皇女の職業体験と、未体験の「ゾクゾク」
「タナカよ。……もう一度、わらわを『指導』せよ」
ペントハウスの床で、まだ痺れた足をマッサージさせながら、ルミナ皇女は潤んだ瞳で訴えた。
彼女の頬は紅潮し、呼吸は少し荒い。
「指導って……またお茶を飲みたいんですか?」
田中が尋ねると、ルミナは首を横に振った。
「違う。先ほどの『サドー』で、わらわは知ってしまったのじゃ。理不尽な痛みに耐え、叱責されることで脳内物質が沸騰する、あの感覚を……!」
彼女は胸元をギュッと掴んだ。
「胸が苦しい。熱い。叱られると、なぜか身体の奥が『キュン』とするのじゃ。……これは一体何じゃ? バグか? ウイルスか? それとも、高度な学習プロセスによる負荷なのか?」
田中は天井を仰いだ。
(完全にMに目覚めてる……。でもこの世界、性的な概念がないから、本人も何が起きてるか分かってないんだ)
「それは……『成長痛』みたいなもんですよ」
田中は適当に答えた。
「成長痛……! なんと甘美な響きじゃ!」
ルミナは立ち上がった(よろけながら)。
「ならば、わらわはもっと成長したい! タナカ、お前の言う『シャカイジン』の世界を体験させよ! お前の『部下』になりたい!」
こうして、銀河一豪華なペントハウスに、銀河一貧乏くさい空間が出現した。
ダンボールで作ったデスク。手書きの書類。そして黒電話(骨董品)。
即席の「株式会社インクルージョン商事・ペントハウス支店」である。
「いいですか、新入社員ルミナ君」
田中は、メガネ(ゲノム博士から借りた)をクイっと押し上げた。
「今日から君には、営業三課の雑用係をやってもらう。返事は?」
ルミナは、お仕着せの事務服(ナノマシンで生成した昭和OL風ベスト)に身を包み、緊張した面持ちで立っていた。
「うむ! 善処する!」
「違う! 『はい』だ! 声が小さい!」
「は、はいッ!」
「よろしい。では業務開始!」
ジリリリリリ!!
黒電話がけたたましく鳴った。
ルミナがビクッとする。
「電話だ! 3コール以内に出ろ!」
「わ、わかった! ……もしもし? 誰じゃ? わらわは皇女ルミナ……」
「バカモンッ!!」
田中が丸めた新聞紙で、デスクをバンッと叩いた。
「『わらわ』じゃない! 『弊社』だ! 相手が誰か確認する前に名乗るな! そして受話器を持つ手が逆だ、メモが取れんだろうが!」
怒涛の説教。
皇女に対してありえない狼藉。
近衛兵が見たら田中を即射殺するレベルの暴挙だ。
しかし、ルミナの反応は違った。
「くぅッ……!!」
彼女は受話器を握りしめ、身を震わせた。
(……来た! これじゃ! この威圧感! 自分の存在を否定されるような、この重圧……! 脳のシナプスが歓喜の悲鳴を上げている……!)
