〆(シメ)のラーメンと、皇子の陥落
「やめろ! 音楽を止めろ! そのふざけたネクタイを頭から外せ!」
シリウス皇子の怒号が、大理石のホールに響き渡った。
彼の背後には、完全武装した近衛兵ドローンが展開している。
「タナカ……! 貴様、神聖な舞踏会を何だと思っている! 下民の『餌』と『毒水』で、帝国のエリートたちを洗脳しおって!」
会場は静まり返った。
酔っ払っていた将軍や大臣たちも、酔いが覚めたように直立不動になる(ただし、口元には味噌の跡がついている)。
絶体絶命の空気。
だが、田中はカウンターの中から、湯切りのザルをチャッチャッと振りながら答えた。
「洗脳だなんて人聞きの悪い。……これは『福利厚生』ですよ、シリウス様」
「黙れ! 即刻、全員拘束する! この汚らわしい液体も全て廃棄だ!」
シリウスがテーブルの上の丼を払いのけようとした、その時。
ふわぁぁぁ……。
湯気が、シリウスの顔面を直撃した。
それは、先ほどの味噌スープとは少し違う。
焦がしたラードの香ばしさ。
すりおろしニンニク(乾燥チップを戻したもの)のパンチ。
そして、茹でたての麺が放つ、小麦の甘い香り。
「……ッ!?」
シリウスの動きが止まった。
彼のお腹の虫が、王族にあるまじき音量で「グゥゥゥゥ!」と鳴り響いたのだ。
実は、彼は完璧主義者すぎるあまり、今日の舞踏会の準備で三日間まともな食事を摂っていなかった。
さらに、「完全栄養ジェル」しか食べていない彼の胃袋は、常に「固形物」と「塩分」に飢えていた。
「……な、なんだ、この匂いは……。脳の視床下部が……揺さぶられる……」
「『シメのラーメン』でございます」
田中は、丼をスッと差し出した。
中には、バイオ味噌をベースにした濃厚スープ。
そして麺は――。
「この船には『中華麺』がありませんでした。なので、ロングパスタ(カペッリーニ)を重曹で茹でて、化学変化で『中華麺』の食感と香りに変成させました」
「パ、パスタだと? 炭水化物の塊ではないか!」
シリウスの装着しているAIグラスが、激しく警告音を鳴らす。
『警告! 警告!
対象物:高カロリー、高脂質、高塩分!
栄養バランス:最悪(Fランク)。
推奨アクション:直ちに廃棄してください。これは「食べる暴力」です』
「聞いたかタナカ! AIもこう言っている! こんな不健康なものを皇族が口にできるか!」
「ええ、不健康でしょうね」
田中はニヤリと笑った。
「ですがシリウス様。……『身体に悪いものほど美味い』という宇宙の真理をご存知ない?」
「……なに?」
「深夜の炭水化物。背徳の脂。……それを体内に取り込む瞬間、理性というタガが外れ、人は初めて『自由』になれるのです」
田中は箸(割り箸)を割り、恭しく手渡した。
「さあ。AIの警告に従うか。それとも、ご自身の『本能』に従うか。……決めるのは貴方だ」
シリウスの手が震える。
視線の先には、黄金色に輝くスープと、艶やかな麺。
バイオ味噌の細胞活性パワーが、湯気となって彼の鼻孔をレイプする。
(……一口だけだ。毒見だ。これは調査なのだ……!)
彼は自分に言い訳をし、箸を突き入れた。
麺を持ち上げる。
ズズッ……。
未来人特有の、ぎこちない啜り方。
しかし、麺が口に入った瞬間。
カッッッ!!!!
シリウスのAIグラスが、オーバーロードして爆発四散した。
「うまあああああァァァッ!!!」
皇子が絶叫した。
「なんだこれは! 麺が! 麺が舌の上で踊る! スープが喉を焼きながら、胃袋に優しく染み渡っていく! なぜだ! 不健康なはずなのに、細胞が歓喜の歌を歌っている!!」
バイオ味噌の力が、空腹で弱っていた彼の五臓六腑を直撃したのだ。
さらに、パスタ変成麺のツルツルとした喉越しが、彼の食欲のリミッターを完全に破壊した。
「はふっ! ずずっ! うまい! 止まらん!」
シリウスは丼にかぶりついた。
皇子の気品など知ったことか。
彼はただの「腹ペコの若者」に戻り、一心不乱に麺を啜った。
「スープ! スープが絶品だ! この焦げた油の風味は何だ!?」
「『ニンニク焦がしマー油』です」
「ニンニク!? 悪魔の植物か! だが……愛しているッ!!」
ものの1分で、麺が消えた。
シリウスは丼を両手で持ち、最後の一滴までスープを飲み干した。
プハァーーッ……。
彼は満足げに息を吐き、カウンターに突っ伏した。
その額には玉のような汗が浮かび、顔色は血色良く輝いている。
「……負けた」
シリウスは呟いた。
「私の……完敗だ。こんな暴力的な幸福が、この世にあるとは……」
「お粗末様でした」
田中がおしぼりを差し出す。
「……タナカよ」
シリウスがおしぼりで顔を拭きながら、トロンとした目で言った。
「……おかわりはあるか?」
「替え玉、一丁!」
「あいよー!」
エコーが嬉しそうに茹でたての麺をザルに入れた。
その光景を見て、周囲の貴族たちも安堵のため息をついた。
「皇子も食べたぞ!」「俺たちも食べていいんだ!」
再び、ラーメンを求める行列ができる。
ルミナ皇女は、丼と格闘する兄を見て、ニヤニヤしながら田中に耳打ちした。
「チョロいのう、兄上」
「ええ。空腹は最高のスパイスと言いますが、深夜のラーメンは『最強の外交官』ですからね」
田中はネクタイを少し緩めた。
胃袋は掴んだ。空気も変えた。
あとは、この満腹で思考能力が低下した皇子に、最後の「お酌」をして、一週間前の約束(ルミナの職業体験の許可)を取り付けるだけだ。
「さあ、シリウス様。食後の一杯に、さっぱりとした『レモンサワー』はいかがです?」
「……飲む。今日はもう、どうにでもなれ」
最強の皇子は、炭水化物とバイオ味噌の前に陥落し、ついに「こちら側(宴会)」の住人となったのである。




