皇女の刺客と、歌姫の涙
「……ねえ、店長。私、そろそろここ(地下オフィス)を出て行こうかと思うの」
「禁じられたデート」から戻った直後。
エコーが唐突に切り出した。彼女はデスクの端で、大切そうにあの「花柄ワンピース」のホログラムデータを眺めていた。
「なんでまた急に? 味噌汁ならまだあるぞ」
田中が尋ねると、エコーは仮面の下で寂しげに笑った(ような気配がした)。
「……私と一緒にいると、あなたまで『汚染』されちゃうから」
彼女は自分の喉元のチョーカーを指先で弾いた。
「知ってるでしょ? 私は『セイレーン(歌唱特権者)』。私の歌声は、人々の感情を掻き乱す『精神汚染兵器』として認定されてる。だから、この仮面で顔を隠し、チョーカーで声を押し殺して、ゴミのように隠れて生きるしかないの」
エコー・404。
それが彼女の識別番号だ。
かつてその美貌と歌声で世界を魅了しかけたが、あまりに多くの人々が感動して仕事(単純作業)を放棄したため、「社会の生産性を下げる有害存在」として存在を抹消された歌姫。
それが、この薄汚れた清掃員の正体だった。
「あなたが皇女様に気に入られたのはチャンスよ。私みたいな『指名手配犯』と関わっていたら、せっかくの出世が……」
「バカ野郎」
田中は、整理していた書類(裏紙)で、エコーの仮面をポカっと叩いた。
「痛っ!」
「日本のサラリーマンを舐めるなよ。出世よりも大切なものがあるんだ」
「……なによ、それ」
「『恩義』だよ。……あの海賊船で、歌で俺たちを救ってくれたのは誰だ? 俺は部下を見捨てて自分だけ助かるほど、落ちぶれちゃいない」
田中がニカっと笑うと、エコーは言葉を詰まらせ、俯いた。
その耳(仮面の横)が、ほんのりと赤くなっている。
その時だった。
ズドォォォォン!!!
オフィスの天井が爆破され、白い煙と共に黒い影が数体、降り立った。
全身を漆黒のナノカーボン装甲で覆った、二刀流のロボットたち。
皇女ルミナの近衛兵、「サムライ・ドロイド」だ。
『ターゲット確認。……個体名エコー・404。皇女殿下の恋路を阻害する「害虫」として、排除を実行する』
「なッ……!? ルミナ様の差し金か!」
田中が立ち上がる。
ドロイドの電子アイが赤く光る。
『問答無用。殿下ハオっしゃった。「わらわの田中を惑わす泥棒猫は、物理的にシュレッダーにかけよ」ト』
「なんて物騒な皇女だ!」
ドロイドたちが刀(高周波ブレード)を抜き放つ。
その切っ先は、田中の背後にいるエコーに向けられていた。
「逃げろエコー! こいつらは本気だ!」
田中が叫ぶが、エコーは腰を抜かして動けない。
「む、無理よ……! あんなの、勝てるわけない……!」
ドロイドが跳躍した。
速い。未来のテクノロジーが生んだ殺人機械の速度は、人間の動体視力を遥かに超えている。
刃がエコーの喉元に迫る――!
ガキィィィン!!
金属音が響き渡り、火花が散った。
「……え?」
エコーが目を開けると、そこには信じられない光景があった。
田中の背中だ。
彼が、ドロイドの刃を「何か」で受け止めていたのだ。
それは、彼が常に持ち歩いている商売道具。
**「営業用アタッシュケース(ハードタイプ)」**だった。
「……ぐぬぬぬ! 重いな、さすが最新型!」
田中は歯を食いしばり、アタッシュケースを盾にして刃を押し返していた。
このケースは、前職のブラック企業時代に「顧客からの投石」や「暴徒化した株主」から身を守るために購入した、対衝撃・防弾仕様の特注品だ。
中には「謝罪用の羊羹」がギッシリ詰まっており、それが装甲密度をさらに高めていた。
『警告。ターゲットの防御力を再計算……。コノ「長方形ノ盾」ハ、未知ノ合金カ?』
ドロイドが混乱している。
「合金じゃない! これは『責任感』の重みだ!」
田中は叫び、ケースを振り回してドロイドを殴りつけた(鞄殴打)。
ドロイドがよろめく。
「エコー! 給湯室へ走れ! あそこなら入り口が狭い!」
「で、でも……田中さんが……!」
「早くしろ! 俺は『時間稼ぎ』のプロだ! 会議が長引くように話を逸らすのは得意なんだよ!」
田中はネクタイを緩め、残りのドロイドたちの前に立ちはだかった。
武器はアタッシュケースと、革靴と、そして社畜根性のみ。
『排除スル』
ドロイドたちが一斉に襲いかかる。
「来い! 本日の業務内容は『ボディーガード』だ! 残業代は高くつくぞ!」
田中は舞った。
右からの斬撃をケースで弾き、左からの突きをスウェー(満員電車の揺れ回避スキル)で躱す。
さらに、懐から取り出した「名刺」を、手裏剣のようにドロイドのカメラアイに投げつける!