彼女は、自分が「ダメな存在」として扱われることに、未知の興奮を感じていた。だが、悲しいかな、彼女にはそれを表現する言葉がない。
「……申し訳……ありません……課長……!」
ルミナは涙目で謝った。
「わらわは……無能な部下じゃ……! もっと……もっと厳しく『修正』してくれ……!」
「(うわぁ、目がヤバい)」
田中は若干引いたが、演じ始めた以上は止まれない。
「次はコピー取りだ! A4用紙500枚、裏表間違えるなよ!」
「はいッ! 喜んで!」
ルミナがコピー機(ダンボール箱)へダッシュする。
その様子を、部屋の隅から氷のような視線で見つめる少女がいた。
エコーだ。
「……何なの、あの茶番」
エコーは完璧な秘書スーツ(清掃服をアレンジ)を着こなし、イライラとペンを回していた。
(なんであのワガママ女ばっかり構うのよ。私だって……私だって店長の部下なのに)
エコーは立ち上がり、完璧な所作でお盆を持って田中のデスクへ向かった。
「課長。お茶をお持ちしました」
音もなくカップを置く。温度は最適の65度。茶柱も立っている。
「お、ありがとうエコー君」
田中が一口飲む。
「うん、完璧だ。美味い。資料の整理も終わってるのか? 早いな、さすがだ」
田中は素直に褒めた。
しかし、エコーは不満げに頬を膨らませた。
「……それだけ?」
「え?」
「私には……説教しないの? 『お茶がぬるい!』とか『コピーが曲がってる!』とか……言わないの?」
「いや、完璧すぎて言うことないし」
「……ずるい」
エコーがボソッと呟く。
「あの女には、あんなに熱心に指導してるのに。私には『無関心』なのね」
「いや、褒めてるんだけど!?」
「いいえ! 社畜の世界では『怒られるうちが花』なんでしょ!? 私のことなんて、どうでもいいんだわ!」
エコーのチョーカーが、また不穏な音を立て始めた。
嫉妬だ。
「無能な部下」として可愛がられるルミナへの、強烈な嫉妬。
「優秀な部下」であることが、これほど虚しいとは。
その時、コピー機の前でルミナが叫んだ。
「ああっ! 紙が詰まった! インクまみれじゃ!」
彼女の顔と服は、黒いインクで汚れていた。
普通なら激怒する状況だが、彼女はなぜか恍惚とした表情で、汚れた手を見つめている。
「見てくれタナカ! わらわは汚れた! 失敗したぞ! さあ、罵るがよい! 『給料泥棒』と呼ぶがよい!」
「……もう勘弁してください」
田中の胃が限界を迎えた。
片や、叱られたくて失敗を繰り返すドM皇女。
片や、完璧すぎて叱られず、拗ねるヤンデレ秘書。
「俺の知ってる会社と違う……!」
田中が頭を抱えたその時。
ペントハウスの入り口から、またしても「招かれざる客」が現れた。
「……何をしてるんだ、お前たちは」
立っていたのは、包帯だらけのゲノム博士……ではなく、見知らぬ少年だった。
銀髪に、冷徹な青い瞳。
全身から「エリート臭」を漂わせ、背後には最新鋭の浮遊ビットを従えている。
ルミナが彼を見るなり、顔色を変えた(インクまみれの顔で)。
「……兄上!?」
「兄上?」田中が振り返る。
「銀河皇国・第1皇子、シリウスだ」
少年は冷たく名乗った。
「ルミナ。父上から『お前が下民と奇妙なゴッコ遊びに興じている』と報告を受けたが……まさかここまで堕ちているとはな」
シリウスは、ダンボールのデスクと、新聞紙の剣、そしてインクまみれの妹を蔑むように見下ろした。
「恥を知れ。……そして貴様ら」
彼の視線が、田中とエコーに向けられた。
「皇族をたぶらかし、品位を傷つけた罪は重い。……即刻、この船ごと『廃棄』する」
「は、廃棄!?」
田中が叫ぶ。
「そうだ。このコロニー船は、もはや汚染された。父上の許可は得ている。あと10分で、この船の生命維持装置を停止させる」
冗談ではない。
社内研修ごっこをしていたら、いきなりリストラ(物理的抹殺)を宣告された。
「待ってくれ! 誤解だ! これはただのOJTで……!」
「問答無用」
シリウスが指を鳴らすと、浮遊ビットが光り輝き、エネルギー充填を開始した。
「さあ、最期の祈りを捧げるがいい。……非生産的なゴミ屑ども」
絶体絶命。
だがその時、田中の「社畜センサー」が反応した。
この皇子……目が笑っていない。そして、妙に「肩に力が入っている」。
(……こいつ、さては『完璧主義すぎて余裕がないタイプ』だな?)
田中はニヤリと笑った。
「へえ……。廃棄ねぇ。いいでしょう」
田中はゆっくりと、ネクタイを緩めた。
「ただし、業務引き継ぎの時間くらいはいただけますよね? ……それとも、皇子ともあろうお方が、労働基準法も守れない『ブラック上司』なんですか?」
「……何?」
シリウスの眉がピクリと動いた。
最強のモンスター・クレーマー(第1皇子)の登場。
田中ヒロシの「中間管理職スキル」が、今、銀河の存亡をかけて試されようとしていた。




