禁断のアロマと、真夜中の給食当番
「……静かすぎる」
帝国大舞踏会の会場。
そこは、数百人の招待客がいるとは信じられないほど、死のような静寂に包まれていた。
煌びやかな衣装を纏った貴族たちは、一言も発しない。
彼らは優雅にグラスを傾けているが、中に入っているのは酒でもジュースでもない。無色透明の「完全栄養ジェル」だ。
効率的にカロリーを摂取し、脳内で直接データ通信を行い、表情を変えずに「情報の交換」だけを行っている。
「なんだこれは。お通夜か?」
田中が顔をしかめる。
「飲み会の基本がなってない。こんな場所で商談がまとまるわけがないだろう」
「アニキ、どうします? 殴り込みますか?」
SP役の海賊船長が拳を鳴らす。
「暴力は野蛮だ。……俺たちは『胃袋』を殴る」
田中は、会場の隅にある「予備の配膳スペース」に目をつけた。
「総員、配置につけ! これより『闇の炊き出し』を開始する!」
田中たちは、持参した「バイオ味噌」と、魔法瓶に入れた「お湯」を取り出した。
ワイングラス(会場から勝手に拝借)に味噌をひとさじ。
そこへ熱いお湯を注ぐ。
シュワワワ……。
その瞬間。
会場の空調システムに乗って、ある「匂い」が爆発的に拡散した。
それは、大豆の発酵臭。
かつお節(代用の魚粉)の香り。
そして、日本人のDNAに刻まれた「実家」の匂い。
無菌室のような会場に、圧倒的な「生活感」が充満した。
「……!?」
会場の中央にいた、髭の老紳士が鼻をヒクつかせた。
彼は帝国軍の最高司令官、ゼネラル・オーガ。
(……なんだ、この匂いは? 臭い……いや、芳しい? 脳の奥底が……痺れる?)
彼はフラフラと匂いの元へ歩き出した。
周囲の貴族たちも同様だ。
「栄養ジェル」しか知らない彼らの嗅覚中枢が、未知の刺激にハッキングされている。
「いらっしゃいませ」
たどり着いた先には、黒いスーツを着た田中が、恭しくワイングラスを差し出していた。
中には、茶色く濁った液体。具はない。ただ、黄金色の油膜が輝いている。
「……これは何だ? 新手の化学兵器か?」
将軍が警戒する。
「いいえ。これは『スープ・ド・ミソ・バイオハザード(仮)』。……疲れた細胞に染み渡る、いにしえのエナジードリンクでございます」
「エナジー……だと?」
将軍は疑り深そうにグラスを受け取った。
そして、恐る恐る一口。
ズズッ……。
その瞬間、将軍の瞳孔が開いた。
「!!!」
美味い、とかではない。
「暴力」だ。
バイオ培養された味噌の旨味成分が、舌の味蕾をタコ殴りにし、脳内麻薬をドバドバと分泌させたのだ。
「う、うおおおッ……!! 身体が……熱いッ!!」
ボォッ!
将軍の全身から湯気が上がった。
老いた肌に艶が戻り、曲がっていた腰がシャキーンと伸びる。
バイオ味噌の「細胞活性化効果」が直撃したのだ。
「なんだこの活力は! 今なら……今なら惑星の一つも素手で砕けそうだ!!」
「将軍!? 何があったのですか!」
周囲の貴族たちが驚愕する。
「貴様らも飲め! 飛ぶぞ!!」
将軍の鶴の一声で、パニックが始まった。
「私にもくれ!」「俺もだ!」
エリートたちが我先にと田中のブースに殺到する。
「並んでください! 列を乱さない!」
田中が声を張り上げる。
「割り込みは即退場です! 一人一杯まで!」
「店長、お湯が追いつかないわ!」
給仕係のエコー(メガネ秘書ver)が悲鳴を上げる。
「ルミナ! そっちの『鎮静剤』の準備はいい!?」
「うむ! いつでもいけるぞ!」
カウンターの奥で、ルミナ皇女が「バーテンダー」として待機していた。
彼女の前には、無水エタノール(医療用)と水、そしてレモン香料で作った「特製レモンサワー」が並んでいる。
「皆の者! 味噌スープの後は、この『透明な聖水』を飲むのじゃ! さもなくばエネルギー過多で爆発するぞ!」
「なんだそれは! よこせ!」
味噌でハイになった貴族たちが、続けてサワーを煽る。
グビッ……プハーッ!!
「……あ〜〜〜」
エタノールの鎮静作用が、味噌の暴走を絶妙に中和する。
昂った神経が、フワフワとした幸福感へと着地していく。
「……気持ちいい……」
「なんだか……隣の奴と肩を組みたい気分だ……」
「将軍、あなたの髭、素敵ですね……ヒック」
数分前まで無言だった会場が、一変した。
「ガハハハ!」という笑い声。
「まあまあ一杯!」というグラスの音。
そこはもはや舞踏会ではない。
新橋のガード下にある、激安居酒屋の喧騒そのものだった。
「成功だ……」
田中は汗を拭った。
「味噌で活性化させ、酒で理性を溶かす。……完璧な『宴会の方程式』だ」
「タナカよ、これは凄いのじゃ」
ルミナは、子供用のオレンジジュースをストローで吸いながら、狂乱する大人たちを冷めた目で見ていた。
「あんなに堅物だった将軍が、ネクタイを頭に巻いて踊っておるぞ」
「あれが『酔っ払い』という生き物です。……さて」
田中は会場を見渡した。
空気は完全に支配した。
あとは、この騒ぎを聞きつけた「主役」が現れるのを待つだけだ。
「さあ、お出ましだぞ」
会場奥の巨大な扉が、重々しい音を立てて開いた。
冷気を纏い、怒りの形相で現れたのは――第1皇子、シリウス。
「……貴様ら、神聖な舞踏会で何をしている!!!」
シリウスの声が響き渡り、音楽が止まる。
酔っ払った貴族たちも、ビクッとして動きを止めた。
だが、田中だけは動じなかった。
彼は名刺入れを構え、黒いスーツの裾を翻して、ゆっくりと皇子の方へ歩み寄った。
「お待たせいたしました、シリウス様。……株式会社タナカ、ただいま『到着』いたしました」