「まずは名刺交換からだろォォッ!」
『視界不良! 視界不良!』
ドロイドが顔に張り付いた名刺(紙製)を取ろうとして隙ができる。
その隙に、田中はローキック(という名の足払い)を関節部に叩き込む!
「そこだ! 膝の蝶番が甘いぞ!」
昭和のド根性アクションが炸裂する。
しかし、相手は無尽蔵のスタミナを持つ機械の軍団。
次第に田中のスーツが切り裂かれ、息が上がっていく。
「はぁ、はぁ……! くそっ、キリがねぇ……!」
ドロイドの一体が、田中の死角から回り込み、エコーの逃げた給湯室へと向かった。
「しまっ……!」
田中が手を伸ばすが、間に合わない。
ドロイドが給湯室のドアを蹴破る。
中には、震えるエコーがいた。彼女は武器など持っていない。ただのモップと、洗面器があるだけだ。
『排除』
ドロイドが刃を振り上げる。
「いやぁぁぁッ!!」
エコーが絶叫した。
その恐怖が、彼女のリミッターを限界突破させた。
「私から……私の居場所を奪わないでぇぇぇッ!!!」
その叫びは、物理的な衝撃波となって放たれた。
キィィィィィィン!!
「ガガガッ!? 音響センサー……破損……!」
ドロイドの頭部が内部から破裂し、火花を吹いて倒れ込んだ。
エコーの「声」は、機械の電子回路を焼き切るほどの高周波エネルギーを秘めていたのだ。
シーン……。
給湯室の前で、ドロイドが煙を上げて沈黙している。
他のドロイドたちも、衝撃波の余波で機能停止していた。
「……はぁ、はぁ……」
エコーが膝から崩れ落ちる。
「やっちゃった……。また、壊しちゃった……」
彼女は自分の手を呆然と見つめた。
「やっぱり私は『兵器』なのよ……。近くにいるだけで、みんな壊してしまう……」
涙が、仮面の隙間からこぼれ落ちた。
そこへ、ボロボロになった田中が足を引きずりながら近づいてきた。
「……すげぇな」
「来ないで!」
エコーが叫ぶ。
「私に近づかないで! あなたの鼓膜も破れちゃうわよ!」
しかし、田中は止まらなかった。
彼はエコーの前にしゃがみ込み、その震える肩を抱きしめた。
「……鼓膜なら、部長の怒鳴り声でとっくに鍛えてある」
「田中……さん……?」
「『兵器』なんかじゃない」
田中は優しく言った。
「お前は、俺の命を救ったんだ。……最高の『護身用アラーム』じゃないか」
「……っ!」
エコーが息を呑む。
兵器ではなく、護身用。破壊するためではなく、守るための声。
その言葉が、彼女の呪いを解いていくようだった。
「それに、お前の声……やっぱりいい声だよ。機械が壊れるほどの高音なんて、ロック歌手だって出せやしない」
田中はハンカチを取り出し、仮面の下から覗く涙を拭ってやった。
「泣くな。せっかくの仮面が台無しだぞ」
「……バカ……」
エコーは田中の胸に顔を埋め、今度は声を上げて泣いた。
チョーカーの不協和音ではなく、人間らしい嗚咽が、静かなオフィスに響いた。
その様子を、天井の穴から一機の小型ドローンが見下ろしていた。
皇女ルミナの監視カメラだ。
『……ふん』
スピーカーから、不機嫌そうな、しかしどこか楽しげな声が聞こえた。
『わらわの親衛隊を全滅させるとはな……。認めよう、田中。そなたの「愛」とやらは、なかなかに頑丈なようじゃ』
ルミナは、気まぐれに撤退を決めたようだ。
『だが、覚えておれ。次こそは、その女からそなたを奪い取ってやるからな』
通信が切れる。
田中は天井を見上げ、深いため息をついた。
「……モテる男は辛いねぇ」
「……調子に乗らないで、店長」
エコーが泣き止み、少し強めに田中の背中を叩いた。
「……でも、ありがとう。……守ってくれて」
二人は瓦礫の山となったオフィスで、寄り添うように座り込んだ。
傷だらけの社畜と、仮面の歌姫。
その奇妙な絆は、もはや誰にも引き裂けないほど強固なものになっていた。




