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その男、志望動機につき(または、労働基準法の悪魔)

「土下座」による衝撃波の余韻が冷めやらぬ中、田中ヒロシは這う這うの体で最寄りのビルへと逃げ込んだ。

自動ドアが「あなたの入室に同意します」と優しく囁き、開く。


息を切らして振り返ると、ガラスの向こうでは、まだ数台のエンパシー・ボットが困惑したように空中で回転していた。

どうやら撒いたようだ。


「はぁ、はぁ……なんだよ、あのドローン。現代のクレーマーよりタチが悪いぞ……」


田中が額の汗を拭いながら前を見ると、そこにはパステルブルーの制服を着た人々が、等間隔(正確に2メートルずつ)を空けて並んでいた。

彼らの視線の先には、ホログラムの掲示板が浮いている。


『インクルージョン省・外郭団体「ジェントル・サークル社」 新規スタッフ募集中。あなたの「ありのまま」を、私たちは傷つけません』


求人だ。

田中の社畜センサーが激しく反応した。

異世界だろうが未来だろうが、無職はまずい。社会的信用の欠如は死を意味する。それに、組織に入れば身分証が手に入り、あのドローンに追われることもなくなるはずだ。


「よし、切り替えろ。面接なら任せとけ。俺は圧迫面接で3回泣かされた男だ」


田中はヨレヨレのスーツの襟を正し、列の最後尾に並んだ。

前の男(筋肉抑制スーツ着用)が、怯えたように田中を見る。田中はニカッと営業スマイルを向けた。男は「ひっ」と短く悲鳴を上げ、さらに1メートル距離を取った。


数分後。

「次の方、入室の心の準備はできましたか?」

柔らかい合成音声に呼ばれ、田中は面接室へと入った。


そこは、部屋というより「巨大なマシュマロの中」だった。

壁も床も机も、すべてが曲面で構成され、角という角が存在しない。椅子は人をダメにするソファのように柔らかい。

面接官は二人。

一人は、能面のような「スマイル・マスク」をつけた人間の女性。

もう一人は、空中に浮かぶモニターに映し出された、慈愛に満ちた目のAIアバターだ。


「失礼いたしますッ!!!」


田中は部屋に入った瞬間、直角90度の最敬礼をした。

その勢いと風圧に、面接官の女性がビクッと肩を震わせる。


「あ、あの、候補者様? どうかリラックスしてください。そのように腰を折り曲げる姿勢は、脊椎への『構造的暴力』と見なされます」


「いえ! これが私の基本姿勢ですので!」


田中は直立不動の姿勢(昭和の体育会系スタイル)を取り、大声で宣言した。


「田中ヒロシ、35歳! 趣味はサービス残業! 特技は上司の機嫌取りです! 何卒、よろしくお願い申し上げますッ!」


面接室に沈黙が落ちた。

AIアバターの目が高速で点滅し、女性面接官は手元のタブレットを震える手で操作し始めた。


(……しまった。アピールが弱かったか?)


田中の脳内で、かつてのブラック企業の面接がフラッシュバックする。『君さぁ、やる気ある? 声が小さいんだけど』『死ぬ気で働ける?』。そうだ、もっと熱意を見せなければ、このハイテク社会では生き残れない。


田中は一歩前に出た。


「あの、給与に関しては最低賃金……いえ、御社の規定以下で構いません! 休みも要りません! 私は社会の歯車、いえ、錆びたボルトとして、粉骨砕身、使い潰されるまで働く所存です!」


その瞬間、女性面接官が悲鳴を上げた。


「やめてぇぇぇッ!!」


彼女は涙目で耳を塞いだ。

AIアバターが赤く発光し、警告音を発する。


《警告。警告。対象者の発言により、室内の『自尊心濃度』が危険水域まで低下しました。これは極めて深刻な『自己搾取セルフ・エクスプロイテーション』の告白です》


「え?」


「な、なんて恐ろしいことを言うのですか……!」

女性面接官はガタガタと震えていた。「休みが要らない? 使い潰される? あなたは……あなたは、私たちに『労働基準法違反』の罪を犯させようとしているのですか!?」


「はい? いえ、あの、ただの滅私奉公というか……」


「メッシ・ホウコウ……?」

AIが即座に検索を行う。

《古代語検知。意味:『私心を捨てて公(主人)に尽くすこと』。封建的奴隷制度に由来する、極めて有害なマゾヒズム思想です》


「ひいいッ!」

女性面接官は椅子から転げ落ちそうになった。「奴隷志願者!? まさか、あなたは『監査局』の囮捜査官なの!? 私たちを『ブラック認定』させて、社会的に抹殺する気でしょう!?」


(囮捜査? 何の話だ?)


田中は混乱したが、相手が怯えていることだけは分かった。これはチャンスかもしれない。

日本のサラリーマンにとって、相手が引いている時は「押し」の一手だ。


「誤解です! 私はただ、働きたいだけなんです! どんな汚れ仕事でも、理不尽なクレーム処理でもやります! むしろ、罵倒されると『生きてる』って実感が湧くんです!」


田中は必死さをアピールするために、机に両手をついて身を乗り出した。

その顔は、長年の過労で刻まれた深いクマと、営業スマイルが混ざり合い、未来人には「狂気の般若」のように見えた。


《アラート。対象者の精神状態は『重度の毒性』を示しています。しかし……》

AIアバターが計算音を響かせる。

《肯定的な側面も検知。現在、我が社が抱えている『クレーム処理部門(通称:汚物処理班)』は、精神的負荷が高すぎて離職率100%です。この『痛みを感じない変異体』ならば、あるいは……》


女性面接官がハッとして顔を上げた。

「そ、そうよ。あの『ゴミ捨て場』のような部署……普通の人間なら3分で鬱になるクレーム対応窓口。彼なら耐えられるかもしれない」


彼女はおそるおそる、空中に契約書のホログラムを投影した。


「た、田中さん。あなたを採用します。ただし条件があります」

「なんでしょう! 靴なら舐めますが!」

「舐めないで! 絶対に何も舐めないで! ……条件は、他の従業員と『半径10メートル以内』に近づかないこと。そして、決して『笑顔で残業』しないこと。あなたのその……『社畜オーラ』は、周囲のメンタルヘルスを汚染する有害物質ですから」


「はぁ……よく分かりませんが、採用ですね! ありがとうございます!」


田中は再び、90度の最敬礼を繰り出した。

その風圧で、机の上の電子ペンが転がり落ちた。


「ヒィッ! どういたしまして! もう帰って! 明日から地下30階の隔離個室に来て!」


こうして、田中ヒロシは超未来社会での職を得た。

配属先は「カスタマー・ハピネス・センター(苦情処理地獄)」。

そこが、彼の最強スキル「事なかれ主義」と「土下座」が、真に輝く戦場になるとは、まだ誰も知らなかった。

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