その男、有害につき(または、カイゼンの暴走)
ジェントル・サークル社、地下30階。「カスタマー・ハピネス・センター」。
そこは、全銀河の「不快」が集まる掃き溜めだった。
「はい、はい。誠に申し訳ございません。お客様のお気持ち、痛いほど分かります……はい……ああっ、それは不快でしたねぇ……」
田中ヒロシは、ヘッドセットを装着し、マシンのように謝罪を繰り返していた。
彼のモニターには、怒り狂う市民や異星人からのクレームが滝のように流れている。
『ピザの配達ドローンが私に挨拶しなかった! 精神的ネグレクトだ!』
『隣人の思考ノイズがうるさい! なぜ私が耳栓をしなければならないの!?』
『火星テラフォーミングの景観が、私の故郷の風景と違って差別的だ!』
普通の人なら3分で発狂するような理不尽な罵詈雑言。
だが、田中は涼しい顔だった。なぜなら、前職のブラック企業で毎日受けていた「社長の説教(3時間コース)」に比べれば、これらは「子守唄」レベルだったからだ。
「ええ、ええ。では担当部署に『厳重に』伝えておきますね(伝えない)。お客様の貴重なご意見に感謝いたします」
《案件クローズ。処理時間:12秒。顧客満足度:暫定A》
田中の処理速度は異常だった。
通常、この世界のオペレーターは、一件のクレームにつき2時間の「共感セッション」と「カウンセリング」を行う義務がある。
しかし田中は、「建前(Tatemae)」という名の精神防壁で相手の怒りを受け流し、「慇懃無礼な相槌」で相手を煙に巻き、瞬く間に電話を切っていたのだ 。
その時、フロア全体に不穏なサイレンが鳴り響いた。
ウゥゥゥゥゥ――ッ!
《警告。警告。第7セクターにて『有害な生産性(Toxic Productivity)』を検知。平均処理速度からの逸脱値が4000%を超過しました》
「え? 4000%? まだ本気出してないんだけど……」
田中が首を傾げたその瞬間、フロアの入り口が爆発音と共に開いた(実際には自動ドアだが、カレンの圧力でそう聞こえた)。
カツン、カツン、カツン。
クッションフロアの上で決して鳴るはずのないヒールの音が、幻聴のように響く。
現れたのは、完璧に切り揃えられたボブカット(金髪)の女性だった。彼女の背後には、武装した「トーン・ポリス」の部隊と、常に彼女の顔を美しく照らすための「女優ライト・ドローン」が浮遊している。
インクルージョン省・市民感情管理局長、カレン・オメガ。
この世界で最も恐れられる、「究極のクレーマー」にして「ルールの守護者」である 。
「誰?」
カレンの声は、絶対零度のように冷たかった。
「誰なの? 私の神聖な職場で、こんな『暴力的』なスピードで仕事をしている野蛮人は」
彼女は田中のデスクの前で立ち止まり、手にした「苦情申立用タブレット」を彼に突きつけた。
「あなたね。田中ヒロシ」
「あ、はい! お疲れ様です!」
田中は反射的に立ち上がり、名刺を出そうとしてポケットを探った(当然、ない)。
「『お疲れ様』? ……不快だわ」
カレンは眉をひそめた。
「その言葉は、労働が『疲れるものである』という前提を押し付けるマイクロ・アグレッションよ。訂正しなさい」
「えっ、あ、す、すみません! 『ご機嫌麗しゅう』?」
「ふん。……単刀直入に言うわ。あなたの労働効率は、他の従業員に対する『ハラスメント』よ」
カレンはホログラムグラフを展開した。そこには、田中の処理件数の棒グラフが、天井を突き破って成層圏まで伸びている図が表示されていた。
「見てなさい。あなたが1人で100人分の仕事をするせいで、他のスタッフが『無能』に見えるじゃない。これは『能力による差別』よ。あなたは彼らの自尊心を傷つけているの」
「はぁ……」
田中は困惑した。仕事が早くて怒られる。これは新しい。
いや、待てよ。これは日本の会社でもあったな。「出る杭は打たれる」ってやつか。
田中は瞬時に「社畜モード:反省のポーズ」に切り替えた。
「申し訳ございません局長! 私の配慮が足りませんでした! つまり、もっと『手を抜け』ということですね?」
「言葉を慎みなさい!」
カレンが叫んだ。
「『手を抜く』なんて怠惰な言葉は許しません! 私が言っているのは、『足並みを揃えろ』ということよ! 1件の電話にもっと時間をかけなさい。相手の感情に寄り添って、一緒に泣きなさい!」
「一緒に泣く……業務時間中にですか?」
「そうよ! それが『感情労働』でしょ!」
田中は絶句した。
(こいつら、仕事をする気があるのか……?)
だが、相手は上司の上司。ここで逆らうのはサラリーマン失格だ。
田中はニッコリと笑った。本心(Honne)を分厚い建前(Tatemae)で隠蔽する。
「承知いたしました。では、これからは効率を落とし、お客様との『心の対話』を重視いたします(めんどくせぇ)。……ところで局長、お顔色が優れませんが、肩など凝っておられませんか?」
田中は話題を逸らすため、カレンに歩み寄った。
「私、前職で上司の肩もみ係も兼任しておりまして。ちょっと失礼します」
「は? なに? 近寄らないで、同意アプリの署名がまだ……あッ!」
田中の指が、カレンの肩(Equity Skinの上からでも分かるガチガチの凝り)に食い込んだ。
ツボ押し。
それは、東洋医学が生んだ「合法的な拷問」であり、極上の快楽。
「あ、ぐっ……!? なにこれ、痛……い……けど……ふァッ!?」
カレンの完璧な鉄仮面が崩れ、変な声が出た。
周囲のトーン・ポリスたちが銃を構える。
「局長に物理的攻撃! 制圧します!」
「待ちなさい!」
カレンが叫んだ。その頬は紅潮し、目はとろんとしている。
「ち、違うの……これは攻撃じゃないわ……。私の……私の凝り固まった『責任感』が……ほぐされていく……?」
彼女はこの数十年間、常に「不快なもの」を探して監視の目を光らせ、全身全霊で怒り続けてきた。その身体は、実は誰よりもストレスで悲鳴を上げていたのだ。
田中は容赦なく親指をグリグリと押し込んだ。
「いやー、局長も大変ですねぇ。こんな『ホワイト』な社会を守るために、一番『ブラック』な働き方をしてるんじゃないですか? ガチガチですよ、ここ」
「う……うぅ……黙りなさい……あぁ、そこ……そこは『第3級重要ツボ』よ……!」
カレンはその場に崩れ落ちそうになり、田中がそれを「お姫様抱っこ」寸前で支えた(セクハラ判定ギリギリの神業)。
「きょ、今日はこれくらいにしておくわ!」
カレンは息を乱しながら、田中の腕を振りほどいた。
「勘違いしないで。あなたの『有害な生産性』を認めたわけじゃないわ。……でも、その指圧技術は……『福利厚生』として検討の余地があるかも……しれないわね」
カレンは逃げるように踵を返した。
去り際、彼女は小声で側近に告げた。
「あの男を『特別監視対象』にしなさい。……あと、私の執務室に彼専用の『呼び出しボタン』を設置して」
扉が閉まる。
田中は首を傾げた。
「……怒られたのか、褒められたのか、どっちだ?」
こうして、田中は意図せずして、最強の権力者の「お気に入り(兼マッサージ要員)」というポジションを手に入れてしまった。
だがそれは、さらなるトラブル――嫉妬深いAI管理職や、反体制組織からの勧誘――の呼び水となるのだった。




