
そして、手元の軍手を丸めて、船長の顔面に全力で投げつけた。
「目を覚ませ、このバカチンがァァァッ!!」
「ぶべっ!?」
「それはな、『夢のシステム』じゃない! 20世紀から続く人類の恥部、**『ネズミ講(マルチ商法)』**だ!!」
「ネ、ネズミ……? 講……?」
「いいか、計算してみろ! 全員が2人ずつ紹介していったら、27段階目で日本の人口を超え、33段階目で地球の人口を超える! 最後に残るのは『大量の在庫を抱えた末端の被害者』だけだ!」
「そ、そんなはずは……! セミナーの講師は言っていました! 『信じる者は救われる』と!」
「それが詐欺師の常套句だ! ラーメン屋の準備どころじゃねぇぞ!」
田中は頭を抱えた。
この未来世界、人々は「疑うこと」を知らない。
「友達を幸せにしたい」という純粋な善意が、ウイルスのように詐欺を拡散させているのだ。
市場の人間が消えたのも、全員が「勧誘活動」に出払っているからだろう。
「タナカよ、戻ったぞ」
そこへ、ルミナ皇女が帰ってきた。
彼女の後ろには、自動運搬ロボットが追従している。
ロボットの荷台には、山のような『量子波動水』のダンボールが積まれていた。
「……ルミナ様? まさか、その荷物は……」
「聞いてくれタナカ! 街で親切な紳士に会ってな。『この水を配れば、全宇宙が平和になる』と教えてもらったのじゃ!」
ルミナは目をキラキラさせている。
「わらわも『プラチナ・アンバサダー』になれば、兄上も認めてくれるはずじゃ! さあ、タナカも開店祝いに10ケースほどどうじゃ?」
「あああああ!!!」
田中は絶叫して、作りかけのカウンターに突っ伏した。
「ここにもカモがいた! 皇族まで汚染されてる! これじゃ開店準備どころか、破産だよ!」
「なんじゃ、タナカはやらぬのか? 今なら『入会金無料』で、この『開運の壺(3Dデータ)』もついてくるぞ?」
「いらねぇよ! 壺も水も!」
田中はエコーに向き直った。
「エコー! 状況はどうなってる!? ニュースを出せ!」
「……深刻よ」
エコーが空中にホログラムニュースを投影する。
『緊急ニュース。現在、銀河全域で「物流」および「サービス業」が停止しています。
市民の8割が「ハピネス・サークル」の勧誘活動に専念しており、社会機能が麻痺状態です。
また、ハイパー・インフレが発生中。誰もが「不労所得」を得ようと、無価値な水を高額で取引し合っています』
画面の中では、AIたちが「人間の行動論理が理解できません。なぜ『ただの水』に価値があるのですか? 計算エラー」と困惑し、煙を吹いていた。
「終わってる……」
田中は震えた。
「エイリアンの侵略でも、AIの反乱でもなく……『マルチ商法』で銀河帝国が滅びかけている……!」
これは事故ではない。
明確な「悪意」を持った誰かが仕掛けた、経済テロだ。
「誰だ……? こんな『古典的かつ悪質』な手口を知っているのは……」
田中は記憶を探った。
未来人はこんな発想をしない。
となると、考えられるのは――自分と同じ、「過去」を知る人間。
その時、船長の持っていたパンフレットの裏に、小さな文字で「代表者」の名前が書かれているのが目に入った。
『ハピネス・サークル代表: K・サギサカ(黒鷺)』
「……クロサギ……?」
田中はその名前に聞き覚えがあった。
彼がまだ21世紀で営業マンをしていた頃。
ニュースで世間を騒がせていた、伝説の詐欺師。
架空の投資話で数百億円を騙し取り、警察の捜査網から忽然と姿を消した「平成の怪盗」。
「まさか……」
田中はパンフレットを持つ手を震わせた。
「なぜ、あいつの名前がここにある? あいつも俺と同じように、この時代に飛ばされたのか?」
理由は分からない。
俺のように事故で時空を超えたのか、それとも別の方法があったのか。
だが、確かなことが一つある。
「最悪だ……。よりによって、あんな奴がこの『無菌室(ホワイト社会)』に紛れ込んじまったのか」
人を疑うことを知らない未来人。
そして、人を騙すことにかけては天才的な21世紀の詐欺師。
この組み合わせは、マッチとガソリンだ。
「タナカ? どうしたのじゃ? 顔色が悪いぞ」
「……開店準備は延期だ! こんな状況でラーメンなんか売れるか!」
田中は被っていたタオルを投げ捨て、スーツの上着をバサリと羽織った。
「タナカ? どこへ行く?」
「決まってるだろ」
田中はネクタイをギュッと締め直した。
相手が同郷の「伝説の詐欺師」なら、話は別だ。
これはもはや商売ではない。
「真っ当な労働者(社畜)」と「不労所得を貪る捕食者(詐欺師)」の、時空を超えたイデオロギー闘争だ。
「船長! その水を今すぐ捨てろ! ルミナ様もクーリング・オフだ!」
「ええっ!? でも、在庫が……」
「捨てろと言ってるんだ! それは『水』じゃない! 『欲望の廃棄物』だ!」
田中は、店の外――機能停止した街を見据えた。
「行くぞ! ラーメン屋を開く前にな、まずはこのふざけた『ネズミ講』の大元……『親ネズミ』を退治する!」
「退治って、どうやって?」
エコーが尋ねる。
「法的に詰めるんだよ」
田中は、悪徳商法撃退マニュアル(脳内)を開いた。
「特定商取引法違反……いや、この世界に法律がないなら、俺が『労働者の正義』を叩き込んでやる! 詐欺師に引導を渡せるのは、いつだって地道に働くサラリーマンだけだ!」




